コピーライターやCMプランナーとして電通に24年間勤務し、現在は「青年失業家」と称して、失業どころか、幅広いテーマの文章を執筆している田中泰延さん。昨年出版した初の著書『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』は、インターネット上などで文章を発信することが当たり前となった時代に、「書く」とはどういう行為なのか、その指針を与える本として大きな話題を呼んでいます。2020年2月3日(月)に行われた授業では、自分の読みたい文章を書くことの意味とノウハウをユーモアたっぷりに語っていただきました。クリエイティブディレクションの場面においても、応用できる思考が散りばめられていた講義の様子をお届けします。
横長の教室いっぱいに集まった生徒を一望して、「最初に練り歩いてみますね」と教壇から降り、マイクを手に端から端まで歩いて挨拶をした田中泰延さん。突然のパフォーマンスに、早速会場から笑いが起きました。
「本日は年末のお忙しいなかお越しくださいまして、ありがとうございます。僕的には疲れたんで、今年は今日で終わりにしたいんです」
再び起こる笑い。しかし、単に冗談を言ったわけではありませんでした。
「今日(2月3日)は節分ですが、節分は季節の節目のことですよね。明日は立春で、旧暦では春から新しい年が始まるので、前日の節分、つまり今日は大晦日なんです。だから今のも、あながち間違いではないんですよ」
節分がどんな日なのか、事前にインターネットで検索したところ、見つけた情報なのだそう。場の空気を和ませただけでなく、覚えておくと会話のきっかけになりそうな豆知識。調べることが、文章を書くことをはじめとするクリエイティブな作業で、いかに大事かつ効果的なのか。それが今日の講義のポイントになっていくようです。
電通で24年間、コピーライターやCMプランナーとして活躍していた田中さんが、退社後、軸を置いているのが映画・文学・音楽・美術・写真・就職など幅広いテーマでの執筆活動。言葉を扱うという点では前職と共通しているものの、基本的な立ち位置はかなり異なるようです。
「電通にいた頃は、たとえばウーロン茶のテレビコマーシャルをつくる場合、まず言葉やストーリーを考えて、タレントや監督などを決めていきます。だけど僕自身は、そのウーロン茶を別に嫌いでもなければ、好きでもない。よく『自分には書きたいことがある』とか『表現したいことがある』と言う人もいますが、広告でそんなことはできません。なぜなら、その商品が売れることを考えないといけないから。『俺の心のなかに咲いている花は......』などと書いても、ウーロン茶は売れないですよね」
昨年出版した『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』は、広告業界で長く言葉に携わってきた田中さんが、SNS全盛の時代に本当に伝わる文章を書く方法や、その考え方を指南した"文章講座"になっています。
「この本の編集者である、ダイヤモンド社の今野良介さんが、こんな仮説を立てたんです。SNSで大勢の人が日々いろんなことを書いているけれども、正直に書いている人はほとんどいないのではないだろうか。自分の気持ちと本当は違うのに、それで"書いた気分"になり、発信して終わっているのではないだろうか、と。たとえばTwitterの面白いハンドルネームや変わったアイコン、これに関しては自由で全然いいんです。ただし、顔と名前もフィクションで、言っていることも借り物だったら、一体何のために時間をつぶしているのかわからないですよね。『自分なりのメッセージを発信しましょう』とか『発信し続けなければいけない』などと言われますけど、よくよく考えると、なんで発信しなくちゃいけないんだろう、という疑問が出発点でした」
読みたい文章を書くために押さえておきたいことは、以下の4つに大きく分けることができます。
1 なにを書くのか
2 だれに書くのか
3 どう書くのか
4 なぜ書くのか
まず「なにを書くのか」について。FacebookやTwitterなどのSNS、ブログ、note、あるいはニュースのコメント欄、本や映画のレビューなど、インターネット上には個人が自由に書いた文章が無数といっていいほど存在しますが、そのほとんどが「随筆」なのだそう。
「こういう時、定義って大事です。随筆の定義は『事象と心象の交わるところに生まれる文章』。事象とは、自分の外のことすべてです。このマイクも演台も事象ですし、僕にとってはみなさんも事象。それらを見たり触れたりすることで、『なんかデカイな』とか『いくらするんだろう』などと心の中に生まれるのが、心象です。このふたつが交わって、初めて随筆が生まれます。そう考えるとほとんどのブログも、Twitterへの投稿も随筆ですし、ちょっとわかりにくいけれどもInstagramのストーリーズも随筆です。わざわざ写真を撮って『ハワイいい景色~』と投稿するのは、すでに事象と心象が交わったものを人に伝えようとしていますよね。定義がはっきりしていれば、自分が今なにをしているかを忘れることはありません。事象に触れた心象を書いているのだと思えれば、それぞれの適した文量などが少しずつわかってくるはずなんです」
【クリエイティブディレクションのルール#1】
定義がはっきりしていれば、目指すところを見失わない
随筆以外の文章ももちろんあって、ジャーナリストの書く文章は事象寄り、小説家や詩人の文章は心象寄りなのだそう。
「『今日、また武漢で3人亡くなった』と書くのがジャーナリスト、つまり報道ですけど、『今日、また武漢で3人亡くなって悲しい』と書いたら、心象が入っているので随筆になります。この違いをわかっておかないといけません。一方で僕が、『俺の名前はジョー、殺し屋だ』って書いたら、これは心象ですよね。事象と関係があってもなくてもよいわけです。ジャーナリスト、小説家、詩人は専門職といえますが、そのどちらでもない辺りを書くのが随筆です。まず、何を書くのかということに、意識的になってください」
次に気をつけるべきことは、「だれに書くのか」。大抵の人は文章を書くとき、自分なり他者なり、誰かに向かって文章を書いているのではないでしょうか。しかしここで、書くという行為の衝撃的かつ厳しい現実が明らかに......。
「随筆を書くにあたって一番大事なことは、"何が書いてあるか"ではなく、"誰が書いたか"です。すごく素敵なことを書けば、たくさんの人が読んでくれるに違いないと思いがちなんですけど、それは全然違って、誰が書いたかのほうが大事なのです。みなさんが一生懸命調べて書いた1万字のコラムを、インターネット上に載せたとしても、PV数はせいぜい200近くかもしれません。だけどたとえば、宇多田ヒカルが『平田牧場のとんかつがおいしかった』とブログに書いたら、250万PVにもなりうる。とんかつが売り切れたり、平田牧場の株が上がることだってあるかもしれません。みなさんが、いいことを書いたから大勢の人に読んでほしいと思っても、誰も読まないんです。僕だってそうです。なぜなら、僕たちは宇多田ヒカルではないから。だから基本的に何を書いても逆境なのです。どのくらい読まれたか、バズったかを満足の基準に置いてしまうと、宇多田ヒカルではないみなさんは敗れ去ってしまう運命なので、考え方を変えないと幸せになれないんです」
しかし田中さんは「書くな」と言っているわけではありません。逆境に打ち勝つ方法、つまり読んでもらうための武器が「調べる」ということです。
「最初に節分の話をしましたが、あれもちょっとググっただけなんです。調べたら簡単にわかることだけど、調べたらちょっとだけ突破口がある。いっぱい調べたら突破口がいっぱいになるかもしれないのです」
【クリエイティブディレクションのルール#2】
調べることで突破口が生まれる
「矛盾するようですが、読んでもらうためには他人はどうでもいいんです。なぜなら他人のことはわからないから。『節分は年末ですよ』と言っても、年末にも節分にも興味のない人はいますし、調べたところでそれがウケるかどうかもわからない。『読者を想定しましょう』ってよく言いますけど、そんなものはいないし、わからない。『対象のペルソナをはっきりさせましょう』とも言います。僕は広告代理店でこればっかりやっていました。F1層の好む服の色とか、F2層の好きなお茶の銘柄とか、たくさんアンケートを取ったら見えてくるのかもしれないけれど、取ったところで書くのはしんどいです。だから読者は想定しなくていいんです」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
ターゲットは想定しなくていい
「ものを書くという行為に素直になるためには、自分に向けて書くのです。どんなものでも書いている途中に読んでいるのは自分だし、書き上がって初めての読むのも自分です。それが正直になる第一歩だし、自分が読んで面白いのだから、面白いことを書く第一歩になるし、ひょっとしたら面白いと思ってくれる人がいるかもしれない。読みたいことを書くというのは、まずは自分が読み手として書くことです。書き手と同時進行で読み手だし、書き上がった時も第一読み手になる。誰かが読んで感想を言ってくれたらまた読み直すかもしれない。ずっと読み手である自分を騙すことは、最終的にできないですからね」
読み手として書くとはどういうことか、具体的な話が続きます。
「たとえば映画を観たら、いろんな人がいろんなことを書きますよね。Yahoo! 映画なんかは、流行っている作品だと2,000~3,000くらいの感想が投稿されていますし、映画評論サイトや映画雑誌もあります。そういったところに書いてあることに、自分の感じたことが言い表されていると思ったら、もう書かなくていいんです。でもこれだけ感想がある中で、自分が思ったことを書いている人がいなかったら、書いてみようと思うのが出発点なのです。自分のために書くということは、読み手としての自分が満足していないから書くということになりますから」
【クリエイティブディレクションのルール#4】
「誰も書いていないから」が出発点になる