気候変動など、社会的な課題への提起を積極的に行うことでも注目されている世界的なアーティストのオラファー・エリアソン氏。2023年11月24日(金)にオープンした麻布台ヒルズでは、オラファー氏の新作パブリックアート《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》が設置されたほか、麻布台ヒルズギャラリーにて、展覧会「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」が開催されています。
同展の開催前に来日したオラファー氏に、作品の背景や今回の展覧会について、お話をお伺いしました。
――パブリックアートとして新設された作品《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》は、開催中の展覧会と名称が同じですが、どんなことがテーマになっていますか。
この作品のコンセプトのひとつを、有機的なサイクル(循環)、としています。《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》は4つの作品で構成していますが、それぞれ球体を物質がまわるランダムな動きから形成されています。
「サイクル」には、ライフサイクルや呼吸のサイクルなど、さまざまな意味を込めています。最も重要なのが、地球上のエコロジーにおけるサイクルです。地球上のあらゆる物質が循環しているという意味を含んでいるのです。
この作品には、焼却炉でゴミを燃やす際に発生する有害な煙にフィルターをかけて取り出した亜鉛を使用しています。排煙には金属も含まれるので、亜鉛の割合は85%ほどでしょうか。もし、作品に使われず、そのまま排出されていたら、微粒の金属物質を含んだ排煙として空気中に放たれて、環境汚染の原因となっていたでしょう。これらの物質を素材として塊にしたことも、本作においては重要な要素になっています。
――タイトルの中に「繋がりあう(Interconnected)」という言葉が使われています。何と何の繋がりを言っているのでしょうか?
繋がりは何も人間界にとどまるものではありません。植物や地球、空、海といったような人間を超えた存在についてフォーカスしています。私たちにとっての今、は過去と未来とも相互依存の関係にありますよね。
森林は環境を汚染しないだけではなくて、反対にきれいにしてくれます。そういう意味では人間は森林より劣っていますよね。森林は賢くて、ごみだって出さないじゃないですか。人間はどうかというと、森や木から何かを学ぼうとするのではなく、伐採して経済利益を生むためだけに利用しています。このままヒエラルキーの最も上に人間が存在して、それ以外のものを支配、コントロール、搾取することが続いていくと、人類そのものの未来が危うくなるでしょう。
そこで例えば、川や木々あるいは動物に、人権...正しくは人格と言うべきかもしれませんが、人間と同等なものとして扱われる権利を与えることで、非常に豊かな未来が生まれるかもしれない。たとえば、木に企業のCEOになってもらうとか。これからこういったことにチャレンジしていくべきなのではないかと提起も、このInterconnectedには含まれています。
――今回の新作の制作過程や展覧会の準備中に、何か新しい発見はありましたか?
まず、展覧会のメインとして《瞬間の家》という水を使った作品を展示しています。これは2010年に発表したものを今回再制作しています。とはいえ、これほど大規模に扱うのは初めてなので、ほぼ新作としてとらえています。
本作には、動きや軌道、時間、さらには、パブリックアートの際も言及した「サイクル」といったコンセプトをこめています。そして、展覧会名にもある「nows(現在)」も非常に重要なコンセプトの一つです(注:展覧会英題は「Olafur Eliasson: A harmonious cycle of interconnected nows」)。英語の文法的には正しくありませんが、複数形にしました。常に新しい現在、そして人それぞれが違う現在を生きていることを表現したかったからです。
制作中も、常に新しいアイデアが頭の中を巡っていました。《呼吸のための空気》には、上部に東西南北を表す4つの扇風機がついていて、固形化された亜鉛の上から空気を散布しています。空気を鑑賞者に受け止めてもらいます。そこに見える物質ではなく、見えないものや感じられないものを感じられるようにすることが重要な作品の役割なのです。
――2023年10月には彫刻部門で高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されました。授賞式では庭について言及されていましたが、さらに詳しくお伺いできますでしょうか。
私のアトリエでもあるスタジオ内のワンフロアを、自分自身で制作を行うクリエイティブスペースとしています。このスペースは、誰でも利用できるように開放したいとも思っているのですが、今のところクローズドなスペースです。ここではコミッションワークのための制作はせず、経済的な利益を生まなければいけないという義務からも解き放たれています。
このスペースは、「内なる創造性の庭(My personal creative garden)」とも言えます。庭は生き物なので、庭師が必要となります。庭師が、土を耕したり、栄養を与えたり、何かを育んだりするように、自分のクリエイティビティやアイデアをここで庭師となって育んでいます。反対にこの庭自体が自分の思考に作用したりします。
まったくの新しいアイデアを生み出すのは本当に難しいですよね。私は、このほとんど空っぽなスペースで考えごとをします。この庭で、未来の自分から語りかけてもらって、新しいアイデアを教えてもらいます。とても抽象的なことを言っているように聞こえますが、非常にシンプルなことです。自分のものではない新しい思想を生み出すという意味では、禅の非思量という考え方に近いかもしれません。
例えば、ジャーナリストである皆さまは、普段記事を書くと思いますが、その内容は、自分自身も含めた未来の人が読むものとして、未来に宛てて書いていますよね。今、書いているものを、未来の自分はどんなふうに解釈するのか、そして今の自分は、未来に向けてのメッセージをどう解釈するのか。私が、私の「庭」で行っていることは、みなさんが、自分が今書いているテキストを未来の自分になって読んでみる、という行為です。未来から思いついていないアイデアを送るような感覚です。
創造性(クリエイティビティ)は、何をしているかという行動に見いだせるものではありません。木材や金属のような素材にあるわけでもありません。形式やフォーム、数式や言語にあるものではなく、一連の行動のその先にある結果、物事の帰結部分にあるものです。創造性を高めるには、現在、ではなく、今の先にある未来から今をとらえてみることです。こうした未来への思考実験こそがクリエイティビティの本質になるのではないでしょうか。