パブリックな展示が似合う場所。だから、街中に写真があふれたフェスティバルを。
世界中を歩き、旅することを通して自身が得た、体験、経験をさまざまな視点から写真で記録。さらにひと都市で撮り続けた写真を重ね合わせて、1枚の地図へと変貌させる作品『Diorama Map』はすでに20都市を数えるといいます。世界の都市を見つめ、生身で街や人、生活を体感してきた西野壮平さんが歩いて見つけた六本木のおもしろさ、この街で実現したいアートについて語ってくれました。
制作で海外に滞在する場合、2、3日街をひたすら歩いたあとは地元の人たちと交流を重ねながら、いろんな場所へ足を運びます。「こういう場所があるよ」と聞いては、「今日はここへ行こう」「明日はあのエリアに行こう」とざっくり決めて、そこから派生していくような感じですね。『Diorama Map』は正確な地図とは違いますが、作品のアウトプットとして地図という形を目指している。そのためには、あらゆる場所に足を運ぶことが必要なんです。
現地で1か月〜1か月半ほどアパートを借りて、現地の人の生活になじむような滞在をするという話をしましたが、やっぱりどこまでいっても"本当の住人"にはなれない。ただ、"自分がどこにいるのか"を把握する期間というのがあって、それが僕の中で設定している旅の期間なんです。2か月を超えると、街の人の目線になってしまう。そうすると、撮るものに対して、もう少し個人的な感覚が強くなる気がするんですよね。"旅人"として居られる期間は、Max1か月半。それが、自分の中の感覚としてあるんです。以前、仕事とは違う目的で、海外に1か月半以上滞在したことがあるんですけど、毎日のように歩いていると"知りすぎちゃう"んです。あくまで作品づくりであって、地元の人になることが目的ではないので、エンドを決めるようにはしていますね。
旅から戻ると、静岡のアトリエでの作業が始まるのですが、そのときはまだ旅が続いているような感覚なんです。トータルで4、5か月の時間をかけるので、途中止まると、記憶がつながっていかない。だから、帰ってからの作業は連続してやりますね。大体フィルムで200~250本撮るので、現像するだけでも結構大変なんです(笑)。現像したら暗室でコンタクトシートに焼き、1枚1枚カットしていくんですね。それをキャンバスに貼り合わせていって、最後にもう一度複写するというのが作品をつくる流れ。
今の時代を思えば、デジタル上でコラージュして手間のかかる作業を丸ごと省くこともできる。でも、それだと記憶がつながっていかないんです。すべてが集約された何万枚の写真の記憶をさかのぼるには、身体的な接触が大事だと思っていて。ペラペラしたフィルムの質感だったり、現像するために濡らしたり、乾かしたりしながら手で触ること自体が重要。身体的なアプローチが、記憶を舞い戻してくれる、巻き戻してくれるという感覚があるんです。そうやってできあがった1枚の『Diorama Map』は自分自身の足跡であり、その時代、その瞬間の、街や人の記憶でもあると思っています。
写真に触れるという話で言うと、スイス西部のヴヴェイという小さな街で、『Images』という写真のフェスティバルがあって、僕も作品を出展したことがあるんです。そのときの作品『Diorama Map "Bern"』はターポリンという素材に写真をプリントして、駅の近くの広場に置いて、その上を街行く人が歩けるような展示方法にしました。スイスのベルンという街の『Diorama Map』だったのですが、現地の人たちにはなじみのある街なので、地図上を歩きながら子どもたちが「あ、この辺はここだ!」「友だちの家がある」と楽しんでくれたんですよ。パブリックな場で体感できる展示というのは、おもしろい体験でした。
『Diorama Map "Bern"』
『Diorama Map "New York"』
ほかの写真家も、本当にいろいろな展示方法をしていましたね。丸いドーム型の警察署を覆うように全面に写真をプリントしたり、レマン湖という湖の上に写真を浮かべたり、ホテルの壁面一面に滝の写真をプリントして貼ったり......。建物の中での展示は1割程度で、あとの9割は外。つまり、パブリックスペースに展示されているんですね。きっとそういうパブリックな写真展示みたいなスタイルって、六本木にもすごく合っていると思うんです。
たとえば、六本木にいっぱいある坂を利用して、坂自体に写真をプリントしたり、坂の先に立つ高い建物にプリントして遠くからも作品が見られるようにしたり。あと、道や芝生に六本木の街のイメージとは真逆の写真をプリントして、地上にいる人からは何かよくわからないけど、六本木ヒルズの展望台だとか高い場所から見ると鮮明になるというのもおもしろいなって思います。世界からいろんな作家を招聘して、いろんな作品を街中のパブリックな場に置けたらいいですよね。
最初にも話しましたが、六本木は歩いていても楽しくて、歩くほどに違った街の姿が見える。僕自身がそれを体験したので、さらに"写真を見て歩く"という意味づけを何かひとつ加えると、もっともっと楽しめるんじゃないかなと思います。
個人的にワークショップを考えるなら、100人くらいの人に、六本木を数時間歩いて写真を撮ってもらい、みんなで貼り合わせてひとつの地図をつくるというのもおもしろいですね。今はケータイを含めるとカメラを持っていない人がいないくらい、みんながカメラマンという時代なので、そういった試みもできるのではないかなと思います。
これまで東京をはじめ、世界の都市で撮影をしてきましたが、最近、興味深いなと思っているのが"川"。僕自身、川に行くと心がすごく落ち着くんですよ。それに、道に迷うと自然と川を探してしまう。それはなぜかと考えていて。きっと昔の人たちも川を見て、この水がどこから来てどこに行くのかと想像したと思うんです。風景は変わっても人が感じること、想像することは同じで潜在的な意識や感覚は変わらないということに、安心感を覚えるのかもしれません。
そして、発展し多くのビルが建っている都市が、なぜこれだけ変化してきたのかと歩きながら考えていると、物流のしやすさとか、環境のよさといった人が集まる理由が見えてくるんです。そこには必ずと言っていいほど、水辺の風景があるんですね。生活に必要なモノが流れてくる、人が流れてくる、文化が流れてくる......。そういう経験が蓄積されて、今の姿になっているんだとあらためて感じるんです。
そんなことを感じながら、ちょうどイタリアのポー川をテーマにした作品『IL PO』をつくったばかりなんですよ。アルプスからアドリア海まで約650kmに渡ってイタリア北部を流れている川なのですが、山に登って水がちょろちょろと湧き出るところから、徐々に広がって海へとつながっていくところまで、水辺を旅しながら写真を撮っていきました。「水は循環しているんだ」と再確認できただけでも、僕にとっては大きな体験でしたね。
今のところ、東京以外でふたつ目の『Diorama Map』をつくったことはないのですが、ニューヨークはもう一度撮りたいという思いがあるんです。2001年に起こった『アメリカ同時多発テロ事件』の当日9月11日に、実はニューヨークにいたんですね。しかも、事件前日にはワールドトレードセンターにいた。あの風景がゼロになったときに作品をつくりたいと思い、『Diorama Map "New York"』を制作したんです。その先、どんな風景になっているのか、新しい何かが建っているのか。思い入れのある街でもあるので、いつかもう一度撮れたらと思っています。
取材を終えて......
インタビューでうかがった作品づくりの視点、過程が非常に興味深いのはもちろんのこと、旅先でのおもしろエピソードも豊富。取材後には、アフリカのレストランで初対面した「羊の脳みそ」の話でひと盛り上がりしました。「結構な臭みがあって、なかなかのものでしたよ」と笑う西野さんですが、本当の意味でフラットだからこそ、どんな国でも現地の人に受け入れられるのだろうと感じました。
(text_akiko miyaura)