新しい都市型の文化を、ともにつくりあげる。
慶應義塾大学医学部教授を務め、データサイエンスを軸とした科学的方法論を専門としながら、「大阪・関西万博」テーマ事業プロデューサーや飛騨に設立予定の「Co-Innovation University(仮称)」の学長候補として立ち上げを行うなど、幅広い分野で活躍する宮田裕章さん。近年「ウェル・ビーイング(well-being)」が注目されていますが、宮田さんは「コー・ビーイング(co-being)」というテーマを掲げ、学問からアートまでを横断しながら「ともに生きる」ための未来ビジョンの共創を行なっています。今回は、データサイエンスやAI技術などのテクノロジーと社会の関係、未来におけるクリエイティビティ、そして都市と文化、人々がより良い形で変化していくためには何が必要か、など宮田さんの未来を見据えた展望を伺います。
私が一番力を入れていることは、過去も現在も変わりません。それは科学者の立場から、よりよい世界の実現に貢献すること。データサイエンティストという肩書きがわかりやすいので、現在はそう名乗っていますが、ある特定の分野の専門家として"のみ"何かをすることにこだわっているわけではありません。社会全体が領域を超えて変化していく中で、データやデジタルを軸にしつつ、未来をつくることに関与していきたいと思っているんです。
産業革命以降、お金より大事なことがあると言いつつも、お金で世界が回り、都市は経済合理性の中で労働力を効率よく利用する装置という側面が強くなっていきました。そうして大量生産・大量消費のスタイルが定着し、街の姿はグローバル化によって没個性化していきました。そういった状況下で、私が関わるデータサイエンスは、経済だけではない多様な価値を可視化することが重要な要素であると言えます。もちろん経済は未来へ向かっていくうえで重要な手段ではあるのですが、目的ではないんですね。例えば、環境との共存だったり、人権だったり、あるいは文化だったり、多元的な価値を可視化して、よりよい形でコミュニティ間をつなぐ役割が、データに期待されていると思います。
医療分野では、数十年前からお金よりも命の価値が尊ばれてきました。「ブラック・ジャック展」で、(手塚治虫さんのご子息の)手塚眞さんと対談する機会があったのですが、印象的だったのが「ブラック・ジャックは医療漫画というより、いのちを巡る物語だ」という言葉。命と向き合う覚悟への問いを突きつける象徴的な存在として、ストーリー中にはお金がたびたび登場しますが、間違いなく中心にあるのは命であり、お金は単なる手段なんです。それが医療では共通認識になっていました。そういった価値観は、今では環境や労働という領域でも重要な共通認識になっています。
もともと企業はある社会的目的を達成するための集団でしたが、とくにここ2、30年は、短期利益を重視する株主至上主義が世界を席巻していました。映画『ウォール街』での"Greed is good"というセリフが象徴的です。お金を稼ぐことが正しい、そういう価値観に囚われてしまったわけです。でもやはりそれは手段であって、目的はそれによって何を実現するかです。未来につながる多様な共有価値の先駆けとして、現在認識されているものがSDGsですね。環境や健康への負荷を可視化することによって、例えばファッションでは、この服はどこからきたのか、途上国を搾取しているんじゃないか、という問いにつながり、廃棄を前提につくっていてはいけないという認識に移行しています。その結果、どういった未来を目指すか、ということがビジネスで非常に重視されてきています。
データのもうひとつの大きな役割は、個別化です。これまでは「みんな」という平均値を想定したモノやサービスがつくられてきたのですが、デジタルの普及によって、もっと個別化された体験を提供できるようになってきました。個別化するコストもこれまでは非常に高かったのですが、低く抑えられるようになってきています。例えば医療であれば、ある種の遺伝子型の人には抗がん剤が効かないことがわかってきた。それならば、個々人に最適化された療法を提供しましょう、といったことです。
また、現在の日本社会は特に平均的な人に合わせてつくられてきた側面が大きいです。これは国民皆保険制度の充実や、健康寿命の長さなど、いわゆる「最大多数の最大幸福」という意味ではいい国なんですね。ただ、平均からこぼれ落ちると一気にリスクを背負うという面もある。
象徴的なのは、シングルペアレンツの貧困率が直近のOECD調査でデータのある36カ国中ワーストだということ。経済格差の大きいアメリカを抜いて、日本の方が深刻なんです。女性の場合、離婚したあとは法的にも倫理的にも、子どもの扶養義務が母親のイシューとされる。経済的な能力に関係なくです。先日ノーベル経済学賞を受賞したクローディア・ゴールディン氏が「日本は女性に仕事を提供しただけで、実際の問題は改善していない」とおっしゃっていましたが、その通り働く女性のかなりの割合がパートタイムなんですね。
そんな状況で例えば病気になったら、生活を成り立たせることが非常に困難になります。そういった苦しみに対して行政が提供するサービスは、これまでは個別の要因に個別に対応する足し算型のものしかなかった。これからはデータを用いることによって複数の要因をカバーし複合的に対応する掛け算型のアプローチで苦しみに寄り添う仕組みをつくれる可能性がある。また、多くのサービスは状況が切羽詰まってから始まりますが、もっと前の段階でうまく手を差し伸べられれば、問題自体を未然に防げるかもしれない。例えば子どもの検診段階で、同年齢の子たちと比べて一定以上の数値差が生じているケースを細やかにフォローしていけば、隠れた貧困や虐待に気付けるかもしれない。これまで最大多数の最大幸福しか実現できなかった社会から、多様な人に寄り添い、誰も取り残すことのない社会を実現するために、データやAI技術が活用できるんです。これを私は「最大多様の最大幸福」と呼んでいます。
都市に目を向けると、パリやバルセロナでは観光経済を優先しすぎたためにオーバーツーリーズムが生まれ、地元コミュニティの破壊が日本よりも早い段階で起こりました。その一方で新たな取り組みも生まれていて、例えばバルセロナでは、区画ごとに共有地を設けてコミュニティの交流の場とすることで、住む人たちの誇り(シビックプライド)を醸成しています。また有名な事例ですが、コペンハーゲンでは、持続可能性を指標として、街づくりが行われています。コミュニティが何を選ぶかということが、その街の特徴になっていくんですよね。都市が多様な価値観をはらみながら、未来にどうつなげていくかという世界各国のチャレンジは非常に興味深いですね。
私が携わっている大阪・関西万博のパビリオンや飛騨のCo-Innovation Universityのキーコンセプトは、「Better Co-Being」。この背景には、持続可能性とウェルビーングの調和の中で未来を共創する、という思いがあります。今を生きる人がひたすら苦しい思いをすること、あるいは童話のキリギリスのように刹那を謳歌して未来が潰えてしまうこと、どちらも望ましくないですよね。しかし、多様な人々が豊かに生きようとすると、短いスパンではどうしても折り合いがつかない。大阪・関西万博のミーティングでグローバルサウスの方々とも話すのですが、先進国が発展したあとで、一方的にCo2排出を規制するのはどうかと思う、と。それはまさにそうで、現在の環境破壊に対する責任が先進国にはある。そのうえで多様な人々の豊かさと地球の持続可能性を調和させ、未来を見据えなければなりません。響き合う未来を見つめながら、ともに生きることを、「Better Co-Being」と呼んでいます。現在だけではなく、未来がどうあるべきかをともに考える必要があるのです。
撮影場所:開業を間近に控えた麻布台ヒルズ