シャッター・アートで“野生の名所”をつくる。(水野)
能動的な行動を生む椅子を街に点在させる。(菅)
菅既存のルールを疑うためには、自分でルールをつくって人を巻き込んでみるのがいいかもしれません。たとえば家族間で、帰ったらこれをここに置きましょう、みたいな、小さなルールでもいいんです。ルールをつくるとなぜそれが必要なのか、理由を説明する責任が発生しますよね。自分がつくったルールを、他の人にも守ってもらうようお願いするのは、ある意味大変だし、勇気のいることですけど、僕らはそれに慣れる必要がある。自分が従っている他のルールに対しても、同じような態度で向かい合うことで、一歩先に進めるような気がします。
水野ルールという抽象的・概念的なテーマの展示に興味を持ってくれるのは、最初からごく限られた「意識が高い系」の層になってしまいがちなんですが、今回の『ルール?展』は、ルールに関する知識ではなく、自分がルールに巻き込まれたり、主体的に参加した方が楽しいかも? と自然に思えるような体験・提案として企画しました。
菅展覧会に来てくれた人が、他の人の行動を変えていく可能性もありますよね。僕は大学で教えてもいるんですけど、いつも思うのは、ひとりでは世の中を変えられないということ。だからどうやって仲間を増やすかをとても大事にしていて。たとえば、自分が教えた学生は仲間だと思っているんです。同じように今回『ルール?展』に来て、面白いなと思ってくれた人とは仲間になれるんじゃないかなと。そういう仲間を増やすことで、自分でルールを変える面白さに気づく人が徐々に増えていくのが理想ですね。
水野みんなでルールのアップデートしていくことにより、この国や都市、街を、自分たちのものだと思える人が増えるのではないか、と思っています。たとえば六本木に住んでいる人や仕事をしている人が、自分も街の一部であることを感じられるというか、参加している実感を得られるような状態になるかもしれない。
一方で、そもそも制度や法律に距離を感じてしまうのは、自分たちが住んでいる国や都市に信頼がないからです。自分もそうなんですが、じゃあなんで信頼がないのかっていうと、誰かが知らないところでルールや制度を決めて、それを押し付けられていると感じるからだと思います。そのようなルールや制度の設計に参加している感覚がないからで、ルールや仕組みづくりに一端でも関わっているという自覚があれば、だいぶ変わってくると思うんです。それは思い通りの街をつくるのとも少し違って、たとえ自分の意見や希望が通らなかったとしても、そうしたやり取りに関わることが、重要なファクターなんじゃないかな。
菅何かひとつの理想の状態は、誰かにとっての理想でしかなくて、他の人の理想はおそらく違う。それは当然のことで、街にはいろんな人がいて、それぞれの理想があって、お互いが相反する価値観を持っている可能性もあります。だから、やってみたらうまくいかないルールもやっぱりあるんですよね。試してうまくいかなかったらすぐに直すってことがどんどん行われると、議論も生まれやすくなると思うんです。
理想の状態っていうと、特定のゴールが明確にあるようなイメージかもしれませんが、それよりも常に議論がなされている関係性が大事です。時代によって理想の価値観も変わるので、停滞ではなくうごめいている状態をどう持続できるかに、社会システムの設計はかかっているのではないでしょうか。
水野『ルール?展』に一般社団法人コード・フォー・ジャパンの《のびしろ、おもしろっ。シビックテック》という展示があるんですけど、これはDecidim(デシディム)という政治への市民参加のためのデジタルプラットフォームを本展用にアレンジしたもので、議題に対して誰でも意見を言えるようになっています。今のテクノロジーを使いながら、街やルールづくりに気軽に参加できるようなインタラクションがもっと普及していくといいですよね。
水野今回の展示にある「Legal Shutter Tokyo」は、もともとは海外のグラフィティアーティストが来日するタイミングで、都内のシャッターにグラフィティを描いてもらうプロジェクトなんです。日本のグラフィティを取り巻く環境を見ていると、違法/適法の二元論に終始したり、海外は規制が緩くていいけど、日本は厳しいからなかなかグラフィティ文化が根付かないよね、みたいな話で終わってしまいがちで、もどかしく感じていました。
以前、渋谷などでリーガル・ウォールのプロジェクトが盛り上がった時期がありました。要は合法的にグラフィティの場を与える取り組みなんですけど、グラフィティアーティストによっては「適法でやるなんてダサい」と思ってしまう。あるいはグラフィティという文化を資本化したプロジェクトとみなし、搾取されていると反発する人もいたりして、アーティストの間でも賛否が真っ二つなんです。
そんな中で「Legal Shutter Tokyo」は、グラフィティをシャッターっていう日本らしい景色に転換させたうえで、許諾の仕組みを制度化することで、日本の文脈に合った新しい文化として受容される余地が生まれている。自分たちでルールをつくることで、物事が良い方向に進んでいくための導線にしていける。ルールの面白さがいい塩梅に表れているプロジェクトだと思うので、六本木でも展開していきたいんですよね。まちづくりの手法としても面白いと思います。
菅ランドマークではない形での"野性の名所"を増やす感じですね。
水野そうそう! 建物自体は基本的に今も使われているから、昼間はシャッターを上げていて全然違う風景が広がっていたりする。パブリックアートとは異なる、日常に溶けている感じがいいんですよね。
菅21_21 DESIGN SIGHT館長の佐藤卓さんが、「既知の未知化」とよく言われていて、すでに知っていることを新しい目線で見てみることは、デザインにおいて大事なんですけど、都市も同じだと思っていて。店のシャッターが閉まっているのは営業していないときなので、グラフィティを見るためにはいつもと違う時間帯にその場所に行くことになりますよね。そうすると今まで知っていたのとは違う街の魅力や、道の面白さが見えてきて、注目するポイントが変わってくるので、何かしら面白いことが発生しそうな予感がありますよね。
僕がやってみたいのは、今回の展覧会のロビーにあるような動かしていい椅子を、街に点在させること。それによって、歩くリズムや移動のリズムを変えたいと思っているんです。多くの人が目的地に向かうために素通りしてしまっているところでも、立ち止まるといろんなものが見えたり気づいたりする。動かしていい椅子がそこにあったら、好きな場所に持っていって座ったり、連ねてベンチにしたりなど、能動的に工夫しながら街を楽しむ行動が生まれますよね。そういう動きがさまざまな形で発生すると、都市に対して主体的に関わることにつながっていく気がするんです。
水野今回の展覧会では、単にルールに気づく、ルールを使う・守るだけでなく、ルールを壊す・破るということもテーマとして扱っています。ルールを更新していくために、ルールをハッキングしていく力が重要になるし、それが創造性や新しい時代を生み出すダイナミズムにもつながるという視点です。
菅一度ルールを上手く利用したり、破ることで新しい可能性を発見することができたら、それが次のルールになって、社会の中で当たり前とされていることが変わっていくことにもつながるはずです。
水野ハッキングされた部分を取り入れて、ルールをより良いものにアップデートしていくことが社会としても重要だと思います。また、活躍している人っていうのは、ある種、言語化されていないルールを発見する能力に長けていると思っていて。ルールがあるからこそ、逆にやりやすい面もあるはず。そのルールから外れていきさえすれば、新しいことができるわけだから。優れたビジネスマンやクリエイターはそういう意味でルールを上手に使ったり、ハックしたりしている人が多いんじゃないですかね。
菅すでに決められているってことは、そこからはみ出るようなことがやられていないという意味でもあります。なので、ルールから上手くはみ出すことができたものは、すべからく新しくなる力を持っていると言えますよね。
撮影場所:21_21 DESIGN SIGHT企画展『ルール?展』(開催中~2021年11月28日まで)
今回登場した法律家水野祐さんが行った特別授業の記事も公開中です。あわせてご覧ください。
第9回六本木未来大学「水野祐さん、クリエイティブディレクションに必要な法との付き合い方って何ですか?」
(https://6mirai.tokyo-midtown.com/project/no7_15/)
取材を終えて......
コロナ禍で「やってはいけないこと」が多く、私たちの暮らしは輪をかけてルールにがんじがらめになっている印象の中、タイムリーなテーマで響く言葉がたくさんありました。話を聞けば聞くほど、ルールは積極的に関わった者勝ち、という思いが強くなりました。まずは当たり前と思っているルールにこそ、目を向けるところから始めてみたいと思います。ディレクターチームそれぞれの個性や強みが生かされた「ルール?展」は、作品と向き合いながら、他者の存在を意識し、ルールを体感する、まさに参加している感覚を味わえるユニークな展覧会です!
(text_ikuko hyodo)