先日、森美術館で開催中の「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」に行ってきました。本日はこちらの展覧会の内容と魅力をご紹介します。
展覧会タイトルにもなっている「ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者)」は、19世紀後半、ニューヨークの貧しい移民の暮らしを取材した写真家ジェイコブ・A・リースが、英語が不自由な両親の通訳としてさまざまな用事をこなす移民の子どもたちを指した呼び名からきています。
その意味の通り、「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」では、異なる文化の間や現実と想像の世界の間、大人と子どもの間など、さまざまな境界を行き来する子どもを媒介者として捉え、作品の中の子どもたちのイメージを通し、子どもを取り巻く環境と彼らが対峙する問題を5つのセクションに分けて提示しています。
今回は展覧会の流れを気になった作品とともに紹介します。
1、文化を超えて
移民や国際養子縁組などさまざまな状況により故郷を離れて暮らす子どもたち。はじめのセクションでは、多文化を生きる子どもたちについて作品を通して考えます。
はじめに展示されているのは、ジェイコブ・A・リースの作品。
この展覧会のキーワード「ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者)」と呼ばれた子どもたちの姿を捉えています。
続いて金仁淑(キム・インスク)の作品「SAIESO:はざまから」シリーズ。
こちらは作家自身が生まれ育った在日コリアンのコミュニティに暮らす家族に焦点をあてたポートレイト作品です。部屋のつくりは畳があったりと日本的なものであるのに、着ている洋服はコリア的であったり、写真の中には日本的なものとコリア的なものが混在しています。二つの文化のはざまを行き来し生きる子どもたちの姿からはたくましさも感じます。
もう一つ紹介したいのがジャン・オーの作品。
展示されているのは「パパとわたし」という米中間で養子縁組された娘とその養父を撮影した写真作品のシリーズです。中国が国際養子縁組の規制を緩和したことにより多くの子どもたちが中国からアメリカ家庭に引き取られました。人種の違った血のつながりのない親子であるのにも関わらず、本当の親子のであるような暖かみのある写真からは、子どもたちが国境を越えた新たな文化や家族のもと、幸せな生活を送っている様子や成長していく姿が感じられます。
2.自由と孤独の世界
大人になった今、多くの人が忘れてしまっている子ども特有の孤独感。幼いころ、一度は誰もが感じたでしょう。そんな孤独感と、それゆえに得ることができる自由な世界に焦点をあてます。
こちらのセクションには今回の展覧会の注目の一つ、奈良美智の作品が展示されています。
大きな頭につり上がった目は、奈良美智が描く子どもの特徴です。何か言いたげな強気とも取れる子どもの表情は、孤独の中にある子どもの強さを表現しているのかもしれません。今回日本で初出品される《ミッシング・イン・アクション》は「行方不明の兵士」を指すものだそうですが、作者はそこに「戦火の中で迷子になった子ども」という意味を重ねているそうです。なんだか目が離せなくなる作品です。
こちらも印象深い小西淳也の作品《子供の時間》。
どれも子どもが一人、住みなれた家の中で過ごす様子を写した写真作品です。彼らは子どもらしい玩具を身につけていたりするにも関わらず、一人で遊んだり食べたりするその姿からは「子どもらしさ」は伝わってきません。子どもたちの表情からは少し寂しさも感じられますが、孤独の中で確立される個性や自分だけの世界を築いている様子もまた感じることができます。こんなときがあったなあ、なんて感じる方も多いかもしれませんね。
そして紹介したい作品がもう一つ。テリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーの映像作品です。
テリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラー
《エイト》
2001年 ビデオ 3分35秒(ループ)
Courtesy: Tanya Bonakdar Gallery, New York
《エイト》というタイトルは、「8歳」を意味すると同時に、8という数字の形が示す「永遠性」を指しています。繰り返し流れる映像は始まりも終わりもなく、夢と現が交錯し永遠に続いていきます。8歳の誕生日パーティの主役であるはずの少女が、誰にも祝われずひとりぼっちでずぶ濡れになりながら自分を祝うためのケーキを切り分ける様子のその映像は、子ども特有の孤独感と子どもだけがもつ自由や秘密が表現された作品です。屋外かと思いきやいつの間にか室内になっていたり、とても不思議な作品ですがじっくり見てみてください。
3.痛みと葛藤の記憶
子ども時代に経験した、傷ついた思い出や不安を抱いた記憶。こちらのセクションでは子どもたちが社会の中で抱える葛藤に目を向け、痛みに向き合います。
紹介するのはトレーシー・モファットの作品です。
「一生の傷Ⅱ」シリーズは、かつて家族から吐かれた暴言や、日常生活での苦い思い出などを表現した作品です。たったワンショットで表現される一つ一つの苦い思い出たち。作品の下に簡単な解説もあるので、ぜひ参考にしてください。
一方「空高く」シリーズは、オーストラリアの荒野を背景に、ストーリーが定かではない幻想的なドラマが展開される作品です。先ほどの作家自身のエッセイのような作品と、こちらのドラマ的な作品は印象のまったく違う作品でした。
4.大人と子どものはざまで
こちらで紹介されるのは思春期の子どもたち。大人と子どもの境界を行き来する子どもたちには、未知なるエネルギーがみなぎっています。
二つの画面を使っているのはフィオナ・タンの作品。
2台ある画面には若者たちの姿が映し出されています。奥の壁の大きなスクリーンには顔のアップが、それに対峙するように手前に吊り下げられた小さいスクリーンには若者たちがずらりと並んでいる様子が流れ、さまざまな表情をカメラが捉えています。見る人の位置によってイメージの見え方、二つのスクリーンの関係性が変化するこの作品は、未知なる「明日」に向かって変わっていく若者たちを象徴しているかのようです。
下の写真は近藤聡乃の作品。
マンガ作品の《まちあわせ》は、大人の心に突然よみがえる子ども時代の感覚が描かれています。あ、この感覚わかる!と思わず思ってしまう作品です。
5.異次元を往来する
子どもにとって現実と夢や想像の世界との境界はあまりありません。「この世」や「あの世」を含む、あらゆる境界を自由に行き来する子どもたちの姿を通して、より多様で豊かな世界の可能性を探ります。
こちらのセクションには私が個人的にもう一度じっくり見たい映像作品が展示されています。塩田千春の作品《どうやってこの世にやってきたの?》です。
3歳までの子どもは、生まれる前のお腹の中にいたころの記憶が残っている、なんて話を耳にしたことがある方も多いはず。まさにこれは、日本とドイツの3歳以下の子どもたちに、母親の胎内にいた頃の記憶について質問し、子どもたちが答える様子を記録した作品です。子どもたちは、大人になった今では想像もできないような生まれる前の記憶を、不思議なくらい自然に語っています。
とても魅力的で未知な世界の存在を知ることができますね。私ももう一度じっくり見てみたいと思います。
最後にご紹介するのは、展覧会ポスターなどにも使われているウォン・ソンウォンの作品です。
作者自身の撮影による写真を元に作られた「7歳の私」シリーズは、少女が母親を探して旅に出る物語仕立ての作品です。部屋の中で遊んでいるはずの少女の周りには川や木々が存在しています。屋内外の境界が消失している写真は、見れば見るほど不思議。リアリティと虚構が入り混じる作品たちからは、不安と希望が同居する子ども時代を表現しています。
写真では十分に魅力が伝わり切れないかもしれませんが、作品を前にしてみると、きっとそれぞれ感じるものがあるはずです。レポートではすべてをご紹介することはできませんでしたが、一言に子どもと言っても、子どもを通して見る世界はこんなにたくさんあって、忘れていた記憶も思い出されます。
子どもの無限大に広がるその力に、大人になった今改めて触れてみると、新たな世界への可能性を開く未来への鍵へとなるはずです。
ぜひ皆さまも足をお運びください!
ちなみに「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」は下記の通り巡回展も予定されています。
名古屋市美術館:2014年11月8日(土)-12月23日(火)
沖縄県立博物館・美術館:2015年1月16日(金)-3月15日(日)
高知県立美術館:2015年4月5日(日)-6月7日(日)
編集部S
展覧会名:ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
会期:2014年5月31日(土)-8月31日(日)※会期中無休
開館時間:10:00-22:00(入館は閉館時間の30分前まで)
※火曜日のみ17:00まで
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
主催:森美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
企画:荒木夏実(森美術館キュレーター)
協賛:トヨタ自動車株式会社、ボンポワン、ライオン株式会社、清水建設株式会社、大日本印刷株式会社、株式会社損害保険ジャパン/日本興亜損害保険株式会社、日本テレビ放送網株式会社
制作協力:キヤノンマーケティングジャパン株式会社、リボード、五十嵐製箱株式会社、株式会社偕成社、福音館書店
協力:シャンパーニュ パイパー・エドシック、ボンベイ・サファイア