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六本木未来会議アイデア実現プロジェクト#07 「六本木未来大学」 第7回 「伊藤直樹さん、世界で通用するクリエイティブディレクションって何ですか?」講義レポート【前編】

update_2016.8.17 / photo_ tsukao / text & edit_yosuke iizuka

クリエイティブラボ「PARTY」のCEOであり、ナイキ、グーグル、SONY、無印良品など、さまざまな企業のクリエイティブディレクションを手がけてきた伊藤直樹さん。2016年7月25日(月)に開催された講義では、これまで伊藤さんがどのようにクリエイティブと向き合ってきたかを語ってくれました。その神髄は「軽やかに、逃げる」。前編では、PARTY設立までの伊藤さんの歩みをお届けします。

後編はこちら

軽やかに逃げて、軽やかに対処して、軽やかに新しいことを始める。

「タイトルにあるような『世界に通用するクリエイティブディレクション』なんて僕には語れません。これまでずっと、メインストリームから、その時々のトレンドからの逃走を繰り返してきました。その結果として今があるんですね。今日はそんな放浪の歴史をひも解きながら、どうやってここにたどり着いたのかをお話したいと思います」

講義の開始とともに、会場に流れた音楽は、シューマンの「流浪の民」。伊藤さんの"逃走"がはじまったのは、大学時代に放浪したインドから。ガンジス川で沐浴して赤痢になるなど過酷な思いをしつつ、そのときに読んだ浅田彰さんの本『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』に感銘を受け、「軽やかに逃げて、軽やかに対処して、軽やかに新しいことを始める」という姿勢を見出したのだそう。そして、逃走を繰り返してたどり着いたのが、「インターネットなどを使って、言語に依存しない、インタラクティブな体験のデザインを、世界に向けて」という考え方。

インターネットの世界は、1995年から変わっていない。

インドから戻って大学を卒業、アサツーディ・ケイに就職した1995年当時は、まだこの考えには至っていなかったという伊藤さん。ただし、文章の中にある「インターネット」を見出したのがこのときでした。

「当時は、クリエイティブディレクターの岡康道さんがクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞し、日本初のクリエーティブエージェンシー・タグボートを設立するなど、広告がイケイケだった時代。僕も『広告批評』とか『宣伝会議』を穴が開くほど読んでいました。でも、僕はクリエイティブの部署には配属されなかったし、新入社員には仕事らしい仕事をさせてもらえなかった。それで......逃走したんです(笑)」

1995年は日本におけるインターネット元年と言われ、日本中のどこの代理店にもインターネットの部署は存在していなかった時代。伊藤さんは少しでもインターネットに関する実績をつくろうと、日本広告業協会の懸賞論文に論文を投稿、新人賞を受賞します。

「『ネットワーク通信の価値は、接続されているシステムのユーザー数の2乗に比例する』というメトカーフの法則があります。つまり、利用者が増えるほどにネットは使いやすくなっていく。当たり前ですよね。さらに、『生産規模が2倍になると生産がさらに効率的になり、生産量が2倍以上になる。結果その市場で最初に最大のシェアを奪った企業だけが最大の利益を得て勝ち残る』という収穫逓増の法則がある。インターネットでは、トップのシェアをとった企業の牙城は絶対に崩せない、誰かが一人勝ちする世界だということがわかったんです。実は今のネットの世界って、1995年あたり言われていたことが現実になっているだけで、根本の思想や原則はまったく変わっていないんです」

実際に、現在インターネット業界で活躍しているのは、楽天やサイバーエージェント、チームラボなど、1995年から2000年の間に独立した企業。2000年頃にはグーグルが台頭し、ITバブルを迎えます。さらに、インターネットの常時接続や、iモードによる携帯電話でのブラウジングが可能に。伊藤さんが「インターネットなどを使って、言語に依存しない、インタラクティブな体験のデザインを、世界に向けて」という考えの「インタラクティブ」の可能性を感じはじめたのも、この頃でした。

【クリエイティブディレクションのルール#1】
インターネットでは、早く動いて勝ち残る

環境が整備されて、やりたかったことが実現できるように。

そして2003年、伊藤さんがつくったのが、NIKEFOOTBALLのプロモーションとしてつくった、インタラクティブゲーム「蹴メ」。ケータイメールをサッカーボールに、バイブの振動をトラップした感覚に見立てたゲームで、相手からメールを受信すると、「パス」「シュート」「ドリブル」などを選択してユーザー同志でゴールを目指すというものです。

「当時はもちろんガラケーで、アニメも再生できません。唯一、GIFだけが組み込めた。また、マナーモードが出てきて携帯がバイブで着信を知らせるようになった。そのときの環境で使える材料を使ったわけです。もし常時接続じゃなかったら、もしiモードが始まっていなかったら、『インタラクティブ』という部分が僕にはわからなかったでしょう。環境が整備されることでわかってくることがあると気づかされました」

さらに、2005年にはインターネット動画配信に欠かせないソフト「Macromedia Flash 8 Professional」が登場し、動画配信サイトYouTubeが誕生します。もともと大学時代からインターネットと映像を組み合わせたいと思っていた伊藤さんにとって、エポックメイキングなできごとでした。

「入社して10年経ってようやく、テレビCMではない映像表現ができるぞと思いました。ネット環境や技術が一気に整備されていって、Flash8と常時接続でそれが可能になったんです。クリックしながら映像を見ていく『Saabは、細部だ』というウェブサイトや、日本で初めてのバイラルムービー『NIKE COSPLAY』をつくったのがこの頃。テレビCMは日本でしか見られないけれど、YouTubeは世界中で見られる可能性がある。これはすごいぞと思って、海外を目指そうと考えたんです」

「インターネットなどを使って、言語に依存しない、インタラクティブな体験のデザインを、世界に向けて」という考えの、「世界に向けて」の部分を意識しはじめたのがこの頃。

「2003年、クリエイティブ局へ異動することになるんですが、異動してきたばかりの人間は新入社員のようなもの。その部署には200人弱のクリエイティブの人がいて、私はその200分の1の、一番新しい人間なわけです。いい仕事なんてなかなか回ってこないし、何かを表現をする機会ももらえなかった。『Saabは、細部だ』も『NIKE COSPLAY』も、新しいものを見つけて、自分でつくるしかなかったんです。......で、また、逃走したくなった(笑)」

【クリエイティブディレクションのルール#2】
仕事をする機会は自分で見つけて、つくる

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