13 大宮エリー (作家)

大宮エリー

映画監督から作家、演出家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたる活躍で注目を集め、今年2月には言葉とインスタレーションによる初の個展も開催した大宮エリーさん。彼女の放つメッセージは多くの人の心をほんわりと温め、時には涙さえさせられることも。この秋には、『言葉の力』の講師として「六本木アートカレッジ」にも登場する。そんな大宮さんがアートに対して抱いている思い、なぜアートを手掛けるようになったのかを聞いていくと、いま六本木に必要なアートが見えてくる。

update_2012.10.3 / photo_taro hirano / text_tami okano / edit_rhino

アートは一瞬。でもその効能は長く続く。

 実は私、本も読まないし映画もあまり観ないんです。どちらも時間がかかるのが嫌で、本は1日かかることもあるし映画も2時間はかかる。では何に影響を受けてきたのかというと、アートなんですね。アートだと一瞬で終わるじゃないですか。一瞬で終わるのに、その後ずっと考える。あれってこういうことだったのかな? と。ひとつの物語を押しつけられることもなく、自分なりの解釈ができるから、とても哲学的というか詩的というか、自分の世界を膨らませることができる。

ブルース・ナウマン 100生きて死ね

ブルース・ナウマン"100生きて死ね"

 美術館にもよく行くのですが、香川県・直島の〈ベネッセハウスミュージアム〉で一番印象に残ったのはブルース・ナウマンの『100生きて死ね』という作品でした。ネオン管で綴られた様々な言葉がバっと点いたり消えたり。それを見たときに、ふっと気持ちが吹っ切れたんですよね。いま地球上には泣いている人も笑っている人もいて、同時にそれが起こっている。なんかちょっと宇宙の彼方から自分を俯瞰して見ているような気持ちにもなれて、元気になった。

 そんなふうに、私はこれまでアートにたくさんのエネルギーをもらってきたので、自分が2月に渋谷の〈パルコミュージアム〉で展覧会を開かせていただくことになったとき、一瞬でわかるんだけど心に残り、何かのきっかけになるような、少し前向きになれて、大切な誰かとつながっていくようなものにしたいと思いました。それから自分が言葉を生業にしている人間なので、ノンバーバルではなく、言葉もアートであると考え、それを交えたものが出来ないかと考えました。コミュニケーションがテーマのインスタレーションを作りたかったんです。参加型の。 「思いを伝えるということ展」になりました。

届かなかった思いの浜。

 自分の作品の話しになっちゃって申し訳ないんですけど...... 『メッセージボトル』という作品では、白い砂を敷き詰めた「届かなかった思いの浜」という浜に、青いメッセージボトルがいくつも打ち上げられているんです。そのメッセージボトルに自分が言えなかった気持ちを書いて入れてもらう。私もいくつか入れておいたんですけど、たとえば「ずっと一緒にいられるんだと思っていた」とか。届かない思いたちが打ち上げられているのを見て、ああ、伝えないとな、と思ってもらったり、逆に、届けなかったことで深まる人間性にも目が向けられればなと思いました。

 ボトルを開けて人が書いたものを読んでもよくて、拾って読むと、みなさん素敵なことが書いてあって、私も誰かの直筆のことばに、涙したりしました。不思議なんですけど「引き寄せの法則」っていうのがあって、その時の自分にふさわしい言葉を引いてしまうんですよね。感謝もあったり、人って暖かいんです。

 私が何をしたかったのかというと「思いって伝えないとなかったことになっちゃうよ」ってことなんです。みんな書いたことはシンプルなんだけど、ハっとしたり、思いっていいなあ、って思ったり。それをきっかけに「伝えなきゃ」って思って会いに行ったりしてくれたらいいなあ、と。面白いのは、このメッセージボトルに残された誰かの言葉を読むことで、間接的だけど、つながるっていったのを目の当たりにして、へえ、こういう交流もあるのかと思いました。泣いてるかた、たくさんいらしたし。もしかしたら、こういうのが六本木のような街の屋外にあったら、都会だけれど、誰かと誰かの心がつながったりして、寂しくないのになって思いました。

参加型は都会向き。都市だからできるコミュニケーション。

メッセージボトル

"メッセージボトル"

 思いを書いてボトルに入れるだけだから誰でも参加できる。道行く人が簡単に参加できるっていうのはアートの敷居を下げることにもなるし、。下げないでって思う人もいるかもしれないけれど、そういう部分もあってもいいとしたらですが。美術館がドーンとあって館内でナントカ展やってます、というのではなくて、、街にいろんな参加型アートが仕掛けられていて、息づいていて、そこにみんなが時々訪れて、関わっていく、何度も、みたいなのって、あったらいいなぁと。

 参加型のアートって、大勢の人がいる都会向きだと思うんです。展覧会で『メッセージボトル』に参加してくれた人が「こういう繋がり方もあるんですね」って言ってくれたのも印象的で、対面でじっくりコミュニケーションをするのは特に都会ではあまり見られないことだけれど、ワンクッションあるとみんな構えずにやれる気がしました。

 青いガラス瓶が並ぶ様子がきれいだから抵抗なく近寄って行けるってこともあったのかもしれないです。

"思いを伝える"ってことをウェッティにやっちゃうとなかなか難しいんですけれどね。六本木という街はスタイリッシュで、わりとドライだから、アートはアートでも、参加型という方法は六本木だからこそできるコミュニケーションのひとつでもあるんじゃないかという気はします。同時に求められているのではないかなと。ゴージャスなアートではなく、関われる、癒されるアートがあると何度でも通いたくなるような、誰かを想うアートがあると、街が、生き生きと動き出すような気がしました。無機質でデザインされがちの街に血が通う感じがしました。