人を肯定し、心に機能する参加型アートこそ、六本木に。
映画監督から作家、演出家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたる活躍で注目を集め、今年2月には言葉とインスタレーションによる初の個展も開催した大宮エリーさん。彼女の放つメッセージは多くの人の心をほんわりと温め、時には涙さえさせられることも。この秋には、『言葉の力』の講師として「六本木アートカレッジ」にも登場する。そんな大宮さんがアートに対して抱いている思い、なぜアートを手掛けるようになったのかを聞いていくと、いま六本木に必要なアートが見えてくる。
実は私、本も読まないし映画もあまり観ないんです。どちらも時間がかかるのが嫌で、本は1日かかることもあるし映画も2時間はかかる。では何に影響を受けてきたのかというと、アートなんですね。アートだと一瞬で終わるじゃないですか。一瞬で終わるのに、その後ずっと考える。あれってこういうことだったのかな? と。ひとつの物語を押しつけられることもなく、自分なりの解釈ができるから、とても哲学的というか詩的というか、自分の世界を膨らませることができる。
ブルース・ナウマン"100生きて死ね"
美術館にもよく行くのですが、香川県・直島の〈ベネッセハウスミュージアム〉で一番印象に残ったのはブルース・ナウマンの『100生きて死ね』という作品でした。ネオン管で綴られた様々な言葉がバっと点いたり消えたり。それを見たときに、ふっと気持ちが吹っ切れたんですよね。いま地球上には泣いている人も笑っている人もいて、同時にそれが起こっている。なんかちょっと宇宙の彼方から自分を俯瞰して見ているような気持ちにもなれて、元気になった。
そんなふうに、私はこれまでアートにたくさんのエネルギーをもらってきたので、自分が2月に渋谷の〈パルコミュージアム〉で展覧会を開かせていただくことになったとき、一瞬でわかるんだけど心に残り、何かのきっかけになるような、少し前向きになれて、大切な誰かとつながっていくようなものにしたいと思いました。それから自分が言葉を生業にしている人間なので、ノンバーバルではなく、言葉もアートであると考え、それを交えたものが出来ないかと考えました。コミュニケーションがテーマのインスタレーションを作りたかったんです。参加型の。 「思いを伝えるということ展」になりました。
自分の作品の話しになっちゃって申し訳ないんですけど...... 『メッセージボトル』という作品では、白い砂を敷き詰めた「届かなかった思いの浜」という浜に、青いメッセージボトルがいくつも打ち上げられているんです。そのメッセージボトルに自分が言えなかった気持ちを書いて入れてもらう。私もいくつか入れておいたんですけど、たとえば「ずっと一緒にいられるんだと思っていた」とか。届かない思いたちが打ち上げられているのを見て、ああ、伝えないとな、と思ってもらったり、逆に、届けなかったことで深まる人間性にも目が向けられればなと思いました。
メッセージボトル
ボトルを開けて人が書いたものを読んでもよくて、拾って読むと、みなさん素敵なことが書いてあって、私も誰かの直筆のことばに、涙したりしました。不思議なんですけど「引き寄せの法則」っていうのがあって、その時の自分にふさわしい言葉を引いてしまうんですよね。感謝もあったり、人って暖かいんです。
私が何をしたかったのかというと「思いって伝えないとなかったことになっちゃうよ」ってことなんです。みんな書いたことはシンプルなんだけど、ハっとしたり、思いっていいなあ、って思ったり。それをきっかけに「伝えなきゃ」って思って会いに行ったりしてくれたらいいなあ、と。面白いのは、このメッセージボトルに残された誰かの言葉を読むことで、間接的だけど、つながるっていったのを目の当たりにして、へえ、こういう交流もあるのかと思いました。泣いてるかた、たくさんいらしたし。もしかしたら、こういうのが六本木のような街の屋外にあったら、都会だけれど、誰かと誰かの心がつながったりして、寂しくないのになって思いました。
思いを書いてボトルに入れるだけだから誰でも参加できる。道行く人が簡単に参加できるっていうのはアートの敷居を下げることにもなるし、。下げないでって思う人もいるかもしれないけれど、そういう部分もあってもいいとしたらですが。美術館がドーンとあって館内でナントカ展やってます、というのではなくて、、街にいろんな参加型アートが仕掛けられていて、息づいていて、そこにみんなが時々訪れて、関わっていく、何度も、みたいなのって、あったらいいなぁと。
参加型のアートって、大勢の人がいる都会向きだと思うんです。展覧会で『メッセージボトル』に参加してくれた人が「こういう繋がり方もあるんですね」って言ってくれたのも印象的で、対面でじっくりコミュニケーションをするのは特に都会ではあまり見られないことだけれど、ワンクッションあるとみんな構えずにやれる気がしました。
青いガラス瓶が並ぶ様子がきれいだから抵抗なく近寄って行けるってこともあったのかもしれないです。
"思いを伝える"ってことをウェッティにやっちゃうとなかなか難しいんですけれどね。六本木という街はスタイリッシュで、わりとドライだから、アートはアートでも、参加型という方法は六本木だからこそできるコミュニケーションのひとつでもあるんじゃないかという気はします。同時に求められているのではないかなと。ゴージャスなアートではなく、関われる、癒されるアートがあると何度でも通いたくなるような、誰かを想うアートがあると、街が、生き生きと動き出すような気がしました。無機質でデザインされがちの街に血が通う感じがしました。
六本木に置いてもらえたらいいなーなんて思った作品がもうひとつ。すみません、図々しくて。たとえば、の話です。たとえばの、、。
展覧会の8つのインスタレーションのなかのひとつで、タイトルは『孤独の電話ボックス』なんですが、実際に、これ、街に置いて欲しいって直接言われたんです、来場のかたがたに。どういうものかというと、孤独になると駆け込んで欲しいなと思って作ったもので、 中に入って受話器をとると、いろんな人の声で「もしもし」「もしもーし」「もしもしっ?」って、聞こえるんです。もしもしって、ものすごく安心するんですよね。要件はないんだけど、思い切って電話して、もしもしを聞くとふさぎ込んで閉じてしまっていた心に少し光が差し込むってこと、あるじゃないですか。「もしもし」の後はいろんなひとの「元気?」いろんなひとからの「大丈夫だよー」そして、「また明日ー」までがワンロール。これを街に置いてくれっていう声がホントに多かった。みんないっぱいいっぱいなんだね。戦ってるんだね。ぎりぎりだから、ほっとしたいんだよね。でもなかなか人に頼れないし、頼る元気もなかったりするから。だから、こういうのがあったら、エスケープできあるかなと。逃げ込んで、逃げて欲しいんです。ちょっと心が疲れたら、ね。
孤独の電話ボックス
「寂しいから人に会いたいんだけど、でも堕ちてるから会いたくない、でも寂しい......」みたいな人のために作りました。展覧会ではその電話ボックスが2時間待ちの号泣ゾーンになって...... みんな孤独なんだね!
六本木のような都市って、洗練されすぎていると隙がなくて息苦しいこともある。そういう街だからこそ、人の心を柔らかくするアートがあるといいのではないかなと思ったんです。新しい六本木のイメージ、オアシス的な、キラキラしているイメージ。
大事なのは、アートを展示するだけではなく、関われること。関わることで何かを得られること。『孤独の電話ボックス』にしても「やっぱり人の声って暖かいんですね」とか「もしもしがこんなに人を肯定してくれるものだって知らなかった」っていう感想がとても嬉しかった。有名なアーティストのオブジェがドーンとあって(それも大好きなんだけど)「かっこいい!」「すごいね」で終わってしまうのではなく、ヒントや気づきがあって、それが「人の心に機能する」ことに意味がある。そういう場合もある、かなと。
私がアートを考えるときに大切にしていることは、心です。泥臭いんですけど、人の気持ちや思い。そういうことをテーマにしたものは、やっぱり伝わると思うんですよ。気持ちを柔らかくしたり、コンプレックスを抱えている人がそのコンプレックスを愛おしく思えたり、つらい会社が面白くなったり。そういう心のアクションに繋がるものを私は作ろう、作りたいな、と思って表現活動をしています。なぜなら、自分自身が、そういうものがないと生きづらいから。なんです‥。しくしく。
朝起きると精神的に波があるんです。都会に暮らす人はけっこうそういう人、多いと思うんですけど、昨日のことがまだ残っていて心がワサワサしていたりすることがある。そういう時はいつも、心を音楽でチューニングしていたんです。ナーバスなときは穏やかな曲をかけるとか、アンニュイなときは明るい曲をかけるとか。
でもある日、それもどうしたものかと思ってカウンセリングの仕事をしている友達に聞いたら「自分の心を見つめるのがいいよ」って言われたんです。いやいや、私、けっこう見つめてますけど(笑)って思ったんだけど、言われてみれば確かに、なぜ心がワサワサしているのか、深く知るのは恐くて追求したくなかったな、と気づいた。で、追求してみたら、ああ、この前のひと言にけっこう傷ついているんだな、と分かったりして、スッキリしたり。傷ついているという感情自体が人間らしいし、空模様が時々曇りでもいいじゃないかと思うと、生きてるなって感じがして、それを全部、言葉で言うのは伝わりきれなそうだから、アートというか、インスタレーションにしようと思ったんです。
私が何かに気づいたり何かから、誰かから得たヒントで楽になったように、同じような気持ちを抱えている人が楽になれるなら、その気づきやヒントを共有したい。人生はひとりひとりの、そのひとだけの"物語"なんだと思っているので、辛いことも哀しいことも、生きている実感として楽しめている自分がいます。そして、そのことを基底として、私が大事にしたいこと、つまり相手を思うこと、自分を大事にすること、が一番伝わりそうなのがアートなのかな、という気が今はしています。
私はアートの専門家ではないし、好きだけど詳しいわけじゃない。でも、たとえば、歩道橋を青く塗り替えるときに、塗装屋さんが「殺風景だから......」と一緒に雲も描いたとする。青空みたいで綺麗だし、その方がみんなにとってもいいだろうなと思って。その視点は既にアートだと思うし、その時点で塗装屋さんはアーティストだと思うんです。主婦が目玉焼きを作るときに「毎日同じじゃ食べる人もつまらないかな」と思って顔を描いたら、その時点で目玉焼きはアートです。
みんなアーティストであっていい。アートってなくても生きていけるけど、あると生きることが楽しくなる。そういう意味でもアートは音楽と同じように無くてはならないものだと思うんです。
今の六本木のデザインやアートはちょっと特別な、敷居が高いというか、ラグジュアリーな感じがしますよね。もっと多くの人に参加してもらいながら、それをこの街の特徴にしていきたいのなら、やっぱりアートやデザインがカルチャーとして根付いていくことだと思うんですね。
海外だと音楽の街だったら教会からいつも音楽が聞こえてきていたり、ストリートライブが盛んだったりする街があって、そこにいる人たちの多くがミュージシャンで、音楽を愛していることが伝わってくる。音楽が「その街に住んでいる」感じがするんですね。だから、アートやデザインの街というなら、アートやデザインが住んでいる、「その街に暮らしている」感じがないと、難しいんじゃないかなという気がします。
六本木にもっとアーティストやデザイナーが好んで住むようになるといいですよね。重鎮の方々ではなくて、新進気鋭の人たちが好んで住む場所。家賃が高くて住めないというのが一番ネックな気がするので、若き、アートを志す者にも開放するエリアをぜひ。そこから常に新しいものが、発想が、視点が生まれ、六本木から目が離せないというようになったら、面白いですよね。そんな街が日本にあるといいな。
思いを伝えるということ展
〈パルコミュージアム〉で行った私の展覧会は、1万人以上の人が来てくれて、リクエストにお応えして、なんとか札幌、京都と巡回展も続いています。こんなにみんなが喜んでくれるなんて、思ってもみなかったというか、来てくれた人が良かったと言ってくれたり泣いたりしてくれるのを見て、本当に、びっくりしたんです。ツイッターなどでも連日たくさんの暖かい言葉をいただいのが嬉しくて、これからも個展をはじめ、ダイレクトに人と関わっていくこと、人の意識がつながっていく活動に力を注いでいきたいと思っています。
今後はその中に教育的なことというか、エデュケーションのようなことも手掛けていきたいと考えています。私が「教育」と言うとオコガマしいんですけど、「みんなで考えるコミュニティ活動」みたいなこともひとつのアート、人の心のアクションに繋がる表現になれたらいいな、と思っています。そして自分も刺激を受けたり勉強したりしていきたいです。
取材を終えて......
六本木ヒルズの高層階に位置する、ラグジュアリーなライブラリースペース『アカデミーヒルズ六本木』。普段、会員しか入ることができない、会議室にてお話をうかがいました。 大宮さんがお話くださった"パルコミュージアム"の展示の裏話に、編集部一同、ただただ感動。ぜひ六本木でも展示をして欲しい!と要望の嵐でした。(edit_rhino)