放送作家としてこれまで数多くのヒット番組を世に送り出してきた小山薫堂さんは、いわば企画のプロフェッショナル。その小山さんの六本木未来計画は今すぐにでも実現させたい、遊び心に満ちたものでした。学生時代は六本木に住み、この街には20年以上通っているバーもあるという小山さん。ワインも好きだけれど、カメラも好き。パブリックアートを撮る手にあるのは自慢のライカです。
やっぱり、六本木というからには6本の木が必要な気がするんですね。6カ所に6本、木があって、アートの実がなっている。クリスマスツリーは季節限定だから見に来ますけど、6本のアートの木は六本木という場所限定で、リンゴみたいに実る果実の中には、それぞれ異なるテーマのアートが入っている。
実を穫るまでは、その中にどんなアートが入っているか分からない。折り畳んだ絵かもしれないし、彫刻のようなものが入っているかもしれないし、QRコードが入っていて、ウェブにアクセスすると、そこにデジタル作品があるかもしれない。もしかしたら、次の目的地を示す地図が入っているかもしれない。どんな物語を描くかはアーティストの自由で、とにかくそれが、木にぶら下がっているということが面白いような気がするのですが、どうでしょう?
果物がなぜ甘くなるかというと、食べてもらいたいから。なぜ食べてもらいたいかというと、食べて種を運んでもらいたいから。つまり、いかに遠くまで自分の命を運び、つないでいくかということですよね。
実の中にあるアートはつまり、種なんです。日本中、世界中から来た人によって収穫され、持ち帰られることで運ばれ、その地でまた新しい何かを生む。例えば、島根の人が六本木に来て、6本の中のちょっと気になる実をもいでみました。そしたら、その中にアートディレクターの水野学さんがつくった作品が入っていました。持って帰ってはじめて分かる仕組みが隠されていて、島根に帰って広げてみたら、六本木とつながる思いがけない展開が始まる。そんな仕掛けがつくれたらおもしろくなると思います。
六本木をデザインとアートの街にする、この「6本の木計画」のポイントは、「1人では完成しない」ということです。いろんな人が関わり、来た人たち自身がつながって、もっと面白くしていく。SNS的なものかもしれません。
有名な作家の作品を数多く並べれば人は集まるかもしれないけど、それによってびっくりするようなもの、そんなに新しいものが生まれる気はしないんですね。アートを展示している街なら沢山あるじゃないですか。ニューヨークにもパブリックアートは点在しているし、ただ並べても他と同じですから、せっかく六本木をアートで変えるなら、挑戦的な感じがないと。
そういう意味でも新しいチャレンジとして「リアルSNS」のようにアートが人や場所とつながるものとして機能していけば、六本木でやることの意味が出てくる気がします。
僕の六本木に対するイメージというのは、完璧ではないけれども、非常にとんがっていて、失敗もあるし雑然としているんだけど、すごく「先っぽの人たち」が集まってくるところ。東京のてっぺんは今、墨田区だと思うんですね、スカイツリーができたので。でも、東京の先っぽはずっと、六本木。
僕、大学時代に六本木の桧町公園の側に住んでいて、いつも自転車に乗って繁華街まで飲みに行っていたんですね。80年代の当時、はやりのディスコに行くと、坂本龍一さんが隣にいたりとか、面白い人たちが沢山いて、そのカルチャーの香りに憧れているようなところがありました。やっぱり、都市の魅力の最たるところは、面白い人が集まってくること。先っぽが丸くなってしまってはいけないのかも知れません。とんがって、時代を破らなければ。
もう少し時代を遡ると、僕の最初の六本木との関わりは「ピットイン」(※01)というライブハウスなんです。高校生の頃、カシオペアというバンドが好きで、そのカシオペアがピットインでライブをやっていると聞いて「六本木ってすごいところなんだ」という期待が膨らんでいた(笑)。でも、大学に入ってから来てみたら、びっくりするほど何にもないところで、今みたいな東京ミッドタウンもなければ六本木ヒルズもないし、すごく雑然とした夜の街で、この街の何がいいんだろう? と思った。実はそれが最初の六本木の記憶です。
その後六本木に住んだこともあって、ここは僕にとって、いわば青春の街でもあるんですね。当時は西武が東京の文化をリードしていて、六本木に「WAVE」(※02)というCDやビデオを扱うレコード屋があった。僕はナム・ジュン・パイクのビデオアートが好きで、「WAVE」で彼の作品を見てはいつか彼のような映像のアート作品を撮りたいなと思っていました。
東京は刺激的ですし、アクセスもいいし、そこそこ安全で便利。意外と緑も多い。そして何より、世界で一番おいしいものが集まっている。つまり、いろんな価値がまんべんなく詰まっている、幕の内弁当みたいな街だと思います。
いい街って世界中に沢山あると思うんですね。イタリアのトスカーナもいいし、スペインも、ポルトガルもいい。気候で考えればロサンゼルスとかハワイなんて最高ですよね。でも、あまりにも良すぎて、生きているだけで幸せじゃないかと思ってしまって、いろんな欲がなくなってくる。新しいファッションがハワイで生まれないのは、あんなに快適だと、いちいち襟の形がどうのと言っているのが空理空論になってくるからだと思うんです。
刺激を受けにくくなるのは僕にとって居心地が悪く、東京は、ハワイほど快適ではないけれど、いろんなところを刺激されて、快適で、バランスがとれている。幕の内弁当としての東京は、すばらしい仕上がりだと思います。
僕は日本の良さを広く伝えたいという思いが強いんです。それをもっと絞っていくと、日本料理の素晴らしさ。もっと狭めると、出汁。いま一番関心があるのは出汁ですね。ダシという日本語を世界の共通語にしたいと思っているくらいです。お茶漬けはダシライス、うどんはダシヌードル。出汁は日本料理の根底にあるものですし、様々な日本文化に通じるものがあるような気がします。
今年の1月にスイスのダボス会議で日本の政府が主催する、ジャパンナイトというパーティーが開かれました。そのプロデュースを僕がしたのですが、世界のVIPたちが和食に向かう姿を見たとき、日本という国は、もっと上手に自国の食の文化を伝えていったほうがいい、と改めて思ったんですね。SUSHIとかSUKIYAKIだけではなく。
日本人の食のリテラシーはとても高い。生産者の意識も高い。日本人が持つ繊細さや真面目さ、そのすべてが食に集約されています。
鰹節だって、すごいと思いませんか? 魚穫って、干して、半年くらいかけてあんなに硬くしたものを削って、お湯に浸して、味をつけるという、なんと手間のかかることか。そして出汁になる。でも、見た目はお湯に塩を入れたのとあまり変わらない。
ものすごく手が込んでいるけど、最後のアウトプットは簡潔。シンプルだけど奥行きがある。それって、素晴らしいデザインですよね。つまり僕にとって出汁はデザインなんです。
自宅の壁を飛騨高山の左官、挾土秀平さんに塗ってもらったのですが、見ていると7回ぐらい塗る。「秀平さん、7回塗る必要ないんじゃないの?」と言うと、「いや、奥行きが出てくるんです」と。表面しか見えなくても、やっぱり7回塗ったものと1回しか塗ってないものでは違うんだと言われて、これも同じだなと関心したものです。
他にも凄いなと思うのは、今年5月の金環日食のときに、テレビ各局がカウントダウンをしていたじゃないですか。何時何分に月と太陽がどのくらい重なって、どの場所からはどう見えるとか、とても細かく伝えていましたよね。見ていると、本当にそうなる。天文とか数学って凄いなと思いましたね。そして、これはアートだなと思いました。
僕は、ロジックを感動で追い越せるものがアートだと思うんです。金環日食はまさにそう。ずっと前から何が起こるかを知っているのに、どうしてそうなるのかの論理は分かっているつもりなのに、自分では説明がつかないほど圧倒される。結局あの日、日本の人口の1億2,000万人のうち、何人の人が空を見上げたんでしょうね。あれだけ沢山の人を同じものに向かせ、地球と月と太陽の関係を気づかせるって、アートですよね。
取材を終えて......
クリエイターページ用に左の横顔を撮影する際に「左の顔はNGなんで」と、スタッフ一同、ヒヤリとする冗談を言っていた小山さん。6本の木から生まれる、様々なアートの実が収穫され、全国にその種が広がるという、とてもワクワクするアイデアをいつか実現したいです。(edit_rhino)