六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに、その人ならではの美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。
第7回の先生は、PR/クリエイティブディレクター(The Breakthrough Company GO)三浦崇宏さん。森美術館で開催されている「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」を会場に、キュレーターの德山拓一さんが案内役を務めました。テクノロジーの発達は、社会や生活のさまざまな側面に大きな影響を与えていますが、アートとして作品になった時、そこからどんなメッセージや情報を読み解くことができるのでしょう。
授業終了後、「未来と芸術展」で改めて印象に残った作品を三浦さんに尋ねると、ゴッホの耳を再現した《シュガーベイブ》との答えが。
バイオ・アトリエ
三浦崇宏俺は何を見せられてるんだろうって思いましたよ。ゴッホは喜んでるのかな、とか。
德山拓一どう思っているんでしょうね(笑)。
三浦死後100年以上経ってから、左耳だけ蘇らされて。つまり、テクノロジーは勝手に進歩するんですよ。それに対して、人間のモラルがまだ追いついていない。個人の感性や社会のルールもあって、テクノロジーと合わせてこの4つが時代において進歩を競い合う中で、今のところ、テクノロジーが先行している感じがします。
德山まさにそうですね。
三浦テクノロジーの良い悪いは、便利かどうかという基準があるから判断しやすいんですけど、好き嫌いはまた別じゃないですか。放っておくと便利とか進歩に押し流されそうになってしまう人間にとって、「嫌な感じがする」のはすごく大事な感覚だと思うんです。だから感性の良し悪しと、テクノロジーの良し悪しは一致しなくていいし、未来に向かっていく社会の中で、人間の感覚がどこにあるのかを確かめるのに、とてもいい体験でした。
今回のようにキュレーターの解説を聞きながら鑑賞するのは、かなり贅沢な体験。解説してもらうことで作品の理解も深まります。一方、個人で現代アートを鑑賞する際に、作品を「読み解く」コツはあるのでしょうか。
徳山現実で起きている社会問題などに対して、知識や興味関心があると、読み解き方が一気に広がると思います。先ほど三浦さんが、テクノロジーにモラルが追いついていないと言っていたことはとても鋭くて、すべてのテクノロジーはデュアルユースという問題をはらんでいます。要するにテクノロジーは、良い目的にも悪い目的にも使うことができるわけです。
たとえばインターネットもドローンも、もともとはアメリカの軍事目的で開発されたものじゃないですか。そこから離れて私たちの生活を便利にしたり、クリエイティブを刺激したりなど、いろいろな側面が今はありますよね。テクノロジーにモラルはやはり必要で、もしそれらを扱う知識経験が私たちにまだなかったら、法制度を変えていかないといけない......というふうに、どんどん広がると思うのです。だから美術を見るために美術の専門書を読むのではなく、普段のニュースや自分たちの日常にいつもよりも意識的になるのが、一番の近道なのかなと思います。
三浦その通りだと思います。ターザン山本というプロレス評論家が、「プロレスについてしか知らない人は、プロレスについて何も知らない」と言っているんです。
德山まさしく名言ですね。
三浦プロレスってスポーツとしてだけじゃなく、組織内の人間関係とか、グッズが売れるほうが勝つとか、そのとき何が流行っているのかっていうマーケティングの面もある。僕も広告クリエイター志望の若いやつに、「何の本を読めばいいですか?」とか「どこでインターンすればいいですか?」って聞かれるんですけど、広告についてしか知らないやつは、広告について何も知らないと思っています。今、何が流行っていて、人間は何に悲しんだり、楽しいと思っているのかがわかる人にしか、クリエイティブはつくれない。
極端な話、過去の事例なんか一個も知らなくていい。まあ、詳しいほうが本当はいいんですけどね。だから今、德山さんがおっしゃったように、社会で何が起きているのかを知っている方が、美術展を面白がれる。逆に言うと、僕が現代アートを好きなのも、社会の変化の先端事例として捉えているのかもしれません。
【現代アートの読み解き方 #5】
社会で何が起きているのかを知る
1月に『言語化力 言葉にできれば人生は変わる』を上梓した三浦さん。授業でも三浦さんならではの表現で、作品について言語化してくれました。現代アートもやはり言語化することが、読み解くことへとつながるのでしょうか。
三浦とはいえアートって、言葉にならないんですよね。そして、世の中においては言葉にできないものの方が、言語化できることよりもはるかに大事だと思うんです。だけど言葉にならないことを言葉にする努力も、やっぱり大事。世の中には答えのないことのほうが多いけど、普通の学校教育だけを受けていると、答えがあると思い込んでしまうじゃないですか。だけど答えのない問題の方が多いし大事なんだよってことを知るために、アートはすごく意味があると思うんです。
ただし「答えなんて人それぞれだし、ないことの方が多いからさ」で終わっちゃうのは、ただのニヒリズム。その虚無を自分の意志で乗り越えないといけないので、答えを出す教育と、答えはないと知る教育の両方が必要なのかなと思っています。だから言葉にできないアートについて、感想や自分なりの批評で言葉にすることは、いいトレーニングになると思いますよ。
『言語化力 言葉にできれば人生は変わる』
【現代アートの読み解き方 #6】
言葉にならないことを言葉にする努力をやめない
森美術館の過去の展示はほぼ見ているという三浦さんですが、德山さんや今回企画に参加した方々との授業形式の鑑賞は新鮮な体験だったようです。
三浦美術館って基本的に、大きな声で話しちゃいけないじゃないですか。でも今回、德山さんと対話しながら鑑賞できたことが素晴らしくて、普段からもっと話しながら美術館を回れたらいいのになと思いました。話しちゃいけない理由も、それはそれでわかるんですよ。知らない人の「これ、嫌いだわ」って声が入ってきたら、やっぱり鑑賞の妨げになるし。だけど自分が信頼している人と、アートの見方をリアルタイムで共有するのは、ものすごくいい体験なので、それこそテクノロジーで解決できたらいいのになと思いました。
僕は、キュレーターの意図が感じられる展示が好きなんです。日本は西洋ではないので、アートの先進国ではない。何でもかんでも西洋のいいものが集まるわけではない。そんな中で今回みたいに、森美術館の展示は「アートとは何か」とか「これもアートなのか」っていう問いを立ててくる感じが挑戦的ですよね。「自分はこれをアートだと思うけど、あんたらはどう思う?」と問いかけてくる姿勢に共感します。
德山実際、現代美術以外のものもたくさん見せていますし、三浦さんが鑑賞中に「建築の技術を見せているだけでも、空間の背景によって作品のように見えてくる」とおっしゃってくれたのは、すごく嬉しいコメントで、境界をどんどん広げていこうという意識はあります。僕らもこれが全部アートだと思っているわけではないのですが、現代美術の根底には社会批評がある。その目的を達成するためには、アート以外のものも展示の中に入れて、ひとつの展覧会として見たときに、現代美術に触れたという経験をしていただきたいんです。
「デザインシンキング」や「アート思考」が、ビジネス領域でもひとつの潮流となっていますが、こうした思考を育むことを目的とした美術鑑賞に対して、三浦さんは否定的です。
三浦ああいうのは全部トレンドワードでしかないですからね、気にしないほうがいいですよ。面白いやつは最初から面白いし、面白くないやつがアート思考とか言っても面白くはなれない。何よりマーケティングとかビジネスのためにアートを学ぶのは下品だし、そんなことではアートを面白がれないですよ。そもそも美術館に行って年収が上がりましたとか、膝が痛くなくなりましたとか、そんなことは起きないから。純粋に楽しめよ、と思いますね。
骨董屋って本物と偽物を見極める商売じゃないですか。その訓練が面白くて、本物しか見ないらしいんです。両方を見て「こっちが本物で、こっちが偽物」とはやらない。本物を見続けることで、偽物を見たときに「違うな」とわかるようになる訓練なんです。だから面白くなりたいとか、意味のある人になりたいっていう目的自体は下品だし、くだらないと思うけど、面白いものとか本物を見続けることで、何かしら貯まっていく感性はあるはず。
SNSだけ見てると、本当にどうでもいいことが、すごいことみたいに思えるじゃないですか。猫がくるくる回ってるのを見て、こんなにかわいいものはない、とか。そんなわけはないし、もっとかわいいものはいくらでもありますよ。自分の中の「すごい」や「面白い」や「美しい」の基準を上げていく作業は、ビジネスパーソンとして、というよりも、人間として強くなるためにとても大事なことだと思います。
【現代アートの読み解き方 #7】
自分の中の「面白い」の基準を上げる