六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに、その人ならではの美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。
第7回の先生は、PR/クリエイティブディレクター(The Breakthrough Company GO)三浦崇宏さん。森美術館で開催されている「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」を会場に、キュレーターの德山拓一さんが案内役を務めました。テクノロジーの発達は、社会や生活のさまざまな側面に大きな影響を与えていますが、アートとして作品になった時、そこからどんなメッセージや情報を読み解くことができるのでしょう。
第7回目の「旅する美術教室」の舞台は、森美術館で2019年11月19日(火)から2020年3月29日(日)まで開催されている「未来と芸術展」。朝8時半からのスタートにも関わらず、募集開始後すぐに満員御礼になってしまった今回の美術教室。授業を始めるにあたり、案内人を務める森美術館のキュレーター德山拓一さんから、本展の概要が説明されました。
德山拓一「未来と芸術展」は、過去に開催された「医学と芸術展」、「宇宙と芸術展」に続く大テーマ展3部作の最終パートをなす展覧会で、現代美術の作品のみならず、建築、デザイン、バイオアートなどを幅広く紹介しています。
医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る
宇宙と芸術展:かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ
未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか
三浦崇宏もともと3部作で繋がっていたんですね。「医学と芸術展」を見たことがあるのですが、森美術館で開催された過去の展覧会の中でもベスト5に入るくらい好きでした。考えたことのなかった思考の補助線を引いてもらったような感覚で。ある独特の視点をもってキュレーションされていた展示として強く印象に残っています。
德山今回の展覧会のキュレーションは、昨年末まで館長を務めていた南條史生が担当しました。そういう意味でも、「未来と芸術展」は、3部作の集大成とも言えるものなんです。今回の展示は「都市の新たな可能性」「ネオ・メタボリズム建築へ」「ライフスタイルとデザインの革新」「身体の拡張と倫理」「変容する社会と人間」の5つのセクションで構成されています。都市というマクロの視点から始まって、人間というミクロの視点、つまり私たち自身にまでどんどん近づいてきます。その視点の移動をイメージしながら展覧会を見ていただくと、より理解が深まると思います。それではさっそく見ていきましょう。
早速、セクション1の「都市の新たな可能性」へ。
德山都市はこれまで海や川があるような、比較的恵まれた土地に築かれてきましたが、人口問題や環境問題などさまざまな問題が増える中、砂漠や海の上、空の上など今までとは違う場所へ、どんどん拡張する可能性があります。このセクションでは、都市の新しい可能性を考えるきっかけになるような作品を紹介しています。
アラブ首長国連邦・アブダビに建設中の石油に頼らないクリーンシティや、モジュール型の海洋都市、温暖化などで地表に住むことが難しくなったことを想定した、大気圏内の居住空間など、いきなり壮大な作品が登場しました。これらは建築家によるプロジェクトですが、美術家・会田誠さんは、2層になった都市のジオラマ作品で東京に新たな街を出現させました。
《NEO出島》
徳山下の層は実在する街なのですが、わかりますか?
三浦どうだろう、お台場?
德山国会議事堂を見つけたらわかりますが、霞が関ですね。長崎の出島は、いわゆる特区として人工的につくられた空間ですが、現代に再び出島をつくるとしたら、という作品です。日本政府はアジアのハブになろうといろんな政策を打ち出していますが、あまり機能していないように見える。だったらグローバルエリートと呼ばれるような、少数のエリートだけが入ることのできる出島を、霞が関を陰にするように建設して、日本経済の中枢にすればどうかという批判的なメッセージが込められています。
三浦会田さんらしい、差別性を逆手に取ったアイロニーですね。今の話を聞いて、そんなのありえないし、良くないじゃんと思ったんですけど、ある意味、港区とかも現実的にそうなりつつありますもんね。社会の矛盾や問題点をアートとして尖った形で結晶化したことによって、今の自分たちが置かれている状況の難しさに気づくっていうのはありますよね。ありえない、でもそれ、もう始まってんじゃんっていう。
德山たしかに現実と地続きであることは、現代美術のひとつの特徴です。
【現代アートの読み解き方 #1】
作品を通して自分たちの現状に気づく
徳山セクション2は「ネオ・メタボリズム建築へ」。たとえばガラスと鉄とコンクリートでできた建物は、一度つくると変化させるのが難しいですよね。でも、現代のテクノロジーを駆使すれば、人間の欲望や生活様式の変化、時代の様相に合わせて変化する建築が可能ではないかということで、新しい建築の方法や建材などを紹介しています。
薄暗い部屋の中で、怪しく輝いていたのが《ムカルナスの変異》。この不思議な構造物は何を意味しているのでしょう。
《ムカルナスの変異》
德山内部に入ってみてください。ムカルナスとは、イスラム建築で使われる幾何学的な装飾ですが、AIに2万パターンくらい学習させて、吐き出させたデザインがこれです。AIが指示する長さに応じてロボットアームがパイプを切り、人間がそのパイプを順番通りに、はめています。
三浦人間が構造を決定してロボットが作業する、よくある仕組みとは真逆の、人間と機械の主体性の逆転みたいなことが起きているわけですね。下から見ると、人間の細胞の断面みたいですね。
他にも、構造物に埋め込まれたユーグレナ(ミドリムシ)が光合成を行い、酸素が生成される《H.O.R.T.U.S XL アスタキサンチン g》や、トウモロコシの茎と根などの農業廃棄物に菌糸体を混ぜ合わせた、サステナブルな素材で造った建築《ハイ・ファイ》、ドローンによる建築プロジェクトを紹介した《飛行組立型建築》などが。
《H.O.R.T.U.S XL アスタキサンチン g》
三浦テクノロジーの進化に、人間の感性が追いつかないことってありますよね。いろんな技術を使ってできることは増えているけど、そもそもできることが思いつかない。僕はそこが結構面白いと思っていて。何かをしたいからテクノロジーが生まれる場合ももちろんありますけど、たとえばドローンができたことによって、つくることのできる建築の限界が、人間の想像力を越えている可能性があると思うんです。技術と想像力の追いかけっこが始まっていますよね。
【現代アートの読み解き方 #2】
技術が想像力を越えている可能性に思いを巡らす
セクション3「ライフスタイルとデザインの革新」では、生活に関わるテクノロジーの進化によって生まれる、新しいデザインを紹介。プラスチックを染め物の技術で着色した一点物のテーブルや、自動運転車2台分のCPUが搭載されていて、德山さんいわく「10分遊ぶと、かわいくて仕方なくなる」愛玩ロボットなどが。
《LOVOT(らぼっと)》
続くセクション4「身体と拡張と倫理」のバイオ・アトリエで三浦さんが衝撃を受けたのが、液体で満たされた透明なケースに入っている耳。かの有名な「耳切り事件」で切り落とされてしまったゴッホの左耳を、その末裔から採取したDNAによって再現しているそうで......。
《シュガーベイブ》
三浦コンセプトモデルではなく、本当の耳なんですね、やばいなあ。どういうモチベーションで始めたんですかね。
德山コンセプトにあるのは「テセウスの船」。船の素材がすべて入れ替わってしまっても、オリジナルの船と同じといえるのか、という哲学的な命題があるのですが、これもゴッホの耳と同じ細胞を使って再現したものは、ゴッホといえるのかを考えるきっかけになる作品にしたかったそうです。
三浦なるほど。テクノロジーとアートって違うようでありながら、どちらも人間のわからないことは何かを探る道だと僕は思っているんです。人間って「わかっていること」と「わからないっていうことをわかっていること」と「わからないっていうことすらわからないこと」の3つがあって、3番目が世界のほとんどを占めているじゃないですか。ここに辿り着くための道がアートであり、テクノロジーだと思うんです。
今回の展覧会はまさにそうですし、アート的なコンセプトでテクノロジーと向かい合っている人や、テクノロジーの技術をもってアートと向かい合っている人の話を、もっと聞いてみたくなりました。これまでは別々の領域だと思っていたものを乗り越えて、全然別ではなかったと気づく経験が、人間を進歩させるのだと思っています。
【現代アートの読み解き方 #3】
わからないことは何かを探る
セクション5は「変容する社会と人間」。最終章として、人間や社会が未来に向かってどう変わっていくのかを考える作品となっています。最後に全員で広めの部屋に入ってみると、そこに設置されている12台の監視カメラが、空間にいる人たちの顔を壁面にランダムで大写しに。さらには他者と勝手にマッチングを行ってしまう、監視社会を視覚的に体感できるインスタレーションです。
《ズーム・パビリオン》
德山マッチングアプリは役に立つ部分もたくさんあると思うのですが、情報を勝手に吸い上げられて、恣意的に結ばれてしまう。私たちが今まで自由にコントロールできていたと思う部分が、どんどんなくなっていくネガティブな側面もありますよね。
三浦面白いけど、超イヤな気持ちになりますね、これ(笑)。
授業の最後に、三浦さんが本展から読み解いたことを語ってくれました。
三浦アートやアーティストはある意味、時代のセンサーみたいなものですよね。我々がどこに向かっていくのか、どうしてこういうことをやっているのか、言語化できないけれどもとても重要な情報を作品を通じて生み落として、おそらくそれは作家自身も言語化できていないと思うんです。だけどそれは僕たちにとっては、どう解釈して、どう生きるのかということのひとつの補助線として捉えることができる。少なくとも我々が望むと望まないとにかかわらず、この展覧会はテクノロジーや社会が進歩していく世界に対して、自分がどういう立ち位置を取るのかを確認するための重要な道標になると思いました。
【現代アートの読み解き方 #4】
自分の立ち位置を知る補助線として捉える