六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに先生になってもらい、その人ならではの美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。
第6回の先生は、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さん。訪れたのは、国立新美術館で開催されている、日本の現代作家6名によるグループ展「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」です。本展のテーマは「文学」。アートには、つくり手によってさまざまなストーリーが盛り込まれていますが、それらを読み取ることで作品の見え方が変わってきます。作品の中に潜むストーリーの見つけ方や物語を読み取ることの楽しさを、同展を企画したキュレーターの米田尚輝さんとともに探りました。
第6回目の「旅する美術教室」の舞台は、国立新美術館で2019年8月28日(水)から11月11日(月)まで開催されている展覧会「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学性」が舞台。日本の6名の現代作家(北島敬三、小林エリカ、ミヤギフトシ、田村友一郎、豊嶋康子、山城知佳子)による、「文学」をテーマにしたグループ展です。本展のキュレーターである米田尚輝さんが作品を鑑賞するにあたって、展覧会のテーマを設定するに至った経緯をお話してくれました。
米田尚輝ここでいう文学は、いわゆる書物の形をしているものだけではありません。日本語の文学というイメージにとらわれてしまうようであれば、本展の英語タイトル「Image Narratives」を念頭に置いてもらったほうがわかりやすいかもしれません。日常的にアート作品を見ている身としてなんとなく感じているのは、最近は映像作品を中心にインスタレーションを構築する作家が非常に多く、国際的にも花形的なフォーマットとして持ちあげられているということです。映像作品には多くの場合、ナラティヴが含まれていますが、写真や彫刻など従来的なメディアを扱う人たちの作品にも、ナラティヴ的要素が読み取れるのではないかと思い、企画しました。
最初の作品は、田村友一郎さんのインスタレーション《Sky Eyes》。展示室に入ると、壁面に掲げられている1枚のナンバープレートが目に飛び込んできました。
田村友一郎《Sky Eyes》
辛酸なめ子これはどこのナンバープレートですか?
米田アメリカのニューハンプシャー州です。「Live Free or Die」、つまり「自由に生きよ、さもなくば死を」という意味の言葉が書かれていますが、これはニューハンプシャー州のモットーとされるフレーズです。さらにこのナンバープレートには、「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」というニューハンプシャー名物の岩が描かれています。今は崩落してしまいましたが、男の人の横顔に見えることで有名で、「見間違い」がこの作品のテーマにもなっています。《Sky Eyes》というタイトルも、直訳すると「空目」ですよね?
辛酸いきなり謎解きみたいですね。
たった1枚のナンバープレートから読み取ることのできる情報に、早くも狐につままれたような気分に。歩を進めるとはじめの空間には、横長の窓から見下ろす角度にテーブルとイスがあり、テーブルの上には建築模型や資料が置かれています。
田村友一郎《Sky Eyes》
米田これ、どこか変じゃないですか? 私たちは斜め上から眺めていますが、イスの脚が不自然に短いですよね。
辛酸本当ですね。見下ろしたときのパースを立体物で表現しているということですか?
米田そうなんです。そしてこの建築模型は、何の建物だと思いますか?
辛酸何かのお店みたいですね。
米田某ハンバーガーショップに見えませんか?
辛酸だからテーブルの上に、ハンバーガーショップのロゴが入った紙コップが!?
米田ひとつはミルクを混ぜる前の濁っていない状態、もうひとつはかき混ぜて濁った状態です。これも後々ポイントになってきます。
辛酸なるほど。ファーストフードのコーヒーしか買えない、お金に困っている建築家の事務所を表しているのかと思いました。
別の小さな窓を覗き込むと、ニューハンプシャー州のナンバープレートが今度は床に散らばっていて、何やら物々しい雰囲気。さらに続く薄暗い空間にある、天井から吊るされたモニターには、ハンバーガーショップの看板のような黄色い立体が映し出され、時折、交通事故を示唆する映像が挟み込まれます。そして床にはなぜか、数十本のオールが等間隔で整然と並んでいます。
田村友一郎《Sky Eyes》
辛酸これは舟を漕ぐときのオールですよね。
米田そうですね。最初に見た「Live Free or Die」の「or」と「oar(オール)」の発音は似ていますよね。今流れているナレーションは、ひたすらこの言葉をつぶやいています。でもこの部屋の中にある2点のコーヒーの写真を見ると、オールが違うものにも見えてきませんか?
辛酸あ! マドラーですか!?
米田その通りです。しかもさっきのテーブルの上にあったコーヒーと同じで、2枚はミルクを混ぜる前、もう1枚はミルクを混ぜたあとの写真になっています。コーヒーのミルクを混ぜると泥水のように濁りますが、マドラーは泥水を漕ぎ分ける、オールのような役割を果たしているといえます。
辛酸映像に映し出される黄色いロゴも、あのハンバーガショップがモチーフになっているんですか?
米田もちろんそうなのでしょうが、よく見ると「or」のアルファベットを組み合わせたような立体物になっています。もうひとつ言ってしまうと、イメージしているハンバーガーショップの創設者は、ニューハンプシャー州生まれなんです。
辛酸この作品は別に、ハンバーガーショップが協賛しているわけではないんですよね?
米田残念ながら違います(笑)。
辛酸これほどいろんな暗示があると、そう思っちゃいますよね。作家さん自身もお好きじゃなかったら、ここまで小ネタを入れられないはず。
米田もしかしたらファンなのかもしれませんね。
辛酸ナンバープレートから始まって、ハンバーガーチェーンと現代の自動車文明がつながり、交通事故の暗示があって、最後にオールが並んでいるのを見ると、自動車よりも船のほうが安全なんだよっていうメッセージを感じます。オールはきれいに並べられているのに対して、ナンバープレートはボコボコになっていましたし。
米田なるほど(笑)。それは新しい読み取り方ですね。
辛酸自動車は便利かもしれないけれども、船のほうが人間にとって交通手段としてふさわしい、ということが語られているように感じました。オールにマドラーをなぞらえているところとか、いろんな伏線を張っているところはミステリー小説みたいで、読み解いていくのが楽しいですね。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #1】
作品に張られている伏線を見つける。
小説家としても活躍する小林エリカさんのインスタレーションは、ウランとオリンピックにまつわる物語。照明を落とした広い空間では、乱反射する水面の映像が足元に映し出されていたり、ドル型の作品が蛍光緑色に輝いていたり、壁面に少女の絵が掲げられていたりなど、どんな物語に行き着くのか想像が膨らみます。辛酸さんが最初に反応したのは、前方の大きなスクリーンに映し出された映像で、人の掌から炎が燃えあがっています。
小林エリカ《わたしのトーチ》他
辛酸これは本当に手が燃えているわけではないんですよね?
米田いや、燃えているらしいです。
辛酸本当ですか!? 絶対に合成だと思いました。熱くないジェルを塗っているんでしょうか、それなら安心です。
米田この作品は、原子爆弾の原料となるウランの歴史と、近代オリンピックで初めて聖火リレーが行われた1936年のベルリン大会、さらには実現されなかった1940年の東京大会を軸とした物語になっています。地図が描かれた平面作品には、幻となった東京大会で予定していた聖火リレーのルートも記されています。それに続くドローイングは、オリンピックの到来を待ちわびている少女たちだと読み取ることができます。
辛酸当時も今みたいに、オリンピックで景気が良くなると人々は思っていたんでしょうね。
展示室内の写真、映像、ドローイング、オブジェなど、それぞれ単体で見ていたものがつながって、思いがけないストーリーが立ちあがってきます。辛酸さんもその展開は、さすがに予想外だったようです。
辛酸手が燃えている映像が衝撃的で、ウランガラスのオブジェもあったので、そこからなんとなく戦争に反対する物語を想像していたのですが、もっといろんな深い意味が込められていました。夜明けのような薄暗い空間だからか、現在のオリンピックの華やかなイメージとはかけ離れている覚悟だったり、恐ろしさが見えてくる作品だと思います。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #2】
最初の印象とは異なる視点でも想像してみる。
豊嶋康子さんの展示室は、明るい空間のなかに幾何学模様のパネルなどが並び、これまでの作家の作品とは異なり、一見するとシンプルな印象です。
豊嶋康子《正方形余白手裏剣》他
米田6名の作家のなかで、豊嶋さんの作品が一番文学っぽくないと感じるかもしれません。単純に映像のようなわかりやすい物語性がないことが、その大きな理由なのでしょうが、こうした作品からも物語的要素を感じることはもちろんできます。豊嶋さんの場合はストーリーがどこにあるかというと、作品の裏を見せているところですね。ここに展示されている「棚」シリーズと「パネル」シリーズがまさにそうなのですが、棚は物を置くためのものですよね。しかし豊嶋さんは棚の裏側という、普段使われないところや見えないところを作品にしています。
辛酸木製パネルも通常であれば布などで覆われているので、これ自体を作品としてじっくり見ることはまずないですよね。本来は日の目を見ないものをピックアップする感性に惹かれます。
米田作品と真正面から対峙するのではなく、わざわざ裏側に回り込まなければ見られないものもあります。
辛酸パネルを斜めに壁がけしている角度も、ご本人が意図されているんですよね。たしかに、角度によって見え方が違います。木目って、木の歴史が刻まれているという意味でも、いろんな物語を感じさせてくれますよね。木目をじっくり眺めると、言語化されないけれども伝わってくるものがある気がします。幾何学模様をつくっている角材は、ご自分で削っているのでしょうか。
米田これは既製品というか、太さも既存のものに手を加えず使っていると思います。
辛酸画材屋さんに行けば普通に買えるようなもの?
米田そうです。なので非常に無駄がない。そこから読み取られるのは、作家としての主体性が見えなくなる傾向があるということです。
辛酸奥ゆかしい方なんですね。
米田外側からつけられた条件で作品が生み出される傾向があるんです。向こうに展示されている「グラフ」シリーズも、棒グラフや帯グラフなどいろんなグラフの数値をあみだくじで決めて形をつくっているのですが、その辺りは「パネル」シリーズと共通点があるかもしれませんね。
辛酸あみだくじっていうのがいいですね。迷ったときに私もやりたいです。パネルの木目を見ていると味わい深いですが、普通は何も考えず上から紙を貼ってしまいますよね。自然や偶然が生み出す造形も十分面白いのに、そこに人間が描いた絵を張るのは、人間がつくるもののほうが上と言っているようで、傲慢なのかなという気がしてきました。木に感謝しなければ......。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #3】
言語化されないストーリーを意識する。