六本木未来大学に新設されたカウンセリングルーム。日本を代表するクリエイターの発想プロセスに注目し、脳や心の動きから創造に至るメカニズムを問診する。“患者”を問診するのは、精神科医・産業医であり、クリエイターとAIが共存するクリエイティブ・プロセスのR&Dカンパニー「CYPAR」メディカルアドヴァイザーの濱田章裕と、その助手を務める&Co.代表でプロジェクト・プロデューサーの横石崇。様々なクリエイターたちのことばから、創造性と医学の関わりを探る。
第5回目のゲストは、フード・アーティストの諏訪綾子だ。
特定のコンセプトを「食」で伝える「フードクリエイション」の活動を軸に、国内外の作品展覧会やパフォーマンス、企業・自治体とのコラボレーションなどを通じて、「コンセプトフード」「フードインスタレーション」「フードパフォーマンス」という表現活動や食にまつわる体験のデザインを行っている。
「感覚であじわう感情のテイスト」をコースメニューのように体感するパフォーマンス「ゲリラレストラン」、テーブルの上で旅するディナーエクスペリエンス「Journey on the Table」、LEXUSとのコラボレーションによる体験型エキシビション「Journey on the Tongue」、資生堂ギャラリーでの「記憶の珍味」展など、これまでに食を通じた独創的な表現を行ってきた諏訪は、約15年間拠点としていた東京・恵比寿のスタジオを離れ、都心から車で2時間の距離にある山梨県の山奥に拠点を移した。
「物件」「森」で検索し1軒目に見つけ一目惚れしたという、森に囲まれた現在のアトリエ。「食」という人の根源的な欲望、言い換えるなら人の「野性」をテーマに扱う諏訪が、"東京で鈍ってしまった野性"という自身の本能を試すべく飛び込んだ場所だ。諏訪に会うべく、編集部は山奥にあるアトリエを訪ねた。
アトリエのある森で行われた問診のなかで、諏訪は東京でのアイデア創出を「海女」に例え、暗い海に潜るようなものだと表現するが、森という新しい環境に潜ることで彼女にある変化が起こる。自身の野性に耳を澄ますこと。複数の環境でアウトサイダーとして存在すること。それらが、諏訪のクリエイションにどのような作用を生んでいるかを紐解く。
濱田生活記録表を書いてみて、いかがでしたか?
諏訪小学校の夏休みにこういうの書いたなと思い出しました(笑)。
濱田発見はありました?
諏訪東京にいるときは夢をすごく見るんですけれど、こっち(森のアトリエ)では見ないことに気づきました。内容は非現実的なものや現実の断片もあるんだけれど、夢のなかでも仕事していて......今日は疲れたから夢のなかで仕事しようみたいな(笑)。
濱田夢で仕事をするのはどういう感覚なんですか?
諏訪締め切りに追われているけれど、これ以上は無理だというときに寝ながらやろうと思って、それで夢のなかで仕事が結構できるんですよ。でも、起きたときには当然進んでいない。
濱田その夢のなかでアイデアを思いつくことはありますか?
諏訪漠然とですけれど、あるような気がします。頭のなかに断片的に浮かんでいるイメージが、寝ている間に洗練される感覚です。
濱田変な夢は、人間の脳幹がいままでの記憶や知識の辻褄を無理やり合わせようとして見るんですよ。寝ているときは前頭葉(前頭前野)が機能しておらず、どんな思考でもブレーキがかからない。思考実験を繰り返しできるために、夢から覚めたときにアイデアを思いつく方は結構いたりするんです。
諏訪そうなんですね!
濱田あとはストレスマネージメントとして、(夢のなかでも)達成感を得られるのは大切です。
諏訪すぐに忘れてしまうんですよね。その達成感さえもすぐに忘れてしまう気もします。
濱田諏訪さんは「記憶」をテーマに作品の文脈をつくっていますが、メモや日記を付けたりしますか?
諏訪あまりしないですね。写真で記録しようとはするけれど、撮ったことすらも忘れてしまうから(笑)。記憶喪失じゃないかと思うくらい記憶することが苦手なんです。
濱田とはいえ、積み重なっていくものもあるんでしょうね。
諏訪そうですね。もう覚えるのは諦めて、それでも残っているものが残ればいいかなと思います。すごく少ないんですけれど、それでも覚えているものは貴重だなと。その貴重な記憶の抽出は自動操縦に任せたくて、メモすることによって手を加えたくないんです。
濱田なるほど。記憶ではなく「動作記憶」として覚えているのかもしれませんね。味わって感じたこと、手を動かしたときに感じたことを覚えている。これは思い出そうとして思い出せるものではないんです。身体で感じる知覚に優れているのかもしれません。アイデアが思いつきやすいシチュエーションはあるんですか?
諏訪質問を受けて答えた自分の思いがけない言葉や、予定調和ではない会話のときですね。「記憶の珍味」や「Journey on the Tongue」も、誰かとのなにげない会話から湧いてきたアイデアでした。思いがけない人と道でばったり会って話して、想像もしてなかった会話をしたときに、自分の口から「記憶の珍味」という言葉が出てきたり。
濱田会話の詳細は覚えていないかもしれませんが、そこで記憶に残っていることがアイデアになるんですか?
諏訪あ、これはすごく覚えているんですよ。それで家に帰って、こういう会話をしたなあと思い出して、「は!」となることがここ数年は多いですね。作品毎に、あのときあの人と会ってこういう会話をして浮かんだアイデアだって記憶が残っているんです。
濱田諏訪さんの生活記録表は、「平日/休日」ではなく「東京/森」と分けていますよね。
諏訪平日と休日を分ける感覚があまりなくて、いまは特にそうです。仕事も遊びの境界も曖昧ですしね。
濱田東京とここではインスピレーションの受け方に違いはありますか?
諏訪森での生活はまだ長くないのではっきりしたことは言えないですけれど、東京では生みの苦しみがあったような気がします。
濱田生みの苦しみですか。
諏訪夜の海に潜る海女のような。わたしは泳げないんですけど(笑)。潜るまでが億劫で、漁に行くまでに時間がかかる。寒いし暗いしやだなあと思う。深さもわからない海に息を止めて潜り、暗くて見えないから何かはわからないものを手探りで掴んで水面まで浮かびあがり、やっと確認するんですが、ぴんと来ないものもたくさんあって、それをひたすら繰り返す苦しみ。わたしが東京でアイデアを生み出すイメージはこれなんです。
濱田夜の海に潜る海女さんですか。アイデアが浮かばないときや締め切りを前に焦ることはありますか? 締め切りなどの制限がないとダメな方もいると思うのですが。
諏訪焦りはあるんですけれど、かといって考えようと思ったら絶対に浮かばないんです。常にニュートラルではいたいと思います。自分を操縦し、調子がいいときを探しているような感覚です。時間を決めてアイデアをつくることはできないですね。それは偶然のようで必然の産物なので......うまく出せる方法があればいいなあとは思うんですけれどね。
横石ここは東京とはどんな違いがありますか?
諏訪受けるインスピレーションが対人か対自然かの違いがあります。東京ではなにげなく会った人との会話や言葉、状況をきっかけに気づきを得ることが多かったのですが、こちらは人ではなく、自然からインスピレーションを受け取るようになりました。
濱田なるほど。「アイデアを出そう」と意識せずに、よりニュートラルな状態でも振る舞えるし、自然から刺激を吸収できている。さらに焦りも少ないと。
諏訪そうですね。ここにいるときはいま話した苦しい感覚をあまり感じないんです。
濱田生活記録表を見ると、東京でもこちらでもボーッとする時間が多いですよね。この「真夜中の森」もそうした時間なんですか?
諏訪そうです。森にいると自然しかないので、自動的に感覚が研ぎ澄まされるんです。熊の木を引っ掻いた跡、鹿のふんや足音、ふくろうの声、突然空いた大きな穴──。姿は見えないけれど、気配を感じるし、特に夜は「わたしは見られている」と感じて感覚が鋭敏になるんです。
濱田同じく真っ暗な夜の海とは対照的ですね。
諏訪そうかもしれません。
濱田夢のなかにいるような状態で、一見何も関係のない記憶・経験・知識を頭のなかでトライアンドエラーを繰り返しながら整理し(拡散的思考)、情報をつなぎ合わせている(収束的思考)時期なのかもしれません。あるとき、新しい発見が生まれたりするんです。
「自動操縦」という言葉もありましたし、常にニュートラルでいることで抽出された純度の高い記憶が自然とインスピレーションになる諏訪さんにとって、ここはとても適した環境なのかもしれません。
諏訪わたしにとっては、どの環境にあってもボーッとして無心になる時間が大事なんです。目的や計画を立てるのがすごく苦手なので、予定が入っていない自由が喜びというか......自分を泳がせておきたい感覚です。そもそもアイデアを出すという目標設定自体がわたしには向いていない気がします。
濱田森のほうが自由に泳げているのも面白いですね。
諏訪そうかもしれません。昔はアンテナを張ってアイデアを探している感覚があったんです。大人になると「アイデアを出してください」「何か企画しよう」という場面も増えますよね。でも、いいアイデアは出そうと思っても出ないんですよ。何かに夢中になっていたり、遊びの延長であったりしたほうが面白いことになる。いまは遊びの延長のような生活なので、すごくいい変化だと思っています。
濱田諏訪さんは9時から5時まで働く会社員の生活はしたことあるんですか?
諏訪ありますよ。クビになりました。
濱田えぇ!?
諏訪任せてもらった仕事を自分なりにやっていたら、社長に「お前の会社じゃないんだぞ」と言われて......。
濱田計画を立てるのが苦手とありましたが、アイデアを得るために心がけているルーティンはありますか?
諏訪ルーティンもないんです......。
濱田やはりそうですか。空間的なことで言えば、自分が籠るアトリエは自分を肯定してくれる場所であるし、自分でコントロールできる環境でもある。しかし、逆に居心地が悪い場所に行くことで新しいインスピレーションを得られることもあります。 諏訪さんは計画することはあまり得意ではないと言っていたので、システマティックになるのは苦手なのかなと。
諏訪そうかもしれません。計画を立てたら、それでやったも同然と思ってしまうんですよ。予定調和は面白くないですし、想像もしていなかったことに出会うのが好きなので、そういう毎日だとドラマティックだし新しい発見に満ちていますよね。
濱田さきほど夢の話でもしたように、前頭葉のブレーキが外れていることでアイデアが生まれたりするんです。理性からではなく。諏訪さんにとって「遊び」はひとつのテーマなのかなと思いました。ルーティンから外れるために、ここを選んだのかもしれません。
諏訪自然は予定通りにならないですからね。本当に振り回されるし、支配ができない。でも、そのほうが野性が鍛えられますよね。
濱田過去のインタビューでは、好奇心の強かった幼少期の遊びや体験が、人の食欲をかきたてることにつながっているとおっしゃっていましたよね。
諏訪わたしは好奇心や食欲をテーマに、人間の欲望をどうかきたてるかに挑戦してきました。欲望とは人間の本能的なものであり、野性とも言えます。
知らない植物の新芽や花、カエルの卵──あれもこれも食べたいと思ってしまうような子どもでしたね(笑)。好奇心はかなり強かったと思います。でも自分が食べるのは怖いから、友達に先に食べさせようとする子どもでもあったんですけれど。
濱田友達は食べてくれたんですか?
諏訪もちろん食べてくれないから、食べたくなるようにプレゼンをするんです。お皿に盛り付けて花を添えたり、花粉をふりかけたり。レストランごっこのようなものです。シチュエーションやストーリーをつくると食べてくれる。そんな遊びを子どものころからやっていました。
濱田好奇心は大人になるにつれて薄れていくと思うのですが、だからこそ、こうした自然のなかに戻っていくプロセスが大事になるのかなと思います。
諏訪ここは東京のように便利なコンビニもスーパーもないですし、いろいろなレストランがあるわけでもありません。でも、目の前に食べられるかもしれないものがたくさんあるんですよね。
濱田自然環境に身を移したことで、自分の野性や好奇心を取り戻しているのかもしれませんね。
濱田いまはオンラインでも仕事ができる時代ですよね。諏訪さんのように、分散した働き方をする人が増えていくのかなと思います。クリエイションをするアーティストとして、拠点を複数もったことのメリットはなんですか?
諏訪東京に長くいると野性が鈍っていくので、東京で20年にわたって生きてきた自分のなかに眠っている野性を試したいなと思ったのが、ここに拠点をつくった一番の動機なんです。
東京のアトリエの目の前に、アスファルトに生えた雑草を見つけたことがあり、それが電柱にすごい勢いで巻きつき始めていたんです。ハサミで切ってここに持ってきたら、根付いたんですよ。東京の雑草もある意味での「野性」ですけれど、それを山の野性にどれだけ通じるか試してみたら、「東京の野性も結構いけるんだな」と。
濱田東京に長らく住んでいた諏訪さんの人間としての野性も通用するのではないかと思ったんですね。
諏訪この自然のなかに住む動植物たちのテリトリーと食物連鎖のなかに入り込み、自分の野性がどう反応し対応するのかを試すことができる。それがわたしにとって大きいかもしれません。
濱田その「野性」や「本能」は諏訪さんのアートとしての根幹に関わる部分ですもんね。
諏訪東京にずっといたときといまを比較すると、同じ出来事を体験しても、受ける衝撃が違います。
やはり都市部と自然を行き来できるのはいいなと思っています。視点を変え続けられますし、思考も切り替えられる。ですから、わたしは東京のアトリエもキープして都市と自然の強烈なコントラストをあじわいたいと思っています。
濱田どちらの環境においてもアウトサイダーの視点をもつことで、フラットに、解像度高く物事を見つめられるし、どちらの環境からも刺激を受け取れているんじゃないかと思います。
諏訪そうだと思います。
濱田場所を変えるのは気分転換にも一番シンプルでいい方法です。ひとつの場所で思考が固まってくると、どうしても見える範囲も狭くなっていく。抑うつ状態の方は同じような思考を繰り返し考えてしまいがちなのですが、客観的に自分を見ることで、ストレスを可視化していくという治療もあります。ですから、自分を客観視できるのは貴重で有用な体験だと思います。
濱田過去のインタビューで「あじわうことは進化すること」とおっしゃっていましたよね。そのうえで、現代の人間の新しい進化を見てみたいと。現代の進化とは何で、そこにおけるアーティストの役割とは何だと思いますか?
諏訪正直わからないですね。わからないからこそ、わたし自身が実験台になっている感覚です。一生をかけたスリリングな実験ですよね。
いまはコロナ禍にあり、わたしたちは大きな変わり目にいる。資生堂ギャラリーでのエキシビションをもうすぐ再開する予定なんですけれど、中断前のものを単にそのまま展示するつもりはないんです。世界が変わってしまっているのだから、わたしなりの新しい時代への問いかけ、進化へのきっかけを提示したいなと思っています。
濱田ご自身の試行錯誤や実体験を経て見えてきた方向性のようなものを?
諏訪そうですね。これまで人間は自然をコントロールしようと試みてきて、今回のコロナ禍はその結果でもあると思っています。そして、このコントロールが限界に近づいていることにみんな気づき始めていると思うんです。自然の一部に人間があるという共存のあり方を実行していくべきタイミングですよね。
人間はいつからか食物連鎖の頂点にでもいるかのように、「人間が滅びるときは地球も滅びるとき」と語られがちですが、人間が滅びたとしても、地球は滅びることなくそれなりの循環と別の何かが生まれ、また新しい世界が出来上がるだけだと思う。だから、それは人間の思い上がりだと思うんです。
人間が滅びないように長く生きることが必ずしも正しいとは思っていなくて、滅びるときがきたら滅びたらいい。ただ、その滅び方は、美しいほうがいい。進化するって、そういうことのような気がするんです。
[診察後記・濱田章裕記]
森へと舞い戻ったテイストハンター、好奇心採集にいそしむ
幼少期にはあくなき探究心(好奇心)とともに、さまざまなものに触れ驚き、あれほど新鮮味を感じ、目をキラキラさせて眺めていた風景でさえも、歳をとるにつれて関心が薄れていく。単なる日常の背景と化し、気にも留めなくなってしまうという体験は大人であれば誰もが経験したことがあるだろう。
にもかかわらず諏訪綾子は、いまもなお好奇心を愛し、それに突き動かされている。問診にて明らかになったように、彼女は幼少期から食に対するこだわりが人一倍強い。しかも自ら食べるのではなく、友人にいかに美味しそうに思わせ食べさせるかという遊びを繰り返してきた。
つまり、人の好奇心をいかに掻き立てるかというある種の実験を幼少期にはすでに始めていたことになる。この積み重ねが現在の彼女の創作活動の原体験になっているのだと考える。
一般的に人間が食べ物を口にする機序として、食欲→食事を摂ろう(取ろう)とする意思→食行動、という流れをくむ。彼女はさまざまな作品を通して、他者の食欲に直接働きかけようとしているのではと推察していたが、問診を進めていくにつれ、まずは他者の好奇心に働きかけ、そのうえで食欲を促そうとしているのではないか、という仮説にたどり着いた。さらには、好奇心は彼女のライフスタイル、創作活動ともに共通する不変のテーマなのだと考えるようになった。
これは、森への移住というライフイベントとも大きく関わっている。彼女にとっての原風景でもある自然に還る行為を通して、都市とは異なる刺激に感化され、彼女のなかでの好奇心も大いに掻き立てられている。
好奇心にはいくつか種類があると言われるが、そのなかで、予期しない出来事でも積極的に受け入れようとする包括型好奇心というものが彼女の多くを構成していると考えられる。この好奇心の特徴でもある「状況を受容し自己を調整する能力が高く、社交性やコミュニケーションが高い」という性格傾向は、生活記録表からも合致する点が多い。
また、"森の住人たちを観察する""採集したものを調べる、あじわう"といった好奇心に突き動かされる行動(彼女はそれを"遊び"と称している)により、日常的に試行錯誤を繰り返すことが、その後の創造活動の幅を広げ、多くのひらめきをもたらしているのだと考えられる。
好奇心は心理的ウェルビーイングや主観的幸福感につながることも指摘されており、まさに彼女にとって自身の好奇心を育むことが、創作活動を通じて他者の好奇心をも刺激する独特な循環を遂げているのだと考えられる。
このようなご時世だからこそ、彼女に倣って自然に身を寄せ、好奇心を呼び覚まし、自身は何をしたいのか、どうありたいのかを問いかけ、ニューノーマルな世界の新たな生き方を模索する機会としてもいいのかもしれない。
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