六本木未来大学に新設されたカウンセリングルームでは、日本を代表するクリエイターの発想プロセスに注目し、脳や心の動きからそのメカニズムを問診。創造性と医学の関わりを探る。精神科医・産業医であり、クリエイターとAIが共存するクリエイティブ・プロセスのR&Dカンパニー「CYPAR」メディカルアドヴァイザーの濱田章裕と、その助手を務める&Co代表でプロジェクト・プロデューサーの横石崇が、様々なクリエイターを問診していく。
第3回のゲストとしてカウンセリングリームに訪れた“患者”は、クリエイティブ・ディレクターのレイ・イナモト。米国のデジタル・エージェンシーR/GAを経て、AKQAクリエイティブ最高責任者に就任。ナイキ、アウディ、Googleなど、世界の名だたるブランドのデジタル戦略とクリエイティブを担当。Creativity誌「世界の最も影響力のある50人」やForbes誌「世界広告業界最もクリエイティブな25人」にも選出された、世界にその名を轟かせているクリエイターだ。
今年の7月には、自身がニューヨーク・ブルックリンに設立した会社「Inamoto & Co」を「I&CO」に社名変更し、日本オフィス「I&CO Tokyo」を開設。デザインとデータ、テクノロジーを組み合わせることで、従来の枠組みを超えたデザインと新たなビジネス創出を掲げている。
クリエイターの1日の感情の動きと行動を記した「生活診断表」をもとに問診が行われる「クリエイティブ・カウンセリングルーム」。そのなかでイナモトは、自身について「シャワーを浴びていてひらめくタイプではない」とし、クリエイターにとっては恐れにもなり得る「情報を意図的に遮断する」という独自の創造プロセスを語る。レイ・イナモトのクリエイティブの源泉には、何があるのか? 精神科医・産業医の濱田が迫る。
濱田レイさんは16歳で渡米し、ニューヨークを拠点に仕事をしていますよね。
レイ人生の半分以上ですね。
濱田かなりの期間ですね。今年の7月には「I&CO」の東京オフィスを開設。凱旋帰国ということになりますが、どんな心境ですか?
レイ出身国なので、もちろん日本は身近な国なのですが、それでいて遠い国というか。こうして帰ってくると、何か違和感があります。
濱田いまはどれくらいの頻度で日本と海外を行き来していますか?
レイAKQA時代は、ヨーロッパやアジア、アメリカの西海岸、東海岸を隔週で行き来していました。自分の会社を立ち上げて約4年が経ち、いまは1~2ヶ月に1週間ほど日本に来るペースになっています。
濱田スケジュールを見ると、毎日が結構過密ですよね。睡眠の時間と質の確保は海外を拠点に仕事をしていると、なお難しいですよね。
レイ日本とニューヨークでは13〜14時間の時差があるので、連絡ひとつをとっても難しいですよ。ニューヨークの夜に日本の状況をキャッチアップするために、たまに「こんな遅くに?」と言われる時間に電話をかけなければいけない時がある。極力それはしないようにしていますが。
濱田生活記録表を見ると、難しいなかでも週末は特に睡眠を確保できている印象です。
レイ睡眠には気を遣っていますね。それでも、スタッフには、もっとしっかり睡眠をとってくれと言われるんですが。
濱田散歩やジムに行ったり、家族と過ごすなど、週末は仕事から離れて生活している印象です。
レイそうですね、週末は極力ゆっくりするようにしています。
濱田クリエイターやアーティストは、睡眠や食事の時間、仕事とプライベートのオンオフなど、生活リズムがめちゃくちゃになりがちですが、レイさんは違いますよね。結果、プラスの感情が比較的多いことにも繋がってるような気がします。
濱田メールやSlackの通知音やバイブレーションも切っているんですね。記録表にはメールが苦手だと。
レイ切ってます。だから自分からメールを開かないとわからない。
濱田それは社内にも伝えてあるんですか?
レイ言ってないです(笑)。前職のときに、スマホでメールをチェックするのも止めたんです。Slackも存在しなかったときですね。みんなに「おれは休日はメールをチェックしないから」と頑なに言っていました。1日に100件以上来るメールのうち、70件くらいは返信の必要がなかったりするんですよ。
それにスマホで見ると中途半端になるので、どうしても連絡がしたいときは電話かショートメッセージで連絡をしてもらっていましたね。
濱田休日にメールが来たら仕事をしてしまう。一種のストレスマネジメントですよね。スマホを使わないというのは健康管理の面でも良いと思います。
レイ朝起きたときにすぐスマホを見てしまうのは良くないですね......。目覚まし時計としてスマホを使うのも良くない。平日も、会社に行くまでできるだけ仕事のメールなど見たくないんですけど。
濱田通勤・帰宅の時間も極力仕事のことを考えない?
レイそうですね。仕事に関係のないオーディオブックやポッドキャストを聞いたりしています。気持ちを切り替えるためのすごく重要な時間なんですよ。
濱田なるほど。こうしたリズムは昔から意識していたんですか?
レイいえ、若い頃は結構めちゃくちゃでした。週末も仕事をしていましたよ。企画やデザインも夜中にやっていました。20代の頃は夜の22時から2時ぐらいまでが一番仕事が捗るんです。その時間帯はメールも来ないし、テレビも見ないから、余計な雑音がない。今は23時を過ぎるともう頭が回らないんですよ(笑)。
濱田以前、レイさんはアイデアの源泉について「情報とひらめき」という表現をしていましたよね。
レイそうですね。吸収して頭の中に貯めておいた「情報」と、自身の「ひらめき」を掛け合わせて新しいアイデアを生み出す、という意味で言ったと思います。
濱田その「情報」について聞きたいのですが、インプットは自分から貪欲にしていくタイプですか?
レイいまは自分からはあまり収集せず、周囲に頼っていますね。社内であればSlackだったり、若い社員や何かにものすごく詳しい社員が色々な情報を教えてくれる。
濱田車の未来について考えるなら、車に詳しい人と話すなど?
レイそうですね。それに、いまはインターネットがあるので情報が多すぎるくらいですから、アンテナを薄く張っておいて、適度に情報収集して蓄積するのが自分には合っています。
濱田なるほど。アイデアを生むためのレイさんのルーティンはありますか?
レイすごくシンプルですよ。チームでブレストをするとき、A4の紙を半分に切ったメモ帳に、そこで出た意見を書いていくんです。ここで大事なのが、一枚に書く意見は一つだけ。そのなかから面白いと思ったメモを抜き出して、それを一列に並べて、ストーリーに仕立ててアイデアに落とし込んでいきます。
濱田それはおもしろい。
レイA4の半分という紙の大きさが良いんです。ポストイットではダメで。
濱田A4では大きすぎると。能動的に情報収集をしないとおっしゃっていましたが、アイデアを生むために意識的に情報を制限しているのでしょうか。
レイそうかもしれません。過度に情報を自分のなかに入れすぎないようにしています。
濱田インプットしないというのは、どの職種の人間でもある種の恐怖にもなり得ると思うんですが、そこに対する怖さはないですか?
レイあまりないんですよ。
濱田それは若いときからですか?
レイいえ、30歳くらいまでは、特にデザイン関連の本を結構買っていましたね。でも30歳以降のどこかのタイミングで、意識的に情報をとらないようにしました。自分より詳しい人がごまんといることに気づいたんです。「この人以上に情報を収集するのは無理だから、であれば逆に頼ってしまおう」と。詳しい人は、他人に教えたいという心理が強く働きますし、自分の心にも余裕が出るんです。
濱田自分のなかにランダムに蓄積された情報をアイデアに落とし込むアウトプットの作業、つまり「ひらめき」はどのようなプロセスで生まれますか?
レイ僕は何かしらの刺激を受けてアイデアが出てくるのではなく、チームでブレストしながら、みんなが言っていることを拾って、その情報から「これいいよね」というアイデアを見つけて「整理するタイプ」なんです。アイデアを整理することで考えがまとまりますし、必要なタイミングで必要なアイデアを繋げて新しいアイデアにすることができる。その「接続」させることが自分にとってのアイデアだと思っています。
濱田「そういえばあの時こんなこと聞いたな」「このアイデアとこのアイデアは繋げられるな」と、頭のなかから欲しい時に引き出すことは、簡単にできることではないですよね。これを可能にするために、レイさんが意識していることはなんですか?
レイ情報を完全にシャットダウンすることですね。
濱田なるほど。ただ、レイさんが会社のなかで情報を遮断してアウトプットに集中するのは難しいのでは?
レイそうなんです。ウチのオフィスはかなりフラットな空間で、大きなテーブル2つにみんなが座っています。周りにも絶えず話しかけられますから、30分以上集中できない。そのときは、オフィスにある電話ボックスのような個室にこもります。
濱田自分を隔離するんですね。音もシャットダウンするんですか?
レイ音楽は聴くんですが、歌詞があるものだとダメですね。ジャズやゆったりした曲調のラウンジ系の音楽が多いです。坂本龍一さんもよく聴きますね。
飛行機に乗るときも、7〜8時間寝ても数時間余裕があります、ネットも繋がらないことが多いのでかなり集中できます。
最近は、金曜日に極力仕事を入れないようにしています。短い時間ではあまりインプットをアイデアに落とし込めないので、だいたい3時間ほど、勝負のプレゼンがあるときは4〜5時間確保するようにしています。
濱田レイさんは情報や思考をシャットダウンする時間をかなり意図的につくっていますよね。オフのときに極力仕事のことを考えないこととも繋がっているように思います。
レイそうですね。ただオフのときは、思考や整理に集中するための環境をつくるというよりも、自分をリセットするための環境をつくることを重要視していますね。
濱田なるほど、リセットですか。そういう時にひらめきは起きますか? シャワーを浴びていたらアイデアが閃くというクリエイターは多いですよね。
レイ僕はシャワーを浴びていてひらめくというタイプではないんです。リセットしたときというより、リセットすることによって、別のタイミングでこれまでランダムにためていた情報を引き出し、繋げていくことで、アイデアをひらめくことができる。のちのちのアイデアを生むための下地づくりというか、発射台を作っている感覚ですね。
濱田お話を伺って、レイさんにとって肝になるのは、「情報と思考のシャットダウンと引き出し」だと思いました。情報を整理/格納する方法を知っていて、外部の刺激にあわせて一見関連のない情報同士を引き合わせる能力に長けていらっしゃると感じます。
つまり、レイ・イナモトを堀り下げていくと、アイデアを「発見」すること、繋ぎ合わせることにおいて超一流なのだと、意外な発見がありました。だとしたら、レイさんにとってのオリジナリティとは何でしょうか?
レイ自分にとってのオリジナリティかぁ......。ぱっと思ったのは、「点と点をつなぐ、見えない線を引くこと」でしょうか。
濱田面白いです。例えば、アンディ・ウォーホルはゼロから絵を描いたりしません。本来の作家としてのオリジナリティから距離を置くことで、逆説的にオリジナリティを見つけたクリエイターです。
レイ実は、僕は小学生のころはアンディ・ウォーホルになりたいと思っていたんです。
濱田そうなんですか。それを聞くと、今日の話が色々と繋がってきますね。
レイニューヨークへ渡ったのも、アンディ・ウォーホルの影響は大きかったと思います。「アートやるならニューヨークだろう」と当時考えた背景には、確実に彼のイメージがあったでしょうね。
そこから原子物理学から木工家具・建築の分野にキャリアチェンジした父や、 コンピューターサイエンスとデザインを用いて表現をしていた前 MITメディアラボのジョン・マエダさんなどに影響を受け、美術の右脳的な側面と、技術の左脳的な側面を掛け合わせて、新しいものを生み出したいと思うようになりました。
それもあって現在の仕事をしているわけですが、いまの自分のクリエイティブの原点を遡ると、あのときのウォーホルと繋がっていた。そう考えると、なかなか面白いなと自分で思ってしまいますね。
[診察後記・濱田章裕記]
レイ・イナモトは、インプットを自在に操作し、クリエイションを行う男
レイ・イナモトは人と交わることを何より好む。この特性を一般的には「社交的」というが、氏の場合は、それにとどまらない。"ソーシャルスキル(編注:日常生活の中で出会う様々な問題や課題に、自分で、創造的でしかも効果のある対処ができる能力)が長けており、日々のストレスマネジメントが徹底している"とも言えるのだ。
それを解く鍵が氏の日常に隠されていた。生活記録表で印象的だったのは、まず、「毎週水曜のランチMTG」「就寝前の海外の家族とのやりとり」「友達や兄弟家族との食事」などの複数の人と交わるイベントを公私問わず取り入れている点だ。
私たちが日常的に行なっているコミュニケーションは、他者の感情や思考の共有を可能にする手段である一方、時に大きなストレス要因にもなりうるが、ソーシャルスキルによりストレス反応が低減することが明らかになっている。
次に、問診にて「リセットしたい時や飛行機に乗った時に、完全に情報をシャットダウンする」「仕事に関係しないオーディオブックを聴く」「能動的には情報収集は行わない」という言葉があったように、意図的に外部からの情報や刺激を制限している氏の様子も印象的だった。
クリエイティブな人は、感受性が豊かなだけに、一般人に比べ過剰な情報や刺激を受け取ってしまい、それがかえってストレスになる人が多いのも事実である。だが、氏のように、意図的に情報を遮断したり、物理的な防御方法を用いることはストレス低減にも繋がる。
おそらく、ソーシャルスキルをはじめとするこれらの術は、柔軟な発想の家庭環境や、長年の海外生活により獲得したものが多いのだろう。このような日々のストレスマネジメントがあるからこそ、ニューヨークという目まぐるしく移り変わる巨大都市の中で、大きなスランプもなく活発な創作活動を続けられているのかもしれない。
かつてウォーホルに憧れていた少年は、いつしかニューヨークで偉業を成し遂げた。だがその地位に安住することなく、次なる時代を日本とともに歩もうとしている。
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