六本木未来大学に新設されたカウンセリングルームでは、日本を代表するクリエイターの発想プロセスに注目し、脳や心の動きからそのメカニズムを問診。創造性と医学の関わりを探る。精神科医・産業医であり、クリエイターとAIが共存するクリエイティブ・プロセスのR&Dカンパニー「CYPAR」メディカルアドヴァイザーの濱田章裕と、その助手を務める&Co代表でプロジェクト・プロデューサーの横石崇が、様々なクリエイターを問診していく。
第2回のゲストは、メディア・アーティストの市原えつこ。「触ると喘ぐ大根」や「デジタルシャーマン・プロジェクト」、戦前からある商店街での「仮想通貨奉納祭」、かつて村の治安を守っていた秋田県のなまはげを現代に置き換えた「都市のナマハゲ」など、「日本の民間信仰」「シャーマニズム」「テクノロジー」をかけ合わせた実験を重ねるアーティストだ。
喘ぐ大根:虚構と現実の境界を判別不能にするSRシステム(代替現実システム)と大根を撫でると艶かしく喘ぐデバイス「SI(セクハラ・インターフェイス)」を連携した作品。喘ぐ大根と仮想の美女をミックスしてヘッドマウントディスプレイに流し、虚構の美女を触れるようになるというもの。鑑賞者の興奮度合いに応じてストーリーが分岐し、仮想の美女の行動がエスカレートしていく。被験者アンケートによると『非常に興奮した』が2割、『かなり興奮した』が8割という結果になったという。
デジタルシャーマン・プロジェクト:祖母が亡くなり、初めての葬儀を体験したことをきっかけに人間の死や弔いに興味を持った市原。残された人々の心の欠損を埋めるために、亡くなった人の音声と3Dスキャンした映像を「ペッパーくん」に入力し、死後も共生できるプロジェクトを行なった。故人のデータをインストールしたペッパーくんは49日間が経つと魂が抜け、ロボットに戻っていく。
都市のナマハゲ:秋田県男鹿市の民間風俗「ナマハゲ」モチーフにしたプロジェクト。集落の治安維持や通過儀礼、厄災を払うなど村社会における「機能」を現代の都市に翻訳するという試みが行われた。"都市の悪い子"を監視する架空のSNS「NAMAHAGE NOTE」と連携し、「悪い子ポイント」が規定値を超えると、大晦日に人ならざるものが訪れおしおきをするというもの。
「クリエイティブ・カウンセリングルーム」は、アーティストの1日の感情の動きと行動を記した「生活診断表」をもとに問診を行う。濱田は市原が記した生活記録表を見て、「お手本のような生活リズム」だという。
ケダモノのような内面をラッピングして、"狂気を飼いならしている"と語る市原。今回は、2019年10月25日から3日間行われた「DESIGN TOUCH CONFERENCE by 東京ミッドタウン・デザイン部」にて、約50名のオーディエンスを前に公開問診を行った。
濱田日本を代表するクリエイターの発想プロセス、心や脳のメカニズムに少しでも迫りたいと思っています。大学の保健室のようなイメージを持っていただけたらと思います。市原さんは「メディア・アーティスト」「妄想インベンター」の肩書きで活動されていますよね。
市原自分では「妄想を発明する人」と定義しています。
濱田かなり謎に包まれた職業ではありますよね。今回は、そんな市原さんの頭のなかを覗いていこうと思います。
市原この問診の話を聞いた時に、プライベート丸出しでかなりヤバいなとは思いました(笑)。
濱田ははは。たしかにアーティストが積極的には見せない部分ですもんね。
市原露出狂っていろんな種類があると思うんですが、今日のこれは「生活の露出狂」になる感覚です。自分ではそんなに自分自身が狂っているとは思わないんですが、アーティストと孤独は不可避の関係にあるので、救われるクリエイターも多そうですね。
濱田アーティストと孤独。生活記録表を見ながら、そのあたりも今回考えていけたらと思います。
市原えつこの生活記録表。前回の川田十夢と異なり、平日と休日の生活リズムは大きく違う。イラストを描くなど、アーティストやクリエイターごとに生活の表現方法が異なるのも興味深い。
濱田この表は、感情のプラスとマイナスのバイオリズム、つまりの感情のエネルギーの0時から24時までの表になるのですが、市原さんは非常に規則正しい生活リズムですね。睡眠時間も十分確保していて、食事も摂れている。平日と休日とでさほど大きな差もない。
市原アーティストっぽくはないですよね。
濱田それはなぜだと思います?
市原うーん。やっぱり会社員を5年間やったのが大きいかも。
濱田生活記録表を見ても、非常に真面目に仕事をしている人という印象です。クリエイターやアーティストは、睡眠や食事の時間がバラバラで、仕事とプライベートのオンオフがつけづらく、生活リズムがめちゃくちゃになっている人が多い印象があります。
市原私は睡眠と遊びであれば睡眠をとるタイプですね。繁忙期になるともう遊ばなくなるんです。
濱田なるほど。徹夜はしないですか?
市原徹夜は昔からできないんです。学生の頃からオールも大嫌いでしたし(笑)。
濱田それは本当に大切なことです。睡眠時間が6時間を切ると7〜8時間の人と比べると生活習慣病や精神疾患になる確率、また死亡率も2.4倍違うという研究結果もありますし、身体はやはり資本です。
濱田1日のなかでオンオフもつけられていますよね。軽い晩酌や仕事合間の散歩などストレスマネジメントもできている印象です。
市原今はフリーランスなので、生産性が高ければ1日3時間労働でもいいんですよね。ただ1度試みた結果、自分にはできないことがわかり......。
濱田それはなぜ?
市原ただ単純にタスクが積み重なって詰んでしまう(笑)。
濱田ははは。
市原今はオンオフをつけながら朝から晩まで仕事をしています。
濱田市原さんは実務も全部自分でやっているんですよね?
市原そうです。エージェントに依頼していないので、経理、予算管理、各所との調整、交渉などすべて自分でやらないといけません。
濱田それはすごい。
市原今はプロジェクトが大詰めの段階なので、実務を遂行するモードになり、1人で黙々と仕事しています。予算管理や連絡などの雑務や調整が際限なく続いているので、デッドラインに向けてガントチャートを引いて進行やタスク管理に追われてます。
濱田今の実務モードと、クリエイションのモードになるとリズムは変わりますか?
市原企画をする段階は実働は多くなく、遊んだりしながら企画を考えています。
横石右脳と左脳を使い分けている。
市原アイデアを考える時は、インプットを特に大切にしています。専門知識を蓄えるために本を読むことや、人に会って話すことです。
濱田積極的に外の世界にアクセスしていく、と。
市原はい。アイデアは無の状態の自分からは出てこないので、1次情報を大量にインプットするためにひたすら関連知識を漁ります。「デジタルシャーマン・プロジェクト」の時は社会学からSF作品まで調べ、古墳や自殺の名所を訪ねたり。
濱田外に足を運ぶことも多いですか?
市原かなり多いですね。何をやっているんだろうと自分でも思うほどに動いてます。「喘ぐ大根」を制作していた大学生の時は1人で秘宝館、ストリップ劇場、ピンク映画や男根崇拝系の神社にも行きましたね(笑)。
濱田ははは。インプットのときはどんな心理状況ですか?
市原本当にどうすればいいかわからなくて暗中模索なので、不安が大きいです。
生活記録表をスライドに映しながら、市原えつこの生活リズムを解き明かしていく。聴衆の前で「プライベート丸出しでかなりヤバい」と市原。
濱田アイディエーションのプロセスとして、外から刺激を受け、自分の内面世界と合致する時にアイデアが生まれるという説もあります。知識を充実させながら名所を訪ねるのは納得できますね。仕事合間に散歩もされるとのことですが。
市原私は遅刻が怖くて、仕事場所に早く到着するようにしているんです。その周辺をほっつき歩くんです。歩くのはいいんですよ。「アイデアは移動距離に比例する」という言葉をずっと信仰していて。
横石高城剛さんやジミ・ヘンドリックスも語っていますよね。
市原真理だと思っています。移動する先にしかないものがある。
濱田この「廃人モード」というのは?
市原私は人前に出るのも会うのももともとは苦手で、人前に出る仕事が増える土日はナーバスなんです。現場に行くと気持ちがハイになってきて、そのまま話し続けるんですが、終わった後には疲弊しきって廃人になります。それを発散するための時間ですね。
濱田人前に出た後のご飯と酒が美味いとありますね。
市原はい。人前に出た後はラーメンが食べたくなる(笑)。
濱田ははは。孤独のグルメタイムですね。
市原私は1人でいることが好きなタイプなので、TPOにあわせて社交性を出せなくはないけれど永遠には出せない。私にとって「社交性は有限」で、ドラクエでいうMP(マジックポイント)のようなものです。
濱田社交性は有限。面白い表現ですね。
市原打ち合わせがメラ、メラミだとすると、人前に出るのはメラゾーマかイオナズン。社交性を使い果たしてしまうんです。
濱田なるほど。自覚してマネジメントできているのはすごいですね。ハイという言葉が出ましたが、気分や意欲のアップダウンなどクリエイターやアーティストは双極性障害の方と似たような特性を持っていると言われていますし、あえてリスクを取ってしまう方も多いです。しかし、その感情の波を制御することがとても重要です。
基本的にクリエイターやアーティストは複雑な内面を持っていると言われています。つまり、自分の中に様々な性格や行動の傾向を持ち合わせている場合が多いのですが、自分の身体やメンタルの状況は、自分では意外とわからないものなんです。
市原私は狂気を飼いならす、という感覚は持っています。アーティストは、ケダモノや化け物のような内面をうまくラッピングしてやっている人が多い印象です。
濱田狂気を飼いならすにはどうすればいいと思いますか?
市原その人なりの立ち直り方があるとは思うんですが、トレーニングかなと思います。私の場合、会社員の時はテンションを上げるために毎日自分のことを褒めてました。会社に行く前に「えらいぞ」って。
濱田なるほど。それは結構大事ですね。
市原たったそれだけのことなんですけどね。それが習慣化してメンタルがブレづらくなったかもしれません。会社員時代に真面目に生活していたときに溜まった狂気が、フリーランスとして世界に野放しになって今爆発している感じではあるんですが(笑)。
濱田クリエイティブと社会性のバランスは、会社員時代を挟んだことも大きいかもしれないですね。
市原社会性は得られたと思います。1回会社員を経験すると、学生の時よりメンタルは安定しました。規則正しい生活をしながら締め切りに追われるという生活は、なんだかんだでメンタルに良い。暇になると人間は色々考えてしまうので。
濱田アートやクリエイティブの役割の1つに、世の中の常識を疑い、新しい問いを立てる能力があると思っています。昔はそういった見立てをもつアーティストは、社会の隅で生きざるを得なかった。一方で市原さんは、社会の隅からは離れているような気がします。
市原真人間でいたい欲求が強いからかもしれません(笑)。昔から「人と違いたくない」と思っていたし、小学生の時に書き初めで書いた言葉が「平凡」でしたから(笑)。
濱田それは意外です。
市原はい。人と違う自分になろうというプレッシャーもないです。個性という概念はアンビバレントで、個性的になろうとすればするほど没個性に陥る。自分の個性を考えない方がいいと思っています。ただ作品を届ける段階においては、自分をわかりやすくパッケージしないといけないのでやるんです。
横石村上隆さんの著書『芸術起業論』を読まれて人生が変わったと聞きました。
市原「アーティストぶって内輪のぬるいコミュニティに浸かっているんじゃない、広い社会で、世界で勝負しろよ」というメッセージが書いてあり、衝撃を受けたんです。読んだのは高校生の頃でした。アーティストも戦略を立てて売り込みをしつつ、社会に対してコミットしていかなければいけない。
濱田アーティストでありながら社会との接点をもっているのはすごいですよね。今の社会にない価値やものの見方を追求し表現するアーティストと、何億もの人間が暮らすための最大公約数を追求する資本主義における「社会性」。基本的にこれは相反するもので、結果アーティストは孤独に陥ってしまう。これは本当に根深い問題だと思うんです。
市原そういう意味で、やっぱり会社員時代は大きかったのかもなぁ。
濱田それに近代はクリエイターにとって大変な時代なんですね。近代以前は、アーティストは神聖な存在とされていたので。
横石どういうことですか?
濱田古代ローマ時代にはゲニウス(ジーニアス)という精霊がアーティストに才能という形で神の意志を届けていたという考え方があったんですが、ルネサンス期以降、アーティストやクリエイター自身のことをジーニアス(天才)と呼ぶという考え方に移っていった。
市原ジーニアスですか。
濱田宗教画でもわかるように、アーティストは絶対的な作品の価値の基準である「神」の、栄光と秩序を作品に仮託し表現していた。しかし世界の中心が神や教会から市民となった近代以降は、神の意志ではなく、答えのない自己の内面を反映させる孤独な存在になった。表現も作品の価値基準も自由になったけれど、作家自身がジーニアスと呼ばれ扱われるようになってからは、彼らにかかるプレッシャーも大きくなっていったんですね。さらに、今はアーティストやクリエイターはマーケットや資本主義の世界とうまく接点を持っていかなければならない。
市原なるほど。
濱田市原さんは、喘ぐ大根の「性」、デジタルシャーマン・プロジェクトの「死」や「供養」、仮想通貨奉納祭の「祭り」など、人間の営みのなかにある要素を現代的にアップデートして表現していますよね。
市原はい。このあたりは地続きなんですよ。
濱田「性愛行為と供養は類似性、それは肉(体)を露わにすること」とバタイユが言ったように、性(生)と死には非常に一貫性がありますし、スケール感も個人の欲望から対人や地域へと大きくなっています。果てには社会に繋がっていくような気がするのですが。
市原まさにそうで、村はつくってみたいと思っています。コミュニティのほうに興味が移っている感じはありますね。
濱田市原さんは巫女の格好をされていますよね。巫女の仕事の一つには、神の意見を我々に伝える「神託」というものがあります。市原さんは、社会とクリエイションの間に立つことで、見えないものやタブーとされているもの、忘れ去られているものを現代版にアップデートし、私たちに翻訳・通訳して伝えてくれる媒介者のように思えるんです。
[診察後記・濱田章裕記]
市原えつこ氏は、狂気を飼いならしている。
狂気を定義することは難しい。医学的には精神異常を指すだろうし、一般には熱狂や狂信といった意味でごく自然に用いられている。
哲学者の中村雄二郎は「狂気とはまず、人間の根源的自然として、理性によって区別され、限定され、しばしば抑圧されるもの」と述べた。つまり、我々の中にも狂気は存在するが、日常や社会生活を送る上で知らぬ間に(あるいは意図的に)抑圧され、一見遠い存在、非日常のものとしてカテゴライズされるようになったのだろう。
「アーティスト」と「狂気(※ここでは医学的な意味合いは含めない)」という存在の親和性は高いとされる。それはフロイトが述べるように、彼/彼女らが、抑圧のキメが粗いことも要因なのだろう。アーティストと呼ばれる人は、一般の人に比べ、より多くの狂気に身を晒し、それが創作活動の凄まじい原動力(創作エネルギー)ともなりうる一方、狂気の扱いに戸惑い、恐れ、時に飲み込まれてしまう人が多いのも否めない。
その点、市原氏は狂気の扱いに長けている。それは生活記録表上に見て取れる。日常の中に、意図して「廃人モード」「がっつり系メシ+酒」を導入することは、内なる狂気へのコーピング(対処行動)とも捉えられる。一方、毎晩のように出現する「発狂」では抑えきれない狂気を、創作活動ひいては作品として昇華せしめているのだと考えられる。これらの能力は、かつて一般企業の社員として、理性的で規則正しい生活(つまり狂気が抑圧された世界)を送ることで培った部分も大きいだろうと推測する。
人々の狂気に訴えかけてくる作品群からは市原氏自身の相当な狂人ぶりが垣間見られるが、生活全般や創作過程においては、実に合理的で、マネジメントが行き届いている優等生さも印象的だ。市原えつこ氏はまさに「狂気を飼いならしている」といった言葉が相応しい人だと言えよう。
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