講義前半では、クリエイティブディレクターとしての姿勢や思考、時代の読み方などを解説していった栗野さん。後半は、今自身が気になっている、世の中の二大潮流に言及していきます。そのひとつは、「時代は真っ当なことを求めている」ということ。
「ご存知の方も多いと思いますが、スウェーデンの環境活動家でグレタ・トゥーンベリという高校生がいます。彼女ははっきり物を言うので、叩かれることもありますけど、発信していることは間違っていないんですよね。『大人たちは"君たちの将来のため"とか、"未来は君たちのものだ"って言うけど、環境を壊しているはあなたたちじゃない? まずは、今、あなたたちがつくり出した地球環境問題をなんとかしてください』と突きつけているんです。80年代に創刊されたイギリスの雑誌『i-D』の表紙になるくらい注目されている、時の人。これがただの話題で終わってしまってはいけないけれど、多くの人は環境問題まで思いが至らないのが現実でもあるのかなと思います」
海外の美術館では環境問題に関する展示も多く、栗野さんも感銘を受けたと言います。
「ロンドンのテート・モダンでは、オラファー・エリアソンというベルリンを拠点に活動するアーティストの展覧会を見ました。氷山の氷を会場に持ってきて、それが解けていく様子を踏まえた展示をするなど、いろんなものが環境にどれだけ影響を与えているかを作品の中で表現している人。また、自然をテーマにしたパリの展覧会『Nous les Arbres (Trees)』も素晴らしかったです。森と人間がどのような関係性を持って生きてきたかを表現したもので、中でも南アフリカのアウトサイダー的な人たちの作品が印象的でした。自分たちの身の回りにある木や森を描いている絵があるのですが、ものすごく可愛いんです。教育の機会が少なかった彼らが、そういった絵を描ける背景には、森との親密な暮らしがあるから。同時に放っておいたら自然がなくなるという動物的な危機感があるようで、彼らの中には描き残したいという思いが強くあるんです」
メッセージを発信する人たち、そして海外の大きな美術館でのさまざまな展示を考察した上で、栗野さんは現代の潮流をこう読み解きます。
「世の中の人は、すごく真っ当なことを求めているんじゃないかと思うんです。言い換えれば、それは今の時代が持つスタンダードのニューリアルを求めているということだと感じています」
【クリエイティブディレクションのルール#6】
時代は真っ当なことを求めていると認識する
もうひとつ、栗野さんが気になっている話題へと講義は進んでいきます。
「"個の時代""大衆から分衆の時代"ということは、随分前から言われていますが、いわゆる多様性という面では、また新たな時代に入っているように感じます。例えば、男性モデルとして活躍しているネイサン・ウェストリング。彼はもともとナタリーという名前の女性モデルで、とても注目されている存在だったんです。でも、どうしても男の子になりたいと手術をし、今は男性モデルとしても売れっ子になった。もはや男とか女とか関係なく、カッコいいか・カッコ悪いか、その人が何を表現しようとしているかが重要。まさに、新しい時代のスターだなと感じます」
他にも、いくつかキーとなる人物を紹介していく栗野さん。その中には何人かの日本人もおり、日本もまた新たなダイバーシティの時代へと突入していることを予感させます。
「片山真理さんというアーティストは生まれつき両足の先と、片方の指が2本の女性。とても美しい人で、自分をモデルにした写真を撮ったり、義足を作品にしたりということをしています。実際につくっているものも素晴らしく、銀座で行われた作品集のサイン会は大変な賑わいでした。新しい時代のセレブリティと印象を強く受けます。きっと、10年、15年前なら、やりすぎじゃないかと言う人がいたかもしれない。でも、今は違うんですよね。例えば、テレビを見ていても、ふくよかな人はふくよかなことを、美人ではない方は美人ではないことを売りにしている人が、非常に増えた印象があります。片山さん含め、ひと昔前なら、ある種ネガティブにも捉えられることを個性にしてしまう。今の時代、こっちが良くて、こっちが良くないということはないんですよね」
あらゆる個性が受け入れられるようになってきた昨今は、ジェンダーに関する意識も大きく変わっています。栗野さんは、仕事で関わったアフリカのアーティスト、カダラ・イエニヤシ氏との会話から、"自由"についてあらためて感じ取ったことを話していきました。
「アフリカではその昔、女王が女性と、王様が男性と結婚することもあったそうです。それを聞いたとき、LGBTQという括り自体も偏見なのかもしれないと思いました。ゲイとかレズビアンと括り直しているだけで、その前に人間はもっと自由な存在であるべき。宗教やモラル、遺伝子学的な問題から、人をカテゴライズする必要はないはずなんです。自由という名の新しいカテゴリーをつくって、レッテルを貼っているのか......。もちろん、近代社会においてのLGBTQ観は重要視されないといけないけれど、重要視されたからといって、人間が自由になるわけじゃないんだろうなとも思います」
括りを超えるという点では、ファッションにおける古着の在り方も、より自由になっています。栗野さんは古着に対し、「捉え方が変わった」と感じているそう。特に日本の若者は、古着の使い方、お金の使い方がうまいと言います。
「いまはビンテージ的価値だけではなく、ファストファッションの代わりに古着を買う人も多い。若者は、"古着に対してファストファッションにはないカルチャーがある"ということを理解しているんですよね。そう考えると、古着を合わせる自由な発想が世の中に生まれているのかなと思います。要は、古着屋ってオールOKじゃないですか。ジェンダーレス、シーズンレス、エイジレス — 季節も、年代も超えて、誰が何を着てもいい。それって、ファッションの一番の醍醐味だと思うんです。結果として、買った人が自分でいいと思えばいい。そういう価値を生み出したことが、古着カルチャーのもたらした最大の効果ではないかなと思います」
【クリエイティブディレクションのルール#7】
"個の時代"をしっかりととらえる
多様化が進み、個が生かされる時代において、栗野さんがいま最も気になっているのはアフリカのアーティストたち。
「将来一緒に仕事をしたいなと思っているのが、イブラヒム・カマラという20代の若いスタイリスト。彼が仕事をしたフランスの『M, le magazine du Monde』という雑誌のある号の表紙なんかは、とても印象的なんです。ラフィアとか籐を使った古典的なスタイリングと見せかけ、よく見るとロエベの靴とか、グッチのカバンとかを持たせている。ロケーションも、道路が舗装されていない、都心から離れた田舎。ある種、イケていない田舎での撮影って、かつては見たことがないわけですよね。西欧が封印してきたもの、見せないようにしてきたものを、若くて力のあるスタイリストが、当たり前にスタイリングするときのモチーフとして使っている。そのほうが、よっぽど新しく見えるんです。我々が20、30年、これがカッコいい、これがおしゃれと言ってきたものが、もう時代じゃないのかもしれないとつくづく知らしめてくれる存在でもあります」
そして、もうひとり気になる存在として挙げたのが、先にも名前が出たカダラ・イエニヤシ氏。パリのパレ・ド・トーキョーで行われた『City Prince/sses』 という展覧会で彼の作品に出合い、注目したのだと言います。
「僕らが東京タワーで行った『Fashion And Culture Exchange. Africa-Japan』では、カダラ・イエニヤシの作品を展示させてもらいました。彼の作品のモチーフになっているのは、ワックスプリントと呼ばれるアフリカの伝統プリント。即物的なイメージのプリントで、ある種、アフリカの人たちの欲望がむき出しになっているんです。彼はそれを逆手にとって、コカ・コーラやメルセデス・ベンツといった、現代の資本主義を代表するようなアイコンを入れている。ファッションスタイリングとしても新しい一方、時代批評になっているわけです。それが、若いアーティストの面白いところだと思います」
「カダラ・イエニヤシが伸びるだろうと感じるのは、彼の中に時代批評や物質文明に対するメッセージが入っているから。僕自身も、そこにとても共感を覚えます。また、彼らと接していると我々が思っている美しい、カッコいいという感覚はもうステレオタイプなのだろうなと感じるんです。クリエイティブを仕事にしている人間は、もっともっと自由な発想じゃないといけない。そう考えると近代・西欧的価値から脱却をしたところに新しい価値を感じるし、クリエイションの強さというのは、人間的な強さだったり、文化的な強さだったりするのかなと思います」
自身の肌で感じる今の時代、これからのクリエイションを見越し、実際にさまざまなプロジェクトを動かしている栗野さん。そのひとつが、アフリカでの活動です。
「2013年にケニアから始めたプロジェクトなのですが、最初はEFI (Ethical Fashion Initiative)という国連の組織との出合いがきっかけでした。モノをつくって地域に継続的な雇用をもたらし、貧困から脱出してもらう。そして、彼らが自身が起業家になっていくことがEFIのテーマ。"ノット チャリティ ジャスト ワーク"が彼らの指標でもあります。もともと、僕自身アフリカの美的なことにすごく興味がありました。それに加え、彼らと仕事することで現地の人がハッピーになれて、お客様も着たことがないものを着られ、販売スタッフもモノを売っている以上に幸せな気持ちになれる。それなら、ブランドを立ち上げようと動き始めました」
この日スマートに着こなしていた『TEGE』のジャケットも、アフリカの人々とのクリエイションの中で生まれたもの。そのブランド名には、栗野さんのこだわりと思いが込められています。
「"テゲ"は西アフリカの言葉でハンド(手)という意味。せっかく現地の人と一緒に仕事をするなら、その土地の言葉を入れたいと思っていたんです。ふと、"手は何て言うんですか?"と聞いたら、"テゲ"って答えが返ってきたんですよ。手織りで作っているものですし、漢字で"手"に"芸"とも書ける。もう"これだ! "と思いましたね(笑)」
プロジェクトで現地の人に継続的な雇用が生まれたことで、子どもを学校に行かせられるようになったり、銀行に口座が作れるようになったりと生活に変化が出てきていると言います。
「アフリカを助けるために、お土産を買ってください的なことはやりたくないんです。むしろ、そういったアイテムは世の中にあふれかえっているじゃないですか。それにチャリティで買ったものって、なかなか使わないんですよね。やっぱり服として着てもらって意味がある。だから、ずっと着たくなるもの、人からいいねと言われるようなものを提供したいという思いでやっています」
他にも、チャレンジドの人と非チャレンジドの人が、共通して同じ服を着られるようにデザインしたコートなど、たくさんのプロジェクトを通じ、新しいファッションの在り方を提示し続けている栗野さん。変な同情を込めるのではなく、仕事として取り組むことで大きな貢献と大きな愛を生んでいます。
「あくまで、我々が洋服を届けたことない方に届けるというビジネスなんです。まだ、スケール的には大きな仕組みにはなっていないのですが、ファッションカンパニーがこういう取り組みをすることで、世の中的に普通のことになっていく。アフリカのプロジェクトのもそうですが、相手に新しい環境や雇用を生み出すと同時に、僕らの技術も伸びるんですよ。社会貢献ってそういうことかな、と。お金が儲かったからやりましょう、ということではないと思うんです」
【クリエイティブディレクションのルール#8】
西欧的価値を脱却した先にある新しい才能、クリエイションの強さに目を向ける
そして、講義の最後は生徒たちの質問に、丁寧に答えてくださった栗野さん。その中で、現代のクリエイティブディレクターの形にも言及していきます。
「ファッション業界におけるクリエイティブディレクターは、絵が描けなくても、生地の知識がなくてもできる。アイデアがあって、いいチームを構築することができれば仕事はできます。それがいいというわけではなく、事実として。そんな業界にあって、グッチのアレッサンドロ・ミケーレが、なぜあれほど成功しているのか。それは、彼自身がカルチャーだからなんでしょうね。彼のつくる服はすごく発明的ではないけど、過去50年分くらいのファッションヒストリーの要素がある。きっとアレッサンドロ・ミケーレの中には"今、これが流行ってるから"という発想がない。人が思いもよらないようなところから、面白いネタを持ってきて形にするんです。いま一番ビビットな、いい仕事をしてるクリエイティブディレクターの1つの例じゃないかなと思います」
講義の最後は、これからの社会、そこで果たすべきクリエイションの役割について、自身の考えを伝えます。
「『デザインは、問題を解決するための適切な回答でなくてはならない』というチャールズ・イームズの言葉がありますが、僕もあらゆるクリエイションは生活者の問題解決のためにあると思いますし、それはファッションも同様。シンプルに言えば、寒いからダウンが欲しい、熱いから涼しくなる服がほしい、あるいはお見合いで相手の親から信頼を得られる服が着たい、女の子にモテたいというのも生活者の問題。その解決を提案していくのが、僕たちの仕事だと思ってます。残念ながら、20世紀後半のプロモーション戦略型の消費は"これを買わないと遅れます""買わないと恥ずかしいですよ"といった、ちょっと脅迫的なものでした。今はモノを借りたり、シェアしたりということが主流となり、いかに買わないで過ごすかに意識を向ける人が多い共感型社会。その中でお客さまとの関係性も、モノを買う・買わせるという不毛な関係では成立しないですよね。言ってしまえば、消費じゃなく、表現なんだと思います。日本は幸い、そういう思考がある国です。そこは、僕らが注目しているアフリカと共通しているなと感じる部分。ビジネス=メッセージであり、問題解決であり、改革であると僕は思っています」
【クリエイティブディレクションのルール#9】
クリエイションは生活者の問題解決のためにある
ファッションに付き物のトレンドという存在。栗野さんは、トレンドを追うのではなく、新たなマーケットをつくり出すことで、ユナイテッドアローズを牽引してきました。そしてそれは、時代の潮流を真摯に学び、受け入れていく栗野さんの誠実さがあったからこそだと思います。時代を映し出すファッションだからこそ、次の社会を創造することができる。そんなファッションの可能性を感じられた講義となりました。