昨年、大きな話題を呼んだ「リオ2016大会閉会式 東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」。2017年2月22日(水)、そのクリエイティブディレクターを務めた、Dentsu Lab Tokyoの菅野薫さんが六本木未来大学に登場しました。これまで菅野さんが手がけてきた多彩なプロジェクトを紐解きながら「チームでいいものを生みだす方法」を語った講義の様子をどうぞ。
株式会社電通に所属し、これまでテクノロジーの手法を取り入れた数々の斬新なプロジェクトを手がけてきた菅野さんの肩書きは「クリエーティブ・テクノロジスト」。「そもそも日本で横文字の職業名を名乗るのってちょっとうさんくさいですよね(笑)」と笑いながら、その肩書きの意味を教えてくれました。
「1960年代くらい、ロンドンやニューヨークで同時多発的に広告クリエイティブの革命が起こったんです。すごく簡単に説明すると『Art & Copy』という考え方で、それ以前の職種ごとに分業していた広告制作を、コピーライターとアートディレクターが一緒になってアイデアを考えて制作するという方法論です。この考え方はそれから50年以上経過した今でも世界的に広告制作の基本となっていますが、ここ4、5年ほどで、そこに『コード』という職能を加えるやり方が出てきました。『Art,Copy & Code』、テクノロジーの専門家が広告制作に加わる時代になってきたんです」
菅野さんの「クリエーティブ・テクノロジスト」という肩書きは、制作職の中でテクノロジーを専門にしていることを明確にしたもの。また、それとは別に「クリエーティブ・ディレクター」という肩書きも併せ持ち、テクノロジーの専門家であり、プロジェクトの制作に関する総責任者としての側面も持っています。
「六本木未来大学の講師の方々それぞれで定義が異なると思いますが、僕にとっての『クリエーティブ・ディレクター』は、プロジェクトの言い出しっぺ。『みんな集まって! こういうことやりますよ!』っていう、制作内容を決定付けるベースになる方向性を言い出す役ですね。そして、チームのみんなが膨らませたアイデア、職人が詳細まで研ぎ澄ませた仕事を、良い部分を損なわずに世の中に責任も持って送り出すアンカーとしての役割もあります。このアンカーとしての部分が大事で、どんなにすばらしいアイデアでも、世の中に出なければ、存在しなかったのと同じ。一緒に関わってもらうチームのためにも、僕は特にここを、執念をもってやりたいと思っています。ということで、今日の講義は終わりです(笑)。......というくらい、まず大事な結論からお話ししました」
【クリエイティブディレクションのルール#1】
プロジェクトを理想の状態で世の中に送り出すことに執着する
菅野さんの「クリエーティブ・テクノロジスト」としての仕事の方法論をチームで行うための組織として、2015年10月に誕生したのが「Dentsu Lab Tokyo」。いわば、テクノロジーを使った新しい表現を研究し、実際に開発するための組織です。代表を務める菅野さんのもと、コピーライター、アートディレクター、テクニカルディレクター、プランナー、コーダー、映像ディレクター、など、あらゆる職種のメンバーが集い、日々、新しい表現手法、投資が集まっている事業の技術、成長領域にある技術に関する学術論文などのサーベイを徹底して行ない、日々学習と実験を繰り返しているそう。特徴的なのは、組織の中にプロデューサーがいること。
「僕らの仕事は、決まったフォーマットの中で中身だけを企画するわけではないので、つくり方からアイデアを出さないといけない。『誰とどういうチームをつくるか、どうやってつくるのか』を考えることがすごく重要になるので、内部に優秀なプロデューサーが必要なんです。仕事のオリエンを受ける前から、常に考えてつくっているという状態にしたくて、このラボをつくりました。やっているのは、『つくりながら考える』ということ。一般的に、会社の世界でやってみたいことがあれば、まずパワーポイントやキーノートで企画書をつくって意思決定者の承認を得ないと始められないですよね。それを通過するのが絶対超えなくてはいけない壁になるので、"企画書映えする企画"ばかりになって、だんだん、何のためのいいアイデアかわからなくなってくる。たとえばポーカーに夢中になる感じを企画書で説明するのは超難しいですが、具体的にやってみてもらえれば体験的に説明できる。そういう『やってみないとわからない』ということを日々試してみているという感じですね。そして、その過程をクライアントと一緒に共有しているプロジェクトもあります。提案するのではなく、ともに働いているかのように試行錯誤のプロセスを共有しているんです」
【クリエイティブディレクションのルール#2】
クライアントだって巻き込んでチームを組む
「Dentsu Lab Tokyo」で生み出した実験的な作品のひとつとして紹介してくれたのが、「VIDEO LYRICS」という、ディープラーニングを使った作品。ディープラーニングとは、機械に大量の情報を学習させることで、人間が学習するように概念を認識させる機械学習の革新的な手法で、AIの分野で期待されている技術。たとえば、画像の解析の分野では、写真を読み込ませるとそこに写っている情景を機械が詳細に説明できるようになっているのだそうです。
「題して『昭和後期の民俗学的映像データ再活用をめぐって - 畳み込みニューラルネットワークによる情景分析とその応用-』。カラオケの映像に即した替え歌の歌詞を自動生成するシステムです。昨年、金沢で講演を行ったときに、夜の打ち上げはスナックでカラオケをやると聞いて、そのための新作をつくろうと。1980年代のカラオケって、画面に映る映像と歌詞がまったく合っていないので、映像に合わせた替え歌というアイデアです。」
そのほか、AIが「偏った教育だけを受けたらどうなるのか」を検証したりと、技術の本来の正しい使い方とはまったく異なる"間違った実験"を日々行っている、と菅野さん。
「ディープラーニングを使ってみんなで遊んだっていう、ただの我々の日々の紹介なんですけど。今日はこんな話ばっかりですが、大丈夫ですか?(笑) さっき、Dentsu Lab Tokyoでは学術論文のサーベイを行なったりしていると紹介したので、ものすごくまじめそうじゃないですか。でも基本的には、既存のテクノロジーの間違えた使い方というか、一切役に立たないかもしれないけど、表現が面白くなるっていうことを目指しています。最先端の技術を開発をするのではなく、既存の技術のこれまでになかった使い方を生み出すということに挑戦しています」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
技術の"間違った"使い方を考える
ここからは、菅野さんがこれまで手がけてきたプロジェクトを紐解いていきます。菅野さんは、電通で最初の10年間はマーケティング系の部署でクライアントのマーケティングに関するサポートや、データの分析システムの開発などを行なっていました。そこから現在のような仕事を手がけるようになったのは、今から5年ほど前のこと。まずはそのきっかけとなった本田技研工業株式会社(Honda)とのプロジェクトの話をどうぞ。
菅野さんが電通総研という部署で研究者として働いていた当時、Hondaの双方向通信型ナビゲーションシステム「インターナビ」の広告をつくるプロジェクトが進行していました。「インターナビ」とは、3G回線ネットワークに常時接続して搭載車の走行位置をリアルタイムで解析し、渋滞を回避するルートを提案するという最高峰のナビであり、社会全体としては渋滞そのものをなくしていくことを目指したシステムです。
「この商品を、ちゃんと理解してもらえるように説明するのが難しいんです。当然、15秒の枠じゃそのすばらしさを説明しきれない。そもそも広告クリエーターでちゃんと理解できる人もなかなかいない。そこで、まずシステムを理解できる人を連れてきてくださいということで、声をかけてもらったのが僕でした。最初にお会いしたとき、2時間くらいかけて延々と続くデータの列でシステムをご説明いただいたのですが、たしかにこれはコピーライターやアートディレクターは苦手だろうな、という。で、僕はどうしたかというと、そのデータそのものを使ったアプリをつくってお見せしたんです。」
できあがったのが、「インターナビ」搭載車から集められたデータを、光で地図のように俯瞰で描画するアプリ。ヘッドライトが白で、ブレーキランプが赤。車だけの夜景のようです。「もし日本にHondaの車しかなかったら、夜に上空から見た日本はどんな景色だろうか」と考えたのだそうです。
「インターナビのデータって美しいですね。CMで一生懸命説明するよりも、これを見せた方が伝わりますよって言いました。そうやってつくりながら話しているうちに、制作の担当として指名していただいて、僕の『クリエーティブ・ディレクター』としての初めての仕事が始まったんです。インターナビを発明したのは当時Hondaの役員待遇だった今井武さん、僕らのような広告クリエイティブの人間も含めて、チームとして理想の高いプロジェクトを一緒に成し遂げようという姿勢の方でした。僕が勝手に師匠だと思っている方です。今井さんは企画の参考事例として、過去にほかで行われた成功例を出されるのが好きではなかったんです。『世界一か世界初かしか興味がない。新しい発明をしないと親父さん(本田宗一郎)に怒られる』みたいなことをおっしゃっていました。そんな今井さんに『菅野さんがそういうならやりましょう』と言っていただくと、案が通ってうれしいというより、なぜか追い込まれる気持ちになりました(笑)。そうやって育ててもらったと思っています」
【クリエイティブディレクションのルール#4】
常に世界初なのか世界一なのかを問う
菅野さんが「インターナビ」に関わりはじめてから1ヶ月後の2011年3月11日に東日本大震災が発生。直後にHondaの今井さんたちは、「インターナビ」の走行データを解析して、震災後に通行の実績があった道路を発表するというプロジェクトを開始します。
「震災当日の混乱した状況の中、24時間以内に情報を発表したいし、なるべく多くの人に届けたい。でも、あらゆるデバイスで見られるようなウェブサイトをつくっている時間がない。そこで、今井さんたちは、解析後の地図データをオープンにして配布しました。そうしたら、インターネットでそれを知ったプログラマーがガラケーやスマホで見られるようにしてくれて、次々と広まっていったんです。自分たちがつくったものを提供するだけのワンウェイのコミュニケーションではなく、オープンに使える情報やきっかけを提供することで、多くの人と一緒にコミュニケーションをつくることができるということをと学ばせてくれたプロジェクトでした。このプロジェクトをより多くの人に知ってもらうために、データのビジュアライズするパートを担当させてもらったのが僕の最初のクリエイティブの仕事になりました」
このプロジェクト「CONNECTING LIFELINES」は世界でも高い評価を受け、『カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル』でチタニウムライオンなど多数の賞を受賞しました。
「そのときのカンヌの審査委員の言葉がすばらしくて、『これは、みんなが知っている広告とはまったく違うプロジェクトだ。広告をつくるということは、CM、ポスター、ウェブバナーをつくることだと決めてしまうとしたら、それは先入観にすぎない。本来の広告の役割は、そのブランドを理解し、そして信じるための理由をつくる行為すべてであり、このプロジェクトはHondaを好きになってインターナビを理解するために最大に機能している』と。この仕事をきっかけに、僕はクリエイティブの仕事をメインにするようになりました」
【クリエイティブディレクションのルール#5】
広告は、ブランドを理解し信じるための理由をつくること