前回に続き、2014年11月1日(土)、2日(日)に行われた「森の学校」の様子をお送りします。11月1日の天気予報は、残念ながら雨。ところが、一部の授業は屋外で行われることになり......。まさに自然を感じながらの授業となった青空教室、後半のレポートをどうぞ。
「私はこれまで地球科学について研究してきて、昨年の4月からは京都造形芸術大学で学長を務めています。いつも学生たちに伝えているのは『創作の前に自然がある』ということです」
この日最初の授業は、なんと傘をさした状態でスタート。天気予報によれば、本降りになるのは午後からということで、屋外での授業を決行することになりました。
「季語というテーマで話をしますと、実は縄文時代の日本には四季の概念がなく、夏と冬の二季と捉えていたようです。春夏秋冬で歌を分類したのは、古今和歌集が初めて。それが日本人にピタっときたようで、以降は四季の概念、季語の概念が日本人共通のものになりました。日本の大地は、世界の他の地域と比べて、実に多様で細かい。山を登るとわかりますが、ちょっと歩くとすぐに景色が変わるし、それぞれの土地に季語がある。それが日本の特徴なんです」
その後、雨脚が強まり、東京ミッドタウン内へと移動。「スマートフォンで雨雲の様子を見ると、予報とずいぶん違いますね。予報がころころ変わる、これも秋の雨のひとつの特徴です(笑)」と尾池さん。
「2万年ほど前、地球は最終氷期の中で、いろんな動植物が死に絶えました。ところが、日本は例外的に氷に覆われず、生物が保存された。たとえば、ヨーロッパでは絶滅していたイチョウが日本にあって、西洋人は驚いたそうです。日本には、四季の中で生きる貴重な生物を、大切なものとして守っていく義務があるんです。ジオパークやエコツーリズムを通して、そんな気持ちを持ってほしいと思います」
「しかし、ここのどこが"森"なの(笑)。でも、発想を変えれば、ここだって、何をしてもいい。1回注意されればいいんだよね(笑)。さて、今日のワークショップですけど、ふだん僕、『のようなもの』ばっかりやっているんですよ。絵のようなもの、絵本のようなもの。CDのようなものを出したりもしているけど、ただ歌いたい人としてやっているだけなんだ。ということで、みんな、今日は何をしたい?」
参加者への問いかけからスタートした、荒井さんの授業。「歌いたい」「工作をしたい」「探検」「触れ合いたい」「モニョモニョしたい」......。みなさんから出たさまざまな意見をもとに、アイデアを練っていきます。
「晴れていたら『葉っぱを手紙に見立てて印をつける』っていうのをやろうと思ってたんですよ。ただし、言葉は使わない。たとえば虫同士はどうやってコミュニケーションしているのか。葉っぱに小さなハート型の穴を空けたら、虫は『僕らと遊ぼうって書いてある』って思うかもしれない。そんなふうに、ここにある材料を使って、誰かが気づくかもしれないメッセージを伝えるようなものをつくろう」
そんな呼びかけで、用意されていたさまざまな材料を使って、荒井さんとともに"何か"をつくっていく参加者のみなさん。そしてできあがったのが、これ(写真)。授業後には、授業が行われたフロアの柱の影や目立たない角、そこかしこに「のようなもの」がこっそり置かれていました。
「説明する前に、みなさんに見てもらおうと思って、この四角い箱を用意しました。これは『カメラ・オブスキュラ』。ラテン語で、カメラは『部屋』、オブスキュラは『暗い』という意味です。これから2人ずつ中に入ってもらって、部屋の中に外の像が映し出される『ピンホール現象』を体験してもらおうと思います」
ホンマさんのあいさつのあと、まずは2人1組になって「カメラ・オブスキュラ」という装置に入ることに。箱の前面には5円玉が貼りつけてあり、その穴からの光以外は遮断されています。そして箱の中のスクリーンに外部の景色が映し出されるという仕組み。
カメラ・オブスキュラを体験したあとは、21_21 DESIGN SIGHT「活動のデザイン」展で展示中の、ホンマさんの作品の前で授業がスタート。
「今回の展示は、写真の原理の問題に立ち返るもの。先ほど体験してもらったように、暗い部屋の中に穴が空いていると外の像が反転して映るということは、紀元前から知られていました。その像を紙に定着させようとして、約200年前、感光材料が発明されたのが写真のはじまり。デジカメも原理は同じで、やはり中は『暗い部屋』になっている。5円玉の代わりがレンズです」
「同じ原理で、部屋を真っ暗にすると、窓からの景色が反対側の壁に上下逆さまに映ります。僕はそこに直接フィルムを貼って作品をつくりました。いわば、都市の中にはそこら中にカメラがあるということ。でも、この方法は長時間露光する必要があるから、途中で光の条件が変わったりして、仕上がりの予測がつきづらい。これまで30年くらいカメラをやっている、僕ですらそう。かっこいいフレーミングで撮るよりもこっちのほうが面白いし、カメラの像は必ず反転しているんだから、写真は本来これが正しいんです」
「♪キュッキュキューのモーリモリ モリモリキュキュキュ キがキュッキュー」
軽やかなアコーディオンの音色に合わせて、歌い踊りながら、雑踏の中から姿を現した名児耶さん。ひとしきり踊り終えると、参加者を前にこんなごあいさつ。
「みなさん、こんにちは! 私の名前は名児耶ゆり。ゆりちゃんだよ! そしてアコーディオン、まゆちゃんだよ! 今日は雨がザーザー降ってるけど、部屋の中でも森はつくれる、森をつくろう! これから、歌ったり踊ったり、音になったり、風になったりします。みなさん、一緒に遊んでいってください」
「私が幼稚園のときにやっていた、大好きな遊びがあります。『♪アブラハムには7人の子』っていう歌なんだけど、知ってる? 私が歌の中で体の一部分を言っていくので、そこをどんどん動かしていきましょう」
参加者のみなさん、そして集まってきた子どもたちと一緒に、童謡「アブラハムの子」に合わせて体を動かしたり、民謡「麦畑」を歌って踊ったり、授業は進んでいきます。そしてついには、踊りながら外へと向かうことに。
「次はみんなで縄跳びをしよう。でもこれは、みんなの知ってる縄跳びじゃないんだぜ。なんと、縄がない縄跳びです! 一番大切なことは、縄を見なきゃいけないこと。できるかな?」
少しずつ日が暮れてきた外は、まだ雨。子どもたちのお父さん、お母さんも巻き込んで、想像上の縄を回してみんなで飛んでいきます。だんだん息も合ってきて、子どもたちも「あ、縄が見えてきた!」と興奮。最後は、全員で「麦畑」を踊って、授業は終了しました。
「みなさん、たくさん参加してくれて、本当にありがとうございました。楽しかったね!」
前日とはうってかわって、11月2日は快晴。爽やかな秋風が吹く中、スピンアウト授業として、あいさつランデブー先生の授業「みんなで踊ろう!あいさつランデブー」も行われました。そして森の学校、最後の授業は"校長"の椿昇さんと長嶋りかこさんが担当。締めくくりには、おふたりからのメッセージもどうぞ。
「お寺では、3時半に起きます(笑)。お経を読んで、そのあとは禅問答。『タンスの中から富士山を出せ』なんて問題もあるんですよ。で、5時半くらいにおかゆを食べて、そのあと掃除。7時半からは托鉢して、お昼ご飯を食べたら肉体労働。夕方4時半に夕飯を食べたら、そのあと何も食べないんです」
1限目の先生、古川さんは、禅寺「恵林寺」の住職。お寺で物質的に限定された生活を送っていると、ご飯がものすごくおいしく感じられたり、天気を予測できたり、五感がシャープになるというエピソードから、話題は「捨てる」ということへ。
「禅では、捨てることを『放下』といいます。捨てるものには、それにふさわしい捨て方があります。時計を捨てたって、時計の値段分がなくなるだけど、もし家族を捨てたら恨まれることもある。そうでしょう? よくいわれる『断捨離』は、ポイッと捨てて見えなくすること。でも『放下』は、念を残さない、執着しないということ。本当に捨てるっていうのは、自分で思いを切り離す、心の問題なんです」
続いて、事前に参加者から募った質問に、一つひとつ答えていく古川さん。たとえば「生きることの意味とは?」という質問には、次のように答えました。
「考えてみてください。みなさんが生まれたのは、お父さんとお母さんの縁があったから。人生って、生まれるずっと前から、縁でつながっているんです。少なくとも今、自分がここにいるのは、誰かのおかげでしょう? 誰かにしてもらったことは、誰かに返す。でも、それを直接返すことはできないから、次の世代に返していく。それが生きることの意味、そんなふうにして人間は暮らしているんです」
「動物の亡きがらと一緒に空気を吸っている人間がその思いを伝えて、(みなさんの)意識にちょっと小さな小石を投げられれば。それが今日、僕にできる唯一のこと」と語りはじめた遠藤さんは、東京大学総合研究博物館に勤める解剖学者。解剖学のこと、教育のこと、勤務している博物館のこと。さまざまな話のあとで、取り出したのは巨大な骨。
「これ、何の骨かわかるかな? ゾウじゃない、カバじゃない。そう、キリンの骨。首? すね? 違うんだよね。これ、手の平なんですよ。キリンって、本当に長いのは首じゃない、手の平だ。この骨の先っぽの曲面、ここをさわるのがたまらない。命を感じるって、私にとってはそういうことなんですよ。最高なのは、その意味を感じられたとき。今、それを理解してさわっているのはおれだけだぞって」
「合理的にやれとか無駄なくやれとか、余計なお世話だと思っています。命の現場に、ルールとかカネを持ち込んじゃいけない。ある大手ハンバーガーチェーンは『牧場からお客様に届くまで、厳しい品質管理を守り続けています』といいます。そこには、牧場→配送→ストア→テーブルと書かれている。牛を一頭も殺さずにハンバーガーをつくっているんでしょうか? 市場原理、合理主義に走っている経済活動が、命を考える機会を与えてくれることは絶対にありません。普通の人よりも死との距離が近い僕は、そんな現代社会の命に対するかなり大きな歪みを感じながら、日々を過ごしています」
芝生にレジャーシートを敷いて、みんなでわいわいおしゃべり......。ほのぼのとしたこの光景は、大宮エリーさんの授業の様子。参加者を小学生から高校生と保護者に限定して、「サンドイッチの具を持ち寄る」というルールで行われました。まずは持ってきた具を発表しながら、みんなで順番に自己紹介。そのつど、「なんで?」「どうして?」と、大宮さんは質問を投げかけます。
「こうやって『なんで』って聞いていくとさ、エピソードが出てくるんです。初対面同士だと、ちゃんとしたことを話さなきゃって思うからなかなか話せないけど、ちょっとしたことでも質問してみると、意外な話が聞ける。『イチゴジャムのつぶつぶが好き』とかさ。それで、相手のことも覚えるじゃない?」
サンドイッチの具の紹介、最後は先生の番。脇に置いた紙袋から出てきたのは、カニ缶とマヨネーズ。
「ちょっと混ぜてくる時間がなかったから、タッパーに入れてそのままもってきちゃったけど。理由は、私はすごくカニが好きなんですね。仕事が忙しかったりすると、ご飯にカニをのせて卵をかけて食べるくらい。あとはみなさんと一緒で、ちょっとカニ缶が余ってたからなんだけど(笑)」
その後は、お互いに具を交換、みんなでおしゃべりしながらサンドイッチを食べることに。「あ、これおいしい!」「よかったら私のもどうぞ」と、ピクニックそのもの。「初対面同士でピクニックするっていうのもなかなかないよね」と大宮さん。
「今日は、授業っぽくしたくなかったからこの形にしてみました。前に大学で教えていたとき、学生に興味のある本を選んでもらって、理由を聞いてみると、その人の隠れた想いが出てきたりしたんです。だから、『なんで?』『なんで?』って聞くことで、みんなとの距離が近くなるかなって。また、みんなで会えたらと思います。ありがとうございました!」
「今日は、みなさんに埋めてもらうためのドングリを持ってきました。この森はきれいに掃除されていてあまり落ち葉がないけど、それはきっと文句を言う人がいるからですね。『子どもが落ち葉で滑って頭を打ったら補償してくれるんですか』って。ドングリは、そんなバカな社会へのささやかな抵抗です(笑)」(椿)
「ドングリ・テロですね(笑)。私の田舎では、お月見のお団子を子どもが盗んでいいっていう習慣があったんです。昔はもうちょっとゆるやかだった。でも今、こういう場所で木になった実を食べると、きっと怒られる。今日はキッチリ整理されていない、混沌としたものを生み出してほしいです」(長嶋)
参加者に配られたのは、目の部分が塞がれたキツネのお面。一つひとつに装飾が施されたこのお面、椿さんが教鞭を執る京都造形大学の学生が手づくりしたものだそう。
「まず、このお面を被ってください。ハロウィンじゃないですよ(笑)。目隠しをされた状態で、レモンバームと白樺の匂いを嗅いでもらいます」(椿)
「そして、その匂いを絵に描いてみてください。具体的なものじゃなくて、イメージをそのまま絵にしたほうがいいですね」(長嶋)
「このあとは、お面を被ったまま、森の中を手探りで歩いてもらおうと思っています。肉球のついた手袋やシッポも用意していますから、"不思議な森の動物"になってください。また『森の洋服屋さん』にも来てもらっています。端切れがいっぱいありますから、オリジナルのアイテムもオーダーできますよ」(椿)
絵を描き終えると、今度は仮装大会。足踏みミシンで襟巻きをつくってもらったり、お互いにシッポを付けあったりと、みなさんオシャレに余念がありません。その中には、1限の先生・古川さんの姿も!
最後は、椿さんも長嶋さんもお面を被って仮装に参加。そのままの格好で、前の人の肩につかまって一列になって進み、ミッドタウン・ガーデンをぐるりと一周。「(肩につかまってると)前の人の骨格がわかるようになってきた」「地面が柔らかいから、ここは芝生?」「あ、今、トンネルに入ったぞ!」と、みなさん、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされてきたよう。これで、すべての授業が終了しました。
終了後、椿さんと長嶋さんに「森の学校」の感想をうかがいました。全4回にわたってお送りしたプロジェクトレポートは、おふたりの言葉で締めくくりたいと思います。
「私自身もいくつかの授業を受けたんですが、先生たちのパワーがすごかったなって。名児耶さんの授業のときなんて、彼女が歌う姿と、それにどんどん引き寄せられる子どもたちを見て、泣きそうになっちゃいました。森の学校、今回だけじゃもったいない!」(長嶋)
「やってみて、意外と大人のほうがこういう授業を求めているのかなって思いました。今は、本当の豊かさが知らぬ間に失われています。そこに気づきを与えるのが、アーティストやデザイナーの役割。森の中に賢者が現れたり、妖精が踊っていたり、本当にファンタジーみたいなプロジェクトでしたね」(椿)