今の時代、野太い命との出会いが必要。
数え切れないほどの名曲を世に送り出してきた日本屈指の音楽家・小林武史さん。近年、小林さんは音楽を軸としながらも、アート、デザイン、食、農業など多様な領域を横断し、新しい出会いや価値観を提供してきました。六本木もまた、多様な文化を内包した街。小林さんの視点で見る都市の可能性とは何か? それは現代の社会の合理性からこぼれ落ちる自然、営み、生命観につながっていきました。
自然といえば、根源的には人間もまた自然の一部ですよね。最近よく思うのは、僕たちは人間であると同時に、地球上のあらゆる自然の営みの一部なんだということ。人間と動物、人間と自然と切り分けるのではなく、全体の営みから考えていくと、何かこれから必要なことがいろいろと見えてくるような気がするんです。その営み自体をおもしろがるというか。
とはいえ、じゃあ突然「自然を味わってみなさい」と言われても難しいでしょう。そもそもみんな日々の「現実」に必死でそれどころではない。そういうなかで営みのおもしろさに気づいたり考えたりするには、何かしら装置のようなもの、トリックや企みが必要だと思うんです。
その装置のひとつとして、アートは有効な手立てだと僕は信じていて、昨年、「Reborn-Art Festival 2017」という芸術祭を宮城・石巻、松島湾エリアを中心として51日間開催しました。構想したのは東日本大震災後、2、3年経った頃のことで、『大地の芸術祭』や『瀬戸内国際芸術祭』から、ヒントを得ながら具現化していきました。
Reborn-Art Festival 2017
僕自身がこの芸術祭で一番大切にしたかったのは、東北の生きる力。まさにアートの語源はラテン語のArs。「人が生きる術」を指します。一度は多くを失ってしまったけれど、誰かが本気でこの地と向き合わなければならない。それも東京をはじめとした外部の大きな力によって東北を蘇らせるのではなく、内側にもともと備わっていた生きる力を引き出し、蘇らせたかったんです。そして一度きりのイベントとか単発的なことではなく、もう一段踏み込んだ先の"環境をつくる"ということ。その覚悟を持って、「10年続けていこう」という思いで「Reborn-Art Festival」は考えているんです。
震災から7年が経ちましたけれど、7年経った今だからこそ出てくるネガティヴなことも、現地にはあります。仮設住宅が取り壊されることで、人のつながりが断たれて心の拠り所を失う方も多いですし、こんなはずではなかったという焦りや不安を抱えている方もいる。そういった現実を目の当たりにすると、アートのマインドで物事を考える前に、医療の必要性にも迫られます。
それでもアートができる役割、可能性を感じながら、この場で生きている、生きていくという生命感、実感をもたらしていきたい。そんな想いで「Reborn-Art Festival」で行ったプロジェクトのひとつに、フランス人のアーティストJRとの「INSIDE OUT」があります。
「INSIDE OUT」プロジェクトはJRが2011年から始めたアートプロジェクトです。大都市から紛争地帯までさまざまな場所で、そこに住む人々の顔写真を大きく出力して張り、ひとりひとりの語られない物語を街に映し出す試みですが、今回「Reborn-Art Festival」では、写真撮影室付きのトラックで牡鹿半島や市街地を巡りながら、そこに住んでいる人の顔を集め、街中にペイスティングしていきました。
JR
ここで私は生きている。「INSIDE OUT」はこれ以上ない等身大の声を発していると僕は捉えました。その声は、現代の社会の合理性からこぼれ落ちたり、疎外されたりするものかもしれません。でも本質的にアートとはそういうもので、人はそういうものにこそ共鳴できるし共振できる。そういう未来の方がおもしろいと僕は思います。実際、「INSIDE OUT」は周囲の環境と共鳴しながら、ひとつの生命観を発していました。その生命観こそ、野太い命。先ほどから話していた"自然"だと思うんです。
このJRの「INSIDE OUT」プロジェクトを、六本木で行ったらどうなるでしょう。例えば「六本木アートナイト」の参加者のポートレートを撮影し、六本木の街にペイスティングするアートプロジェクトを「Reborn-Art Festival」とのコラボレーションで試みてみる。東京を代表する都市に感じたことのない生命感が生まれて、何か都市の見方が変わる体験になったり、気づきにつながったりしていく。そんな媒介になればいいと思っています。
つながりといえば、今年7月、静岡の掛川で6年ぶりに「ap bank fes」をやります。「Reborn-Art Festival」をきっかけにずっと東北に通っていたでしょう。そこで培ったつながりをどう生かしていけるのか。それをずっと考え続けていたなかで、原点回帰として「ap bank fes」をやろうと決めました。地理的に静岡は日本のちょうどまん中でもあるから、ここから新しいつながりを生み出せたらという願いも込めて。
六本木アートナイト
ap bank fes
音楽でも芸術祭でも、安直に感動を求めて何かをつくることは非常に難しいです。言い換えるとそれは人間の自意識の扱い方でもあって、理想とするのは、自意識からどれだけ解き放たれて、"自然"という名の"必然"に向かっていけるかです。それは美しい建築が自然を模倣するかのごとく。何か楽しいときは、無意識に鼻歌を歌ったりするでしょう。あの感覚です。
誰かと何かが、誰かと誰かが、きちんと出会えるように。そしてそこで何かを生み出せるように。僕自身はこれからも触媒となっていきたいです。もちろんそれは「音楽人」として。作曲家のことをコンポーザー(composer)と言いますが、そもそもコンポーズとは、集められた素材を構成することですから。並べ替えたり、置き換えたり、つなげたり。ずっと音楽でやってきたことを、他のフィールドでもやっていく。そうやって越境していくことで見えるものがあるし、まさにそれが多様性でもあって、これからの時代、必要なことだと信じています。
(撮影場所:ビルボードライブ東京)
取材を終えて......
「アートの語源はラテン語のArs。"人が生きる術"を指します」と、小林さんはおっしゃっていましたが、まさにアートとは美術館のガラス越しに観るものだけではなく、本質的にはひとりひとりの内側に備わっているもの。その内側に揺さぶりをかけるきっかけを、小林さんはさまざまな活動を通して生み出しているのだと、取材をしながら実感しました。 (text_nanae mizushima)