アジアには、おもしろいことができそうな予感が常にある。
ひと目見てそれとわかる独特の世界観で、写真のみならず映像やアート作品も数多く手がけている蜷川実花さん。メインプログラム・アーティストとして参加した『六本木アートナイト 2017』のキーワードのひとつが「東南アジア」でしたが、偶然にも最近はアジアでの活動が増えているといいます。2017年11月には上海で大規模な個展が控えている蜷川さんに、アジアにおける六本木の未来についてお聞きしました。
最近、アート業界ではない方とお話していたら、「蜷川さんって写真も撮られるんですか?」とか「ベースは写真なんですね」と言われることが立て続けにあったんです。たしかに映画も撮っているし、写真以外の活動も増えてはきているけど、自分の肩書きが写真家であることは絶対だと思っていたので、人によってそうは見えていないっていうのが新鮮で。
よくよく考えたら、『六本木アートナイト 2017』の作品も、写真を使ったのは飾りでつけた風車くらいで、写真がメインではない。作品のなかで写真を撮ることで、私の世界観を体感してもらえるようなインスタレーションなので、結果的にその指摘がよく現れた展示になったなあと思っています。
六本木アートナイト 2017
今は、写真を撮ることも撮られることもカジュアルになっていて、発表するという行為が良くも悪くも軽やかじゃないですか。AyaBambi(アヤバンビ)ちゃんみたいにSNSをきっかけにあっという間にスターになって、マドンナのライブで踊っちゃうようなことも現実に起きていて、境界線がどんどん曖昧になっていると思います。可能性が無限に広がっていることに興味があって、最近はそういったことを写真や映像作品のテーマにしたいと思っているのだけど、六本木アートナイトの作品も言ってみればその一環。たった2日間だけ夢のような空間として現れる不思議な感じもいいなと思っています。
六本木アートナイトで作品を制作してみて、実際に触れられるものを作ることの労力は、いつになっても変わらないことを痛感しました。これほどデジタル化が進んでいろんなことができるような時代に、限られた予算内で何をどう作るかっていうことに囚われまくったので。物体を作るのってお金も時間も労力もかかるし、どうにも削れないところがいまだにあるんですよね。しかも私は何度も言うけど写真家だから(笑)、そもそも立体物を作るノウハウがないんです。彫刻家や造形家と違ってゼロからのスタートで経験値がないぶん、どんな作品ができあがるのか自分自身が一番ハラハラしました。
今年の六本木アートナイトは「東南アジア」がテーマのひとつになっていますが、個人的にも最近はアジアの活動を重視しているので、とても入りやすかったです。今のところ中華圏での活動がメインだけど、"日本の蜷川実花"が"アジアの蜷川実花"になったらおもしろいんじゃないかなと思ったのが、10年くらい前。最初に台湾に種を撒いて、去年ようやく台北で個展を開催したのですが、連日2、3時間の行列ができるくらいちょっとした社会現象になって、2カ月弱の会期中に13万人も来場してくれたんです。
台北『蜷川実花展』
その展覧会はたとえばチームラボみたいに、見る側もインタラクティブに何かできるわけではなく、言ってみれば一方的に展示しているものだったけど、私の写真を写真に撮ってSNSで発信したり、私の写真と一緒に写真を撮ったりして、それぞれに楽しみ方を見つけてくれていたようでした。
映画を撮っていることも大きいと思うけど、私はほかのアーティストよりも、圧倒的に大衆と向き合っているというか、そういう市場にいることが多いと自覚しています。アートに興味のある人って、知的好奇心の旺盛な方が多いじゃないですか。だけど映画の場合、たとえば『ドラえもん』と『スパイダーマン』と私の映画が同列に存在するから、アートよりもいろんな人に投げかけることができるんです。そういう経験もあって不特定多数の人を相手にすることは得意だと思っているし、本来やりたいことにもすごく近い。
いろんな人が気軽に手に取ることができて、おもしろいと思ってもらえるような門の広さがありつつ、実際に入ってみると意外と奥が深くて、思ってもいないような出口にいてくれたらいいなっていうのは常日頃思っています。
そういう意味で六本木アートナイトは、作品を発表するステージとして申し分ない。場所もいいからアートにそこまで興味のない方もいらっしゃるだろうし、たまたま通りかかった人が「これおもしろいね」と反応して、それが何かのきっかけになれば嬉しいですね。誰かの初めてになれるっていうのが好きなんですよね。
台北の個展がきっかけになって、今年の11月には上海で個展が控えていて、これまでで最大の規模になる予定です。この個展を実現させてくれたのが、上海の20代後半の女の子、といってもCEOなんですけどね。「絶対に裏切らないよね」「うん、裏切らない」みたいな女の子特有のやり取りで、ビジネスマンなんだけどマインドがギャル(笑)。
日本では考えられないけど、中国では若い子たちに決定権があって、バンバン仕事を決めてくるんです。上海に巨大なショッピングモールができたときも、「メインビジュアルを実花に撮ってもらおうと思って」とさらりと言われて、「はい、撮ります」みたいな(笑)。日本だったら決定するまでにものすごく時間がかかりそうなことでも、彼女たちがOKと言ったら実現してしまうので、おもしろいことができそうな予感が常にあります。
上海『蜷川実花展』
アジアの人たちって、おもしろかったらシンプルに喜んでくれるところがいいんですよね。日本の場合、事前の打ち合わせが多すぎたり、丁寧すぎてなかなか進まなかったりして、一見合理的なようでいて、そうじゃないところがあるから。その点、アジアでは打ち合わせが打ち合わせとして機能していないようなことも多々あるけど、おもしろくなるのであれば予定していた内容から変更してもいいし、むしろそれが喜ばれちゃったりもする。
やっぱりエネルギーの量が、日本とは明らかに違うんですよね。日本のクリエイションは繊細だし、優れている面はまだまだたくさんあるけれども、いいものだけを作っていればいいっていうのとは別の、エネルギー量というベクトルも必要なわけで。熱狂的に物事を進めるような勢いは、アジアからどんどん学ぶべきだと思います。アジアと東京を行き来していると、東京はそのエネルギーが残念ながらちょっと少ないと感じてしまう。「おもしろいことやっちゃおうぜ!」「おー!」みたいな向こう見ずなノリが、もっとあったらいいのになあ。
アートの受け手、つまり見る側に関していうと、アジアの人の反応はとてもピュア。わかりやすくて明るい感じとか、インタラクティブなものがすごく好きですよね。私の展覧会でも「わあ、すごいー!」って素直に反応してくれるから、作り手としても嬉しいです。アートに触れてウキウキしたり、誰かに話したくなるような感じは、アートが持つ大きな力の側面なんだろうなあって、彼らを見ていると考えさせられます。
日本人の楽しみ方は、もう少し斜に構えているというか、作品に対して距離がある気がします。たとえば教科書なんかで見覚えのある名画って、「ふむふむ、いい絵ですね」みたいに真面目に見なければいけないと思っているふしがあるじゃないですか。だけどフラットに見たら、このモデルのことを絶対に好きだったでしょ!? って言いたくなるような絵とか、それこそ海洋堂のフィギュアじゃないけど、このラインがたまらないって思いながら描いたでしょ? ってツッコミを入れたくなるようなものが、実はたくさんあったりする。
エモーショナルな部分ってどうしてもはみ出ちゃうものだし、自分がものを作っているからよくわかるけど、これはたまらん! と思って作っているところこそ、人間味があっておもしろいんですよね。日本人は生真面目だから、そういう楽しみ方をしてはいけないって思いがちだけど、アートはもっとワーキャー言いながら、自由に楽しんでもいいと思うんです。