一人ひとりが居場所を持てる“カスタマイズできる街”へ。
千葉工業大学はじめ国内外の多くの大学で教鞭を執るかたわら、建築設計や執筆を手がける今村創平さん。2016年1月から、六本木ヒルズ展望台のスカイギャラリーで開催される「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」にも関わっています。「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2015」で行われた「森の学校 by 六本木未来会議」でも「環境」をテーマに授業を行った今村さんが見た、六本木とは? 森の学校のスピンオフともいえるインタビューをどうぞ。
大学2年生くらいのとき、今でも21_21 DESIGN SIGHTの裏にある坂倉建築研究所でアルバイトをしていたんです。当時の六本木といえば、アクシスや、今年30周年を迎えた「ギャラリー間」もできたばかり、伊東豊雄さんがつくって1年で取り壊されてしまったバー「ノマド」なんかもあって、まさに新しいものが出現する街という感じでした。
中でも、当時は朝までやっていた「青山ブックセンター(ABC)」には、よく行っていましたね。当時、ABCの横にA1のコピーができる店があって、大きな図面をコピーしに行っては、出来上がりを待っている間に立ち読みをして。今でもそうですが、建築からアート、人文まで置いてあるし、オシャレで尖っている本屋でした。それから六本木の思い出といえば、ディスコ。ディスコというとバブル時代の派手なものをイメージするかもしれませんが、入場料2,000〜3,000円でずっと過ごせるから、むしろ飲みに行くより安い。80年代は、ちょうど今の学生が2次会でカラオケに行くくらいのノリだったんです。
そのあと、この街とはあまり縁はありませんでしたが、六本木ヒルズができたくらいから、また来る機会も増えて。さらに国立新美術館ができて、東京ミッドタウンができて、だんだん街として「面的」になってきた気がしています。
青山ブックセンター六本木店
そんな、僕が建築を志した学生時代に登場した"ヒーロー"が、ノーマン・フォスターでした。その後、ロンドンに留学したときには、わざわざイギリスの各地に作品を見に行ったくらい。当時はまだロンドンに作品がひとつもなかった彼が世界的な建築家になって、その建築展に関われるというのは、すごくうれしいことです。
フォスターは建築家として活動をはじめた初期の頃、「宇宙船地球号」を提唱した思想家のバックミンスター・フラーとコラボレーションをしていました。巨大な設計事務所は世界にたくさんありますが、そうした経験から得たフィロソフィが今でもすべての作品に通底しているのが面白いところ。しかも、今の「環境の時代」にフィットしている。今回の展覧会では、フォスター+パートナーズ設立前の時期に建てられた作品の模型を新しく2つつくりましょう、ということで制作協力しています。
フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション(主催:森美術館)
好きな街を聞かれると、いつも僕は「東京」と答えます。渋谷があって、銀座があって、秋葉原があってと、なによりいろんなキャラクターの街があるのが東京の面白さ。ロンドンを見てもニューヨーク見ても、現代の都市は変わり続けなければ生き残っていけません。どこにもあるような街じゃなくて「六本木らしさ」はすごく大事だし、六本木ならではの変化をすることで、いい方向に向かっていくと思います。
「環境」という観点から見ると......けっしていいとはいえないでしょう。そもそも環境にとっての圧倒的な「悪」は、電気を使うこと、だから六本木のような夜の街は完全にアウト(笑)。もうひとつの「悪」は商業。商業はどれだけ人の消費意欲をかきたてられるかが勝負ですから、地味だと商売になりません。かつては開発というとビルを建てるだけとか人が住むだけでしたが、今は世界中どこでも、商業とセットじゃない街は考えられませんから。
つまり、エネルギーと商業という、矛盾するものとの折り合いをうまくつけていかないといけない。どちらかというとエネルギーを使わない方向に向かって、自然に回帰したり、食に回帰したりというのは、現代の都市の大きな傾向です。たとえば、このあいだ僕も出させてもらった「森の学校」のように、みんながくつろげる場所と商業が混ざるとか。田舎は別として、六本木のような都会的なところには、そういう場所はなかなかない。とんがった都市文化がありながらも、自然と近くて、食も充実していて、居心地がいい。もしそれが実現できたら、新しい都市の形が見えてくるかもしれません。
たとえばニューヨークのタイムズ・スクエアは、2年くらい前、一部を歩行者天国化しました。日本でいえば渋谷の駅前のような一番ギラギラしたところの交通を止めて、みんなでヨガをやったりしている。そういうハイブリッド感は、そもそも場所がない渋谷や新宿では、たぶん厳しいでしょう。でも、六本木にはアークヒルズからはじまって、だんだんと街にオープンスペースが増えて、そうした心地よさというバリューによって、結果として街の価値を上げていこうという雰囲気があります。
ここ10年ほど、「アイ・ラブ・ニューヨーク」に代表される「シビックプライド」が語られるようになりましたが、商業だけの街は、いくらしょっちゅう行っていても「アイラブ」にはなりにくい。なぜかというと、受け身でしか街に参加できないから。一人ひとりが自由に活動できる街というのはハードルが高いけれど、少なくとも思い思いの時間を過ごせると、そこが居場所になります。東京が世界の大都市に負けているなと感じるのは、その居場所感。ヨーロッパに行くとカフェや広場があったり、あるいは公園が近かったり、ぶらぶらといられる場所があります。
数えてみたらこの10月、僕は六本木に7回も来ていました。展覧会の打ち合わせだったりオープニングだったり、すべて違う用事ですが、手帳を見ると毎回終わった瞬間に帰っている(笑)。時間がないというのもあるけれど、やっぱり居場所がない。いくらリッチなプログラムがあったとしても、選ぶだけ、与えられるだけだと自分の居場所にはなりません。反対にカスタマイズできると、そこは自分の街になるんです。
東京がカスタマイズできる街になったきっかけは、1970年代に『ぴあ』や『シティロード』といった情報誌が創刊されたこと。本当の意味では、1988年に『hanako』が創刊されたあたりでしょうか。情報を得られるようになって、いくつもの選択肢の中から、自分でもう1回マップをつくることができるようになった。都市のほうも成熟して、そうしたhanako的なバリューを受け入れるようになってきたんだと思います。
ただ、六本木の場合、大きな商業施設をポンポンと建ててしまったので、ちょっと敷居が高い。たとえば表参道は、ものすごいハイブランドストリートになったけれど、裏原があって、若者にとってはカスタマイズできる余地がありますよね。ある程度コアがあるのはいいけど、もう少し「余地」があったほうが、みんなの「マイタウン」になれるのかな、と。
そのときネックになるのは、六本木通りです。原宿だとぶらぶら歩く楽しみがあるけれど、六本木は分断されていて、回りたいという感覚がなくなってしまう。だからタイムズ・スクエアのように、土日だけ六本木通りや外苑東通りを歩行者天国にできないですかね(笑)。最近では「六本木アートナイト」とかハロウィンでも一部車道でパレードをしているじゃないですか。
六本木のハロウィンパレード
そもそも都市をカスタマイズするのって、リテラシーがいるんですよ。とくに大都市の場合、服ひとつをとっても食をとっても、選択肢があまりにもたくさんあって的確に選ぶのはなかなか難しい。建築とか都市に関わる僕らからすると、そういうリテラシーの高い人が増えてほしいと思っています。デベロッパーとか、資本家とか、メディアに左右されるんじゃなくて、一人ひとりが街を使いこなすこと。相乗効果も生まれるし、現代の都市は、うまく使えば使うほど面白くなりますから。
フィジカルに体を動かして歩いて、場合によっては身銭を切ってお店に入る。「この店は失敗だった」なんて言って、だんだん経験値を上げていくしかない。そのときに、使い方のうまい人たちの情報があるといい。昔だと上司が新人に焼き鳥屋での飲み方教えたり、親子でなじみのうなぎ屋に行ったり。でも、今の若者はあんまり街で遊ばないから......。そういう都市の使い方を継いでいく仕組みがあったらいいかもしれませんね。
僕が感じる「いい店」は、その店に何回も来ていて、その店を楽しんでいるお客さんが多いこと。街もきっと同じだと思うんです。ヨーロッパの街をなんとなくいいなと思うのは、その街をカスタマイズしているおじさんとかおばさんが、たくさんいること。どこを見てもおのぼりさんしかいないみたいな街は、なんか疲れちゃうでしょう?
「六本木アートナイト」なんて、まさにみんなが気づかない都市の使い方をしているわけですし、ハロウィンだって、カルチャーを使ってうまく街をカスタマイズしている。ハロウィンがあれだけ人気を集めるのは、やっぱり参加できるから。自分たちがたんに消費者ではなくて、そこの空間の「当事者」になっているのが、すごく楽しいんだと思うんです。
「森の学校」の授業で、「六本木という街は、ものすごく人工的だけど自然」という話をしました。生物学者の福岡伸一さんが『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の中で書いていた、生物の定義は、細胞が変化し続けていること。つまり、人工物と生物を分けるのは、変化しているかどうか。そう考えると、建物自体は変わらない人工物だけれど、都市に広げてみると変わり続けていますよね。僕が東京が好きな理由のひとつもそれで、高度経済成長期みたいな大きな変化はなくても、変わり続けるからこそいきいきしている。生物的なふるまいをする都市には、やっぱり可能性があると思うんです。
森の学校
生物と無生物のあいだ(講談社現代新書)
ここからは、ちょっとSFチックな話になりますが、スマホもアプリが増えて変化し続けているという意味では、あれは生物なのではという意見があるでしょう。そもそも人間って、皮膚だけだと寒いから洋服を着たり、目が見えないから眼鏡やコンタクトをしたり、いろいろな器官の働きを発明した道具で代用してきました。
「眼鏡は顔の一部」じゃないですが、もはやどこまでが自分自身なのか。誰もが考えるシンプルな答えは「心」、つまり脳が最後のとりでだろう、というもの。脳というのは言い換えれば「情報」、でも今の時代は情報ですら、どんどんスマホに移っています。僕の覚えてないことを覚えてくれているし、個人情報から趣味まで、すべてがスマホ経由でクラウド上にあるわけですから。
都市に話を戻しましょう。六本木にはまだ少ないですが、渋谷や新宿に行くと、広告が流れるビジョンがたくさんありますよね。広告っていうのは、情報を発信する側が宣伝したいことを出していると思うでしょう? でも今は、それがだんだん反転しはじめていて、見る側の「欲望」に変わっています。つまり渋谷には、渋谷に行くような女子が見たいと思う広告が出ている。そして、次に何が起こるかというと、マジョリティが今一番見たいと思う広告を映すようになると思うんです。すでにPCとかスマホでは、自分の検索したもの、ほしいものの広告が表示されていますよね。
そこにいる人たちの頭の中が、都市の風景をつくる。これ、建築家にとってはけっこう困ったことなんです。なぜかというと、仕事がなくなってしまうから。建築家の仕事は建物のデザインをすることですが、外側が全部スクリーンになったら、建築家の個人的なデザインなんてものは、街なかにあってほしくないということになるでしょう。簡単にいえば、24時間プロジェクションマッピングが流れっぱなし、みたいな都市。疲れますよね。でも、みんな疲れているのがわかったら、緑の癒し系の映像が流れるかもしれませんよ(笑)。
今から100年くらい前、ちょっとインテリでお金はある、でもすることがない、「高等遊民」が街にあふれました。夏目漱石の『それから』なんかにも出てくる彼らの受け皿が都市で、その居場所としてカフェが大量にできたわけです。都市というのは、ひとりでいることもまた許容します。全員が同じことをして、同じようにコンフォタブルというのは気持ち悪くて、『hanako』に載っているカフェで女子会するのが楽しい人もいるし、ひとりで来るのが好きな人もいる。いろんな楽しみ方があっていいし、居場所感にも幅がないといけないでしょう。
まさに生物多様性、多様性があるからこそ生態系が豊かになるように、多様であることが都市の活力を生む。東京は、世界の主要都市に比べても、その「多様性」が大きいと思うんです。よく東京は公園の面積が少ないなんていわれますが、実は緑自体は多いし、面積あたりの生物の数はロンドンの3倍。その理由は、亜熱帯だから。植物は放っておけばどんどん伸びるし、いろんな生き物がいる、そういう環境と付き合ってきたのが日本人なんです。
夜の街で働くお兄ちゃんもいれば、ビジネスマンもいるし、デザイナーやアーティストもいる。六本木も、そんな多様性をうまく生かしていくことが大切。一部の人しか入れないような街になってしまうと、きっと魅力はなくなっていくんじゃないかって思いますね。
取材を終えて......
インタビュー中に、今村さんがおすすめしてくれたのが『ノーマン・フォスター 建築とともに生きる』(TOTO出版)という単行本。労働者階級の家に生まれて、叩き上げで世界でも有数の建築家になったフォスターの、まさにサクセスストーリーを描いた伝記。興味を持った方は、ぜひ読んでみては?(edit_kentaro inoue)