アンドロイドがオペラを演じ、公共空間には音のデザインを。
音楽レーベルを設立し、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースするほか、映画音楽をはじめ、アーティストとのコラボレーション、ライブのプロデュース、音響インスタレーションまで。2013年には、初音ミク主演で世界初の人間不在のボーカロイド・オペラ「THE END」を手がけたことでも知られる、音楽家の渋谷慶一郎さん。現在は、パリと東京を拠点に活動する渋谷さんですが、聞けば六本木との縁も深いそう。まずは、青春時代の思い出からうかがいました。
僕は生まれ育ったのが渋谷で、高校は広尾だったんです。六本木はめちゃくちゃ近くて、この街が変化していく様子もつぶさに見てきました。それこそ六本木WAVEにはよく通っていて、CDを買い漁ったりしていましたね。ちょうど大学に入った頃で、バイトをたくさんしていて妙にお金を持っていたんですよね。ピアノ弾きのバイトもたくさんしたし、おかしかったのは松濤の大豪邸の家の子どもに作曲を教えに行ってて、でもその子は小室哲哉さんの大ファンで、そっくり真似た曲をつくるわけ(笑)。で、出されたケーキを食べながら曲のコードを直してあげる。なんで僕が頼まれていたのかよくわからないんですけど、それで毎回、学生にしては結構なバイト代をもらっていました。
六本木WAVE
よく覚えている言葉があって、作曲の先生か大学の先輩か忘れたけど、「人にCDや楽譜を借りてるやつは作曲家になれない」って言われたんです。先輩の言うことなんて聞かなかったから先輩のはずないな(笑)、先生ですね、たぶん。で、妙にそれは腑に落ちて、当時勉強していた現代音楽の楽譜とかCDはどんどん買って、繰り返し聴いたり見たりしていました。振り返ってみると、たしかにあのとき人にCD借りていた人は、作曲家になっていないかも。自分で買うと元を取るように何回も聴いたり見たりするから、吸収がよいというか身に染みつく感じはあるかもしれないです。
WAVEでは、アーティストっぽい若者を見かけては声をかけるおじさんに捕まって1階の喫茶店で2~3時間も話に付き合わされたり、マニアックな棚を見ていたらたまたま目が合った女の子と仲良くなって音楽の話で盛り上がったり。そんな変わった出会いもたくさんありました。
六本木って、渋谷と少し似ているところがあって、「消費の最先端」だと思うんです。たとえば、WAVEの跡地は六本木ヒルズに変わりましたよね。渋谷だとHMVの跡はフォーエバー21になり、ブックファーストはH&Mになった。CDとか本とか、オンラインで済むものが、オンラインでは済まない洋服に変わっていったわけです。で、今や服を買うのもすでにオンラインが主流になりつつあるから、また変わるでしょう。そういう意味で、人の消費の動向が見えやすい街だと感じます。
最近でも、森美術館をはじめ美術館にはよく行くし、ときどき東京ミッドタウンの3Fにある「ケアーズ」っていうアンティークウオッチの店ものぞいてますね。あとは、なんといってもスーパー・デラックスかな。ATAKっていう自分のレーベルをつくって12年になるんですが、一番最初のツアーファイナルがあそこだったから思い出深い。仲のいい海外のアーティストがライブをすることが多くて、今でもちょこちょこゲストで出たりしています。
2014年には、MEDIA AMBITION TOKYOで「filmachine」という立体音響の作品の展示をして、それと関連して、六本木ヒルズの52階で「Digitally Show」というエレクトロニック・ミュージックのイベントもプロデュースさせてもらいました。filmachineは、2006年に山口のYCAM(山口情報芸術センター)で制作したもので、かれこれ8年かかってようやく東京での展示が実現したんです。マルチチャンネルの大量のスピーカーとLED、床から空間まで設計してあるような巨大なインスタレーションで、それが美術館ではなく、六本木ヒルズのアートフェスだったというのは、個人的にも象徴的な出来事でした。
filmachine
というのも僕、2001年に吉岡徳仁さんがインテリアを手がけた「ROPPONGI THINK ZONE」というスペースのオープニングだったと思うんですけど、「OPEN MIND」というイベントに出演したことがあったんです。当時はまだレーベルをはじめたばかりで右も左もわからない時期で、ちょうど音響派とかエレクトロニカが日本で浸透しはじめて、ラップトップでライブやるのも新鮮だった。これからどうなっていくんだろう、みたいなドキドキ感がありました。
Digitally Showも、そういう未知の体験感があるイベントにしたいと思ってプロデュースしました。エレクトロミュージックのイベントなんだけど、いわゆるダンスミュージックだけでもないし、フロアで棒立ちになるような実験音楽でもない。すごく感触は新しいんだけど身体性があって楽しめるのがいいと思って。僕もいれば、真鍋大度くんもいれば、中原昌也さん(Hair Stylistics)もいる、デジタルからアナログ、ミニマルからノイズまで振り切った、思い切った組み合わせにしました。「何のイベント」と一言で言えないので、わかりにくいかな? とも思ったんですけど。
そうしたら当日、東京は記録的な大雪で電車、地下鉄などすべての交通がストップ(笑)。にもかかわわらず、会場は超満員御礼でこんなのありえない! と、二度びっくりして。やっぱりこの場所には"何かある"っていうか、六本木は新しいこととの親和性がいい土地なんだなって、あらためて思いましたね。
今は、パリと東京、半々くらいで行ったり来たりして過ごしています。2013年に「THE END」というボーカロイド・オペラのプロジェクトをやって成功したので、住んでみたいなと思っていたら、パレ・ド・トーキョーからレジデンスに誘ってもらえて、しかもパリで一番古い劇場、シャトレ座の中にスタジオも貸してくれることになった。家も仕事場もあるなら、これは行かない手はないなと思って即決しました。
THE END
居心地はいいですよね。日本人って打ち合わせが好きで、電話で済むこともわざわざ会って話そうとするじゃないですか。でもここなら、打ち合わせは極端に短いし少ない。取材も日本のように多くないので、集中して制作ができる。僕はワークホリックで、日本にいるときは毎日、朝方まで作曲していたりするんですよ。フランス人には夜中まで働いている人なんてひとりもいないのに、劇場に遅くまでいて作業をしているから、やや変人扱いされていますね(笑)。
パリでこの前つくった曲はすごく抜けがよくて、これは空が広いからかな? なんてベタに思ったりもしたけど、オーディエンスに合わせて何か変えるということはなくて、むしろ東京っぽくやったほうがいいとすら感じています。デジタルやテクノロジーを使った新しいことは、古い劇場でやったほうが映えますよね。コントラストっていうのはやっぱりすごく大事で、万国で通じる共通言語ですから。
今の東京のクリエイティブを見ていて気になるのは、すべてがデジタルで未来っぽくて、コントラストが少ないということ。デジタライズされすぎた表現は新しいモノ好きな人しか寄ってこないし、反対にクラシカルなものもコンサバな層か年配の人しか寄ってこない。でも、それが今までにない形で組み合わさっていると、現実というか時空が歪む感じがある。どっちかに寄せるんじゃなくて、新しいものも古いものも等しく俯瞰して、どう組み合わせれば効果的で伝わるものができるか考えることが重要だと思うんです。で、組み合わせ方によってその内容を浸食していく部分があると、より表現がパワフルになりますよね。
僕は打ち合わせで話している途中に、もう曲が浮かんでしまうんです。しかも、超ポジティブなので、自分が音楽をつくるのに必要な情報だけ都合よく頭に入ってくる。たとえば「特殊な能力を持っている主人公が出てきて......」とかいう必要な設定は入ってくるけど、「あの映画の○○みたいな感じで」とかいう、どうでもいい情報は素通り(笑)。打ち合わせが終わった瞬間、「こんな感じですよね」って、後ろにあったピアノで弾いて驚かれたこともありました。だから、3日前の発注でも全然大丈夫なんです。
「THE END」のときも、最初は僕が出演する予定だったのが、途中で初音ミクのオペラにしたほうが面白いんじゃない? って話が出て、そこからどんどん変わっていきました。だったら徹底的にCGも使ったほうがいいし、そうするとテンションコード(和音)じゃなくて、ドミソじゃないと画に負けちゃう......とか。外的な状況に触発されて自分の音楽が変わるのが面白いんです。だからみなさんから、ジャンルがわからないとか、いろいろなテイストの作品があると言われるのかもしれません。
杉本博司さんの映画の音楽をつくったときには、「Architecture」という僕が大好きな杉本さんの作品群があるので、それと同じようなことを音楽でもしてみようと思いつきました。ピアノを指だけではなく両腕でバーンって鳴らすと、ガシャーンっていういかにもピアノというか現代音楽みたいな音がしますよね(笑)。でも、そのアタックをコンピューターでカットして、その後ずっと響き続けている音だけ減衰しきるまで伸ばすと、もやっとした美しい響きに溶けていく。実はみんながピアノの音だと思っているアタックの瞬間のガシャーンという音はほんの一瞬で、その後のモヤっとした雲のような響きの時間のほうがよっぽど長い。そこに、ピアノの本質があると思って、その響きを大量にコンピュータに録音して繋ぎ合わせてつくりました。
Architecture
今は、大阪大学のロボット工学者・石黒浩さんと共同で、アンドロイドしか出てこないオペラをつくろうとしています。ロボットの表情や動きはすごく研究されているんだけど、僕からすると、言葉は悪いですけど少しブサイクなんです(笑)。もっと美しいロボットをつくりたいと思って、実際のモデルに型をとらせてもらうところからはじめて、まず一体つくって。
で、最近、加茂克也さんにヘアメイクしてもらって、新津保建秀さんに撮影をしてもらいました。その写真が実物と一緒に、パレ・ド・トーキョーの次の展覧会に出品されるみたいです。アカデミックな世界だけでやっていると、そういう「理由はないけどカッコイイ」とか「たんに美しい」というのが抜け落ちていく感じがあるんですよね。これは音楽でも同じですけど。
そういえば、六本木ヒルズのアリーナって、イタリアとかによくある野外の円形劇場みたいじゃないですか。あそこでも、夏の夜に何かできたらいいですよね。これまでたくさんの実験的なプロジェクトに関わってきましたが、天井の低いホワイトキューブが圧倒的に多くて、それは既視感があるなと思うんです。だから、野外でできたらすごく面白い。。
実際、僕の中ですごく転機になった経験があるんです。それは原美術館の庭でやったピアノソロのライブ。ポーンっと鍵盤を叩くと、ホールの中では音が跳ね返ってくるのに、外だと空に音が消えていく。音が消えるまで待てるから演奏も変わるし、聴いているほうも屋根がない空間にいるから気持ちいい。反射音がないというのは、こんなにストレスがないのか! と驚きました。
その他にすごく興味があるのは、音で空間や環境をつくることです。マンションや公共空間に自分の音楽を恒久的にインストールするというのは、すでにいくつかやっているのですが、商業施設やビルの中の音楽やサウンドデザインはもっとやっていきたいなと思っています。
たとえば東京ミッドタウンを見ても、館内BGMはもちろん、エレベーターの音、アナウンスの声、サウンドロゴ的なものなど、パブリックな空間には音があふれている。建築家が建物をデザインするように、空間のサウンドデザインも音楽家がプロデュースできたらいいですよね。全部ひとりでできるのが理想だけど、フロアごとに違うアーティストが担当するのも面白いかもしれない。
公共空間用の音響システムの開発はサウンドアーティストのevala君と一緒にずっとやっていて、「unformed」というシステムをつくりました。これはすごくシンプルな仕組みで、ちょうど今、原美術館で開催されている展覧会「蜷川実花:Self-image」で、蜷川さんの映像とコラボレーションしています。音楽のトーンは一定に保たれているけれど、プログラムで常に変化し続けて、二度と同じ瞬間が訪れることはない。だからずっとそこにいられるわけです。
蜷川実花:Self-image
個人的には、六本木という街は、これからも音楽も含めたデザインとアートの最先端であってほしいと願っています。今、あえて「最先端」という言葉を使ったのは、ニーズを超えていってほしいということです。これは六本木だけでなく東京全体にいえることですが、ニーズとか需要という意識に捉われすぎて、空回りしている印象がすごくあります。一歩外に出てみればわかるけど、アートや音楽に関して、ニーズなんてないんですよ。発信することがあって、それに対するリアクションはあるけれど。東京の場合、とくに情報が過密なので、ニーズありきで考えると後手に回るというか、ほとんど意味はないでしょう。
そうやって合わせることを考えるくらいなら、ちゃんとしたものを見せることを考えたほうがいい。filmachineをつくったYCAMは山口市にありますけど、その近くに住んでいる小学生は世界の最先端の作品を見て育っているから、ダンボールで自作のメディアアートみたいなものをつくって持ってくるらしいんですよ。小さいときから本物を見ているだけで全然違う。六本木もそんな場所になったらいいですよね。
先ほど、パリは居心地がいいと言いましたが、実際、東京に比べたら欠けてるもののほうがずっと多いんです。自動ドアは少ないし、地下鉄にはエレベーターもない、Wi-Fiが入らないことだって多いし。ただ、不便だからこそ考える時間があるんですよね。テクノロジーが発達して、生活が進化することに僕は全面的に賛成しているわけではありません。もちろん元の不便な状態に戻せ、というのも論外ですが。ただ、ともすれば進化の方向を間違えてしまう可能性もあるんじゃないかな、と危惧しています。
以前、僕のレーベルから「サクリファイス」というCDをリリースするときに、ジャケットを、写真家の鈴木心君に「フェイズワン」っていう高解像度カメラで撮影してもらったんです。すると商品用にプリントをするにあたって、「日本は微調整をしてくれるけど高い、中国はしてくれないから安い」と言われました。最終的に予算の関係で中国でプリントしたんですけど、結果としては元の解像度が高いからまったく問題ありませんでした。テクノロジーはときに、こういう微調整のような職人技術を波がさらうかのように無化してしまうから恐ろしい。ただ、こういう怖さがテクノロジーの本質でもあるわけですよね。
アンドロイドのオペラにしても、人間そっくりだけど人間じゃないものを見て、もし自分が涙を流して感動してしまったとしたら、やはり怖いと感じるでしょう。自己とか人間が脅かされる感じというか。でも、そのチャレンジこそがテクノロジーアートの未来をつくる。だから未来っていうのは、「怖さに踏み込んでいくプロセス」のことじゃないかと思うんです。
取材を終えて......
この日、会うなり渋谷さんは満面の笑みで、「さっき同じ電車に乗ってました。熊が水を飲むような勢いで(取材に備えて)勉強してましたよね!」と僕に一言。ハイ、まさに電車の中では、iPadで渋谷さんの過去のインタビューを読んだり、YouTubeでライブやインスタレーションを見たりしていました。そして、目の前にご本人がいらしたとは、まったく気づかず......。本当に失礼しました(苦笑)。(edit_kentaro inoue)