建築家が不在となった建築に宿るもの。
TOTOギャラリー・間で開催される《吉村靖孝展 マンガアーキテクチャ―― 建築家の不在》では、僕が手がけた7つの建築に関する作品を7人の漫画家に描いてもらい、そこから内容を広げています。ギャラリーから声をかけてもらったのは、今から2年近く前。その頃、脳出血を発症したために2カ月半ほど入院生活を送っていました。そして退院した直後に、展覧会のお話をいただいたんです。それから少しずつ準備をしてきて、現在に至っています。
展示の構成について説明すると、3階が漫画のフロアになっていて、7人の漫画家による作品を拡大して展示し、全編を読めるようにしました。フロアの中央では、展示されている漫画からインスピレーションを得て、再解釈したものを建築模型にしています。なので、3階は漫画、4階は模型と表現方法は異なりますが、ベースになっている建築作品を展示している仕組みになっているんです。テラスでは、等倍に拡大したスケールフィギュアを11体展示しています。スケールフィギュアは、建築パースに人を加えて、イメージを湧きやすくするためのものであり、どれも今まで手がけた作品で実際に使っていたものになります。
そもそも漫画というアイデアは僕から提案したのではなく、どういう展示にしていきたいか、その取っ掛かりを考えるワークショップのなかで、たくさん出てきたキーワードの中のひとつだったのです。僕自身は、漫画についてそれほど詳しくないのですが、そういう人でも漫画ならそれなりに読んでいたりするし、まったく興味がないという人はなかなかいない媒体ですよね。今は、本の売り上げの4割くらいを漫画が占めていると聞いたことがあります。大抵の人にとって身近な存在といえる漫画を題材にして、何かできることはないのかなと考えました。
理由はわかりませんが、建築家を目指している、あるいはすでに建築家だけれども、もともとは漫画家になりたかったという人も結構いるみたいで。たとえば、TOTO出版から出ている『HOLZ BAU 増補版 ホルツ・バウ 近代初期ドイツ木造建築』という本には、建築家の描いた漫画が挟み込まれていたりします。今回の展覧会のような、大々的なコラボレーションは初めての試みかもしれませんが、漫画と建築は意外と相性がいいのではないでしょうか。
僕の建築を作中に出さなくても良いと、漫画家のみなさんに依頼するときにお伝えしました。というのも、4階には種明かしともいえる模型があるので、3階の漫画からは、どんな建築なのかわからなくても構わないと言ったのですが、あがってきた漫画を見ると、結局みなさんが作品のなかで取り上げてくれていました。僕の建築が、漫画というフィクションの世界に存在していることがとても新鮮で、僕自身もそこから想像を広げてみたいと思えるような素晴らしいものでした。
展覧会のタイトルに「建築家の不在」というフレーズを入れたのは、僕の脳出血にも由来しています。発症して間もない頃は、言葉が出てこないような状態だったのですが、それがだんだん治っていく過程と、展示の準備の過程がぴったりと重なっていました。建築家が不在のまま展示をすることはできるのだろうか、という問いがこのフレーズの始まりなんですけど、僕が脳出血にかかったことも漫画家に報告したうえで、漫画を制作していただくことができました。そもそも、建築家の不在とは何なのか。つくる側に意図があるかどうかは関係なく、建築家が独自の作家性を獲得しているかもしれない、という仮説に対して、僕の想像を超えてくる部分が多々あって、面白いと感じました。
もちろん、その建築自体に作家性があるかどうかという話でもあって、僕自身が作家性を出せるかわからないままやり取りをしていくなかで、それが消えてしまった先にどんな建築が存在するのかを見てみたいという気持ちもありました。結果的には、それでも作家性は「ある」と思ってしまったのだけど、作家性が消えていくプロセス自体を楽しむことができたと今は思っています。
本来、僕は作家性を出したいと思っている建築家ではなく、それは消えていくものだろうと普段は考えています。とはいえ、それでも消せない部分がある気もしています。今回展示される7つの作品をまとめて鑑賞すると、作家性としか言いようのないものが見えてきて、作家性を消したい自分と、出したい自分の両方が共存しているのかなと思ったのは、新たな発見ともいえます。
どんな作家性を感じたのかというと、たとえば、僕は建築を複製することに対して抵抗が全然なくて。そう考える建築家はあまりいないんじゃないかと思うんです。僕が手がけたいくつかの建築は、複製することを前提にさえしていて、それゆえに敷地がなかったりします。だから移動も可能だったりするのですが、実はそういうところに僕の作家性というものがあるのかなと。
脳出血を発症したのは、2年前の1月14日です。展覧会の始まる日が2025年1月16日なので、まさに2年を越えた頃になりますね。発症直後は、本当に何もできませんでした。まず言葉が出てこなくなって、失語症と診断されました。でも、この2年間でだいぶ治ってきているので、いつか完治するんじゃないかと思っています。今は何よりも治ることが一番大事だと思っているので、そこに100%のエネルギーを費やしている状態です。脳出血になる以前の睡眠時間は1日4時間くらいで、ショートスリーパーと言っていいくらいだったんですけど、今はその倍は寝るようになりました。人間にとって睡眠は大事ですね。
病気の前後で、人生観や建築家観みたいなことがどう変わったのかも、今はあまり考えないようにしています。なのでこの2年間で大きく変わった価値観や心境などは、それほどないと思っているのですが、みなさんがやっていることを俯瞰的に素晴らしいなと思うようになりました。あらゆる人が当たり前にやっていることを、すごいなって思うんです。展覧会の準備でずっとやり取りしてきたTOTOギャラリー・間のみなさんもそうですし、こうやって取材してくれている六本木未来会議のスタッフのみなさんも。自分が全然できないからこそ、そう思います。
撮影場所:『吉村靖孝展 マンガアーキテクチャ―― 建築家の不在』(会場:TOTOギャラリー・間)