
建築家が不在となった建築に宿るもの。
僕は愛知県豊田市出身で、父が車のエンジニアだったこともあり、大学に入る前は車のデザイナーになりたかったんです。カーデザイナーとして活躍している人の経歴を調べてみたら、建築学科出身の人が複数いたので、建築学科に進学しました。そうしたら建築が面白くなって、やめられなくなっちゃったんです(笑)。量産する建築に抵抗を感じないのは、量産される車と感覚が一緒なのかもしれません。豊田市にあった巨大な駐車場に、出荷を待つカローラなどがズラッと並んでいる風景を、子どもの頃に見ていましたからね。みんな同じようでいて、ちょっとずつ違うから、それもいいなと思っていたんです。
建築の道へ進むことになったきっかけのひとつに、せんだいメディアテークのコンペがあります。現在の建物は伊東豊雄さんの設計で、学生時代に師事していた古谷誠章先生のもとでコンペに参加して、僕たちは2等だったんです。今思うと紙とかもぐちゃぐちゃだったんですけど、これを読み取ってくれる人がいるんだという嬉しさと、1等になれなかった悔しさで、建築をやめられないなって。
せんだいメディアテーク
建物は、地下2階、地上7階。仙台市民図書館、ギャラリー、会議室、カフェ、ミュージアムショップなどが入り、美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人々がさまざまなメディアを通じて自由に情報のやりとりができるようお手伝いする複合公共施設。身体的な障壁、性差、年齢差、言語障壁などさまざまな社会的な隔たりを「使う」という立場から調整する「場」を提供する。設計は株式会社伊東豊雄建築設計事務所が担当した。
提供:せんだいメディアテーク
複製することを前提とした建築の一例ともいえるのですが、これからの社会に対応するためのプロジェクトとして、今、空飛ぶクルマの空港を手がけています。4人乗りくらいの空飛ぶクルマが離着陸できるところで、飛行機の空港と比べると圧倒的に小さいです。コンテナを使って自由に組み替えられたらいいなと思っています。なので、この敷地ではこういう形だけど、ほかの敷地に行ったら別の形になるというようなことを考えて、計画しているのが特徴といえます。今までの歴史を振り返ると、人口が増えるときに良い建築と言われるものがたくさんつくられてきたのですが、人口が減る局面もこれからは楽しまないと、建築家はやってられないんじゃないかと思っていて。日本は人口減少期ですし、中国でも今後は大幅な人口減少、いわゆる人口オーナス期が待っています。オーナス期にも対応可能な建築を先行して考えたほうが、将来的にメリットがあるでしょうし、空飛ぶクルマの空港もそのひとつとして捉えています。
サステナビリティは、もともとは建築家によって提唱された言葉といわれています。資源をある程度使うのは致し方ないことですし、地球環境を壊さず、資源を使いすぎず、良好な経済活動を維持し続けるという意味があります。いまやあらゆる設計を考えるときに、建築家は当然のこととして意識していることでしょう。一方で、最近はさらに厳しい条件として、ゼロエミッションというような「まったく使わない」ことを良しとする風潮にもなっていて、本質的にはちょっと窮屈な感じもしています。はたして建築がゼロエミッションを達成できるのかと考えると、なかなかハードルが高い課題ですよね。
空飛ぶクルマの空港
現在進行中の次世代エアモビリティのための空港《VERTIPORT》。コンテナを活用し、今後の拡張の可能性を持たせている。
画像:VERTIPORT ©Yasutaka Yoshimura Architects (progress)
MVRDVというオランダの設計事務所で働いていたこともあり、ロッテルダムの再建75周年を記念して彼らが街なかに階段を制作したプロジェクト《The Stairs to Kriterion》に興味がありました。たとえば、かつて映画館だった建物の屋上につながる仮設の階段をつくって、屋上で映画を上映したり、駅前の広場と隣のビルの最上階を階段でつないだり。ロッテルダム市内のいくつかの場所で展開しているのですが、こういうプロジェクトは六本木にも合っているんじゃないかなと思います。六本木にはいろんな高さのビルがあるので、街に階段が走っている様子を超高層ビルから見下ろすこともできるだろうし、中層ビルの屋上から、さらに別のビルへとつなぐような階段が、張り巡らされたら面白いですよね。道路をまたいでつくるのは難しいかもしれないけれど、ロッテルダムのプロジェクトの場合はそれほど長くない階段もありました。TOTOギャラリー・間の周りなどもそうですが、六本木周辺には工事中の敷地も多いので、それらをうまく使うのもいいかもしれない。
MVRDV
オランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団。1991年設立。名前の由来は事務所設立時のメンバー3人の頭文字から。代表作は「WOZOCO/高齢者のための100戸の集合住宅『オクラホマ』」(アムステルダム、1997年)、「ミラドール」(マドリード、2005年)など。吉村さんは1999年~2001年に、文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDVに在籍した。
画像:MVRDV founders ©Erik Smits
The Stairs to Kriterion
2016年、ロッテルダム復興75周年を祝いオランダの建築チームMVRDV が、ロッテルダム中央駅から Groothandelsgebouwの屋上まで「クリテリオンへの階段」を建築した。
画像:MVRDV The Stairs to Kriterion 5 ©Ossip van Duivenbode
東京建築士会が主催する「住宅建築賞」の審査委員長を務めているのですが、2023年と2024年は「東京のローカリティ」というテーマで作品を募集しました。「東京のローカリティ」というテーマなのにも関わらず、2024年に入賞したのは、神奈川、埼玉、千葉、東京と、テーマである東京が一件だけだったんです。なので、東京のローカリティは、いまやその周辺なのだと思い、東京の住宅が今どうなっているのか関心を持ちました。たしかに、東京都内での住宅の仕事って今はほとんどないので、だからこそやってみたいと思ったんです。結局は、買える土地が郊外に移ってしまっているということなのでしょうけど。逆説的ではありますが、東京にローカリティがないということが、東京のローカリティと言えるのかもしれない。マンションももちろん住宅に含まれますが、60年代、70年代のマンション開発は、斜面地などちょっと特殊な条件が多かった印象です。その点、現在は超高層マンションばかりで、街の魅力が薄れてしまっている。
住宅建築賞
一般社団法人東京建築士会が主催する、東京圏に建築された住宅を対象とした賞。新人建築家の登竜門として定着している。吉村さんは2010年に「Nowhere but Sajima」で住宅建築賞金賞を受賞。現在は審査員長を務めている。
画像:Nowhere but Sajima ©Yasutaka Yoshimura (Kanagawa, 2008)
とはいえ、世界で一番好きな街をあげるなら、やっぱり東京なんでしょうね。東京は帰ってくるところ、という感じがしますし、ずっと進歩し続けているのも、すごいことだと思います。2006年に『超合法建築図鑑』という本を書いたのですが、そのときに調べた建築や街並みは、もうほとんど残っていませんからね。今も変化の途中といえますが、東京がこの先どうなっていくのかは興味がありますし、いつまでたっても飽きることのない、新陳代謝の激しい都市だと思います。
『超合法建築図鑑』
吉村さんが編著を務め、彰国社より2006年に出版された本。法規をかたくなに守ったせいで、周囲から浮いてしまった「超合法建築」を集め、そこにかかっている法規を読み解いた一冊。「まっぷたつビル」「斜線カテドラル」「通せんぼう」などユニークな建築が大集合している。
画像:吉村靖孝 編著、超合法建築図鑑、彰国社、2006年
この間、中国の青島に初めて行き、デベロッパーが倒産してしまったために建物がつくりかけの状態で放置された廃墟を見てきました。ジャン・ヌーベル設計の美術館も廃墟のなかに建っているんですけど、構造的な工夫があって非常に面白く、やる気満々な建物でした(笑)。そういう建築を見に行くことを目的にした、旅もいいですよね。東京の建築は、いろんな名前がついてはいるけれども、同じような化粧を施しているイメージなんです。その点、青島の建築は全然違いましたし、そういうエッジが立つような、街や国であってほしいなと思います。
撮影場所:『吉村靖孝展 マンガアーキテクチャ―― 建築家の不在』(会場:TOTOギャラリー・間)
取材を終えて......
発話する際、思ったように言葉になりきらない部分もまだまだ残っているというけれど、それでもたくさんの言葉を紡ぎ出してくれた吉村さん。話すこと、歩くこと、食べること...日常をあたりまえに生きられていることが、あたりまえであることがとても特別なことなのだと再認識するきっかけをいただきました。建築は、毎日を暮らすわたしたちの傍らに常に存在しています。非日常な経験から、日常へのまなざしを新たにした吉村さんがこの先生み出していく建築を、これからもずっと見続けていたいと思います。(text_rumiko inoue)