新しい都市型の文化を、ともにつくりあげる。
慶應義塾大学医学部教授を務め、データサイエンスを軸とした科学的方法論を専門としながら、「大阪・関西万博」テーマ事業プロデューサーや飛騨に設立予定の「Co-Innovation University(仮称)」の学長候補として立ち上げを行うなど、幅広い分野で活躍する宮田裕章さん。近年「ウェル・ビーイング(well-being)」が注目されていますが、宮田さんは「コー・ビーイング(co-being)」というテーマを掲げ、学問からアートまでを横断しながら「ともに生きる」ための未来ビジョンの共創を行なっています。今回は、データサイエンスやAI技術などのテクノロジーと社会の関係、未来におけるクリエイティビティ、そして都市と文化、人々がより良い形で変化していくためには何が必要か、など宮田さんの未来を見据えた展望を伺います。
ここ最近、Chat GPTをはじめとした生成AIの進化により、知識習得を競う受験勉強のあり方は役割を終えつつあります。これから必要になってくるのは、「問いを立てる力」。それをどう磨くかと言えば、ずばり問いを立て続けるしかないんですよ(笑)。そこで私が携わっている飛騨のCo-Innovation Universityでは、各地域に関わる企業や行政と連携しながら、実践を通じて多様な人々と協力しながら問いを立てていくプログラムを構想しています。飛騨で言えば、林業を軸にしたもの、富山ではウェルビーイングを軸にしたもの、などです。アートや観光を軸にしたコミュニティについても構想はありますね。
余談になりますが、先日、Co-Innovation Universityを設計している建築家の藤本壮介さんと長野県の小布施へ行ってきました。小布施は葛飾北斎が人生の最後に多くの時間を過ごした土地です。彼はおもに肉筆画を描きながらここで晩年を過ごしました。浮世絵「富嶽三十六景」シリーズで有名な北斎ですが、日本ではそれ以降の画業が注目されることは少なく、肉筆画の多くは海外に散らばっています。しかし小布施には、「鳳凰図」や「男浪図」、「女浪図」といった優れた作品が残っている。香川県・直島の地中美術館には、モネが見た最晩年の光を追体験できるような空間とアートが共鳴した、安藤忠雄さん設計の素晴らしい空間があります。いつか同じように、北斎が追求したものを丸ごと体験できるような空間を小布施につくり、これらの作品を展示できないかと考えています。
コンテンポラリーアートがどこからはじまったかと言えばいろいろな見方がありますが、デュシャンがモナリザに髭を描いたという行為が象徴的だと思います。近代が積み上げてきた価値観を打ち壊したり、批判的に捉えたりすることで、いろいろな言説が刻まれ、それは重要な創造性の役割だと思います。一方で時代が大きな転換点を迎えるような今日においては、従来の価値観への批判的解釈に加え、新しい視点をどう未来につなげていくかということもまた、アートやクリエイティブの重要な役割なのではないかと思います。
既存の価値観を批判して社会の見方を変えていくのもクリエイティビティですし、未来への問いを立て、われわれが一歩を踏み出す勇気を与えてくれるのもクリエイティビティだと思います。知識を蓄積し、引き出す能力は、検索やクラウドによって置換されてきました。さらに、知識を整理して課題を抽出する作業も、やがて生成AIが精度高く行うようになっていくでしょう。そのときに人間がやるべきことは、新しい問いを立てていくこと。クリエイティビティが学ぶこと、働くこと、生きることにおいて、世界と私たちを結ぶ重要な概念になっていくでしょう。
クリエイティビティの力で、新しい都市の未来をともに結んでいくコミュニティが生まれると面白いかもしれません。今、虎ノ門ヒルズにある「TOKYO NODE」での展覧会のプロジェクトに取り組んでいるのですが、その場所はある種の没入型の空間を目指しており、この没入型、イマーシブという概念は、都市やコミュニティにおいてより重要なものになっていくと思っています。ひとつの到達点だと感じたのはニューヨークでの体験型ショー「Sleep No More」でした。ブロードウェイを軸とした演劇文化の中でこの作品がニューヨークで生まれ、それを体験するコミュニティが成立しているのは重要な背景だと思います。最近では目[me]のみなさんがディレクションした、「さいたま国際芸術祭2023」のメイン会場も素晴らしかったです。見る側と見られる側を観客が行き来し、感覚を拡張しながら、日常の物の見方を変える展示。また地域の古い建物を舞台に多様な人々が参加して、作為と無作為の境界を巡る体験は、アートとイマーシブ体験の新しい可能性を示したと思います。
そういった新しい兆候を考えると、東京、そして六本木の可能性に思いをはせずにはいられません。東京には大都市ならではの課題もありますが、多様なコミュニティを内包する可能性の塊でもあります。そのとき東京で生まれていくのは、ニューヨークや上海、パリとは異なるコミュニティになると思います。例えば重要な特徴のひとつとしては、食文化があります。世界から日本へやってきた人が何を楽しみにしているかと言えば、近年一番に挙がるのが食です。イマーシブなアート空間と食を掛け合わせるのは、まあ安直かもしれませんが、一案ですよね。そうした様々なコミュニティが生み出す価値を重ね合わせながら都市の未来を共に結んでいくことが、新しい文化や社会につながっていくものになると思います。
TOKYO NODEで計画している展覧会『蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』では、蜷川実花さんらとクリエイティブチームを組んで没入型の空間をつくる予定です。コンセプトは「桃源郷」。似た言葉であるユートピアは理想的なものに物理的な形態を与え、ともすれば破綻してディストピアになっていくわけですが、桃源郷は心の中に見出すものです。今回の空間で展示するのは、美しくも身近にある風景を重ねた体験です。それは、誰も見たことがない特別な秘境の景色ではなくて、ごく身近にある景色。ちょっと視点を変えたり、時間帯が変わるだけで劇的に景色が変わっていきます。そうしたある瞬間に訪れる一回性の体験の中に、普遍的な感情を重ねました。例えば、雨の日の水たまりに映り込んだネオンの光ってすごく美しいんですよね。そういった経験から得られる感情を重ねていくことで、心が変わる。そうすると世界の見え方が変わる。そんな体験を目指した空間です。これらは都市とアートをめぐるひとつの問いとしても捉えています。
それぞれの都市には独自の文化があります。六本木ヒルズが高層階に美術館をつくり、アートというフィールドで新しい街と文化をつくっていったように、次のフェーズではさらに多様な文化が都市という空間でつながり、新しいものを生み出しつづける場ができたら面白い。先述した虎ノ門ヒルズだけでなく、麻布台ヒルズや高輪ゲートウェイなど東京の再開発が新しいコミュニティを生むことができれば、より良い未来につながると思います。イマーシブの例を先ほど挙げましたが、多様なコミュニティの価値が共鳴して街全体に広がって、街中のお店やレストランに行っても一貫したつながりが感じられると面白いかもしれません。お祭というものが日本でもそうしたつながりをつくってきました。デジタル技術を活用することができる現代では、作為的なものだけでなく、無作為の自然発生的なイベントも巻き込みながら、文化をつくっていくことも興味深いと思います。
SANAAとつくっている大阪・関西万博のパビリオンは、「広がりながらつながる空間」という、これまでの建築とは真逆のあり方を目指してつくっています。建築には、一般的に公と私を分け、外部から守るという機能がある。一方でルーヴル美術館や金沢21世紀美術館といった場所は、まさに地域全体へと作用を及ぼしています。そんなあり方を追求していったところ、壁も屋根もない建築になってしまいました(笑)。その場で何ができるかを議論しているのですが、「侘び茶」に可能性を感じています。利休の侘び茶は、戦国時代に殺し合いをするほど価値観の対立があった中で、人が鎧を脱ぎ捨てただ一人の個として向かい合う形式をつくり出した。現代のお茶会として、その場にいる人たちが周囲の環境とつながり、互いに響き合う体験を実現できたら、そこに未来が感じられるだろうと思います。これはひとつの思考実験に過ぎないですが、体験によって感覚や世界の捉え方が変わり、未来へとつながっていく社会が生まれるといいなと考えています。
撮影場所:開業を間近に控えた麻布台ヒルズ
取材を終えて......
オープンに向けてまさに建設中の麻布台ヒルズでの撮影にて、トーマス・ヘザウィックの設計による優美な曲線が顔を覗かせている様子に感動されていた宮田さん。インタビューでは、明晰かつ明快な語りで経済の歴史からクリエイティビティの変化までを鮮やかに横断しながら、未来の輪郭を描いていく姿が印象的でした。(text_eisaku sakai)