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INTERVIEW
148
鴻池朋子 × 栗林隆アーティスト × 美術家 Tomoko Konoike × Takashi Kuribayashi / Artist × Artist
Tomoko Konoike × Takashi Kuribayashi / Artist × Artist

『作品や作家と自分の個人的なつながりを見出し、違いを尊重できる意識づくりを』【後編】

今ここにある「根源的なもの」を身体で感じる。

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update_2023.06.28 photo_yoshikuni nakagawa / text_ikuko hyodo

芸術の本来のあり様を探求し続ける鴻池朋子さん、「境界」をテーマに壮大なインスタレーションを制作し、2022年度『ドクメンタ15』に参加した栗林隆さん。おふたりは、2023年5月に開催された『六本木アートナイト 2023』にて、メインプログラム・アーティストを務めました。既存のアートシーンや美術館という枠組みに、より自由な発想で向き合うおふたりの対話から今回浮かび上がったのは、アート作品を「見ること」や「つくること」の手前にある生き方そのものについて捉え直すような問いかけでした。コロナ禍を経て、あらためて立ち返るべき「根源的なもの」とは、どのようなものでしょうか。

前編はこちら

大事なのは共感ではなく、自分で感じて尊重すること。

栗林隆変な言い方ですが、僕は、他人はどうでもいいと思っているところがあって。他人が嫌いとか、自分が好きとかではなく、まずは自分に集中して自分自身のエネルギーがチャージされている状態じゃないと、人から逆に奪っちゃうと思うんです。

鴻池朋子たしかに、他者に依存してしまいますね。

栗林自分が満たされていると、相手に与えられるじゃないですか。だからイライラしているときは、海に行ったり波乗りをしたり、好きなことをするんですが、そうやって自分の状態を把握してコントロールしようとするときには、人とあまり関わらない方がいいんです。だけど今の世の中は、何かと関わらせようとするところがありますよね。無理やり関わるのが一番問題で、干渉はしないけど尊重して、それぞれが個性を発揮して好きなことをやっていると、いい循環が生まれる。みんなが言いたいことを言って、それに対して「いや、それはおかしい」ではなく、「君はそうなんだね。僕は違うけどこうだよ」と言い合える。それが個々のアーティストのあり方だし、個性だと思うんです。

最近、アイヌの人たちと交流を持っていますが、あまり他者には干渉しない文化があります。例えば、ものをつくることは神様に対するお礼であって、人に見せるためという発想ではないんです。それを聞いたとき、とても面白いと思ったし、アーティストとして自分自身も改めなければいけない部分だと思いました。

鴻池同じ枠組みの中にいると、つい同じ型を使うことばかりしてしまう。新しいアーティストやデザイナーを呼んできて、見た目を変えたらその場しのぎにはなるけれど、型は同じでカスタマイズやヴァージョンアップをしているだけで、停滞したままになりがちですよね。できあがりがつたなくても、未熟でかっこ悪くてもいいから、自分の小さなやるべきことを1個でもやらない限り、根本的なところは何も変わらない。美術館も、行けば作品と呼ばれるものに出会えて、非日常な体験が与えられるという、「何となく素敵」で終わるパターンに陥ってしまう。その地場が強いのでどんどんそれらしくなるというか、美術館に置くだけで美術品になっていくような恐ろしさがあるんですよ。

そんな中で私は、見る人たち、鑑賞者、知覚者の可能性に賭けています。つくる側ではなくその人がどう感じるか。嫌なもの、興味のないものでも、自分で見て、知って、尊重できることが大事。誰かと共感なんてずっと後でいいんです。個人であればちゃんとわかっているのに、組織になると途端にパターンや形式に引きずられてしまうんです。ですからまずはたったひとりで感じてみる。

栗林美術の文脈はもちろん大事だし、研究や評論をする人がいるのも大事ですが、それがすべてではない。要するに、僕の作品を評論してくれる人は、どうにかして文脈に入れようとするんだけど、そもそも無理があるんですよね。現代美術と呼ばれるものが登場してからこれだけ長い時間が流れて、いろんなマーケットやアートシーンがでてくると、ある種見方が固まってしまうのは避けられないし、新しいものを探そうとしても、もはや全然新しくない。だから文脈や周りのことは気にせず、それぞれがもっと個人的なところで関わっていけばいいと思うんです。僕自身は、新しい文脈をつくっているつもりはないけれど、子どもたちと同じくらい自由なつもりです。

鴻池そして仮に失敗しても、誰かひとりに始末書を書かせるのではなく、関わった全員が失敗のメカニズムを考え、当事者としてどうすべきかを考える。それも例えば行政や美術館のビル管理のために考えるのではなくて、生身のひとりの人としての作家を基準に考えるべき。今はそれが全然できていないのではないでしょうか。

自分をコントロールしているようで、一番できていないのが人間。

栗林《元気炉》のような場所は、昔はいっぱいあったんです。サウナとか銭湯とかが、地域コミュニティの場でしたよね。だけど生活スタイルの西洋化によってそうした施設が減り、人間の体温自体も下がってしまっている。しかもマスクなどで菌も排除して、身体の免疫力が弱ってきています。《元気炉》はコロナ禍のときにできたのですが、アートを利用して強制的に健康になっていこうぜって思ったんです。これを「サウナ」と呼んでしまうと、保健所の基準などでややこしくなるけど、アート体験ということにしてしまえば、そのあたりも曖昧になる。今はみんなが不安になったり、不健康になったり、楽しくない状況が生まれがちだけど、《元気炉》的なものが街中にぽこぽことできれば、もっと活気が生まれるはず。アートをやる意味というのは、そういうところにあるんじゃないかな。だから『六本木アートナイト』のテーマとして「都市のいきもの図鑑」が掲げられていますが、どちらかというと「いきもの人間図鑑」だなと僕は思っていて。「いきもの」というと、植物とか動物とか昆虫を連想しがちですが、不思議なのは人間の方なんですよ。

鴻池たしかに、自分をコントロールしているように見えて、できていないのが人間ですよね。動物性を備えているというのは、いつ破綻するかわからないってことでもあるから。そのことに気づかないで平穏に生活しているけど、あるきっかけで人は突然暴走しちゃうこともあるわけですよね。環境が一変すれば人間はころころ変わるものなんですよ。

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二次情報からは得られない、自分だけの実感。

栗林僕が好きなインドネシアの街ジョグジャカルタでは、道路が混みあっていてもクラクションを鳴らす人がほとんどいないんです。たまに車で逆走してる人もいるんだけど、特に誰も文句を言わなくて、「あいつには逆走する理由があるんだろう」って空気があるんです。例えば15メートル逆走すれば曲がれるのに、ぐるっと回らなければいけないときってあるじゃないですか。そういうシチュエーションで何が起こるかっていうと、そこだけは逆走をする循環が生まれるんです。基本的には信号も守るし、逆走もしちゃいけないんだけど、そこはしてもいいよねっていう、柔らかさがある街なんですよね。

鴻池すごくいいですね。

栗林そっちの方が、本来あるべき姿ですよね。誰もいないのに信号が赤だからずっと待っているなんてこともありえない。誰も信用していない分、信号が青のときでも安心して渡るのではなく、注意をする。そうするとかえって事故が起きないんです。信用しないことが自由を生んで、逆に信用していることになるというか。日本の都市もそういう柔らかさを持つと、楽しくなるのにと思いますよね。

鴻池今はみんなが目、視覚からの情報を渇望して、常に情報を浴び続けている一方、それらが血肉になっていない感じがありますよね。時間はかかるかもしれないけど、目ではなくとにかく手足を使うべきだと思います。いいと言われている作品でも、実際にそこまで行ってみて意外とつまんないというのを自分で確かめに行く。他人はこう感じたかもしれないけど、私は実はこうだったと発見する。違いがあるのがいいことで、整理されたデータで受け取った二次情報から、身体の奥底からの気づきは得られないんですよね。もし途中でトラブルに巻き込まれたとしても、それも含めて自分の身体で感じ取って、時間をかけて言語化していけばいいんです。その場でうまく表現できなくても、10年後にこういうことだったと言えればいい。そのときの感覚を持ち続けていることが重要なんです。遠くの方まで見ようとせず、足元の触れられるものから手応えを感じていくことが大事だと思うし、私も栗林さんもそういうものをつくっていますよね。

栗林まったくその通りです。僕が《元気炉》でただのサウナではなく、スチームサウナにこだわっているのも、蒸気で周囲が見えなくなるからなんです。

鴻池ああ、なるほど!

栗林目から入る情報は、脳に直結して頭をすごく使うんだけど、目がシャットダウンされると心にシフトするというか、音やにおいなど違う感覚が研ぎ澄まされて、リラックスできるんです。みんな感覚的にわかっていると思うのですが、人間って脳で動いているようでいて、実は心で動いていることが多い。「頭にくる」っていう言葉の通り、怒っているときって心は意外とシーンとしていて、頭でしか怒っていないんですよね。ところが「悲しい」とか「嬉しい」は、頭じゃなくて心が動いている。だから、頭で嬉しいと思ってるのかな、いや違うな、と頭からくる感情なのか、それとも心からくる感情なのかを認識できるようになると、非常に素直に生きることができると思います。鴻池さんが話したように、目に頼らないで作品を触ったり体験したりするっていうのも、すごくいい。普通のサウナだとみんなじっとして会話をしないんですけど、スチームサウナだとお互いが見えないから、リラックスして会話が弾むんです。それで外に出たら知り合いだったみたいな、面白いことがよく起こるんです。

作家と作品をより深く感じるための方法。

鴻池今回、『六本木アートナイト』で私たちに依頼してくれた方のチョイスは間違っていないと思うのですが、呼ぶからにはもっと作品を主催者側が知ってほしい気持ちもありますね。

栗林僕らは本当はもっと面白いんですよ! ってことですよね。その面白さを十分に発揮させてもらえないのが、ちょっと悔しいというか。自画自賛してもしょうがないんだけど、これではもったいないな、と思うことも多いです。

鴻池私たちは別に美術だけを目指しているわけじゃないし、展示もあくまで生きていく中のタイミングのひとつでしかないわけで......。

栗林一部とか、一瞬ですよね。

鴻池そう、展覧会は途中下車みたいな感覚です。だけど二度と会わないかもしれない人たちがせっかく集まったからには、面白くやりたいし、真剣にやりたい。そのためには施設のオーナーや組織など、関わるすべての人の意識が少しずつ変わっていくことが、やはり不可欠だと思うんです。なので、作家を知るという意味では、作品の設置を一緒にやるといいかもしれないですね。現場では使い物にならなくてずっと怒られっぱなしで、何をすればいいのかわからなくてウロウロしているだけかもしれないけれど、それでもいいんです。人の仕事を見ると、思いがけないところで神経を使っていることがわかるから。

栗林こうやってつくってるんだって意外に思うことが多いかもしれませんね。

鴻池パッと見は嫌いだったり、興味がなかったりした作品でも、関わってみると意外な側面があると実感できますよね。私は美術館に展示される作品がほとんどつまらなく見えてしまっていたのですが、他の展示作業を手伝ったり、作家の話を聞いてみると驚くことが多くて、人によって大事にしているものがまったく違うことを知りました。違いを理解することで、ようやく相手を尊重もできます。つまらないとバッサリ排除することはいくらでも可能なのですが、一見してくだらないものやつまらないものにも、人間が本来持っている不思議なセンサーを経由して関わっていけることが、アートの面白さなのかもしれないですね。

撮影場所:『六本木アートナイト2023』(会期:2023年5月27日~5月28日)期間中の国立新美術館および六本木ヒルズアリーナ

取材を終えて......
アートナイトの開催前日に行われたこの対談。おふたりの思いが次々と溢れてくるような内容になりました。手厳しいご意見と受け取る人もいるかもしれませんが、おふたりが繰り返すように、今が変わることのできるチャンスなのでしょう。美術に直接的に関わる人も、そうでない人も当事者意識を持って、目の前のこと、足元のことに誠実に向き合うこと。遠い未来ではなく、今に集中することが、明るい未来を創るという言葉が印象的でした。(text_ikuko hyodo)

前編はこちら

鴻池朋子

鴻池朋子 / アーティスト
鴻池朋子 / アーティスト

絵画、彫刻、パフォーマンスなど様々なメディアと、旅によるサイトスペシフィックな表現で芸術の根源的な問い直しを続けている。 近年の個展:2009 年「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」東京オペラシティアートギャラリー、鹿児島県霧島アートの森美術館、2016年「根源的暴力」神奈川県民ホール、群馬県立近代美術館/芸術選奨文部科学大臣賞、2018年「Fur Story」Leeds Arts University、「ハンターギャザラー」秋田県立近代美術館、2020年「 ちゅうがえり」アーティゾン美術館/毎日芸術賞受賞、2022年「みる誕生」高松市美術館、静岡県立美術館など。 グループ展:2016年「Temporal Turn」スペンサー美術館・カンザス大学自然史博物館、2017年「Japan-Spirits of Nature」ノルディックアクバラル美術館、2018年「ECHOES FROM THE PAST」シンカ美術館、2022年「Story-makers」シドニー日本文化センターなど。著書に『どうぶつのことば』絵本(羽鳥書店)など。

栗林隆

栗林隆 / 美術家
栗林隆 / 美術家

武蔵野美術大学を卒業後、ドイツに滞在。2002年デュッセルドルフ・クンストアカデミーをマイスターシューラーとして修了する。東西に分かれていた歴史をもつドイツ滞在の影響もあり、「境界」をテーマに様々なメディアを使いながら制作を続けている。シンガポール国立博物館(2007)、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(2013)での個展をはじめ、シンガポール・ビエンナーレ(2006)など国際展への参加も多い。国内でも十和田市現代美術館に《ザンプランド》(2006)が恒久設置されている他、「ネイチャー・センス展」(森美術館、2010)などのグループ展にも数多く参加している。

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