能が持つ日本のDNAを新しい形で伝える。
日本の伝統芸術である能の中でも、「謡(うたい)」の奥深さに魅了され、追求してきた青木涼子さん。けれど、その活動は単に伝統を継承していくことではなく、伝統に息づく日本特有のDNAを大事にしながら、謡という素材を通して新しい芸術を生み出すことです。2010年からは世界の第一線で活躍する現代音楽の作曲家たちとタッグを組み、謡の魅力を別の角度から引き出す「現代音楽×能」を主催。2013年にマドリードのテアトロ・レアル王立劇場(Teatro Real)での衝撃的なデビューを皮切りにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(Royal Concertgebouw Orchestra)、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(Ensemble intercontemporain)などヨーロッパの名だたるオーケストラやアンサンブルとの共演を重ねながら、常に新しい謡の形を発信しつづけています。青木さんの歩んできた道のりと共に、海外で感じる芸術、アートの在り方や、日本の伝統芸術が進む未来などを語っていただきました。
私は大分県出身ですが、東京にはじめて家族で遊びに来た時に宿泊したのが、溜池山王にある「全日空ホテルズ(当時)」でした。隣接するカラヤン広場に行くと、今回撮影をしたサントリーホールがあって、テレビの生中継をやっていて。まさに都会という感じで、とても興奮したのを覚えています。その後、大学入学のために上京しましたが、それからはサントリーホールにコンサートに行ったり、今も夏になるとサントリーホールに毎日のように通っています。私にとってはあこがれの場所であり、今も足を運ぶたびに気分が上がる"晴れの場"です。
そのサントリーホールの舞台に、はじめて立たせていただいた時はとても感動しました。『サントリーホール サマーフェスティバル2021』では細川俊夫先生作曲のオペラ『二人静 〜海から来た少女〜』を上演したのですが、これは2017年にアンサンブル・アンテルコンタンポランと彼らの本拠地であるパリで世界初演をした作品。その後、ドイツのケルン、カナダのトロント、韓国のトンヨン、アメリカのニューヨークで公演をし、サントリーホールで日本初演を果たしました。
実は、『二人静 〜海から来た少女〜』では私の声をいつもPAで拡張していたのですが、サントリーホールでは、はじめてPAなしで歌いました。オーケストラの音域と私の音域がちょうど重なるので、私の声が聞こえづらいのではないかと、細川先生は最初心配なさっていたのですが、ホールの音響が本当に素晴らしくて。サントリーホールの音響設計をされた豊田泰久さんは、世界の数々のホールを手がけられていて、建築家のやりたいことを生かしつつ、しっかり音響環境をつくられる方。豊田さんにも本番で実際にお聞きいただき、PAなしでよく聞こえていたととても喜んでくださいました。
『二人静 〜海から来た少女〜』は劇作家の平田オリザさんが能『二人静』をベースに、現代を反映して書いてくださった脚本をもとに、細川先生が能の"謡"、ソプラノ、そしてオーケストラの編成で作曲したものです。能と聞くと、能面をした役者が舞う姿を想像される方が多いのではないでしょうか? 私も最初は同じイメージを持っていましたし、幼い頃からバレエをやっていたので、はじめて能のお稽古へ行く時は舞う気満々で向かいました。でも、そこで教わったんです。「まずは座って謡いなさい。能において謡が一番大事だよ」と。
2017年にパリで初演された細川俊夫作曲オペラ『二人静 ~海から来た少女~』(原作:平田オリザ/出演:青木涼子、シェシュティン・アヴェモ、マティアス・ピンチャー指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン)もともと声を出すことは好きでしたが、低くて女の子らしい高音が出せないこと、それで、合唱でみんなとキーが合わず歌えないことが、子どもながらに嫌だなと感じていました。でも、謡は低い声がいいとされる。コンプレックスでもあった声が、むしろ合っていたんです。そして、お稽古を重ねるごとに独特の歌唱の面白さを知り、味わい深くて魅力のあるものだと感じるようになりました。
その後、東京藝術大学で能を学んでいましたが、実技だけでなく、もっと学術的にも学びたいとロンドン大学へ留学をすることに。当時、とても苦労したのが能を客観的に見るということでした。長く能の世界にいたので、どうしても近すぎて見えないことがある。英語で博士論文を書く時にも、先生に「なぜ、客観的に書けないの?」と何度も指導を受けましたね。けれど、600ページに及ぶ論文を書くうちに、だんだんと客観視できるようになっていきました。能を習っていた頃は、みんな一言えば十が分かるという環境だったので、知らない人に説明する機会自体がありませんでした。でも、海外の方のほとんどは能を知らないので、基本の説明をすることからはじまる。ほぼ知識がない人に、どう説明すればいいんだろうと、一つひとつ考えることが客観的に見る視点につながったのかな、と。
学生時代から、能とは異なる分野との共演をやっていましたが、湯浅譲二先生との出会いは大きな出来事のひとつでした。先生がずいぶん前に書かれた『雪は降る』という、謡と西洋楽器のアンサンブルの曲があって、過去一度だけ上演されたそうです。ある時、ご自宅を探されたら、その譜面が出てきたそうで。何十年ぶりかに再演したいから、この曲を謡える人を探していると声をかけていただきました。『雪は降る』を謡った時に感じた、「西洋楽器と謡は合うんじゃないか」、「謡には凡庸性があるんじゃないか」という期待は、能楽師でも研究者でもない、能声楽家という第三の道を選ぶきっかけを与えてくれました。
謡は、西洋の声楽家には出せない独特でユニークな声が強み。通常はお囃子と一緒に奏でられるものですが、これをオーケストラやアンサンブルにのせたら、どうなるんだろうと考えた時、その広がりにとても興味が湧いたんです。何より、謡の魅力を世界中の方にもっと知ってもらいたい。そこから、謡を素材とした作品を現代音楽の作曲家たちとつくり、能声楽家として世界で公演をする今のスタイルへとつながっていきました。
現代音楽との融合を考える中で、最初にぶつかったのが楽譜や音楽構造が違うという点。能は音程、リズムなどの指定がありません。楽譜と台本がセットになった"謡本"はありますが、基本的に師匠から口伝で学んでいくため、西洋音楽のように楽譜に記述して再現するという芸術とは違うんですよね。かつ、"謡本"はもちろん日本語で書かれているので、海外の作曲家にとってはハードルが高い。そこで楽譜に起こし、音源化して、謡とはなにか、謡を素材としてどう作曲すればいいのかを日本語、英語の両言語で説明したウェブサイト「作曲家のための謡の手引き」を制作しました。
このサイトで作曲家の理解が大分深まりました。しかし、はじめて謡に触れる作曲家が長年能を学んだ日本人と同じような理解をするわけではありません。もちろん思わぬ理解の仕方や誤解をするということもあります。でも、私はそこに面白さがあると思っています。作曲家の方は純粋に音楽素材として謡を取り上げるので、「ここが面白い」と思ったらその側面に注目して書く傾向があります。
例えば、今年2月にマドリードでスペイン国立管弦楽団とスペインを代表する作曲家ホセ・マリア・サンチェス=ベルドゥ「Hacia La Luz(光に向かって)」という曲を世界初演したのですが、彼には西洋音楽の歌手では決して出さないような音色を強調して歌ってほしいと言われました。ずっとビブラートがかかっているような謡特有の発声法です。また、謡には「の~」と下から上にあがるように謡うことがよくあるのですが、私たちの認識ではあがった先の音を出すという意識で、前の音は準備段階のようなもの。でも、その準備をすごく気に入って強調した作品をつくった方もいました。
そもそも古くから伝わる謡と既存の西洋音楽を、表面的にちょっと合わせるということには私自身、興味がなくて。やりたいことは能をコピーすることでも、再生産することでもなく、謡を用いた新しい芸術をつくること。だから、自分の声は素材の一部でいい。その素材を使って、作曲家に"自分の曲"を書いてほしいというのが私の願いです。つくった曲を聞けば、作曲家の興味がどこにあって、どう謡を捉えたのかが見える。その視点が、私自身が気付いていない謡の魅力の再発見にもつながっています。作曲家の思わぬ誤解は決してマイナスではなく、新しい作品が生まれるという大きな醍醐味でもあると思っています。
撮影場所:サントリーホール 大ホール(1枚目)、ホワイエ(2〜4枚目)
青木涼子さんが登壇した「六本木アートカレッジ」のアーカイブ動画が配信中です。ぜひあわせてご覧ください。
「六本木アートカレッジ スペシャルワンデー」
能×現代音楽 伝え手と受け手の"曖昧さ"がもたらすものとは?
2022年3月21日開催
※アーカイブ動画は2022年5月8日23:59までご視聴いただけます。
申込期日:2022年5月1日(日)17:00まで
https://6mirai.tokyo-midtown.com/event/artcolledge_specialoneday_2022/index.html