境界線をまたぐ多様性と妄想に満ちた空間を。
千房けん輔さんと赤岩やえさんで結成され、現在はニューヨーク在住のアート・ユニット、エキソニモ。インターネット黎明期からインターネットを用いた作品を発表し、インスタレーションやパフォーマンス、イベント主催など様々な活動を行っています。現在、六本木ヒルズの東京シティビューで開催中の『楳図かずお大美術展』で作品を展示しているエキソニモに、題材として取り組んできたインターネットの変遷、NFTやメタバースといった近年のテクノロジーへの印象、ニューヨークでの経験などについて、東京とニューヨーク間を繋ぎ、お話を伺いました。
千房けん輔僕らはメディアアートの制作を通じて、いつも境界線について考えてきた気がします。バーチャルと現実、デジタルとアナログ、人間とロボット。境界線の位置は常にアップデートされて、時代とともに変わっていくものでもあります。活動をはじめた頃には、インターネットはアーリーアダプターが使う特別なものだったけれど、今では誰でも当たり前に使ってますよね。そんなふうに、ふたつの間の境界線は、違うところに移動したり、別のところに生まれたりする。どこに境界があるかを探るのが、ひとつの活動のスタイルになっていきました。
赤岩やえ以前は、インターネットは、「いってきます!」みたいな、接続する瞬間を意識して飛び込むものだったのに対して、今は片足、というか両足を常に突っ込んでるようなものですよね。そうしてインターネットと現実世界の境界線が曖昧になっていったりして、その変化が面白いな、と。
最初に境界線を意識したのは、インターネット上のみで発表していた作品を、リアルなスペースで展示した時。展示だと、紙だったら紙にフィックスしないといけないし、お金もかかるので興味がなかったのですが、2000年にふとしたきっかけで展示に参加することになったんです。インターネット空間にしかなかった作品が、境界線の外に出たのが新鮮な体験でした。
千房『楳図かずお大美術展』で制作したインスタレーション作品《回想回路》は、漫画『わたしは真悟』を題材にしたもの。コンピュータが人格を持ちはじめたり、AIが仕事を奪ったりと、古い作品でありながら現代の問題を鋭く指摘していて、僕らがやってきたこととシンクロするし、すごくシンパシーを感じました。今回、フルリモートで作品のインストールを行ったのですが、実はまったくストレスを感じなかったんです。
リモートって、考えてみると面白くて。アートの展示はある意味、もともとリモートじゃないですか。歴史的に言うと、アーティストが現場に行って自分で設営できることってあまりなくて、例えばピカソやデュシャンなど、歴史的な作家の展示は作家の死後にも行われ続けるので、そう考えるとほぼあの世からのリモート展示。作品を通して伝えるということ自体もメディアを媒介にしている時点でそうですよね。展覧会とアーティストの関係、作品と鑑賞者の関係は、新しい観点でまだまだ掘り下げられそうで、気になってます。
赤岩でも、リモートで難しかったこともあったよね。≪回想回路≫は音を使う作品なのですが、現場で直接確認することができなくて、調整しづらさを感じたり。
千房そうそう、例えば、Zoomでニューヨークと現場を繋ぐのですが、ノイズキャンセルが強く機能しすぎてまったく現場からの音が聞こえないんです。なので、六本木の優秀な制作スタッフの感性を信頼して設定してもらうという形で進めました(笑)。
赤岩でも、やっぱりいいこともある。昨年のWAITINGROOMで行った個展『CONNECT THE RANDOM DOTS』の時も、ニューヨークから帰国することができなかったので、すべてリモートでやったんですが、現場に行けないことで、いろんな介在が減って、コンセプトの段階から鋭いままの形で作品を実現できました。現場にいたらもっと盛り込んでいたと思います。
千房『CONNECT THE RANDOM DOTS』では、NFTを扱ってみたのですが、特にメディアアート業界では、まだNFTアートについて賛否両論で。僕としては、電力消費による環境負荷が大きすぎるなど、NFTの問題はまだあると思うのですが、背景にあるブロックチェーンという技術自体は面白いので、特に否定する気分にはならなくて。
ブロックチェーンは世界中のコンピュータが計算して維持しているから頑丈なシステムであると信じられているのですが、たったそれだけでものすごい価値が生まれていることが、人間の進化の過程で生まれた認識をシンボリックに実現してしまっているな、と。そもそも、お金とかアートは、何を価値とするかは人間自体の特質が関わっていて、それをコードを走らせてシステムとして実現しているのが面白いですし、何もないところに急に価値が生まれるところに、やっぱり人間くささも感じる。だからブロックチェーンもどこか芯を食っている気がして、まだまだ探求すべきだという予感があります。
赤岩ニューヨークでも、アーティストたちの中でNFTに対して、良い、悪いがぱっきりと分かれている状況で、早い人はすぐに手を付けていて、私たちは遅いくらいだったのですが、結局やってみないとわからないよね、ということでとりあえず、東京での個展の前にオークション形式で何点かNFTアートを販売してみました。NFTアートを嫌う人の中には「クオリティが低い」「アートだと思いたくない」と思う人が多くて、その気持ちもわかるのですが、可能性を少しでも感じるなら飛び込んだ方が面白いし、ちょっと雰囲気が、インターネットの初期の頃と似ているんですよね。
インターネットアートも初期の頃は誰も振り向かなかったし、アートだなんて誰も認めなかった。そこから少しずつ形を成していった歴史がある。同じようにNFTアートも、良いものも悪いものもごちゃごちゃと混じりながら、それを外から見るより、中でやった方がやっぱり面白いと思っています。こんなことが起きてるインターネットって久々だよね。
千房そう。で、やっぱり嫌われてるところがポイント(笑)。
千房仮想通貨ってお金のバーチャルバージョンですよね。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』では、人間として一歩進んだ時に、嘘や架空の話を信じることができるという能力の獲得、つまり認知革命が起きた、と言っているんです。例えば、宗教や国も、仮想の概念ですよね。で、そうなると、インターネットも人間のバーチャルな認知を追従して生まれてきたわけで、そこまで遡ることができる。あらゆるものをバーチャル化しようとすること自体が、人間の本質であり、必然だと思います。そういう意味では、今さら変化を恐れてもしょうがない。
赤岩そもそも新しいテクノロジー自体には、そんなに期待していないんです。普段から、みんな、自分は変わりたいと思っていて、その思いにテクノロジーが応えてくれるから、多くの人が飛びつくと思うんです。でもその行く末が良いのか悪いのかはわからない。SNSは、トランプのような人をつくりあげたとも言えますし。
千房テクノロジーも社会も、行ったり来たりの揺れがあるのがヘルシーで、止まってしまうことの方が危険なのかもしれない。Facebookがmetaになり、メタバースを進めていますが、たぶん一度はダメになって20年後くらいにやっと実現されるんじゃないでしょうか。パンデミックが終われば、みんなバーチャルはそっちのけで外に行って遊ぶでしょうし、夏頃になったらNFTなんて買う人はいなくなるんじゃないかなとも思ったりもして。そういう揺らぎこそがエネルギー源だと思っています。
※画像はオンラインインタビューで撮影したスクリーンショットを使用しています。