ものづくりもデザインも、多数決が一番面白くない。
絵本『えんとつ町のプペル』をきっかけに、僕の地元の兵庫県川西市に美術館をつくることになって、その美術館の周りに「えんとつ町」の世界観を再現した町をつくろう、という話も進んでいます。その美術館と町づくりで参考にした本があって。ひとつは森稔さんが都市再生について書いている『ヒルズ 挑戦する都市』。もうひとつが東京ディズニーランド誕生の物語『海を越える想像力』。
えんとつ町のプペル美術館
共通しているのは、結局、託してもらわないと、町なんてつくれない、ってことですね。お前に任せる、という状況をつくらないと、六本木ヒルズにしたってディズニーランドにしたってつくれない。同時に、ヒルズは住民のカルテをつくって一人ひとりと丁寧に対話していて、ディズニーランドは、シンプルに地元の人とたくさん飲み会をしていて(笑)、それは、むちゃくちゃ参考にしました。まずいきなり美術館なんてつくっちゃだめだし、いきなり上から目線の住民説明会なんて絶対にダメ。
川西市で僕が最初につくったのはスナックで、そこを憩いの場にしてもらって、僕も足繁く通って、地域の人たちと飲んで、あれやこれやと話を聞き、困ったことがあったらお手伝いもして、それで「西野くんがやるんだったらいいよ」っていう状況をつくってから、美術館をスタートさせようって決めました。挨拶に行く順番も大事で、その順番をすっ飛ばすと、何も進まない。いきなりステージの上から話しはじめようものなら、絶対に反対される。なぜ反対するかって、怖いからですよね。東京から来た知らないヤツに変なことされるんじゃないかっていう。信用が足りてない。賑やかになるんだから、いいでしょ、っていうのは乱暴で、変にうるさくなったらどうしようって人もいるわけで、その不安と向き合わないといけない。
個人に任せてもらうためには、任せてもらうだけの努力をする。根回しもするし、ドブ板営業みたいなこともする。そこはセンスとかじゃなくて、量。圧倒的な量を、むちゃくちゃ頭下げてやる。そうじゃないと、面白い町はつくれない。僕は面白いものがつくりたいし、面白いことがしたいんです。街でいうと、歩いているだけで楽しい、とか、ちょっとエッジが効いてないと。全部バリアフリーにしてしまうんじゃなくて、ここは道が狭くなるけど、こっちの方が楽しいからよろしく、っていうことも必要なんだと思います。
六本木を面白くするためにも、やっぱり、任せる、とか、託す、っていうのが鍵になる気がしていて、例えば、「六本木アートナイト」の総合プロデュースを、いっそ誰かひとりに任せたらどうですか?
アートナイトって、いい起爆剤だと思うんですけど、そもそも、イベントの中の役割ごとに責任者がいます、っていうのがダメで、今年は全部、この人に任せる! っていう、一極集中型の総合プロデュースのほうが面白くなると思うんですよね。その人は、クリエイティブと広告、つまり、つくることと伝えることの両方ができないといけないんで、できる人は限られるとは思いますが......。しかも、むちゃくちゃワガママで、人の意見を聞かない人。その他大勢の説得にも絶対に折れない人じゃないといけないですね。
必要なのはエゴですよ、エゴ。熱い思い、とか、そういうきれいな言葉に言い換えていると伝わらないから、あえて言うんですけど、イタリアの都市フィレンツェだって、メディチ家の独断で出来上がったからこそ、他にはない街になったわけで、やっぱり個人の圧倒的なエゴでしか、未来は切り拓けないと思います。一部からは熱狂的に嫌われているくらい、超わがままで、エゴを貫ける人。例えば僕とか、蜷川実花さんとか、チームラボの猪子寿之さんとか(笑)。ここで名前が上がっても、まったく嬉しくないと思いますけど、あと誰だろう......。なかなかいないですよね。やっぱり、みんな、ちゃんとしすぎているし、周りに気を使っちゃう。でも、本当に面白くしたいんだったら、言ったことは貫かないといけないし、自分が思っているものと違う方向に事が進むくらいなら、締め切りの直前でも下りる、って言えるくらいの覚悟がないとダメです。
ある仕事のオファーをいただいて、何らかの形で関わることになったとして、「最初から最後まで思い通りにさせてくれないと絶対に上手くいかないんで」って約束ではじまったとしますよね。それなのに、途中で誰かお偉方の意見が入って「やっぱり難しい......」ってなったら、僕はその仕事、下ります。だって、ひとつでも妥協してしまうと、それまでかけたお金も労力も全部無駄になってしまうので。妥協したことで非難を受けない代わりに、誰からも注目されないものになって、1円も生まなかったら意味がない。
何が嫌かって、ちゃんとした結果が出なくなることが嫌なんです。人を何十万人呼ぶとか、何億円の利益を生むとか、最初に決めた目的は、超大事です。そこにちゃんとたどり着くこともせず、結果は出なかったけど、がんばったじゃん、みんな納得じゃんって、すごい嫌です。今後もオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』でやっていきたいことはいっぱいあって、フィリピンのスラム街の支援だったり、ラオスでの小学校の建設だったり、いろいろですね。いろいろですけど、決めていることは、世界に通用するエンターテイメントを届けること。そのためには、今までのやり方に囚われずに、時々寄り道をしながら、なるべく正しいアプローチをしていきたいと思っています。
オンラインサロンの会員も3万8,000人になると、中には上場企業の経営者もいるしトップクリエイターもいる。そうなると、最近は企業から広告をつくって欲しいっていう依頼が直接来るようになりました。1人のタレントが広告代理店をやっちゃうっていう。予想もしていなかったので、面白いですね。ただ僕は自分が好きじゃないと、いくらお金を積まれてもやらない。そのうえでの広告代理店業は、面白くなるんじゃないかな、と感じています。
『えんとつ町のプペル』の中で主人公が言われる言葉に、「空気読めよ、お前もこっちこいよ」って言葉があるんですけど、僕むっちゃくちゃ言われたんですよ。嫌な言葉ですよね。自分が「テレビ番組のひな壇には並ばない」と言ったときも、国民のみなさまから、空気読めよ、と。芸人はみんな出ているんだから、一緒に出ろよって。
なんでそんなこと言うんだろう? なんでそういう思考になるんだろう? 自分以外の人に対して、空気を読めって、何なんだろうって、ずっと分からなかった。でも、だんだん分かってきたんですけど、そう言う人って、どこかのタイミングで、自分に折り合いをつけた過去があって、折り合いをつけてない人は不快でしかないし、もっと言えば、折り合いをつけないヤツがそのまま突き進んで、結果なんて出そうものなら、あの日折り合いをつけた自分が間違いみたいになってしまう。それが怖いんだと思うし、そうなる前に潰しておかないと、自分の身が守れない。人をイジメたりとか、SNSで誰かを攻撃するときの構図って、大体それなんじゃないかと思うんですよね。折り合いをつけた自分を守りたい。でも、そんなの虚しくないですか?
絵本の中では、煙の向こうに星を見ようとしている主人公に対して、いじめっ子が、空気読めよ、やめとけよ、って言うわけですが、映画版では、そのいじめっ子側の物語も描かれています。実は、物語の全体の3割くらいしか絵本にはしていないので、主人公のお父さんの話もメインなんですけど、やっと映画で分かる感じです。僕らの周りでは、映画けっこういけるんじゃないかって手応えがあって、やるからには、とにかく結果を、数字で出したいって思ってます。
取材を終えて......
結果を出すためには何をしたらいいか。インタビュー中、何度も、「結果」という言葉を口にした西野さん。変化球じゃなくてストレート、王道のアプローチを信条とすることや、圧倒的な努力の「量」を自分に課している理由は、その「結果」への責任感の強さなのだと感じました。映画『えんとつ町のプペル』は2020年12月に公開予定。遠からぬ未来、実現するに違いない美術館も楽しみです。(text_tami okano)
(撮影協力:六本木ヒルズ 六本木けやき坂通り)