クリエイターインタビューで生まれたアイデアを実現するプロジェクトの第15弾は、六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに先生になってもらい、その人ならではの、美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。 第1回の先生は、グラフィックデザイナー長嶋りかこさん。ガイド役は、森美術館キュレーター椿玲子さんです。教室の舞台となったのは、『レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル』。一体どんな美術教室になったのでしょうか。
さまざまなグラフィックのデザインを手がける、長嶋りかこさんが訪れたのは、森美術館で開催中の『レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル』。本展覧会のキュレーションを務めた椿玲子さんとともに館内へと足を踏み入れると、真っ暗な部屋にゆらゆらと5艘のボートが浮かぶ作品『反射する港』が目に飛び込んできました。
『反射する港』 2014年
椿玲子 この作品、どうなっているかわかります?
長嶋りかこ えっと......あ、水があるわけじゃなくて、水面に映った舟も立体物なんですね。おもしろい!
椿 そうなんです。"ボートは水に浮いているもの"という思い込みで、水があるように見えただけなんです。いかに私たちが固定概念をもって、ものを見ているかに気づかされます。"イメージ"は実際に存在するものを超えていけるんじゃないか、という強さも感じる作品。この作品は『反射する港』というタイトルですが、まさに"この港 から、作品と戯れる場所へと旅立ちますよ"という意味も込めて、最初の展示作品にしたんです。
長嶋 なるほど。展示の編集次第で、展示の読後感が変わりますもんね。だからこそ、展覧会に来ると、作家やキュレーターの意図を感じ取りたくなるんです。なぜ、この作品を1番目に配置したのか、そう考えるだけでもおもしろいですよね。
今回、エルリッヒの展示としては過去最大級。彼の作品は視覚的な錯覚を利用して、見る人の"当たり前"や"思い込み"に揺さぶりをかけます。一見、楽しい体験型アートに見えて、その奥にはメッセージ性を透けさせた作品も少なくありません。
椿 エルリッヒは前面にメッセージを押し出すアーティストではないのですが、社会的な批評性を持った作品ももちろんあります。ただ、日本では彼のそういった部分を見られる展示がなかったので、今回は見せていきたいなと思っていました。
長嶋 やっぱり、世の中のできごとへのリアクションがあるアーティストなんですね。過去に金沢21世紀美術館で彼の作品展を鑑賞したときは、日常をどう捉え、視点をいかに揺さぶるか、という、見た人の心の持ちようの提案をする部分を強く感じて。なので、どちらかというと、政治や環境問題など、社会で何か起きたときに、リアクションとして作品を作るタイプではないのだろうなと思っていたんです。
椿 エルリッヒはオープンで誰もが楽しめる作品を作れる、すごく頭のいい人。空間への認識力が高く、"こうしたら、人はこう動く"というのをわかって、作っているんだと思います。
2番目の作品『雲』は、思わず写真を撮りたくなってしまう、シンプルで美しい作品。ただ、一歩踏み込んだ見方をしてみると、社会的視点を持った作品のひとつです。雲の形をよく見てみると、フランス、イギリス、日本などの国や島の形をしていて、それぞれガラスの上にセラミック・インクで表現されています。そこに作家が込めた思いとは。
雲 2016年
椿 『雲』はイギリスがEUを離脱するかどうかという時期に、エルリッヒが考え始めた作品なんです。雲は形が変わるもの。もっと言うと形がないからこそ、人が想像力を投影できるんですよね。
長嶋 たしかに。小さい頃、雲の形を見て何に見えるかっていう遊びをしましたよね。
椿 そうそう。もっと言えば雲だけじゃなく、地形も動いているので。国も私たちが現在の地底学的な視点で、単に境界線を引いたにすぎないんですよね。そんなことを考えさせられる作品だと思います。
長嶋 エルリッヒの見えていなかった一面を知ることができてよかったです。彼の社会派の一面を、自分のなかでは明確にはわかっていなかったので。
椿 政治性を前面に出さず、体験して楽しんでいる間に、実は......と、考えてしまうような表現ですよね。作品の見方って人の数だけあるので、その人なりのリアルを掴みとればいいと思うんです。ただ、その作品の背景までは何かしらテキストを読まないと見えづらい場合もありますよね。背景を知ることで、作品の見方も変わることもあるんです。
本展覧会では会場の奥へと進むにつれて、自分が作品の一部となって楽しめる、"体験できる"作品が増えていきます。鏡の向こうにいくつもの試着室がつながっていたり、複数の鏡を介して映り込む自分が見えたりと、不思議な世界を体感できる『試着室』や、鏡と思っていたものの向こう側に、別の現実世界が広がっているという予想外の仕掛けの『美容院』に、長嶋さんも「なるほど、おもしろい!」と声をあげていました。
椿 港を出発してから、いくつもの作品を経て、この『美容院』あたりまでくると、みなさん結構はじけるんですよ(笑)。親子や友だち同士でふたつの世界を行き来したり、いろんな構図で写真を何枚も何枚も撮ったり。最初に体験型アートを持ってきちゃうと、アトラクションのようなテンションになってしまうので、最初は静かに始めて、だんだんと遊びのあるものへと移行して。そういう緩急をつけて、構成したんです。
長嶋 作家を"もうちょっと別の角度で紹介しよう"という、キュレーターの思いや考えによって展覧会の編集ってまったく変わるんでしょうね。実際展覧会をキュレーションした椿さんの話から、展覧会の組み立てのおもしろさを感じます。
椿 ありがとうございます。ただ、見に来てくれたお客さまには、考えすぎずそのまま素直に楽しんでもらえたらなって。きっと作品に出会ったときに、自然と体が動くと思うんですよ。
【アートの見方#1】
体験型アートは、まずは触れて楽しんで、その後作品の意味や背景を考えてみる。
そして、展覧会のクライマックスには、参加型の大型インスタレーション『建物』が登場します。床に寝転がった状態で設置された建物の壁面で、45度の傾きで超巨大鏡面が配置されており、観客は鏡を見ながら思い思いのポーズをとって楽しむという作品です。友だちや家族と体感するだけでなく、見知らぬ人と触れ合ったり、見る側、見られる側になったり。絶妙なコミュニケーションで成立する空間というのも、本作のおもしろさです。
椿 『建物』もそうですけど、人がいなかったら割とつまらないんですよ。写真を撮るなら自分だけでなく、ほかの人にもおもしろいポーズをとってもらったほうが楽しいじゃないですか。知らない人とその場で出会って、同じ空間で同じ作品を一緒に作りあげる楽しみを味わってもらえるんじゃないかなと思います。
『建物』 2004 / 2017年
長嶋 なかなかないタイプの作品ですよね。
椿 遊園地に来ているような感覚で子どもは素直に楽しめますし、大人の方は作品のなかに見える現代社会についての批評的な視点について、考えることもできる。だから、今回は作品解説を作品を体験した後に見てもらえる位置になるべく置いているんです。最初に読んでしまうとおもしろくないから。
長嶋 たしかに、作品解説の位置がいつもの展覧会とは違いました。そういうところも考えられているんですね。
【アートの見方#2】
参加型のインタスタレーションは、知らない人との一期一会を楽しむ。
展示を見終えた長嶋さんは、「日を改めてもう1回見に来たいです」と大満足の笑顔。
長嶋 展示室を出ても、展覧会の延長っていう感じがします。なんか、違うものの見方が身についているような。ちょっと、感覚が変わっているんですよね。
椿 エルリッヒの作品は日常にある空間が、ちょっと変わったものとして存在しているので怖さを感じる人もいるかもしれないです。この展覧会には、ある種の居心地の悪さみたいなものがあると思います。つまり、アートによる操作というか。もともとあるルールを中から壊しながら、違うものを作り出すというような可能性があるんじゃないかなと思うんですよね。
長嶋 たしかに。今回なら目の前にある物事の見方を変えるだけでなく、社会で起こっているできごとへの見方を変えるような作品、アプローチを体感しました。自分がその視点を持ったとき、毎日起こっていることが、本当に正しいんだろうかと考えたり。これまでの概念とは違うものの見方ができますよね。
椿 なかなか自分と向き合う機会がない人もいると思うんですが、美術館に来て気になったら立ち止まって見る、考えてみるという時間を持つのも悪くないと思います。
長嶋 展覧会を見て、自分は何が気になったのかをちゃんと考えると、自分が見えてくるような。自分が引っかかったポイントって、今疑問に思っていることや関心のあることを、鏡のように反射させるんだと思います。
椿 そうですね。美術館っていうだけで敷居が高く感じる人もいると思いますけど、まったくそんなことはなくて。私は以前、パリに住んでいたことがあるのですが、八百屋さんも数学者も関係なくみんな見て、"おもしろかった""おもしろくなかった"と感じたことを言い合える環境だったんです。日本も、そうなっていくといいなと思います。だからもっともっとたくさんの方に、美術館に気軽に来ていただけたらと思います。
【アートの見方#3】
「気になったことは何か」をちゃんと思い返して、今の自分の心のあり方と照らし合わせてみる。