102 目[mé](現代芸術活動チーム)後編

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現代アーティストの荒神明香(こうじん・はるか)さん、ディレクターの南川憲二さん、インストーラーの増井宏文さんを中心メンバーとする、現代芸術活動チーム「目[mé]」。簡潔にしてインパクトのあるチーム名の通り、不確かな現実世界や普段意識しないような現象を「見る」ことに徹底してこだわり、作品を発表するたびに話題を呼んでいます。今回は南川さんと荒神さんに、森美術館で開催中の「六本木クロッシング2019展:つないでみる」で発表している新作について、そして作品や鑑賞者とのつながり方、チームとしてつながることで可能になることなどをうかがいました。

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update_2019.3.13 / photo_yoshikuni nakagawa / text_ikuko hyodo

いい作品を生むために、アーティストを辞めるという選択。

荒神日常でふと気づいたり、思いついたりしたことを、子どもの頃からよくスケッチしていたんですけど、自由に発想するところまでは純粋に楽しくできるんです。そこからいざタイトルを考えたり、人に見せることを考え始めると、テンションがガクッと下がってしまって。さらに制作に入ってくると、いろんな人と協力し合って進めることが大事になってきて、そういったことを仕切るのが苦手だったんです。

その点、目としてチームでやっていると、自分の得意なことに集中させてもらえるのがありがたいですね。私が気づいたことを南川が具体的に言葉やプランにして、増井が実際に制作していく過程でも、想像できなかった手法が出てきたりして、それによって自分の頭のなかでも全然違うかたちになっていくんです。お互いを信頼し合っているからこそ、それぞれの仕事を全うできるし、チームでいるほうが自分らしくいられるんですよね。

wah document

目の結成以前に行っていた、南川さんと増井さんによる表現活動。川の上でゴルフをしたり、一軒家を人力で持ち上げたりなど、作品のアイディアを子どもや一般から募集し、参加者と実現に移すプロジェクトを各地で展開。

南川荒神とは東京藝大の大学院で知り合ったのですが、当時、僕と増井は「wah document」として、アイデアを広く募集してそれを実現するっていう、アーティストの特権性を逆手に取ったような活動をしていました。そんななかで、1歳のときの記憶を引っ張り出して作品にしているような荒神を本物だなと思って、才能に惹かれていたんですけど、僕自信がそれを認めたくない時期が結構あって。自分の活動が唯一無二だというような偏った思いがモチベーションになるものだから、そうではないかもしれないっていう事実が受け入れられなくて、「僕っていいもの持ってる?」って知り合いにしつこく電話したりして(笑)。

でもこの人の持っているものが、自分よりも圧倒的にすごいってことを認めたらどうなるんだろうと考えたとき、それぞれのクリエイティビティを特化させる、チームという形体を思いついたんです。アーティストは十人十色っていいますけど、マネージメントがうまい人とか、コミュニケーションが得意な人とか、たしかにいろいろいますよね。

だけど現状の美大の制度だと、アート作品をつくりたいと思ったら、ひと括りにアーティストと名乗って活動していくという選択に偏りがあって、相当数のアーティストが毎年輩出されることになっている。それをインストーラーとかコーディネーターとかマネージャーとか、本人に適応したかたちでクリエイティビティをより細分化できれば、もっといい活動や表現が生まれるだろうし、アートシーンがもっと活性化していくはず。今は言わば、求められている数に対して、参加するアーティストの数が多すぎるデフレの状態。でも最も大事なおもしろい作品や新しい活動は全然足りていない。そんな滞りを変える、最初の事例になってやろうという思いもあって、割り切っていこうと思いました。

わからないことを受け入れる余白が、人生を楽しくする。

南川アートは死ぬとか生きるとか、いわゆる死生観と直結できるところがおもしろいと思っていて。僕はもうすぐ40歳なんですけど、自分があと4〜50年生きていくのにどれくらいお金が要るんだろうとか、考えますよね。ほとんどの人がそんなことを考えてるとかって思うと、やっぱり「この人生って何?」とかって普通に思いますよね(笑)。でもまずは、生きていくことを肯定できることが不可欠で、そういった意味でも、僕はそれができるのがアートだと思うし、何か今にも見失ってしまいそうなものをひっくり返したいですよね。

荒神生きること自体がそれなりに大変だから、わかること、理解しやすいことのほうにどうしても反応してしまうじゃないですか。でもわからないことを肯定したり、わからないっていう事実を積極的に受け入れることが、とても大事だと思っていて。子どものときほどわからないことをどんどん吸収するけど、わかった途端にそれ以上考えることをやめて、見なくなってしまいますよね。だけど知り得ないことが本当はたくさんあるし、そこに目を向けることが、南川の話す死生観につながってくる気がするんです。普通の日常を送りながら、わからないことを受け入れる余白ができたら、生きていくことがもっと楽しくなるだろうなあと思っています。