92 西野壮平(写真家)前編

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世界中を歩き、旅することを通して自身が得た、体験、経験をさまざまな視点から写真で記録。さらにひと都市で撮り続けた写真を重ね合わせて、1枚の地図へと変貌させる作品『Diorama Map』はすでに20都市を数えるといいます。世界の都市を見つめ、生身で街や人、生活を体感してきた西野壮平さんが歩いて見つけた六本木のおもしろさ、この街で実現したいアートについて語ってくれました。

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update_2018.5.23/ photo_hirokuni nakagawa / text_akiko miyaura

六本木はひとつのエリアでありながら、ひとつの都市。

『写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−』 写真都市展

写真、映画、デザインなどジャンルを超えた表現と、世界の都市をとらえた作品で、現代の視覚文化に決定的な影響を与えた写真家ウィリアム・クライン。彼の都市ヴィジョンを迫力あるマルチ・プロジェクションで表現するほか、斬新な眼差しで21世紀の都市と人間を見つめ、従来の写真のフレームを大きく飛び越えようとする日本やアジアの写真家たちを紹介する。
会期:2018年2月23日(金)〜6月10日(日)
21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2
http://www.2121designsight.jp/

『Diorama Map』 Diorama Map

世界の都市に暮らすように滞在し、さまざまな角度、視点から写真を撮影。静岡のアトリエでみずから現像、カット、コラージュするという過程の中で旅の記憶を呼び起こし、すべての経験、体験を1枚の地図にする西野さんの代表的作品。

 現在、「21_21DESIGN SIGHT」で開催している企画展『写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−』にも参加していますが、以前に六本木のギャラリーで展示をした際に1か月ほど通っていたので、六本木は自分なりに思い入れのある街ではあるんです。また、東京を題材にした作品を制作したときも、六本木を結構歩きました。『写真都市展』に出展している僕の作品『Diorama Map』は、自分の足跡が1枚の地図になるというのがコンセプト。経験や体験すべてが1枚になっていくので、その場所での滞在が長ければ長いほど、写真の枚数が多くなるんです。当時の地図を見ると、六本木の写真が意外と多い。つまり、それは滞在時間が長かった、たくさん歩いたということ。それだけ、歩くことがおもしろかったということなんです。

 歩く前の六本木は、多くの方と同じようにギラギラしていてダークな街というイメージが強くありました。むしろ、外から来る人たちは六本木に"生活感のない東京"を求めている部分もあると思うんですね。でも、実際に歩いてみるとそうではない。いちばん感じたのはレイヤー、ギャップのすごさでした。

 たとえば、高い場所にも地下の世界にも見どころがありますし、昼と夜の街の顔にもギャップがあります。表通りはギラギラした印象ですが、一歩中に入ると神社やお寺、美術館といった静かな場所もある。あらゆるレストランやカフェ、そして人の生活が垣間見える場所も、下町っぽい雰囲気を感じる場所もあって、ひとつのエリアでありながら、都市"東京"の縮図が見えるんですよね。これだけすべてのものが凝縮している街って、なかなかない気がします。

"迷う"ということが、その街を知ることにつながる。

『Tokyo2004』(上)、『Tokyo2014』(下) Tokyo Tokyo

東京を題材にした『Diorama Map』を、2004年とその10年後の2014年に制作。東京中を歩き回り、その瞬間の人と街を記録した。『写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−』では、『Tokyo2014』を展示中。

 僕は作品づくりのために、能動的に路地を歩くのですが、そのなかで"迷う"ということが重要だと感じます。地図は持たず、気の向くまま、自分が都市の中に溶けてしまうような感覚になるまで歩くんです。そこに行き着くと頭の中が空っぽになって、たとえば、「次の道を右に曲がろう」「左に行こう」と考えず、直感で動けるようになる。よく「"こういうところで撮る"という、しっかりしたイメージを持って撮影しているんですか?」と聞かれるのですが、まったくそういったことはなくて。言い表すなら"音が鳴る方へ"という感じでしょうか。

 直感、感覚に従って歩いていると、どんどん狭い路地に入って迷子になることもあるのですが(笑)、それが"場所を知る"ことにつながるんですよね。それに、路地って単純におもしろいじゃないですか。人の声が聞こえ、軒先に花が植えられ、窓辺にカーテンがなびき......。そういうものを見るのが、すごく好きなんですよ。街の色や音も、音が聞こえてくるボリュームも、出会う人も街ごとに変わる。とくに東京はエリアごとにまったく色が違いますし、特に六本木はいろんな文化、人が入り混じった場所。その路地裏には、街の姿が表れている気がするんですよね。

 東京を題材にした僕の作品は、2004年につくった『Tokyo2004』、10年後の2014年に制作した『Tokyo2014』とふたつあるのですが、『Tokyo2004』のころは大阪に住んでいて、東京に通いながら撮影をしていたんです。たしか1週間滞在して撮って、1週間戻って、また来て、というのを3回くらい繰り返したかな。だからか、2004年のほうは偏った観光者の目線という感じで、23区の西を撮っていることが多く、隅田川辺りはあまり入っていないんですよ。一方、『Tokyo2014』は自分が東京に住んでいるころに撮影したので、それこそ水が多いな、公園が多いなというように、生活して感じた東京が反映されている。建物が建った、スカイツリーができたという物理的な変化だけでなく、10年間に東京への視点が変わっているんですよね。2024年にも撮影したいと考えているのですが、今は東京に住んでいないので、離れてもう一度見たときにどう映るのかが自分でも楽しみなんです。

 もし、今2018年の六本木を撮るとしたら、やはり1か月くらいは歩き回ると思います。先ほどお話したレイヤーのおもしろさやギャップの見えるところだったり、高い視点から、どんどん下にさがっていくような感覚だったり......。見えるもの、感じるものを直感で撮影していく感じになるんじゃないかな、と。写真家って、目の前にあるものをキャッチする感覚が強いと思うんですよ。だから、10年後にまた六本木を撮るなら、2018年に歩いたルートを辿って、そのときにある目の前のものを撮影するとおもしろいんじゃないかなと思います。