79 為末大(元陸上競技選手)前編

為末大(元陸上競技選手)

アスリート=身体を使って卓越したパフォーマンスをしている人。

アスリート展
躍動するアスリートの身体を映像や写真で紹介するほか、体験型の展示など通して、デザインの視点からアスリートを紐解いた展覧会。2017年6月4日(日)まで、21_21 DESIGN SIGHTで開催中。

 今回、「アスリート展」のディレクターをやってみて、あらためて人によってアスリートの定義が違うなと感じました。いわゆる世の中一般で「あの人アスリートだね」って言われるのは、「オリンピックに出ている人」っていうイメージが強いですよね。でも僕は、身体を使って、何らかの卓越したパフォーマンスをしている人をアスリートって呼ぶべきじゃないかと考えています。

 だとすると、けん玉のチャンピオンだってアスリートだろうし、もしかしたら料理人だって、頭を使うゲームのプレイヤーだってそうかもしれない。実際、ヨーロッパではチェスはスポーツとして認識されているし、囲碁はかつてアジア大会で公開競技に入ったこともあるんですよ。

 スポーツ哲学でよく議論されるひとつに、ドーピング問題があります。これって健康の問題を抜きにすると、あとは公平性の話になるんですよね。でも、もし全員がドーピングしてよくて健康にもいいってなったら、どうでしょう? それでも抵抗がある"何か"ってなんだろう。健康な人が義足を付けて、めちゃくちゃ速く走って何が悪いんだろう......。

「アスリート性」は、工夫のプロセスの中にある。

剣道などを例に、相手をどのように見ているかを視覚化した「アスリートの眼」。

力やタイミング、空間と距離を、アスリートがどのようにコントロールしているかを体験できる「身体 コントロール」。
photo:木奥恵三

 つまり、自分の意志と力で習得していくことが重要で、簡単にワープしちゃまずいよね、と。そう考えると、アスリート性っていうのは自分の身体を高めていくプロセスの中にこそあるんじゃないかって。

 たとえば、僕は身長170cmで体重が66〜67kgくらい、小さめの体型で筋力的には瞬発力の方向に寄っている。また、ハードルという競技は、400mを四十何秒間で走って、かつ10台のハードルを越えていく、若干の持久性とテクニックが必要とされます。この2つの間に努力できる領域がある。

 バスケットボールの世界なんかは、20歳から40歳までの、身長が213cm以上のアメリカ人男性のうち17%がNBA選手というデータもあるので、どうにもならない部分も大きいんですが......。

 身体のサイズも競技のルールも変えられないけれど、自分の身体をどう活かせば条件に当てはまりやすくなるのか、その余白は残されている。その工夫のプロセスの中から生まれてきた卓越した身体性みたいなものが「アスリート性」なのかなと。

意識するのは難しい「身体知」を感じてほしい。

 アスリート展では、すべての人の中のアスリート性にフォーカスしています。そもそも人間は、考えごとをしながら、アシモですらできない階段をひょいひょい上がることができますよね。紙のコップを持つ動作ひとつにしても、いまだにロボットは困っちゃうのに、人間はさわった瞬間に硬さを認知して、つぶさないように持ち上げることができる。

「アマゾン・ピッキング・チャレンジ」という、ピッキングロボットの大会では、掃除機のようにモノを吸って移動させるタイプのロボットが主流になっています。なぜならモノをつかむのが難しすぎるから。こういう僕らが無意識でやっていることの延長線上に、反応できないような速さのシャトルを打ち返すバドミントン選手みたいな存在がいると思っていて。

 コップを持つこととバドミントン選手の差は大きいけれど、ロボットと人間の差よりはよっぽど小さいよねっていうのが、僕の考える「すべての人の中のアスリート性」なんです。日頃意識するのは難しい「身体知」みたいなものを、じわっとでも感じてもらえないかっていうのが、この展覧会のテーマでした。

後編はこちら

為末大
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年4月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営するほか、一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。主な著作に『走る哲学』『諦める力』など。