54 大巻伸嗣(アーティスト)

大巻伸嗣(アーティスト)

壁や床に花の模様が描かれた部屋に観客自身が踏み入れる「Echoes」シリーズや、シャボン玉による大規模なパフォーマンス「Memorial Rebirth」など。ダイナミックで非日常感ある作品で知られる大巻伸嗣さんが考える、未来の六本木、そしてパブリックアートや住空間とは? インタビューは「そもそも、六本木にないものなんてあるんですか?」という、大巻さんからの逆質問からはじまりました。

update_2015.5.20 / photo_hiroshi kiyonaga / text_kentaro inoue

「静寂」が、六本木の街を崩壊させる!?

 六本木って人もたくさんいるし、モノだって何でもある。でも考えてみれば、ないものだって、まだけっこうあると思うんです。末期の都市というのは、あらゆるものが飽和して、ないものがなくなっていきます。そして飽和したあとは、ザーッと潮が引くようにあっという間に衰えていくもの。たとえばウチの実家のある岐阜の駅前なんかは、70年くらいで幕を閉じました。まあ、実際には閉じきってはいないけれど、シャッター街になってしまったので、ほとんど街としての機能自体は失ったも同然です。

 つまり、ないものがなくなったら、街は終わり。アートイベントはある、美術館もたくさんある、音楽だって買い物だって何だって楽しめる......。さっき、僕が「六本木にないもの」を聞いたとき、「静寂がないんじゃないか」という意見が出ました。たしかに、六本木はいつもザワザワしている。静かになったらいいなと思う人もいるでしょうが、もしかするとこれこそ、六本木という街を飽和させる最後のカードなのかもしれません。静寂を求めてしまったがゆえに、すべてが崩壊してしまうのです。

人間とは、アンニュイで、あいまいな存在。

シンプルなかたち展:美はどこからくるのか

シンプルなかたち展:美はどこからくるのか
先史時代の石器から、現代アーティストによる先鋭的なインスタレーションまで、古今東西の「シンプルなかたち」約130点を展示。フランスのポンピドゥー・センター・メスとエルメス財団による初の共同企画展が日本巡回。2015年7月5日まで、森美術館で開催中。
展示風景:「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」(2015年4月25日~7月5日)森美術館、東京撮影:古川裕也

Liminal Air Space-Time

Liminal Air Space-Time
床から吹き出す空気により一枚の布を上下に動かし、知覚的なズレを起こさせ、日常とは異なる時空間をつくり出すインスタレーション。写真は2012年、箱根彫刻の森美術館で行われた「存在と証明」展のもの。Photo:永禮賢

ちなみに今回、森美術館で開催されている「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」に出展した「Liminal Air Space-Time」という作品で、六本木にひとつ「静寂」をつくり出してしまいました(笑)。

 最初は白い一枚の布が、ただゆっくり動いてるように見えるんですが、最終的にはそれが布であるのかすらわからなくなる。昼と夜でもまったく違った存在に変わります。この作品のコンセプトは、ふんわりとした「空(くう)」の時間をつくること、そして自分たちが見ているものが本当なのか、自分たちの持っている概念をもう一度見つめ直してみよう、というもの。物質の信用と裏切りといってもいいでしょう。

 みなさん、もちろん自分のことは、よく知っていると思いますが、夜寝ているときの自分の状態を正しく理解している人は多くはないでしょう。そう、誰にも未知なる時間はあるし、あらゆる物質には未知なる「域」がある。寝ているときの自分は生きていると思っていたけれど違っていて、それこそが死かもしれない、とか。これだけいろいろなものを理解できているように感じられる時代の中で、実は自分が何を見ているかすらもわかっていない。人間とはそういう、アンニュイで、あいまいな存在なのです。

布が上がって落ちる10分ごとに、東京は生まれ変わる。

 一枚の布は、舞台でいえば緞帳。幕がふわーっと上がって、都市の中で揺れ動くエネルギーの波が上がったり下がったりしながら、また全体を覆うように幕が閉じる。そして、再びまた新しい幕が上がっていく。世界が終わるようで、また新しい世界が生まれる。布が上がって落ちる10分ごとに新陳代謝をして、日本の中心である東京という街が生まれ変わるようなイメージです。

 この作品を発表したのは、東日本大震災の翌年のこと。新しい世界が毎日生まれて、繰り返されていることを表現したいと思って、展示をした箱根彫刻の森美術館では、外の風景が見える部屋を選びました。もちろん今回の森美術館も、うしろに窓があって、東京の街の景色が一望できます。

 もしかすると未来には、この風景自体がなくなってしまうかもしれません。事実、震災のときには、放射能の問題で東京の街は捨てられるかもしれないという状況にもなりました。東京という街の終わり、そして終わりはまた、はじまりでもある。ある意味、いいことも悪いことも、そして皮肉も、すべて含んだ作品になっています。