作り込みすぎない、曖昧な「余地」の中で街が熟成されていくプロセスを楽しむ。(佐藤) この街での「いい体験」を通じて、住んでいなくても「好きな街」に。(柴田)
「六本木未来会議」がスタートして 5年。地域のイベントとして定着した「六本木アートナイト」や、ギャラリーの新設など、この5年で、六本木を彩るデザインとアートのシーンも変化してきました。今回、5周年を記念してご登場いただくのは、グラフィックデザイナーの佐藤卓さんと、プロダクトデザイナーの柴田文江さん。佐藤さんは『21_21 DESIGN SIGHT』のスタートからディレクターとして関わり、今年4月から館長に就任。柴田さんは六本木にオフィスを構え10年になります。六本木に深く関わり続け、「六本木未来会議」にも参加経験のあるおふたりに、改めて、この5年、10年の街の変化と未来への取り組みについて、語っていただきました。
柴田 私は10年前から六本木にオフィスを構えているのですが、それ以前の20年、30年前の六本木は街自体が「夜の街」というイメージで、普段の買い物もしたことがなかったし、夜は恐くてひとりでは出歩けませんでした。でも、今はもう、ぜんぜん「夜」って感じがしませんよね。
佐藤 しないですね。夜よりも昼。暗い夜の街から明るい昼の街の顔も見えてきた、っていうのが、六本木のこの10年の変化なんじゃないかと思います。『21_21 DESIGN SIGHT』も今年でオープンから10年なのですが、東京ミッドタウンの中での変化で言うと、樹木がいい感じで伸びてきたことですね。
柴田 鬱蒼とした森のようになってきましたよね。特に芝生広場周辺の緑は濃くて、ミッドタウン全体の気持ちよさを支えているもののひとつだと思います。
佐藤 最初の頃はまだ樹木の背も低くて葉の量も少なかったけれど、最近は散策路にも木漏れ日や日陰が自然と生まれて、くつろげる雰囲気になってきました。実感としては、この5年くらいで急に良くなってきたような気がします。
柴田 私ね、六本木が変わったな、と思った瞬間の出来事として、21_21の『デザインあ展』があるんですけど、あの展覧会は何年前でしたっけ。
佐藤 4年前ですね。2013年です。
柴田 事務所から近いこともあって、ミッドタウンでランチを食べることが多いのですが、その当時のできごととして強烈に覚えているのが、隣の席に、高校生くらいの娘と母親が座っていて、今から『デザインあ展』を見に行くっていう話をしているんです。で、プロダクトデザイナーがどういう仕事をする人か、みたいな会話をしていて、なんだか、すごいドキドキしたんですよね。ごく普通の親子のやりとりに「プロダクトデザイン」とか「デザイナー」という言葉が登場している。『あ展』には、小さな子どもを連れたママたちもたくさん来てましたよね。あの展覧会がお子さん連れのママたちに、21_21という存在を知らしめたし、それによって六本木という街が突然変わったという印象があります。
デザインあ展
佐藤 ありがたいことに、ベビーカーの長い長い行列ができて。最終的には、22.5万の方が来てくださいました。
柴田 六本木にベビーカーなんて、本当に10年前だったら考えられないですからね。でも今では、子ども連れの方がいるのが、いつもの六本木。
佐藤 21_21の展覧会は毎回実験、デザインやアートに関心のなかった人にも興味をもってもらいたいと思ってやってきて、テーマも「土木」だったり「アスリート」だったり、毎回違います。そのたびに来てくださる方の層も違いますし。
柴田 私ね、その展覧会の幅の広さが、21_21だけじゃなくて、この街に来る人の幅も広げてきたと思うんです。
佐藤 21_21という場所での様々な実験が、街のためにもなってきたのであれば、それは僕たちがずっと願ってきたことでもあるし、こんな嬉しいことはないですね。
佐藤 そもそも『21_21 DESIGN SIGHT』は、これまで世の中になかった施設だから、最初はどうなるかわかりませんでした。もちろん、モチベーションはありましたよ。日本にデザインミュージアムがないというところから始まって、デザインの拠点となる施設を作りたい、という思いは三宅一生さんをはじめ、我々ディレクターの中には確固としてありました。でも、人が来てくれなかったら、成り立ちませんから、絶対に成功するか否か、みたいな意味での自信は誰にもなかった。だって、誰もやったことがなかったんですから。
柴田 それがこの5年、10年で定着しましたよね。ミッドタウン全体としても、最初から一生懸命「デザインとアート」と言っていたけれど、木々と一緒で、この5年くらい、震災後あたりから急に根付いてきた気がします。
佐藤 日本グラフィックデザイナー協会や日本デザイン振興会もミッドタウンの中に事務所があって、デザインネットワークの拠点となる施設「デザインハブ」があります。「デザインハブ」は最初、ビルの中のこんな奥地に、本当に人が来てくれるんだろうかと心配もしましたが、今や、その認知度もかなり高い。
東京ミッドタウン・デザインハブ
柴田 それはやっぱり、展覧会やワークショップをはじめ、それぞれの施設の活動の積み重ねが大きいと思います。美術館でも何でも、オープン当初は注目を浴びたのに、その後廃れてしまうことって、よくありますよね。でも、ミッドタウン全体が個々の進化と共に、どんどん良くなってきている。そういう場所って、珍しいと思います。
佐藤 施設を作るのは簡単とは言わないけれど、でも、作ること以上に続けていくことが大変だし大事なんだと、つくづく思います。今改めて思うのは、21_21の場合、最初にものすごく注目されなかったのが、逆に良かったのかもしれない(笑)。知っている人なんて、ほとんどいませんでしたよ。この場所をどうするべきなのかを、本気で考えざるをえない状況で、それが大きなエネルギーになりました。『デザインあ展』だって、デザインのテレビ番組を展覧会にするなんて、NHKはやったことがなかったのですが、やや強引に説得して(笑)、実現したんです。最初に何もかも上手くいっていたら、そういう挑戦みたいなこともやらなかったかもしれない。簡単ではなかったから、良かったのかもしれません。
柴田 振り返ると、いろんなことが上手くいきましたけど、六本木には映画館や森美術館のある六本木ヒルズがあって、国立新美術館があって、その間を行き交う人たちが増えたことで、街の持つ「気」みたいなものも変わりましたよね。
佐藤 以前は夕方になると、六本木の交差点の周りに危険な香りのする人たちが随分出ていたけれど、それも減ってきた気がします。アートとデザインが、街を浄化する役割を担ってきた。展覧会を観に来た人たちやベビーカーを押したお母さんたちが交差点を行き交うようになると、悪いことをしようとしている人にとっては、居心地が悪くなるし、特に子どもというのは自然そのものだから、子どもがいることで生まれる自然観とか、醸し出される純粋性とか、そういうものがだんだん街を浄化してきている気がします。
柴田 私、ミッドタウンの地下でよくお茶を飲んでいるんですけど、吹き抜けの下の安田侃さんのパブリックアート『意心帰』が、お昼時なんて、もう、遊具状態。10人くらいの子どもが取り囲み、代わる代わる中に入っては楽しそうに遊んでいます。
佐藤 すばらしい! 『意心帰』のある場所は室内だけど、外っぽい雰囲気もあるし、ガランとしていて広いから気持ちいいですよね。
意心帰
柴田 私ね、本当に、ミッドタウンはお世辞じゃなくて、好きなんです。なんででしょうね。みんな自分らしいおしゃれをしているし、来ている人それぞれが勝手に、自分なりの付き合い方をしている感じがいいんですよね。観光客はお買い物に来ていて、ママは芝生にランチをしに、学生はミュージアムに。まるで鏡みたいに、来る人を写してどんな色にでもなるというか......。
佐藤 わかります。そういう意味では、ミッドタウンはある意味で一番東京的な場所かもしれません。洗練されているけれど、すごく気取っているわけでもない。押しつけがましくもない。
柴田 確かに、東京の、いい意味での"クールさ"があるから好きなのかもしれません。ベッチャリしてないし、やりすぎてない。
佐藤「やりすぎない」って重要です。ほどほどがいいんです。それを「曖昧」だっていう人もいますが、曖昧って悪いことじゃないと思うんです。日本文化の大切なキーワードですから。曖昧だから、人をアフォードする。こうしろ、ああしろじゃなくて、いろんな形でその場所の意味を人に提供できるわけです。ほどほど、曖昧、やりすぎないっていうのは、これからの都市開発のものすごく重要なキーワードなんじゃないかと僕は思っています。
柴田 視点を街に広げて考えると、今の六本木の魅力のひとつって、もともとの古き良き六本木と今の六本木が、いい感じにシンクロしているところだと思います。六本木は街そのものが古い街なので、もともと土地に力があるし、背景にはこれまでの歴史が培ってきた多様な階層がある。だからそこに、「今」みんなが望んでいたものが生まれたら、それは街の奥深くまで浸透していける可能性がある。
佐藤 ちゃんと裏道もありますしね。ヒルズやミッドタウン、国立新美術館といった大きな施設やエリアがありながら、その間には昔ながらの裏道がまだちゃんとある。ちょっとごちゃごちゃしている裏道って、すごく面白いし魅力的。裏道っていうのも、充分街のポテンシャルだと思います。
柴田 六本木には、みんなが気づいていないポテンシャルが、まだまだたくさんあるんです。檜町公園だって、私の友人や知人の中にも、知らない人がいっぱいいますから。
佐藤 檜町公園のあの広さが六本木のまん中にあるというのは、なかなか想像つかないよね。僕はね、六本木の未来を考えるとき、ここからさらに何かを「加える」というより、もともと持っているポテンシャルをいかに「引き出す」かが大切だと思うんです。
檜町公園
柴田 昔のデザインや街づくりの考え方って、何でも新しく作り直し、新しく付け足すという感じがあったけれど、それだとせっかく培ってきた過去とも上手く繋がらないし、相乗効果みたいなものも生まれない。一方的に「作り切られたもの」には、結局みんな乗り切れないと言うか、気持ち良く参加できないですよね。
佐藤 そうですね。完全に作り込んじゃうと、余地がなくなるので、それを受け取る側だったり使う側が「自分化」できなくなっちゃうんですよね。だから、デザインでも僕はいつも「物足りないくらいがちょうどいい」と言っているんです。物足りないくらいの余地があると、そこで自由な遊びが生まれたりする。
柴田 さきほどの「やりすぎない」というのと同じですよね。
佐藤 一番居心地のいい街は、人が自然に集まることで醸成してきた街。解剖学者の養老孟司さんはよく、頭の中で考え作られた社会で人々が生きることを「脳化社会」と言っていますが、脳で作った街というのは、やっぱり居心地が悪い。そうは言っても、大きなエリア開発の場合は、脳で作らないといけないわけですが、そこに人の身体感覚が入り込む余地があると、作った後に街が醸成していくプロセスを楽しむことができる。これからの六本木はまさに、そのプロセスを楽しむ段階なんじゃないでしょうか。
柴田 私は六本木で働いているから、ここは「自分の街」だという意識があって、ときどき路地にゴミが捨てられていたり、街が汚れていたりすると、とても悲しい気持ちになります。六本木商店街振興会の人たちともお会いする機会が多くなっているんですけど、振興会の人たちと会っていると、彼らにとって六本木は先祖代々の地元、街に対するプライドも感じるし、いわゆる街おこしみたいなことにも、とても熱心に取り組んでいるんですよね。
六本木商店街振興会
佐藤 地元愛ですね。
柴田 その地元愛に私も目覚めつつあるわけですが(笑)、でも、地元愛や六本木に住んでいる人だけで、これからの街づくりや街おこしができるかというと、六本木の場合難しい。六本木は、仕事をしに来たり遊びに来たり、ここを「通り過ぎる人」が多い街なんです。だから、その通り過ぎる人たちに「住んでいる街ではない街を、どうやって好きになってもらうか」を考えることが、六本木における街づくりや街おこしの鍵なんだと思います。そのためには、できるだけこの街でいい体験をしてもらって、「自分の街」ではないけれど「自分の好きな街」というふうになってくれれば、ゴミだって捨てなくなるはずです。
佐藤 そうですね。きっと一番いいのは、六本木での「いい体験」が、イベントのような一過性のものではなく、街に根付いたものであることですよね。六本木に行くと「常に」アートと出会える、とか、新しい考え方のデザインが「毎回」発見できるとか。イベントも場合によっては必要だけれど、一過性だと、その期間だけ来て、通り過ぎた後はもう来ない、ということにもなってしまう。
柴田 21_21はまさに、そういう街に根付いた環境づくりみたいなことをずっとやってきたのだと思うのですが、六本木がこれからもデザインとアートの街としてたくさんの人に好きになってもらうためには、どうしたらいいんでしょうね。
佐藤 僕はやっぱり、路地かなぁと思います。さっき裏道は六本木のポテンシャルのひとつだと言いましたが、そういう裏道や路地にもアートやデザインが染み出していくといいですよね。ちょっとマニアックなスポットが六本木の路地にできたりしても面白い。六本木の大きな施設の中だけじゃなくて、路地でも面白いものに出会えるというのは、まさに街での「体験」として魅力的ではないでしょうか。
柴田 この六本木未来会議の過去のインタビューで、私も佐藤さんも、一番好きな街は「東京」と答えていたんですけど、覚えていらっしゃいますか?
佐藤 もちろんです。僕は東京生まれの東京育ち、先祖代々東京人ですから、東京を大切にしたいという気持ちも変わらないし、東京の本当の良さというのを知っているつもりです。控えめにするとか、いい意味でクールというか、そういう「東京っぽさ」を「すかしてる」と言って嫌う人も、もちろんいるわけですが、僕にとっては故郷ですからね、これ以上の街はありません。
柴田 私も東京がいいですね。
佐藤 東京とひと口に言ってもすごく広くて、エリアごとに雰囲気が全く違うというのも、東京の素晴らしさです。それって、他の世界的な都市と比べても特殊なんじゃないかと思います。
柴田 よく、海外の友人に「東京ではどこに行ったらいい?」と聞かれると、答えにすごく困ります。何をしたいかの目的によっても違いますしね。だから、○○するなら、どこどこだよ、みたいな薦め方になるんですけど、それでいうと、六本木の薦め方もまた、私の中ではモヤモヤしていてうまく言えないんですよね。私にとって六本木はニュートラルになる場所なので、普通がいいなら六本木、っていうのも......。
佐藤 昔なら、夜ディスコに行くならって感じだったんだと思いますけど(笑)。
柴田 同じ夜でも、個人的に六本木は「夜お茶」がいい。表参道あたりだと、夜8時以降はもう街が閑散としているし、居酒屋ばかりで酔っぱらいの多い街も困っちゃうんだけど、今の六本木は、普通にしらふで夜もお茶してくつろげますよね。
佐藤 「目的がないなら、まず六本木へ」じゃないですか? 目的がなくても、フラッと来たら何かがある。今の六本木は、老若男女、どんな人が来ても何かやりようがあるし、受け入れる入り口が必ずある。
柴田 それ、いいですね。私のモヤモヤを言語化してもらえて、すっきりしました(笑)。目的がなくても来られる街。これからますます、そういう街になってほしいですね。
取材を終えて
六本木という街の変化を、自分の目で見てきたおふたりの言葉は説得力があり、同時に、共に育った盟友を語るような、六本木への深い深い愛もあふれていました。何も用事がない日に、六本木にふらりと来る。そんな新しい六本木との付き合い方も教えてくれた取材でした。(edit_tami okano)