ものごとを独自に切り取る、鋭い観察眼の持ち主として知られるグラフィックデザイナーの佐藤卓さん。〈東京ミッドタウン〉誕生と共にオープンしたデザイン施設、「21_21 DESIGN SIGHT」のディレクターのひとりであり、傘をさす姿には、開館初年の展覧会、佐藤卓ディレクション「water」展の記憶が重なります。あれから5年。佐藤さんが今抱いているこの場所への思いと、「六本木は面白い!」と言う、佐藤さんならではの視点を聞きました。
僕は六本木をこうしましょう、といって、机上で考えたイメージを上からかぶせてしまうのは、本当の街づくりじゃないと思うんです。街というのは、ぎょうにんべんの「街」であるべきで、人が人と関わりながらつくっていくのが本当の街づくりですよね。それに、六本木はゼロから新しく作られるのではなく、昔からあるのだから、既にあるものをよく見ていくと、大切にしなければならないものも絶対に見えてくる。
とにかく六本木をよく見る。そして分析する。例えば交差点のあたりにいる「悪そうなお兄ちゃん」の服装を分析しても面白いかもしれないですね。何が悪そうな印象を与えているのかを明確にしたら、全部で10タイプあることがわかりました、みたいな。その「悪そうなお兄ちゃん」というものをないことにして、キレイごとで六本木を語っても意味がない。だって、実際にいるんだから。あまりそこに深く入っていくと、夜道を歩けなくなるかもしれないけれど(笑)、でも、みんなが避けてしまう部分にも僕は興味があるんですね。まずは真っ当に見る。そしてまったく反対側からも見る。愛をもって(笑)。
六本木のキーワードが幾つぐらいあるのか、ざっと出してみるといいかもしれません。「リアルな六本木」が六本木の面白さだから、できるだけリアルなキーワードのほうがいい。そうやって徹底的に観察し、客観的に分析した結果を集めて「六本木展」をやったら、歴史に残る展覧会になるかもしれませんね。
人間のやっていることって滑稽で面白い。僕は人を観察するのが好きなんです。六本木のような都市が嫌いな人って、人が多いのが嫌だと言うけれど、僕は全然そんなことなくて、むしろ人がいる安心感もあるし、人こそが面白いと思っています。多様な人たちの、多様なカルチャーに触れられる場所。それが六本木の魅力ではないでしょうか。
考えるだけだったら自由なので言っちゃいますと、六本木交差点の上を通っている高速道路って、あれ、地下に埋められないんでしょうか。あの交差点が「高架下」であることが、六本木の性格を相当左右している気がするんです。生物学的にも、暗く太陽の光の届かないようなジメジメしたところに、あまり清潔ではない生き物が生息するわけで......。あの下をどう明るくするか。これまでもいろいろと試みられていると思いますが、やっぱり存在としてある以上、明るく見せようとしても嘘になるだけだし、これは六本木の大きな課題のひとつだと思いますね。
「デザインとアートの街」としての六本木を考えると、例えば、こういった「高速道路を地下に埋める」といった大きなことをプロジェクトとして立ち上げ、アーティストもデザイナーも関わっていくというのはどうでしょう。空が抜ければ景色は大きく変わるし、集まってくる人たちの生態系も変わるかもしれないという気はします。
僕は東京の杉並区で生まれ、練馬の石神井で育ったので、僕にとって東京は故郷ですし、東京から出たいと思ったことなんて一度もない。新しいものも古いものも混在していて、やっぱり東京は面白い街ですよ。世界で一番好きな街は、東京です。
こんな汚いところ早く出たいとか、住みにくいとか言う人もいますが、ここが故郷である僕にとっては、失礼な話しです。東京を住みにくくしているのは、ここを嫌だと思っている人たちだと思うんですね。彼らが街にごみを捨てるし、車も乱暴に運転する。僕は東京を愛しているから、そういう人を見ると、警察官になって「ちょっと、君、運転荒いんですけど」って注意したいと思うぐらい腹が立つんです。
出身が東京ではなくても、いま自分がいる街を、面白いとか素晴らしいという前向きな気持ちで見ている人は、やっぱりその街を大切にしようとしますよ。それは六本木ついても同じことが言えると思います。
僕と六本木という街との最初の関わりは、ディスコでした(笑)。20代で、電通に務めていた頃ですね。クライマックスという、ニューウェーブ・パンク系のディスコがあったんです。とにかく過激な曲をかける店で、そこ、毎週行ってました。当時の僕のヘアスタイルは刈り上げ。かなり派手な眼鏡をかけ、着ている服もエメラルドグリーンのパンツに真っ黄色のセーター、それにボーリングシューズ履いちゃう、みたいな派手さで(笑)。クライマックスにはモデルなんかも来ていて、そこで彼らの髪形だったり、着こなしだったり、音楽や踊り方はもちろん、総合的にいろんなものを吸収していました。
AXISにもよく行ってましたね。こちらは真面目なデザインというか、今のように世界中のプロダクトやインテリアがどこででも手に入る時代ではなく、AXISでしか見られないものもあったりして。どちらをとっても、六本木には他の街にはない刺激があったし、この街で、多様なカルチャーに接していたことは間違いありません。
今に続く六本木との大きな接点は、やはりここ、「21_21 DESIGN SIGHT」です。三宅一生さんから「東京ミッドタウンにデザインをテーマにした施設が実現するかもしれないので、一緒に考えていけないだろうか」という相談を受けたんですね。2005年のことだったと思います。それが実現することになり、建築現場も訪れて、地中深くまで掘り込んだ穴なんかも拝見しながら「ああ、ここに、すごい場が生まれるんだな」と思ったことを今でも覚えています。
21_21 DESIGN SIGHT...
ミッドタウンの高い建物に対して、「21_21 DESIGN SIGHT」という、非常に背の低い、敷地にへばりつくような形をしたこの施設がどんなコントラストで見えてくるのか、工事中にはイメージできませんでしたが、5年経って木も育ち植栽も伸び、広い芝の空間もいい感じになりましたよね。そして、周辺の植物だけではなく、この5年で「21_21 DESIGN SIGHT」自体も少しずつ、少しずつ、育ってきたという実感があります。
何しろすべて初めてのことでしょう。これだけのデザイン施設自体が日本で初めてのものですし、そこで起きることは当然すべて初めてのこと。第2回企画展は僕のディレクションで「water」でしたが、水をテーマに展覧会をすることすら、かなりの冒険でもありました。その後の、どの展覧会も既にあるものを並べて紹介するだけではなく、目には見えないデザインを「体験の場として用意する」など、デザインの可能性を探るありとあらゆる方法を模索してきました。
water展...
ディレクターとして「21_21 DESIGN SIGHT」に関わりながらつくづく思うようになったのは、デザインは、プラットフォームなんだ、ということ。例えば、美術大学の中には、彫刻科、日本画科、油絵科、工芸科があり、デザイン科があります。すると、デザインというのは、カテゴライズされたもののように思われてしまうんですね。でも、デザインは限られたひとつのカテゴリーではなく、世の中のすべてのものに関わるもので、医学にも政治にも、経済にだって関係しているんです。
医学の大学では今、コミュニケーションの授業が必要になってきています。医者は、適切な言葉で患者に症状をきちっと伝えられなければならない。その時に、どういう言葉を使い、どう説明すれば、患者に必要以上の心配をかけずに伝えられるか、とても重要です。コミュニケーションというのは、言葉が基本にあります。言葉を可視化したものが文字ですから、患者の手に渡る様々な書類の文字の大きさや色、書体について、医者だからって解らない、では済まされない。どうつくれば的確に無駄なく、短い時間で伝わるか。それって、デザインじゃないですか。
デザインで対応しなければいけないことが、世の中には山ほどある。「21_21 DESIGN SIGHT」はそれをひとつ一つ探り出し、具体的に気づいていただく場所であり、その手応えは5年経った今、より強く感じるようになっています。
デザインの視点で見れば、面白くないことなんてひとつもないですよ。例えば「縄文人」をテーマにした展覧会の企画をすれば、今の時代が忘れ去った重要なキーワードを縄文時代からたくさん見つけることができますし、東北の食と暮らしをテーマにした「テマヒマ展」では、東北が長い年月の間に育んできたものづくりの素晴らしさに改めて出会い、現代に繋げていくことができる。
JOMONESE...
昔は「次にやりたいことは何ですか」って聞かれると、答えなければいけないという恐怖心があって、つい車のデザインしてみたいとか、家電のデザインしてみたいと言ってしまっていたのですが、今は、目の前のことが常に面白いんですよ。そして、僕はその「目の前の面白いこと」を、真面目にやりたいんです。
今一番過激なのは「真面目」です。昔でいう「過激なこと」は今やもう過激ではなく、過激という一つの様式になってしまった。みんな不真面目になろうとするから「とことん真面目にやる」というのが結局一番ギリギリのところまでいくことができて、危ない。この「危ない」っていうのは、いい意味です。そんなふうに「危ない」ことを続けていけることが、自分にとってはこのうえない喜びです。
取材を終えて......
当日は、あいにくの雨となってしまいましたが、佐藤さんの展示"water"のロゴを彷彿させる、ポーズで撮影を行いました。21_21DESIGEN SIGHTのディレクターの一人として、六本木をデザインとアートの街にするべく、すでに動き出している佐藤さん。生み出されるアイディアはどれも斬新でしたが、実現が可能なのではと思わされる程、力強い言葉が印象的でした。(edit_rhino)