今回のツアーの舞台は、東京ミッドタウンのサントリー美術館内にある茶室「玄鳥庵」。美術館の移転とともに、隈研吾さんのデザインにより一部意匠を改めて移築されたこの茶室で、参加者5名がお点前を体験しました。案内人は、一茶菴家元14世・佃一可さん。まずは入念に行われた準備の様子からどうぞ。
ツアー開始前、佃さんが茶席のための準備としてまず始めたのは、黒いお盆の上に白い粉をまくこと。数種類の粉をまいては揺らしたり、羽根で払ったりを繰り返すうちに、徐々にお盆の上に風景画が姿を現します。これは床の間に飾る「盆石」と呼ばれる芸術作品で、雄大な自然がおりなすさまざまな表情を盆上に描くというもの。茶会が終われば崩してしまう、そのひとときのためだけの作品です。
「これは水晶の粉なんです。昔は手に入れるのが大変だったけれど、今は画材屋さんでも売っています。お盆を振って動かすと、大きさの異なる数種類の粉がそれぞれ違う動き方をして濃淡を出すことができるので、それを利用して雲の表情をつくっています。こういう細やかな感性を日本人は持っているんですよ」
「掛け軸にある『東海福』とは、太陽が東から昇るように、いいものが入ってくるという意味です。立礼の席には頼山陽の軸を飾りました。掛け軸は、そのときの時候や、世の中の動きを表したものを使うんです。もうひとつ、小間の部屋に、禅宗の考え方を表した言葉も掛けましょう(次のページで紹介)」
「このお香も床の間に置くものです。昔は炭でお湯を沸かしましたよね。でも、炭はどうしても匂いが出てしまって、お茶の香りを妨げる。そこで、炭の上に沈香系統の香り(アロマ的には精神鎮静作用)のお香を入れておいたんです。これ、あんまり知ってる人はいないけどね(笑)。だから、床の間にお香を置いておくのは、今日はこの香りを使っているんですよ、という印だったんです」
「お茶って、考え方がとても理屈っぽいんですよ。でも、その理屈がわかると、ものすごく面白くなる。だから理系の人のほうが向いているかもしれません。たとえば、炉でお湯を沸かすときには、炭の下に湿った灰を入れておく。すると水蒸気が出ますよね。水蒸気が上がると気圧が下がって、下に空気が入ってくるので、それで炭がよく燃えるんです。要は台風と同じ原理、今は電気を使いますけどね」
「この部屋は4畳半だけど、お茶がはじまった当時の会所(寄り合い所)の部屋は4倍の広さの18畳。それを屏風で区切って使っていたわけですが、この部屋の隅にある結界屏風は当時の名残なんです。落語なんかで、お茶のことを『お囲い』って呼ぶのも、ここからきているんですよ」
床の間や花などを準備している間、水屋と呼ばれるバックヤードでは、お茶の準備の真っ最中。こちらでは抹茶を漉す(こす=ふるいにかける)作業が行われていました。
「お茶を漉すときは、上からゆっくり押さえつけるようにしないといけません。擦ったりあまり速くやってしまうと、お茶が摩擦熱を持ってしまうから。抹茶は石臼で挽くでしょう? 石臼は熱を吸収してくれるから、いいお茶ができるんですよ。安いお茶は摩擦熱で味や匂いが変わってしまっているからね」
漉した抹茶は、「棗(なつめ)」と呼ばれる茶器に移し替えられますが、このとき、羽根でできるだけ美しい山形になるように形を整えます。水屋を取り仕切っていた佃さんの奥さまによれば、同じお茶を使っていても、上手な人と下手な人とでは、まったく味が変わる。それでいて、その人が出す味はいつも同じ、上手な人のお茶はいつもおいしいのだそうです。
こうしてたっぷり1時間以上もかけて、参加者を迎える準備が整えると、最後に佃さんはこんなことを教えてくれました。
「お茶の道具を最初に揃えるとき、私は必ず『あなたが好きなものを買いなさい』って言うんです。自分が好きだと思う気持ちを大切にしていれば、成長するたびにいいものが見えてくるはず。偽物だけど、ものすごくいいものってあるじゃない。昔はそういうものを『本物ですけど、若づくりですね』って言って残したんですよね。本当にいいものって、そうやって継承されていくんです」
開始時間となり、いよいよ「茶室体験ツアー」がスタート。今回は、参加者を5名に限定しての開催となりました。「いきなりお茶を喫むのももったいないので(笑)」ということで、まずは佃さんが「玄鳥庵」全体を案内してくれることに。
「『玄鳥庵』は、サントリー美術館の移転とともに東京ミッドタウンに移設されました。天井の木材の色が途中から変わっているのがわかりますか? 昔のものを基本に、少しつくり直されているんです。では最初に、お茶事の流れを紹介しましょう。お茶事では、まず炭点前(すみでまえ)といって炭を足してから、すぐに少量の食事、つまり懐石を摂ります。というのも、お腹に少し食べ物が入っていたほうが、お茶がおいしく感じるんです。そのあと一度、席を立って、濃茶(こいちゃ)がはじまり、そのあと薄茶(うすちゃ)を飲む。これ全部で、だいたい4時間です。今日はぜひ茶室の裏側も見てもらいたいので、ぐるっと回ってみましょう」
「茶室への入り方にはルールがあります。このにじり口の戸が指の幅くらい開いているのが『入っていいですよ』という合図。今日は作法をレクチャーする場ではありませんが、面白いのでそこから入ってみてください(笑)。前に、小学生と段ボールでお茶室をつくったら、この『おくぐり』をすごく喜んでいました。それも楽しみ方のひとつですよね」
「昔の茶室は暗かったんです。というのも、茶室は建物の一番北に、余った材料でつくったから。明治になって(電灯ができて)部屋が明るくなると、お茶の作法も急激に変わりました。それまでは薄暗い中でもわかるように、なるべく音を立てていたのに、みっともないということで音を立てないのが主流に。ちなみに、ここのお茶室はふすまを入れて、わざと光を遮断していますね」
「今日の花は梅です。お茶室では同じものを2つ使ってはいけないという原則があって、たとえばスギやヒノキなど、同じ材料を同じ茶室の中で使わないようにしている。でも、梅だけは『匂う(=にあう)』にかけて、2つ使っていい。これを知っていると、あとで『今日は梅が2つあってよかったです』なんて言えて、亭主にすごく喜ばれちゃう(笑)」
「この掛け軸には、『八角磨盤空裏走』と書いてあります。磨盤(まばん)っていうのは臼のことで、『八角形の臼が空を飛ぶ』という意味。わけがわからないでしょう? お茶の流派のひとつである表千家7代目家元の如心斎(じょしんさい)は、この言葉で悟りを開いたんです。八角形の臼はありえない。ありえないものが空を飛ぶ。つまり、この世の中は理屈じゃないことが起こる、そう考えると世界が違って見えてくるということを表しています」
「ひとりずつお座りになってください。お客さんはここに座って亭主(左側の男性)と斜めに向き合うんです。人間は真っ正面に向き合えばわかり合えると思ったら大間違い。少し斜めになったほうが相手の気配や呼吸がわかるんです。お医者さんが診るときだって、患者さんとはまっすぐ向き合いません。(亭主は)お点前をするときに、右耳が敏感になれば熟達した証拠です」
「一般的なお茶会では、先ほどの茶室で濃茶を喫んだら、次はこの部屋で薄茶を飲みます。床の間に飾ってあるのは『盆石』、千利休が活躍する前のお茶会では、これを飾るのが定番だったんです。とくに匂いを敏感に感じてほしいときは、このように花を入れないで別の楽しみ方にするんですね。今日はいろいろなものを見ていただきたいと思ったので、事前に用意しました。では、バックヤードツアーということで、ひととおり全体を回ってみましょう」
「裏方にやってきました。ここは水屋。面白いのは、たんすのように見える左側で、板を手前に倒すと4段の棚が出てきます。お盆なんかを置いて、すぐに食事を出せるよう、ここにセットできるような工夫がされている。昔の人の知恵ですね」
"バックヤードツアー"が終わると、いよいよお点前。一服一煎といって、まずは一服の抹茶を、次に一碗の煎茶を、今回は立礼式(椅子に座って行う方式のお点前)で体験します。この日はなんと、サントリー美術館で開催中の展覧会「天才陶工 仁阿弥道八」に合わせ、佃さんが所蔵する仁阿弥道八(にんなみ・どうはち)の煎茶茶碗も登場しました。
まず振る舞われたのはお菓子。石川県金沢市にある「森八」という和菓子店の生菓子が運ばれ、簡単に作法のレクチャーがありました。「お茶がはじまる前に別の部屋で食べるのが本当なんだけどね、そのセクションはまた別のときにやりましょう」と佃さん。そして、いよいよお茶点てがはじまりました。
まずは、釜からお湯をすくい、茶碗に注いで茶碗を暖め、その中で茶筅(ちゃせん)をふるわせてしなやかにして、お湯を捨てます。全員が無言で見入る中、柄杓を置く「コン」という音が響き、部屋の中は緊張感に包まれました。
「基本的には、お茶を飲んだらしゃべってもOK、それまでは話しません。おいしいものを味わって食べるときは、みなさん黙っているでしょう?」
お碗に抹茶を入れ、お湯を注ぐと、茶筅で点てていきます。ツアー後、この動作についてこんなふうに解説してくれました。
「これ、野球でカーブを投げるのと似ているでしょう? ただ茶筅の先でかき混ぜているわけじゃなくて、茶筅を使ってバイブレーションを生み出している。そうするとサポニンという成分が分離して浮かんで、お茶がおいしくなるんですよ。竹を使っているのは、反発力があってバイブレーションが起こしやすい素材だから。お茶って、科学なんですよ」
「そのままゆっくり飲んでください。お茶は、次から次へと出てくるから先に飲んで大丈夫」という言葉どおり、ひとつずつ順番に振る舞われました。その味は、参加者によれば「とろりとしていて、コクがあり、あと引く味でおかわりしたくなる」。
ちなみに実際おかわりも可能で、お茶会のとき「もう一服いかがですか?」と言われたら「それでは」とお願いしてもいいのだそう(大寄せのときはなし)。「たくさん飲んだら嫌がられるかもしれないけどね(笑)」と佃先生。
抹茶が終わると、次は煎茶。佃さんが取り出したのは、「仁阿弥道八」の碗。しかもこれは、明治を代表する俳人・河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)が愛用していたものだそう。
「河東は煎茶をよくやっていて、夏目漱石や正岡子規と一緒に楽しんでいました。そこで使われていた茶碗がこれ。亡くなるとき、私の家で持っていてくださいと預かったんです。ちょうどサントリー美術館で展示もやっているし、みなさんの思い出に残るようにと、今日は5年ぶりに出してきました」
そして、仁阿弥道八の茶碗に、最後の一滴まで絞るように、急須で丹念にお茶をいれていきます。
「河東は、五・七・五にこだわらない、俳句の精神さえあればあとは自由でいいという俳人でした。伝統文化には、必ず正統派とアレンジしようとする人がいる。僕はそのどっちでもあって、お茶もその時代に合わせて変えるところは変えながら、次の世代に残していくことを考えています。だいたい今の時代、床の間がない家が多いですから」
「どうぞお召し上がりください。ひと口で飲むよりも、ゆっくりと舌の上に乗せるような感じで。おいしいでしょ?」
味わった参加者のみなさんは一様に驚いたような表情。聞いてみると「お茶のうまみが凝縮されたような、鮮烈な味わいでした」とのこと。
こうして、お点前は終了。最後に、参加者のみなさんの感想と、佃さんからのメッセージでレポートを締めくくりたいと思います。
「2つ感動したことがあります。ひとつは、茶室がすべて違う素材でつくられているということ。僕は洋服のパタンナーをしていますが、違う素材をまとめるのって難しいんです。もうひとつは、先生の所作。お茶を点てる美しい所作を、洋服づくりにもぜひ取り入れたいと思いました」(参加者の男性)
「先生がおっしゃっていた『梅を2つ使っている』というのは、床の間の梅の花と、掛け軸に描かれた梅の絵ですよね。お茶の香りやお点前の音、いろいろな情報がこの茶の世界をつくっている。茶室自体は狭い空間なんだけど、そこにもっと大きな広がり感じることができました」(参加者の女性)
「以前、あるシンポジウムで『お茶って芸術なの?』って聞かれたことがあります。たしかに、お茶は何かをつくり出すわけではありません。でも、あるものを評価して、新しい価値を生み出すことができる。たとえば、非常に高価なものとされている有名な茶壺がありますが、もともとはフィリピンで汚物を運ぶ壺として使われていたんです。もとの用途にとらわれないで、新しい価値を生み出していくのがお茶の世界。これは日本人の長所でもあります。今、『和』が流行りかけているのは、それをなんとか取り戻そうとしているんだと思っています」
information
「天才陶工 仁阿弥道八」
会場:サントリー美術館
会期:~2015年3月1日(日)10:00~18:00 ※金・土は10:00~20:00 火曜日休館
入場料:一般 当日1,300円、大学・高校生 当日1,000円 ※中学生以下無料
公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
佃一可(つくだ・いっか)
家業の茶道を基に、分業専業した諸芸術・伝統工芸部門の再融合を求めて幅広い活動をおこなう。いけばな造形運動・書画一致運動を提唱し、団体創立・運営に携わる。玄奘三蔵会を組織し、玄奘三蔵生誕1400年記念館(2000年11月落慶・西安大雁塔大慈恩寺内)の建設に貢献する。1998年、唐王朝の菩提寺、法門寺から発見された秘色青磁の研究により法門寺博物館名誉教授の称号を受ける。西安北部で発見・発掘された唐三彩や高麗青磁の基となった耀州青磁の研究活動及び、唐王朝の夏宮・玉華宮の研究が最近のライフワーク。2003年エジンバラ王立博物館、2004年韓国中央博物館で茶会。2006年、幕末の日米交渉の際ハリスに対して幕府が行った煎茶会の道具一式を米国マサチューセッツ州で発見し話題となる。2007年、国際茶文化賞(韓国茶文化協会)受賞。