六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに先生になってもらい、その人ならではの美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。
第6回の先生は、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さん。訪れたのは、国立新美術館で開催されている、日本の現代作家6名によるグループ展「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」です。本展のテーマは「文学」。アートには、つくり手によってさまざまなストーリーが盛り込まれていますが、それらを読み取ることで作品の見え方が変わってきます。作品の中に潜むストーリーの見つけ方や物語を読み取ることの楽しさを、同展を企画したキュレーターの米田尚輝さんとともに探りました。
写真家の北島敬三さんの展示はふたつの空間に分かれていて、最初の空間は「EASTERN EUROPE 1983-1984」と「USSR 1991」という人物写真をメインとした構成になっています。
北島敬三《飯舘村》他
辛酸写真1枚1枚の表情にカルマを感じます......。普通の平和な日本人には想像もつかない人生を送ってきたのでしょうね。
米田北島さんの作品は、タイトルが場所と日付で構成されているため、必然的に写真日記の性格を帯びています。それによって強調されるのが写真の本来的な特徴で、写真家が実際にその場所に行ったという臨場感を強めています。1980年代前半の東ヨーロッパや、体制が崩壊する1991年のロシアは、日本人が立ち入ることはなかなか難しかったはずです。
辛酸東ヨーロッパの写真は特に、フレンドリーさがまったく感じられません。
米田撮影を断られた数もおそらく相当でしょうから、粘り強い交渉の末に勝ち取った写真という感じがします。
辛酸ロシアのほうはお葬式の写真もありますが、これも本当のお葬式なのでしょうか?
米田ロック歌手のお葬式らしいのですが、たまたま鉢合わせたらしいです。
辛酸そのストーリー自体がすごいですね。周りに美人がたくさんいるところも気になりますし。夫婦のポートレイトですらただ者じゃない雰囲気が漂っていて、半端な気持ちで生きていない感じがします。だからなのか、ふとした瞬間でも映画のワンシーンのように見えますね。
続く空間は強烈な人物写真から一転して、「UNTITLED RECORDS」という風景写真のシリーズ。普通であれば通り過ぎてしまいそうな、小屋などの"なんでもない風景"が切り取られています。
米田北海道、沖縄、東北など、僻地と呼ばれる場所で撮った写真が多いのですが、目的の場所や対象物が最初からあったわけではなく、これらも偶然見つけた風景らしいです。そうとは思えないくらい、完璧な構図なのですが。
辛酸小屋や廃墟を好きな人は多いですよね。打ち捨てられていて、なんとなく怖いけど厳かな雰囲気もありますし、形あるものはすべて滅びるという真理を表している気がします。最近はインスタ映えなど"映え文化"一辺倒ですが、ここに写っているものは真逆の存在といえますよね。そこにむしろ癒やされますし、物語性を感じます。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #4】
"映え"から少し距離を置いてみる。
6名の作家の選定と「文学」というテーマの関係性について、米田さんに改めてお話をお伺いしました。
米田文学っぽい作品をつくっている作家や、もっと物語がわかりやすい現れ方をしている作品は、ほかにもたくさんあると思います。その上で今回の展覧会企画の中で実現したかったのは、テキストなどで直接的に表現するのではない、文学的要素を読み取れるような作家を取りあげること。田村友一郎さんのようにイメージ遊びをしている作家や、豊嶋康子さんのように一見したところナラティヴは感じられないかもしれないけど、見方によってはいろんな読み取り方が引き出せそうな作家、ということです。
辛酸SNSなどで写真や文章を手軽にアップできる世の中になって、集中力が以前より落ちてしまっていますよね。そんななかで、ビジュアルを見てストーリーを想像して、頭の中で展開させることが、いいリハビリになりました。昔はもっといっぱい本を読んでいたのに......と思いながらも、失いつつある文学性を取り戻せる展示だったのかなと思います。それぞれ伏線を張っていたり、綿密な取材をして組み立てていたり、あるいは写真1枚、オブジェひとつでストーリーを感じさせてくれるので、視覚から自然と物語に引き込まれていく体験でした。作家によって素材や表現方法も全然違うので、そのたびに意識が切り替えられて、別の本を開くようなイメージもありました。
米田別の本を開く、というご感想はとても嬉しいです。作家の展示の順番もかなり意識しました。それこそ、ひとことでは説明できない順番ではあるんですけど(笑)。
作品からストーリーを読み取ることの楽しさを実感することはできたものの、解説がない状態で作品に直面した時は、どんなふうにストーリーを見つけていけばいいのでしょうか。
辛酸たぶんまじめな人ほど、解説をひとつひとつ丁寧に読んで、すべての作品に同じ時間をかけて見ていくと思うんですけど、そのなかにも自分に語りかけてくる作品があると思うんです。歩いていてふと立ち止まったり、よくわからないけど気になったら、そういう作品の前にしばらく立ってみる。そして言葉にならなくても、テレパシーみたいなものを送受信し合うってことなんじゃないでしょうか。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #5】
言葉ならないテレパシーを送受信し合う。
米田たしかに現代美術は難しいとか、わからないという意見を多数いただきます。だけど今回の展示作品は、たとえば田村さんのナンバープレート1枚からいろんな情報が読み取れるように、こちらに与えられている情報を注意深く見ていけば、おのずと物語が立ち上がってくるようなものが多いかなという気はしています。
辛酸そういう意味では、これくらいの規模感がちょうどいいかもしれないですね。それぞれ集中して見ることができたので。
【現代アートの中にあるストーリーの見つけ方 #6】
与えられている情報を見逃さない。
解説が作品理解の手がかりになるのはたしかですが、鑑賞者に委ねられている作品ほど、自由にストーリーを読み取ったほうが楽しい場合もあるようです。
米田私は、解説は気になるところだけを集中的に読むタイプです。この展示も会場にはほとんど解説をつけないで、冊子のほうにまとめて、読みたい人だけ読めるようにしています。どんな解釈をしていただいても、楽しめればいいと個人的には思いますが、キャプションをつけるべきかどうかはいろんな意見がありますよね。
辛酸さんの美術館や博物館の楽しみ方は、仏像展などお寺系の展示に癒やされに行くかと思えば、国立新美術館で開催されていた「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime」と「高校生国際美術展」をはしごするなど、興味のおもむくままに垣根がないようです。気軽にアートを楽しむコツをうかがうと、辛酸さんらしいアドバイスが。
辛酸女性は特に、ミュージアムショップで物欲を発散するのも楽しみのひとつですよね。だから好きな作品を見つけたときは、そのポストカードやクリアファイルが売ってないかなと期待しながら、最後にショップへ向かいます。実際、展覧会に足を運ぶと、中高年の方々のほうが気軽に楽しんでいる印象を受けます。「すごく絵がうまいのね」とざっくりとした感想を言っていたり、宗教画を見て「これ、キリストだろ?」と言っていたりして。そういった周りのお客さんを見るのも興味深いですし、もっと気負わずに楽しんでいいんだと思えるかもしれないですね。
現代アートも、構える必要はないのではないでしょうか。実際に見えることや感じることをフックにして、想像を膨らませていけば、思わぬ扉が開いて違う景色が広がったり、あるいはミステリーの謎解きをするときのような高揚感を味わうことができるはずです。
【辛酸さん展示レポート】
今回の旅する美術教室を通じて辛酸さんが作品から読み取ったストーリーを、特別にイラスト化していただきました。そこには意外なメッセージが。