六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。アートディレクター尾原史和さんがインタビューで語った「アートの受け手側の"考える力"は、教育的なところから変えていくべき」という提案を実現するべく、クリエイターやアーティストのみなさんに先生になってもらい、その人ならではの美術館やアートの楽しみ方を教えていただきます。
第5回の先生は、アートディレクターのえぐちりかさん。舞台となったのは、東京ミッドタウンで初開催されたアートとテクノロジーの祭典『未来の学校祭』です。オーストリアのリンツで毎年9月に開催されている「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」で注目された数々の作品が集まるこのイベントを、アルスエレクトロニカ フェスティバル・ディレクター、マーティン・ホンツィックさんを案内人に迎え共に巡りました。
第5回目となる「六本木、旅する美術教室」は、「未来の学校祭」が舞台。東京ミッドタウンにて2019年2月21日(木)から2月24日(日)に開催されたこのイベントのコンセプトは「アートやデザインを通じて、学校では教えてくれない未来のことを考える新しい場」。アーティストによる社会への問いかけをきっかけに、さまざまなクリエイターや企業、ショップが、来場者とともに未来の社会を考える、新しいお祭りです。今回は、セーフかアウトかわからない境界の最前線へのチャレンジを表した「ギリギリ」がテーマ。社会で今問わなければいけない問題に向き合う境界を意識した"ギリギリ"な作品が登場しました。
今回は、アルスエレクトロニカ フェスティバル・ディレクターのマーティンさんの案内で、アートディレクターとして数々の広告キャンペーンを手がけているえぐちりかさんと「未来の学校祭」を巡りました。
まずは、東京ミッドタウンのアトリウムを訪れると、無脊椎動物のような巨大なゴムチューブが床をうごめくインスタレーション『πTon(ピトン)』が目に飛び込んで来ました。
えぐち昨年アルスエレクトロニカ・フェスティバルに行った知人からこの作品のムービーを見せてもらい、本物を見るのを楽しみにしていました。すごく迫力がありますね。
マーティンまるで自分の感情を持っているようです。この作品を見ていると、機械にも人間とは別の新しい感情があるように思えます。同時に、コンピューターやAIに囲まれた社会の中での人間のこれからの役割についても考えさせられます。人間を中心に機械たちが助けてくれるような未来が理想ですが、逆に機械に支配されてしまわないことを祈ります(笑)
えぐち商業施設の中のパブリックスペースで見ることで、日常と非日常のコントラストが浮かび上って、また違った印象になりますね。
スイスのアーティスト兄弟、Cod.Act (コッド・アクト)が手がける『πTon』は大きな黒いチューブが曲がりくねり、音を出しながらうねうねと動き回る作品。生き物と人工物の境界にあるこの作品は、見る人に生き物らしさとは何かを考えるきっかけを与えてくれます。
次に訪れた作品『私はイルカを産みたい・・・』は、人口過剰と緊張した地球環境を考え、人間に絶滅の危機にあるイルカを代理出産することを提案する、まさに人間としてどうあるべきかを考えさせる作品。生き残るために子孫を得つつ、自らが生きるために他の生物を食べるという、生物としての欲求と倫理の境界を模索するこの作品を見て、出産経験のあるえぐちさんはどのように感じたのでしょうか?
えぐち過去に3度出産を経験したんですけど、妊娠中は悪阻が酷く、寝たきり状態で入院や点滴に通ったりしていました。こんなに辛いなら胎児の時から身体の外に出して育てる未来がいつか来るのではないかと考えてしまったことがあります。
マーティンとても実質的な考え方ですね。
えぐちそれくらい、本当に辛かったんです(笑)。この作品ではさらに、出産する対象がイルカなどの絶滅危惧種になるわけですよね。この行為自体の善悪の判断はすぐにはできないですが、実際に見ることで自分の考え方の幅を広げてくれる作品だと思いました。極限状態に陥ったときに、人間としてどうすべきなのかという問いを突きつけられたような気がします。
マーティン生きていく環境が変わった際の考え方のシフトはとても大切です。将来的に厳しい環境に身を置かざるを得なくなり、それでも人類が生き残っていくためには進歩しなくてはいけない。そのためにはテクノロジーの力を借りることになるかもしれませんが、現実的に可能でも倫理的にどうかということは忘れずに意識していかなければいけません。
「人間の代わりにイルカを出産する」というエキセントリックな代案が提示されることによって、これから私たちが生き残っていくために何をしていくべきか、倫理的にそれがどうなのかを考えるきっかけが生まれたようです。
【メディアアートを通した未来の見方 #1】
作品が示す未来への問いかけを探してみる。
続いては先端的な研究や高い技術、新しい分野へのギリギリの挑戦に注目し、そこから生まれたプロトタイプが並ぶ「ギリギリ・ラボラトリー」へ。ジゥリア・トマゼッロがつくり出した『Future Flora』は、女性生殖器の感染症予防のためにバクテリアを培養する家庭用の培養キットのプロトタイプ。アーティストがこの作品に込めた思いとは?
マーティンもし自分の泌尿器や生殖器に症状が出たら、当然お医者さんへ行って薬をもらうと思います。でも特に女性の場合、こういったことはオープンにしづらいですよね? このアーティストは女性の生殖器の感染症予防のため、バクテリアを自分で培養する培養キットを提案しています。
えぐち女性の性病をテーマにしたこの作品、医療なのか? アートなのか? その曖昧さが今回のテーマである「ギリギリ」そのものですね。
マーティンそうですね、古典的な美術の本などにはこういったプロジェクトはまず見ないでしょう! このアーティストの目的はバクテリアの培養キットという既存の枠組みや考えに縛られないアイデアを提示することによって、タブーとされがちな泌尿器・生殖器のケアについてのオープンな会話を生むことです。
もしかしたら体内にあるバクテリアを利用することで、免疫力を高めることができるかもしれない。科学的な薬品を使わずに、セルフヒーリングが可能になるかもしれない。アーティストが意図するのは、アートが媒介となってコミュニケーションが生まれた先に、医療の分野で新しいビジネスケースさえ生まれる可能性です。
マーティンまさに今、この時代こそ社会の中でアートが新しい役割を担い始める転換期なのかもしれません。これまでの芸術がそれによって覆ることはないと思いますが、若いアーティストたちはアートによって、新しい考え方やソリューションを提案したいんですね。
えぐちアーティストがここまでやってしまう時代なんだというところに驚きます。それに、女性の性器やバクテリアといったトピックを扱っているのに、ひとつひとつのアートディレクションが効いていて伝え方がすごく美しい。東京ミッドタウンのような商業施設の中心にこんな題材の作品があるというギャップもおもしろい。
【メディアアートを通した未来の見方 #2】
アートを使って新しい考え方や未来へのソリューションを提案する。
伝統的な織物とデジタル素材を掛け合わせた『Heteroweave』は、西陣織の緯糸(よこいと)にさまざまな異素材を挿入した作品。西陣織特有の織構造や箔を用いた製法に、機能性材料やデジタルファブリケーション、印刷技術でつくられた素材を掛け合わせることで、色や硬さの動的変化が生まれます。伝統工芸と現代的なテクノロジーの統合による美や価値の創出を追求するという挑戦です。
マーティン伝統的なものとモダンな物がせめぎ合うと、概して伝統的な方が追いやられてしまうことが多いですが、この作品を見て伝統的な技術も現代のテクノロジーと融合することで十分生き残っていくことができる、むしろ今までより強固な存在に進化していくのを感じました。りかさんはデザイナーとしてどう感じますか?
えぐちこれは温度によって色や硬さが変わるんですね。着物の帯やバッグなど、この素材でつくった新しいプロダクトが生まれそうです。例えば、ソファーに使えば人が座った部分だけ色が変わったりとか。日本の伝統工芸にまだまだたくさんの可能性があることが伝わってきました。
マーティンりかさんのようなデザイナーのみなさんがこのような作品から新しいアイデアを生み出すことは、まさにアートとデザインのコラボレーション。お互いが良い部分でアイデアを出し合うことで、世界をもっとよくしていくことができるといいですね。
【メディアアートを通した未来の見方 #3】
アートにデザインを絡ませたら何ができるか、具体的なアウトプットを考えてみる。
次の作品のテーマである「教育」は未来のアーティストたちにも関係する包括的な問題。これからの教育や入試について、アーティストはどのような問題を感じているのでしょうか?
慶應義塾大学の教授でもあるアーティストの脇田玲さんは、大学の入試問題の採点に関わった際「どんな形で答えを出しても良い」と白紙の問題用紙が配布されていたにも関わらず、99%の学生が文章で回答し、中には罫線まで自分で引いた学生までいたことに危機感を感じたといいます。「求められたことをそのままオウム返しにするのが今の受験だとしたら、知能ってなんだろうと考えたのが制作のきっかけです」
マーティン私たちはテクノロジーやシステムに対して盲目的になっていて、与えられたどんな情報も当たり前に信用してしまうところがありますよね。中国では既に国民がスコア化される時代がきていますが、この問題は中国に限ったものではない。自分たちがつくってきたシステムに私たち自身が埋没してしまわないよう、気をつけなくてはいけないですね。
えぐち本当にそうですね。我が家は長男が8歳で、まさにこれから中学受験をするかしないかの瀬戸際に立っています。毎日「宿題しなさい!」と言い続けるなかで、そんなふうに無理して勉強させることが正しいのか、よく自問自答しています。朝起きてから寝るまで、子どもの生活が受験に向けて動かされているように思えて葛藤するなか、このタイミングで作品を見ることができてよかったです。また、将来目標の大学に入るための中学受験でもあるのに、その大学の先生が今の入試制度に疑問を感じて、こんな作品をつくっているというパラドクスがおもしろいですね。
脇田さんは、何にも考えずにテクノロジーやアルゴリズムに身を委ねることの危険性や、人間が言われたことを、そのまま実行するしかできなくなってしまっていることに警笛を鳴らしています。
えぐち受験の制度が変わることによって、もしかしたら子どもの頃からの生き方そのものがすべて変わってしまうかもしれませんね。
女性にとってタブーな話から、機械と人間の関係性、これからの伝統工芸のあり方など多様性に富んだ作品に触れてきた今回のツアー。常識にとらわれず、文化的な背景から新たな視点を持った作品を見終えたえぐちさんは「いろいろなことを考えるきっかけをもらった」と大満足。
えぐち大学生のときにアーティストを目指していて、自分がつくった作品が美術館の中でしか表現できないと言うことに疑問を感じて広告の世界に入ったこともあり、開かれた商業施設の中での展示はすごく新鮮でした。自分のなかでまだ消化できない作品もありますが、答えがその場で見つからなくても、頭の中に不思議な経験が残るのもアートのおもしろさだなと感じています。
マーティン今日見た作品やプロジェクトに共通しているのは、「今すぐに答えを出さなくてもいい」という点ですね。見る人が一歩立ち戻って自問自答するような機会を与えることができていれば、嬉しいです。
【メディアアートを通した未来の見方 #4】
既存の制度のあり方、存在に疑問を持つ。