六本木の美術館やギャラリーを舞台に繰り広げられる「六本木、旅する美術教室」。クリエイターやアーティストのみなさんに先生になってもらい、その人ならではの、美術館やアートの見方を教えていただきます。 第3回の先生は、デジタルメディアを基盤に、文字や身体にまつわる作品を多く制作する美術家のやんツーさん。訪れたのは、国立新美術館で開催されている『ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか』。この展覧会のキュレーターの宮島綾子さんに案内していただきます。古代から1848年までの美術作品が収められているルーヴル美術館と、デジタルアートの領域であるやんツーさんの作品は、扱う作品の時代性がまったく違うようにも感じられるかもしれません。けれども、今回の美術教室では、古代と現代美術がつながっていることを節々と感じることになりました。
ルーヴル展の入口に足を踏み入れると、薄暗い空間にふたつのマスクが浮かび上がっていました。思わず吸い寄せられるように、やんツーさんがマスクに近づきます。
棺に由来するマスク
女性の肖像
宮島綾子 展示エリア冒頭の「プロローグ」では、古代エジプトのふたつのマスクを展示しています。今回の展覧会のテーマである"肖像"のオリジン(起源)を示したいと考え、表現の方向性が対極をなすマスクを並べました。ひとつ目は、エジプトの3,000年以上前の『棺に由来するマスク』。抽象化され、理想化された、個人のものではない顔です。もうひとつは、それから約1,500年後、同じくエジプトで制作された『女性の肖像』ですが、こちらはとても写実的で亡くなった人に似せようとしています。板に描かれたもので、ミイラの顔に直接つけられていました。
肖像芸術は、どの時代にも、「理想化」と「写実(本人に似せる)」のふたつの方向性があるそうです。その両方の要素を、同じエジプトのマスクを並べることで対比させているのがこのプロローグです。
宮島 今回の「ルーヴル美術館展」は、ルーヴルの全8部門からの多種多様な作品を、「肖像芸術」という切り口でご紹介する展覧会となっています。
やんツー 肖像を展示する文化は、海外では多くありますよね。肖像ばかり集めた「ポートレート・ギャラリー」もありますし。でもやはりルーヴル美術館のような多様な作品を持っている美術館では、「肖像」というひとつの切り口だけで展示をしませんね。
宮島 そうですね。実は日本では、ルーヴルのコレクションによる「肖像展」が1991年に国立西洋美術館で開催されています。その際は、部門ごとの展示でした。27年ぶりとなる今回は別の切り口を示したかったので、"肖像の社会的役割と表現上の特質を明らかにする"というコンセプトで1〜3章を組み立てました。
プロローグを抜け、第1章に入ると、壁紙がすべて青い空間のインパクトに目を奪われます。今回のルーヴル美術館展ではテーマごとに壁紙の色が異なり、観る人の気分をガラリと変えます。
宮島 第1章のテーマは『記憶』。人の存在を記憶するという、肖像の最も古い役割に焦点を当てています。展示の中心となるのは、亡くなった人の肖像を刻んだ墓碑彫刻です。また、神々や神殿に捧げられた彫像や、先祖の肖像もこの章に含まれています。
やんツー これ、すごいですね。
突然、やんツーさんがある作品に向かって一直線に歩いて行きました。そこには、銀の杯の中央に男性の顔の彫刻が施された『ボスコレアーレの至宝 エンブレマ型杯』が。
ボスコレアーレの至宝 エンブレマ型杯
宮島 これはおそらく、古代ローマの先祖崇拝に関る作品です。ローマの人々は、家の中の目立つ場所に先祖のデスマスクや肖像画を飾っていました。その習慣を例証する、とても貴重な作例です。
やんツー 見た目も衝撃的ですね! 僕、ユーモアがある作品が好きなんです。
やんツーさんはイヤホンガイドは聞かず、自分のペースで気になった作品をじっくり見るそう。そして、時には作品よりもキャプションを読んでいるのでは、というほど、作品解説をじっくり読みこみます。
やんツー なぜ足元に置いてあるキャプションと、胸の高さの看板に書かれているキャプションとがあるんですか?
宮島 最初、作品の見栄えを重視してキャプションを下に置いたのですが、混んだ場合に読みづらいため、会期の途中で高さを上げました。日本のお客様は、1点1点きちんと読む方が多いですね。
やんツー 読み飛ばさないように、キャプションの前に人だかりができたりしますよね。
宮島 そうなんです。海外のお客様と一番違うところだと感じます。ルーヴル美術館のキュレーターの方々にもその日本の特徴がなかなか理解していただけませんでした。日本の美術館に来てやっと「日本では列をつくって1点1点見るとわかったよ」と納得してくれました。ですから展示の導線は一筆書きでたどれるように心がけています。また、キャプションの人だかりができやすい場所はスペースをゆったりととって展示します。
やんツー 日本ならではですね。僕も以前はしらみつぶしに見ていましたが、最近では気になったところだけ見ています。
宮島 それぞれ自由に見ていただくのが一番だと思います。キュレーターとしては、1点1点は必然的なものとしてその場にはあるので、くまなく見ていただきたいという気持ちもあるのですが......。でも、見るひとの好き勝手と言いますか、自分らしい見方をして欲しいですね。展示も、自発的に見てもらえるように心がけています。
【美術展の見方#1】
すべての作品を見なくていい。自分の「好き勝手に」見る。
第2章は、赤い壁紙の空間。テーマは『権力の顔』とされ、王、皇帝、王妃などの最高権力の肖像画が展示されています。その描かれ方に注目して欲しいと、宮島さんは言います。
宮島 ルイ14世の肖像は、3点を並べて展示してあります。ローマ皇帝の服装をした5歳の頃の姿、馬に乗ったもの、聖別式(戴冠式)の正装をしたものです。ローマ皇帝風、騎馬姿、聖別式の正装はいずれも、最高権力者を表す形式です。
やんツー 3点並ぶと面影があっておもしろいです。次のナポレオンも、権力的ですね。
戴冠式の正装のナポレオン1世
宮島 若い頃のものと、皇帝になってからのもの。ナポレオンは皇帝になってから非常にイメージ戦略にこだわっていたので、ある一定の肖像形式があるんです。戴冠式の正装の絵や彫刻をたくさんつくらせて、帝国各地の建物に設置したりしています。
その肖像形式を理解してもらえるように、ナポレオンの全身を表した彫刻『戴冠式の正装のナポレオン1世』と、戴冠式の服装の色がわかる絵画『戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像』を並べて展示。コーナーの最後には、1821年に亡くなったナポレオンのデスマスクのレプリカである、『ナポレオン1世のデスマスク』を展示しています。「肖像と呼べるかは判断が難しいですが、後世に伝えるために人を象ったという意味では肖像と言えるのでは」と宮島さん。
肖像画は、絵画や彫刻などの展示物だけにとどまりません。展示のところどころに現れる薄暗い小スペースに、「幕間劇」と称して飾られているのは、メダルや嗅ぎタバコ入れなど、小さくて、持ち運びができる肖像。「気分を変えていただければ」と、空間の雰囲気を変えて展示しています。
「国王の嗅ぎタバコ入れ」のためのミニアチュール48点
宮島 嗅ぎタバコは鼻に詰めて匂いを楽しむもので、それを入れるケースは、よく贈りものに使われました。国王や皇帝は、自分の肖像が描かれた嗅ぎタバコ入れを家来や外国の賓客に配ることで、自分のイメージを広めていったんです。
やんツー 作品としてもとてもきちんとつくられた、良いものですよね。描かれているものだけでなく、それがどういう風に、なんのために制作されたかの背景がわかると、歴史や時代についてわかってきますね。
宮島 この嗅ぎタバコ入れには、蓋を飾るための交換式のミニアチュールの肖像が48点あり、ルーヴルの素描・版画部門が管理しています。ですが、それらを収納するために作られた箱は美術工芸品部門に属しているので、ルーヴルの常設展ではミニアチュールの肖像と箱が一緒に展示されてはいないんです。ですので、今回のようなテーマ展は、こうした作品を本来あるべき姿で展示できる機会になることもあります。
【美術展の見方#2】
「なんのために」「どう使われていたか」など、作品の背景を知る。
最後の第3章のテーマは『コードとモード』。コードは、正確に該当する日本語はないのですが、肖像表現の「決まりごと」を意味します。モードは流行のこと。第3章にはこれまでの権力者とは違い、一般の人々の肖像が展示されています。歩みを進めるやんツーさんがふと立ち止まりました。
やんツー 僕は展示を見るときに描かれた「年代」が気になるんですが、ここだけルネサンス以降ですね?
宮島 そうですね。ルネサンス以降、ヨーロッパでは次第に社会の近代化が進み、上層市民の力が増していきます。その結果、それまで王侯貴族など特権階級のものであった肖像芸術の裾野が、より下の階級の人々に広まっていきました。
奥には、今回の目玉でもあり、展覧会のポスターにも使用されている『女性の肖像』、通称『美しきナーニ』が展示されています。
女性の肖像、通称『美しきナーニ』
やんツー これが今回イチ押しの作品ですね。
宮島 そうですね。普段ルーヴル美術館では『モナ・リザ』と同じ部屋に飾られています。ルネサンスを代表する肖像画の名品ですので、なかなかルーヴル美術館の外に出ない作品ですが、今回貸していただけました。筆のタッチを生かした描き方はヴェネツィア派の特徴です。
3章を終え、エピローグには、2枚のアルチンボルドの絵画『春』と『秋』が飾られています。たくさんの草花や野菜や果物が描かれており、遠目で見ると人間の横顔に見えます。
春
宮島 最後に遊び心を添えました。古代から19世までの多彩な肖像作品を、時代順や地域別ではなく、いくつかのテーマにそくして展示することで、肖像の役割や表現の多様性を感じていただける展覧会に仕上がったのではないかと思います。
やんツー いろいろな角度で肖像作品というものを見ることができておもしろかったです。古代から始まり、数千年の肖像を見ましたが、そのすべてが現代の作品性につながっているなと感じました。後日、家族ともう一度来たいと思います。
【美術展の見方#3】
作品ひとつひとつだけでなく、展覧会全体を通して感じてみる。