無印良品や蔦屋書店、GINZA SIXなど、有名企業や商業施設のビジュアルや広告、プロダクト、VIを手がける、原研哉さん。日本を代表するデザイナーのクリエイティブディレクションの背景には、「仮想と構想」がありました。2018年12月7日(金)に行われた、講義の様子をお届けします。
「今日の講義のお題は、『原研哉のクリエイティブディレクションって何ですか』。実は、普段あまり考えたことがないテーマです。今日はさまざまな事例のお話をしながら、みなさんと一緒に自分のクリエイティブディレクションの方向性を探ってみたいと思います」
日本を代表するデザイナーを熱い眼差しで見つめる来場者を前に、穏やかな口調で話し始めた原さん。講義は、原さんがこれまで手がけた仕事を振り返りながら、進んでいきました。
プロダクトデザインから展覧会のディレクションまで、多岐にわたる領域で活躍されている原さんですが、原点はグラフィックデザイナーです。グラフィックデザインとは、平面上に表示される文字や画像などを使用して、情報やメッセージを伝達する手段として制作されたデザインのこと。 原さんは、昨年手がけたあるポスターをスライドに映しながら、そのおもしろさを説明してくれました。
「これは、昨年手がけた『ヒロシマ・アピールズ』のポスターです。『ヒロシマ・アピールズ』とは、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)とヒロシマ平和創造基金、広島国際文化財団が行っている活動で、核兵器廃絶や平和の尊さを訴えるもの。ここに描かれているのは、キノコ雲を真下から見上げた様子です。『頭上で核兵器が炸裂した』という戦慄すべき事実に意識の照準を合わせることが、平和への祈りに通じると思い、リアルなタッチで表現しました。グラフィックデザインとは、静止したビジュアルとしてモノの本質やメッセージを凝縮していく仕事です。動く現実を静止させることに多大なエネルギーを使う。そこがグラフィックデザインのおもしろいところです」
次に映し出されたのは、グラフィックデザイナーとして手がけた「NOH」のポスター。
「UCLAと早稲田大学による日本の伝統芸能紹介プロジェクトが36年ぶりに開催されました。前回同様12名のグラフィックデザイナーが指名を受け、狂言、能、三味線、日本舞踊などをテーマにポスターを競作しました」
原さんは「能」を担当。イメージが能面の上にかたちをなしはじめる様相を表現しています。
【クリエイティブディレクションのルール#1】
動く現実を静止させる
続いてスクリーンに映し出されたのは、1998年に開催された長野オリンピックの開会式と閉会式のプログラム。原さんが使用したのは、雪を彷彿させる白いふっくらした紙。そこに凹型に押された半透明の文字は「雪を踏んだ時の足跡」をイメージしたものだそう。これは、「みんなが持っている共通の記憶」を意識して生まれたデザインです。
「プログラムが本来果たす役割は、会の進行をわかりやすく伝えること。しかし僕は、"冬季五輪の記憶を持ち帰るメディア"と考えて、アートディレクションを行いました。冬季五輪は『雪と氷の祭典』ですから、それを紙に落とし込んだ。雪を踏んだときの記憶は誰にでもあるはずです。選手入場のページは、"瑞雲に乗った五色の神々"、聖火点火のページは"火の玉"を、イラストレーターの谷口弘樹さんに描いてもらい、現場の高揚感を表現しています」
【クリエイティブディレクションのルール#2】
「空っぽ」を運用し、多様なイメージを受け入れる
日本を代表するデザイナーとして、業界の先を走り続ける原さんですが、デザインの着眼点を意識した仕事は、今から25年前に手がけた、山口県の光市にある産婦人科「梅田病院」のサイン計画だったそうです。
「考えてみると、病院の空間の最大の価値は、清潔さであると気づいたんです。そこで、『洗濯できるサイン』をコンセプトに、白い布を用いました。カバーを取り替えるような着脱式なので、いつでも洗濯ができる。だから常に清潔な状態を保てる。布のサインですから、ふわっとした感じや皺の出方に気を遣っています。先日、10数年ぶりに布をすべて新しくしたので、制作から25年経った今でも新品です。サインデザインの意味を誘導に限定しない、二次的な性質に、プロジェクトの本質を見つけたのは、このときが初めてです。まさに、自分の"記念碑"と言える仕事ですね」
原さんが多く手がけているのが、企業が伝えたいイメージを効果的に表現することが求められる、「VI(ビジュアル・アイデンティティ)」の考案です。これまで数々の企業の思想が伝わってくる、ロゴやシンボルマークを手がけてきました。
六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズなど、東京都港区を拠点に数々の商業施設を運営する森ビル株式会社のVIも、原さんによるものです。
「VIとは、その企業や組織が目指すものを端的に表現することです。森ビルのVIを手がけたのは、六本木ヒルズができる前で、愛宕グリーンヒルズができた頃のことです。当時の森稔社長が理想としていたのは、コルビジェの『輝く都市』に着想を得た『立体緑園都市』だと聞いて、仰ぎ見る「高層都市群」を森ビルの頭文字『M』で表現しました。それまでの「51森ビル」みたいな表現からの離陸です。このマークは、森ビルの運営するすべてのビルについているので、東京の街では見る機会が多いと思います」
同じ言葉でも、フォントを変えるだけで受け手のイメージは大きく変わります。原さんは「企業の顔つき」を表現するために、数々のロゴタイプを生み出してきました。100年以上の歴史を持つ、老舗出版社の講談社のロゴ制作も、そのひとつ。
「海外とコンテンツビジネスを行う"講談社の顔つき"を、ロゴタイプで表現しました。和文、英文どちらも手がけたのですが、意識したのは大衆性とは真逆の真摯な企業姿勢。海外との契約・折衝業務をサポートするロゴです」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
本質を見極め、可視化する
図書館や美術館など、公共空間の演出を手がけることも多い原さん。建築からインスパイアされて、アイデアが生まれることも多いのだとか。
岐阜の複合施設「みんなの森 岐阜メディアコスモス」内にある、岐阜市立図書館のサイン計画を行なった際には、建築家の伊東豊雄さんが設計した"不思議な建築"から、インスピレーションを得たと話します。
「伊東さんが設計したのは、幻想的で不思議な空間。2階の図書館は広大な空間だったので、まずは来場者に全体を把握してもらう必要がある。そこで"わかりやすい"サインを建築に取り入れていただいたのです。具体的には天井からぶら下がっているグローブと呼ばれる巨大な傘に不織布を用いたグラフィックパターンを張り込みました。『児童書』や『純文学』など、テーマ別に異なるグラフィックパターンが展開されています。これがあれば、文字が読めない子どもでも、どこに何があるのかの目印ができて空間はわかりやすくなる。
こんなふうに、建築からインスパイアされることが多くあります。アイデアが建築にぴたりとフィットするとすごく気持ちがいい。隈研吾さんと仕事をしたときには、三次元の矢印をつくりました。トイレを示す矢印が壁に突き刺さっているんです。ストレートに方向を示しているのですごくわかりやすい。サインというのは、ひたすらわかりやすくないといけません。居丈高に『こっち、あっち』とするのではなく『こちらですよ』といったニュアンスを込めてつくらなければいけません。ホッとする雰囲気が大事なんですね」
【クリエイティブディレクションのルール#4】
わかりやすさが美しい
2013年に隈研吾さん主導のもと生まれ変わった、銀座にある歌舞伎座。背後に地上145mの「歌舞伎座タワー」を構え、伝統と現代の融合が実現しました。「建築家と仕事をすることが多い」という原さんは、新・歌舞伎座と京都南座のVIを手がけました。
「歌舞伎座と歌舞伎座タワー、ふたつ合わせて『銀座歌舞伎座』であることがわかるVIのデザインを依頼されました。なので、歌舞伎座の背後にそびえる歌舞伎座タワーの存在感をポップな造形に落とし込んだのです。建物の外観を強烈に象徴化することで、新たな歌舞伎座の始まりを表現しました」
歌舞伎座に続き、原さんは京都の歌舞伎劇場「南座」のロゴデザインも手がけています。この時も、建物の造形から着想を得たロゴを制作したのだそう。
「『京都四條 南座』は、2018年11月、新開場を迎えます。その節目を記念して、新しいシンボルマークとロゴタイプを制作しました。シンボルマークは、"南"という文字を明快に削ぎ落とした造形に、南座の外観を連想させるかたちを融合しています。シンボルカラーは、南座の内装に用いられている深紅色としました。歌舞伎は象徴と凝縮の美学であると考え、紋章のような、目を引く強い造形としています。『京と。』というショルダーフレーズは、所在地が京都であるということを超え、京都とともに歩んできた来歴と、これからも京都とともに歴史を重ねていく南座の姿勢を端的に示すものです。マークとロゴは、ショッピングバッグ、風呂敷、手拭いに展開しています」
【クリエイティブディレクションのルール#5】
できるまでやり、勝つまでやめない
原さんが代表を務める日本デザインセンターは銀座にあります。ここに35年間通い続ける原さんにとって、銀座は第二の故郷のようなもの。そのため、銀座の新たな"顔"となる「GINZA SIX」のVIには、特別な思いがあったのだと原さんは振り返ります。
「銀座の街にはお店もビルも『銀座』とつく場所が非常に多い。当初『GINZA SIX』という文字でロゴをつくってほしいと依頼されたのですが、個人的に『またGINZAはやだな』と思ったんです。ですから『GSIX』というロゴを提案しました。それぞれの文字が独特の形をしているので、存在感のあるかたちになる。エントランス部分では、ロゴを建築の中に埋め込んでいて、昼はGが金色、SIXが黒ですが、夜になると内照のライトが点灯して全部白く見える。GINZA SIXはおびただしいブランドの集積ですから、それらの中で強烈な軸性、中心性を発揮しなくてはならない。そういうロゴタイプです」
同じく銀座にある、老舗ジュエラー「MIKIMOTO」の本店が、建築家の内藤廣さんによってリニューアルした際にも、原さんはVIを担当しました。MIKIMOTOといえば、世界トップ10に入るジュエリーブランド。だからこそ、原さんは"簡潔さ"を意識したのだと話します。
「カルティエも、シャネルも、ブルガリも世界レベルのブランドのVIはとても簡潔ですよね。非常にオーセンティックな雰囲気の中に高級感が漂っている。MIKIMOTOのVIを手がける際にもそこを意識しました。ロゴは基本を変えないでしっかり磨き直しました。また、『機前の白をコーポレートカラーにしてみては』と提案したんです。"機前"とは、何かが成就する直前の状況を意味する言葉です。幸福が成就する一歩前をことほぐ色です。
内藤廣さんが手がけた建築のテーマは『英虞湾の輝き』。ですから、パッケージの紙にもそのイメージを取り入れました。バッグや包装紙は海のきらめき、ジュエリーのパッケージには西陣織の布を使っています。世界トップレベルのジュエラーならばこそ、究極のミニマルを表現したいと思いました。最高級を標榜するには、ベーシックな部分を徹底的につくり込むことが大事です」
【クリエイティブディレクションのルール#6】
オーセンティシティを磨き上げる
"大人"をターゲットにした書店として、各地に展開を広げる「蔦屋書店」。"大人の図書館"として、独特の雰囲気を醸し出す背景には、原さんが手がけたVIの工夫がありました。
「蔦屋書店の第1号店となる『代官山 蔦屋書店』は、"大人の図書館"を目指してつくられたものです。ロゴにその着想を表現しました。明朝でもゴシックでもない、一見なんの変哲もないロゴですが、落ち着いた雰囲気を醸し出しているはずです。これは『二期倶楽部』ロゴから徐々につくり始めた文字で、フォントとしても進展させつつあります。アルファベットで『TSUTAYA』と書くよりも、漢字で『蔦屋書店』と書いたほうがわかりやすくて感じがいいでしょ。
さらに、大人を対象にしたお店ですから、店内サインも大きな文字で読みやすくしました。ただ、文字が大きいと鬱陶しさも感じるので、サインの躯体はパンチングメタルを使って半透明にしています。大人っぽいといってもそういう空気が好きな若者で満ちています。こういう雰囲気を大事にしてくれるお客によって蔦屋書店の空気ができあがってきました」
2001年から、無印良品のアートディレクターを務めている原さん。前任の田中一光さんがつくりあげた「無印良品」を引き継ぐにあたり、原さんが意識したのは「世界に展開できるブランドに昇華させること」でした。
「アートディレクターになって初めて手がけた仕事はポスターです。写真家の藤井保さんと一緒に、ボリビアのウユニ塩原とモンゴルの大平原に行って地平線の写真を撮りました。ウユニ塩源は四国の3分の2ほどの面積で、ほぼ真っ平らなんですよ。雨季で水が溜まっても、長靴を履けばどこまでも歩いていける。水深が一定しているので、完璧な鏡面のように空を映す。幻想的な風景を収めたこの写真には、見た人が自由に解釈できる余白があります。無印良品は、この写真のように『エンプティ(空っぽ)』を運用することで、究極の自在性を標榜するブランドにできると、このときに思ったんです」
さらに原さんは、「エンプティ」の美学は日本特有のものであると続けます。
「ここで言う『エンプティ』とは、西洋的な『シンプリシティ』とは違います。西洋で生まれた『シンプル』は、近代社会の誕生とともに生まれた合理主義から派生したものなんですね。長く続いた王や貴族の時代においては、権力の表象として豪華絢爛な装飾が使われていました。国を統治するためには、強烈な求心力が必要で、煌びやかな装飾で権力を示す必要があったんです。そうした時代が終わりを迎え、人びとが合理的に生きていくために、建築も家具も暮らしかたもシンプルになっていったんです。
日本も、室町中期ごろまでは豪華絢爛な渡来ものがよしとされていましたが、応仁の乱を境に日本文化はいったんリセットされています。西洋のモダニズムがおこる300年ほど前の話です。京都の都が10年に及ぶ戦乱で焼け野原になってしまった。寺も、庭も、調度も、着物も、仏像も......。たいへんな文化的喪失です。当時の将軍、足利義政が、応仁の乱ののちに隠居して生み出したのが『東山文化』です。建築・庭、茶の湯・花・絵画・能・連歌など、いわゆる日本特有の簡素・簡潔な文化はこの時代に源流があると言われています。
義政が隠居した銀閣・東求堂に今も残る書院『同仁斎』は、何もない『エンプティ』な空間なのですが本当に美しい。義政を始めとするこの時代の目利きやクリエイターたちは、『何もないもののほうが、イマジネーションを鼓舞する』ことに気づいたのだと思います。
僕は、無印良品のなかにある「簡素であることが豪華に引け目を感じず、むしろ誇らしく思える境地」という思想は、室町後期にさかのぼる『エンプティネス』の系譜につながるものと考えています」
無印良品の商品は特定の年齢層や対象者を限定していません。どんな世代にもフィットするし、使用者の使い方次第でクラシックにもモダンにもなる。文脈次第でどうにでもなるという究極の自在性、つまり融通無碍な様相を『エンプティ』と説明しているのです。「これは世界の人々も、大変よく理解し、共感してくれます」
【クリエイティブディレクションのルール#7】
広げられるだけ広げて編集で仕上げる