博報堂で企業のPR活動に関わり、雑誌『広告』の編集長を務め、現在はクリエイティブエージェンシー「博報堂ケトル」を立ち上げて、企業広告から本屋B&Bの運営まで多彩な仕事を手がける嶋浩一郎さん。2016年2月15日(月)に開催された講義で語ってくれたのは、クリエイティブディレクションのキーとなる「インサイト」と、メディアごとに異なる「作法」について。その内容を、ぎゅっと凝縮してお届けします。
「アウトプットがきちんとワークするのは人々の欲望をとらえているから。20年間、企画の仕事をしてきて、これは真理に近いと思っています。人の欲望、マーケティング的には『インサイト』と言いますね。よく企画書に『ターゲットのインサイトは』なんて言葉が登場しますが、残念ながら、真剣にインサイトのことを考えている企画って世の中にそんなにないのが実情。今日はインサイトをどうとらえるかという話からはじめたい」
例として嶋さんが挙げたのが、2004年のグーグルの広告。今でこそIT業界トップのグーグルも当時はまだ数多あるIT企業のひとつで、「とにかく優秀な人材が必要」という課題を抱えていました。
「普通の広告会社なら、『優秀な学生はこんなウェブサイト見ていることがわかりました、そこにバナーを貼りましょう、コピーはどうしましょう』なんて話になると思うんです。でも、この広告を手がけたアメリカの広告会社、クリスピンポーター・アンド・ボガスキーはまったく違っていました。ボストンの駅の出入り口に白い横断幕を掲げて、『{first 10 digit prime found in consecutive digits of e}.com』とだけ書いたんです。日本語に訳すと『自然対数の底"e"の中で最初に出てくる連続した10桁の素数.com』。意味わからないですよね」
実は、広告に書かれていたのは数学の超難問。ウェブサイトで正解を入力すると『ようこそグーグルへ、あなたを採用します』というメッセージが出てきます。つまりこれが採用試験で、グーグルはこのキャンペーンで100人以上のエンジニアを採用したのだそう。
「これ、普通の人には意味がわからないですよね。でも、めちゃ頭のいい理系の学生はこの横断幕を見た途端、『この問題はオレが解かなきゃ誰が解く』みたいな気持ちになるわけです。彼らはすぐさま家に帰ってこの難問に取り組む。そういう意味でこの広告は実際に人を動かしてワークしているんです。重要なことは、この広告をつくった人は『難問を解きたい』という理系の人の欲望が見えていたこと。でも、実際に問題を解いた人はその欲望に気付いていたかというと、そうでもない。別に彼らは『難問解きたいので出題よろしく』とブログに書いていたわけではないでしょう」
インサイト(=欲望)は、「何が欲しいかわからなかったけれど、それが目の前に出現したとたん、あたかも前から欲しかったように感じる」もの。欲しいものは意外と言語化できていない、欲望のうち言語化できているのはほんの数パーセントだ、と嶋さん。
「言い換えれば、インターネットでは自分の欲しいものの数パーセントしか検索することができないということ。僕はB&Bという書店を経営しているけど、欲しい本が決まっていればそれはネット書店で買ってもらって結構だと思っている。リアル書店は別の役割があるから。みなさん、リアル書店では買うつもりのない本を買ってしまいませんか? でも、その本は欲しかった本なんです。リアルな本屋は言語化できていない欲望が言語化される場。なぜなら、本屋はほんの数分で世界一周できるから。B&Bは30坪の小さな店ですが、天文学、歴史、ワイン、スポーツとあらゆるジャンルの本がある。それらを見ることで潜在的な欲求が刺激されるわけです。もうひとつ重要なことは、人は自分の欲望を言語化してくれた人に感謝するということ。買うつもりのない本を買ってしまう書店を『この店は自分の好みをわかってる』と思っちゃうでしょ」
ただし、本人がそれに気付いていないわけだから、言語化されていない欲望を見つけるのはとても難しいこと。近年話題のビッグデータも、「データ化」されている、つまりすでに顕在化した欲望を細かく整理整頓しているので、新しい潜在的な欲望を言語化することには応えられない、と言います。
「博報堂の新入社員は、研修でタウンウォッチングをさせられます。これがすごく重要で、たとえば、近ごろゲームセンターにシニアが多いな、とか、ベビーカーにペットを乗せている人が多いな、なんて現象が見えてくる。そこに、世の中の欲望の胎動が見て取れるわけです。『おひとりさま』って、要は上司や同僚とごはんとか食べるのが面倒で、自分ひとりでいたいという欲望を持った人たちのことでしょう。でも、僕らは『おひとりさま』って言葉が誕生する前に、きっとひとりで食事をしている『おひとりさま』を目撃していたはずです。ただ、新しい欲望とは気付かなかった。新しいものは街にしかないし、すべての欲望は日常生活の中から発見されるんですよ」
【クリエイティブディレクションのルール#1】
街の中からインサイトを発見する
潜在的な欲望をクリエイティブに生かした例が、嶋さんが創立メンバーのひとりとして立ち上げた「本屋大賞」。全国の書店員の投票で決まる文学賞で、これまで大賞に選ばれた作品はすべてミリオンセラーとなり、注目を浴びています。誕生したきっかけは、書店員の文句からだったという嶋さん。多くの書店員から「なんで、あの作品が直木賞なんだ」という話を聞いたそうです。
「人の文句って、欲望と限りなく近いイメージ。だから僕は文句を言っている人が大好きなんです。スーパーのレジで店員に文句をいってるおばちゃんがいると、メモをしちゃうわけ。たとえば『なんで、このお魚三つに切って売ってないの』という文句は、『切り身の魚が欲しい』という欲望と同じですよね。だから、『直木賞、なんでこの本を選ぶんだ』っていう文句は『オレには別に売りたい本がある』っていう欲望のこと。そのインサイトを受け止める装置が本屋大賞です」
本屋大賞に選ばれた本が売れているということは、インサイトに応えている証拠。嶋さんが「社会記号」と呼んでいる、「美魔女」「ちょいわるオヤジ」「シロガネーゼ」などの新語も、社会の欲望をメディアが言語化ししたことでそのスタイルが定着しました。
「社会の暗黙知だった欲望を誰かが言語化することによって、新たな市場や文化が生まれます。大事なことは、本人が気づいていない欲望を発見してくれると人は感謝する、そこに対価を払うということです。グーグルのCTOがビッグデータを賞賛して『21世紀にもっともセクシーな職業は統計学者だ』と言っていますが、インサイトを発見する広告制作者や編集者も、負けずにセクシーだと思うんです」
【クリエイティブディレクションのルール#2】
欲望を言語化して新たな市場を生む
「インサイト」に続いて嶋さんが話してくれたのは、メディアごとの表現方法について。テレビCM、雑誌・新聞広告、トレインチャンネル、デジタルサイネージ、SNS、YouTube......。人に情報を伝達する手段は山ほどある、と嶋さん。その違いとは?
「よく広告代理店の人が『ワンコンテンツ・マルチユースだからお得ですよ』って言うんです。でもそれは間違っていると思います。たとえば同じテキストを書籍にすることも雑誌にすることも、ウェブサイトに載せることもできるけれど、"乗り物"が違えば、編集のお作法が異なります。コミュニケーションに携わる人はその違いに敏感にならなきゃいけない」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
あらゆる" 乗り物" の運転免許を持つ
たとえば、テレビのニュース番組で長く務めたアナウンサーが、フリーになって最初の仕事で、あるラジオ番組のDJをしたときのこと。
「『ラジオの前のみなさん、こんにちは』とあいさつをしたんです。普通の言葉に聞こえますよね? なのに、ラジオ好きの人からは『やっぱりテレビの人だね」とインターネットの掲示板に書かれてしまいました。ラジオでは『みなさん』よりも『あなた』という二人称単数の表現のほうが気持ちいいということなんです」
ほかにも、テレビCMならビールの泡の表現にこだわるけど、トレインチャンネルではそこにこだわっても意味がない......などなど。「こんな話をしていると明日の朝までかかっちゃう」ということで、代表例として紙とウェブの違いを説明してくれました。
「雑誌『週刊ポスト』の記事は、『NEWSポストセブン』というニュースサイトにも転載されていますが、必ずリライトしているんです。週刊誌はねちっこく書くほうが読者の共感を呼びやすいけれど、ネットニュースにそのテイストは適さない。たとえば雑誌なら『AKB48の総選挙は誰々を応援しよう』と書いていいわけですが、ネットでは『誰を応援するかはこっちに決めさせろ!』となる。ネットでは嫌われやすい主観的な要素をリライトするときに削除することで、PVがアップしたそうです」
「『鉄板コーデは甘トップス×辛ボトム、即買鉄板垢抜けベージュ』は女性ファッション誌『BAILA』の特集タイトルです。これ、このまま言葉にしてしゃべったら、普通の人には何を言ってるのか伝わりませんよね。でも、雑誌の表紙に書かれると読者は理解する。ただし、そのままネットの記事に出すと『セレブ(藁)』なんて書かれて炎上してしまうかもしれません。ネットのマーケティングは雑誌とは逆で、みんながわかる言葉を使わないといけないんです」
【クリエイティブディレクションのルール#4】
ウェブと紙での表現の違いを意識する
さらに、近年、テクノロジーの変化とインターネットの普及によって、企業と生活者のコミュニケーションには大きな変化が起こってきている、と嶋さん。企業がウェブサイトをつくり、バナーで誘導していたのが1990年代、インターネット黎明期のこと。SNSの普及後は「タイムライン」に企業が情報を出すようになり、さらにスマホが登場してからは「アプリ」という形で個人の端末に企業が情報を埋め込むようになりました。
「次は企業と生活者のコミュニケーションがメッセンジャー上で行われるようになるはず。すでにヤマト運輸はLINE上で配達通知したり受取日時が変更できるサービスを開始しているし、そのうち銀行の残高照会や航空会社のチケット予約なんかもメッセンジャー上で行われる時代になるでしょう。これからは、企業と生活者がどんどんプライベートな中でやりとりするようになる。そう『みなさん』から『あなた』へ、ラジオ的なコミュニケーションに変わっていくと思っています」
ここからは、「ネット上ではラジオ的なコミュニケーションに変わっていく」という嶋さんの持論がさらに展開していきます。講義の最後には、ラジオ的な表現のポイントを具体的にレクチャーしてくれました。
「これからのデジタルでのコミュニケーションは、ラジオから学べることが多いと思うんです。ラジオって、すごいんですよ。たくさんの人が聞いているはずなのに、リスナーは自分ひとりのために放送されているような錯覚を覚える。中島みゆきさんは、伊集院光さんは、ライムスターの宇多丸さんは、今日も自分のために話しているって思うわけですよ。不特定多数を相手にしているのに、コミュニケーションの質がワン・トゥ・ワンになっているんですよね」
「これは関係ないかもしれないけど(笑)」と言いながら話してくれたのは、小山薫堂さんのかつての秘書"パン子ちゃん"のエピソード。打ち合わせのあとは彼女から必ず丁寧なお礼のメールがきて、男子は全員「俺のことが好きなんだ」と思ってしまうのだそう。銀座のスナックのママが戦略的にしているコミュニケーションと同じで、これもまさに、一人ひとりの心に染み入るコミュニケーションの例。
ラジオ的なウェブコミュニケーションを学ぶために用意してくれたのは「中島みゆきに学ぶラジオ的空間の作り方」というスライド。月に1回、深夜に生放送されている「中島みゆきのオールナイトニッポン 月イチ」という番組を嶋さんが分析して、3つのポイントにまとめたもの。ひとつ目は「中島みゆきは『あなた』という」。
「これは本当に学ぶべき。中島みゆきさんは、タイミングがいいところで『みなさん』ではなく、『あなた』と呼びかける。その使い方が絶妙で、リスナーは自分のことを言われてると思ってしまう。すごいですね」
2つ目は「天気予報を自分で読む」。通常はアナウンサーが伝える天気予報も、中島さんから「寒くなるね、これから......」と言われると、同じ時間を共有している感覚が強まる。この「同じ時間を共有している感覚」を出すことは、嶋さんも心がけているそうで、デジタルコミュニケーション上でも重要なテクニックになってくるといいます。
「僕、B&Bで『一日一冊面陳活動』っていうのをやっています。その日にワールドカップがあったとしたら『ドラえもん世界の国旗全百科』を、雪が降ったら雪の結晶の本を面出しで置いてみる。すると、夕方には売れていたりするんです。これも、本屋とお客さんの間に同じ一日を生きている感覚を与える、ラジオ的なアプローチだなと思っています」
ちなみに、「ラジオ的空間の作り方」の最後は、「3.はがきを優先的に読む」。メール全盛時代にあえてそうすることで、繋がっている感じを味わえるのがポイントだそうです。
【クリエイティブディレクションのルール#5】
ラジオ的なコミュニケーションを身につける
ネット上のコミュニケーションがメッセンジャーに移っていくと、それに対応して表現もテレビ的なものからラジオ的なものへと変わっていく。クリエイティブディレクターは、メディアごとの「作法」を心得て、あらゆる"乗り物"の運転免許を持っていなければいけない、というのが嶋さんの考え。
「これから志す人は、少なくとも、この乗り物に乗ったらこういうふうな注意をするべきという違いを理解しないといけない。『みなさん』と『あなた』とか、些細なことでも伝わり方が全然違ってくるということに敏感になっていたほうがいい。その違いをわかっている人が、すてきなコミュニケーションをつくれるんじゃないかなって思います」