「六本木未来大学 by 水野学」第2回は、NTTドコモで「iモード」の立ち上げを行い、現在は慶應義塾大学で教鞭をとるかたわら数々の企業で取締役を務める夏野剛さんが登場。日本ではなぜイノベーションが起こりづらいのか、そしてどうすれば日本はこれから成長できるのか? 2015年9月2日に行われた授業のレポートをお届けします。
「過去20年で、アメリカのGDPはどれくらい成長しているか?」。夏野さんの授業は、こんな質問からスタート。正解は200%、わずか2%にとどまっている日本の成長率と比べると、実に100倍も違うそうです。
「アメリカは移民政策を推進しているので、もちろん人口増分で35%成長しています。でも、それ以外の165%は、ひとりあたりの生産額が上がっているということ。一方、人口もGDPもほとんど変わっていない日本は、生産性がまったく向上していません。この現実を見ながら、政策立案や企業経営をしないといけないはずなんです」
「これほどの差があるのはなぜか? アメリカの成長の要因は、製造業じゃないんですね。両国ともにGDPにおける製造業のシェアは20%以下。多くを占めているのはサービス業です。その生産性を、アメリカはグンと上げた。技術力さえあればいいなんて思っていませんか? でも、そうじゃない。ITの普及は、競争力の概念をまったく変え、技術のコモディティ化(均質化)をもたらしました。iPhoneを生み出し、今や世界最大の携帯電話メーカーとなったアップルが、携帯電話の技術を持っていたわけではありません。技術そのものは真似できないものではなくなったんです」
「では、この20年で、ITがどんな革命を起こしたか。それは『効率革命』です。20年前は、自分だけが使えるパソコンはなかったんですよね。携帯が普及したのも1990年台後半から。ビジネスモデルが変わり『ゼロ円携帯』がはじまって、一気に若い人の中で普及しました。携帯もパソコンもないなかで、どうやって仕事をしてたんでしょうか(笑)。それなのに、ほとんどGDPが変わっていない。つまり我々は、何かを間違えているんですよ」
とはいえ、この20年間、テクノロジーで日本が劣っていたわけではないと夏野さん。実際、「アンドロイド」が参考にしたのは、2000年代前半、技術的にも先端を走っていた日本のガラケーで、その誕生の経緯は夏野さん自身が体験してきました。
「日本のハンディキャップは、新しい技術に否定的な人たちがいること。以前、選挙期間中に候補者がホームページを更新するのは公職選挙法違反ではないかと議論になりました。その理由は、ホームページはプリントアウトできるから文書図画の配布にあたる、というもの。今はさすがに改正されましたけど、これがほんの2年前の話。医薬品のネット販売だって、薬事法が改正されたのに事実上禁止されている。効率革命が起きているのに経済成長できないのは、こういうことが行われているからなんです」
「かつて、経済産業省が日本型の検索エンジンをつくる『大航海プロジェクト』という計画がありました。そのとき、一番障害になったのが、知的財産法的に問題があるんじゃないかということ。まだ検索エンジンができてもいないのに、そういう議論が出てくる。ファイル交換ソフト『ウィニー』の開発者が逮捕された、なんてこともありましたね。それがいいか悪いかは別として、日本は新しいビジネスモデルが生まれると、既存の法体制でコントロールしようとするんです」
「アメリカがどうして伸びたかというと、新しく出てきたものは、とりあえずやってみたから。そのいい例が、1990年台後半に流行した『ナップスター』という、音楽データ交換ソフト。音楽業界は壊滅的なダメージを受け、最終的にはサービス停止になりました。でもこれ、最初から国が止めたわけではなくて、あくまで結果を見て法律を整備しただけ。ちなみにその後、ナップスターは定額の音楽配信サービスへと変わりました。こういうアメリカの試行錯誤型のほうが、今の時代には間違いなく合っていますよね」
【クリエイティブディレクションのルール#1】
新しいアイデアは試してみてから問題点を考える
「この中で21世紀になる前に最終学歴をとった方はどれくらいいますか?」。2001年以前に卒業した「20世紀人」と、それ以後に卒業した「21世紀人」には大きな差がある、と夏野さん。さて、その違いとは?
ITが社会に与えたインパクトの2つ目は、グーグルによってもたらされた「検索革命」。原発問題やSTAP細胞問題などで「にわか専門家」が大量に生まれたことを例に挙げ、個人の情報収集能力を飛躍的に向上させたことが、もっとも大きく社会を変えたといいます。
「自動車会社に勤めている人が自動車の専門家だったのは、20世紀の話。現在では、むしろ『自分の会社の車しか乗っていない』という呪縛になってしまう。組織に属していることで、得られる知識が限られてしまうんです。今や、"ググる"と、いくらでも情報が出てきますよね。しかも英語で検索すれば、日本語の10倍以上の情報が得られる。3日くらいかけて調べれば、誰でも専門家になれるんです」
「そして、3つ目のインパクトが『ソーシャル革命』。この中で、ツイッターのフォロワー数が1,000人以上いる方はいますか? 20世紀には、1,000人に対して意見を伝えられるのは、メディアか政治家くらい。それが今や、SNSで発信すれば瞬時に拡散して、支持者が集まったり炎上したりするんです」
「僕はツイッターで『スイカおじさん』なんて呼ばれてる」と笑う夏野さんのフォロワー数は30万人以上。秋葉原駅のミルクスタンドでSUICAが使えないと批判をすれば炎上し、妖怪ウォッチのメダルの売り方に物申せば3日後には改善される。身をもって「ソーシャル革命」の力を実感しているそう。
トヨタが生産ラインの効率を上げる方法を吸い上げて、他の社員とシェアする「カイゼン」で大きく成長したように、企業の力とは、個々人の気づきやノウハウを集約したところにあります。だからこそ、「検索革命」と「ソーシャル革命」のインパクトは大きいと言います。
「我々の社会もそうで、誰かの発見を共有・伝承することで発展してきました。グーテンベルクが印刷機を発明するまでは、情報の共有に膨大な時間がかかっていたわけですよね。21世紀には、それが一瞬でできるようになった。しかも、個人の情報収集能力は格段に増していて、今日発見されたことは、今日中にシェアされるんです。最初は2030年くらいまでかかるといわれていたヒトゲノムの解析がすでに完了しているように、科学技術は今ものすごいスピードで進化しています」
個人個人がネットでつながり、他者に影響を与えあうことで、個人も、社会全体も変化していく。この状況は、1980年代後半に「複雑系知識ネットワーク」として予見されていたもの。
「たとえば、金融の世界って、理論的には予測どおり進むはずなんです。でも、実際にはそうならない。なぜかというと、あらゆる条件が常に絡み合って動いているから。この、複雑なものは複雑なものとして扱いましょうというのが『複雑系』という考え方。まさに今、起こっていることです。100人のエリートサラリーマンにひとりのオタクが勝っちゃうという状況があって、しかもそんな人が山ほどいて、さらに仲間同士がみんなつながっている。これは、個人と組織のパワーバランスが変わったということ」
「日本はこれまで、同じ釜の飯30年、なんていってやってきました。でも、同じ釜の飯を30年も食べていたら、食中毒で死ぬ可能性だって高いじゃないですか。終身雇用や年功序列はもうありえない。組織構造はフラット化せざるをえないんです」
アップルがデザイン面をさらに充実させるために、バーバリーのCEOや、イブサンローランの役員を迎え入れたように、求められているのは組織全体の平均値を上げることではなく適材適所。個人の価値の時代、多様化社会が本当に到来した、と夏野さん。
「好きなこと、自分の専門性さえ見つければやっていける。そういう時代に我々は生きています」
【クリエイティブディレクションのルール#2】
個々の気づきやノウハウを瞬時にシェアすることが大きな力を生む
「いつまでたってもデザインの話にならないね(笑)。でも、ぜんぶヒントになるでしょう?」。授業は残り30分。このあと、いよいよスケッチブックに書かれた言葉(1ページ目冒頭)の核心に迫っていきます。
「環境が激変しているんだから、ずっと同じビジネスモデルではやっていけません。2003年にイーロン・マスクが創業した自動車メーカー『テスラ』を見て、専門家でもないのによくつくれたなと考えるのは大間違い。専門家じゃないからつくれたんですね。アップルがiPodを出したとき、日本の技術者は『これはハードディスク付き音楽プレイヤーで、落としたら壊れる』なんて言っていたけれど、それは間違い。あれはiTunesというソフトを使って、ネット経由で音楽を聴くことを前提にした装置。つまり、アップルはビジネスモデルを変えたんですよ」
あらゆるデバイスがネットにつながる今、ものづくりの概念は変わりました。それは、新しいサービスや新しいお金の取り方、新しい付加価値をつけること。
「デザインって、意匠だけで勝負するわけじゃないでしょう? そこに込めたメッセージがどういう効果を及ぼすか、どう人々を巻き込むか、また二次使用をどう使いやすくできるか、それを考えないと。ちなみに、テスラの部品の80%は日本製、iPhoneも中身の多くは日本製です。自分の仕事はこれだけだと考えて同じことを繰り返す人は、パーツメーカーになってしまう。部分だけをつくって満足するのか、付加価値をつくっていきたいか、そういう話なんです」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
デザインが社会にどんな効果を及ぼすのかを考える
「今日は"日本ダメダメ論"を言ってきましたけど(笑)、それでも日本は相当すごいですよ」。授業の最後に話してくれたのは、現在の日本の実力について。
「経営の三種の神器『人、金、技術』、全部そろっているんです。弱いのが、語学能力の低さや、予定調和好きなところ。会議で反対意見を言うと、上司が『おれの顔に泥を塗った』とか、よくあるでしょう? でも、これは甘え。摩擦があるほどイノベーションは起こりやすくなる。だから、意見が違う人といっぱい話してください。20年で生産性が上がっていないということは、これからアメリカ並みに成長できるということ。そのチャンスがごろごろ転がっているのが、今の日本なんです」
【クリエイティブディレクションのルール#4】
意見が違う人と話してイノベーションを起こす
授業の最後は質疑応答。参加者のみなさんからの質問に、夏野さんが次々と答えていきました。
――20世紀と21世紀では、同じ1万円でできることは違いますよね。GDPで単純に比べられないのではないでしょうか。
「たしかにGDPだけを比べて一元的に判断できませんが、付加価値の総額であることには変わりがない。『国民総幸福量』などほかの指標もたくさんありますし、経済性だけで語れるのかという問題もあります。でも、そこを考えても効率化に結びつかないから、あえて避けているんです。ついでに言うと、ワークライフバランスが浸透して労働時間が減っている今、BtoCで起きているのは、お金ではなく時間の取り合い。テレビよりもスマホのゲームが伸びているのは、より満足感があるから。ビジネスの成否は、ユーザーの時間をいかに奪うかにかかっているんです」
――人工知能に注目しています。日本人はこの分野で活躍できるでしょうか?
「2045年には、人工知能が人を上回るといわれていますね。でも、すでにこのiPadのほうが、僕よりもメモリ能力が高い(笑)。これからは、人工知能が不得手な部分、つまり『想像』と『創造』に力を注ぐべきだと思っています。社会が人工知能にどう向かい合うか、人間とどう役割分担をするべきかを議論したほうがいいですね」
――グラフィックデザインなら手もとでできますが、ビジネスモデルのデザインと聞くと壮大すぎて......。どう考えたらいいのでしょうか?
「これはすごく簡単。徹底的に対価を支払う人の立場に立つことです。いけないのは、業界ではこれが普通だというように、お金を受け取る側の理屈に乗っちゃうこと。ユーザーサイドに立って、とことん考える。そうすることで新しいビジネスがデザインできるんです」
【クリエイティブディレクションのルール#5】
徹底して対価を払う立場でアイデアを考える
「ビジネスのデザインをひと言でいうなら、僕の答えは簡単。ものづくりやサービスに、命を吹き込むことです。製品を差別化するのが意匠的なデザインだとすれば、その製品をきちんと世の中で回すのがビジネスのデザイン。専門外だと思わず、いかに付加価値をつけるかを考えてください。そして、社会環境の圧倒的な変化を前提に、新しいものを生み出していってほしいと思います」