2010年に自然界の心地よい風を再現できる扇風機「GreenFan」を世に送り出し、家電業界に革命を起こしたバルミューダ株式会社代表取締役の寺尾玄さん。以降、トースターや蒸気炊飯器などヒット商品を次々と発表していますが、過去には会社の存続危機もあったと言います。そんな寺尾さんによるものづくり、体験づくりは一体どんな考え方から生まれてくるのでしょうか? 2017年10月20日(金)の講義の様子をレポートします。
この日、クリエイティブディレクションに関わる仕事をしている、あるいは興味がある参加者が多いと知った寺尾さん。絵がうまいことよりも、テクニックを持っていることよりも、クリエイティブに携わる人間にとって大切なのは"人としての成熟度である"というお話から、講義は始まりました。
「日々、会社でクリエイティブディレクションの仕事をしながら、優れたデザイナー、クリエイターに囲まれて過ごしていますが、その中でも本当にトップレベルだと思う人にはある特性があります。それは、人として成熟していること。どんなに絵がうまいことや器用なことよりも、人としての成熟度というのがクリエイティブディレクションやデザインといったアウトプットにものすごく大きな影響を与えるな、と常に感じています」
少し控えめな印象にするか、もしくは主張を強くするかはクライアントワークでもデザイナーに大きく委ねられている部分。けれど主張が強いデザインは飽きられてしまうのも早い傾向にあります。ただ主張ができる、ということがクリエイティブなのではない。それよりも、どのように物事を考えてきたか、自分を磨いてきたのかといったことがクリエイティブの人間には大切でアーティストとの違いなのです。
「いま、バルミューダという会社は『クリエイティブで夢見た未来をテクノロジーの力を使って実現し、世界の役に立つ』という目標を掲げ、事業を行っています。そんななかでここ数年は、いまお客さんが買っているのは"物"ではなく、"体験"なのではないか、という仮説を立て、その通りに事業を実行してきました。そこからトースターがよく売れ、会社も大きく発展している最中です。しかしここに至るまでは、非常に険しく長く暗く辛い、いろいろな旅路をたどってきたわけですが」
寺尾さんの原点は、17歳の頃の体験にあります。自分が将来できることについて、持っている可能性を限定するような進路調査アンケートに嫌気がさした寺尾さんは、アンケートを提出する代わりに退学届を出し、欧州への放浪の旅へ。1年間の旅から帰ってきたあと、「何でもやってやろうという気持ちだった」と言う寺尾さんはまだ18歳。まずは音楽をやろう、と楽器店でアコースティックギターを1本買い、覚えた4つのコードで書いた曲に自作の詞を乗せたものを、レコード会社に送ったところ、事務所と契約が決定。その間、なんとたったの3ヶ月でした。
「『やっぱ天才って違うわ』なんて思った勘違いの天才くんは、そこから約10年間、ロックスターになろうと、もがき苦しみ続けました。そして結果、ロックスターにはなれませんでした。始めた当初は自信に溢れ、怖いものしらずで何にでもなれる、とりあえずロックスターになっておこう、くらいの欲張りな夢を持ち、本当になんでもできると思っていたんです。けれど、ライブをやればやるほど声が出なくなり、ステージが恐ろしくなり、うまくいかないことの連続で、やがて音楽の夢というのを諦めることになりました」
ひどく落ち込んだ寺尾さんでしたが、もう一度自信を取り戻そうと、アルバイトをしながら自分が「これしかない!」と思えるバンドを始めましたが、そのバンドも、ほどなくして解散に至ります。
「終わらせなければ、夢って終わらないんです。夢が終わるときって、負けた時じゃない。じゃあいつ終わるのか。夢のオーナーの情熱が終わったとき、です」
音楽への夢は自分で終わらせたものの、何かを生み出したいという情熱は自分の中にまだまだほとばしっていたんだと寺尾さんは語ります。
【クリエイティブディレクションのルール#1】
人として成熟し、情熱を持ち続ける
音楽を辞めても自分の中のクリエイティブのエンジンが回り続けていることに気づいた寺尾さんが始めたのが、会社設立の準備でした。
「音楽やっていたのに、その後ものづくりへよく急にシフトしましたね、と言われます。でも自分にとっては、ギターをドライバーに持ち替えて、ここまでただ一本道を歩いてきたつもりです。音楽の夢は終わったものの、情熱は終わっていない、と。情熱の次の行き場を見つけなくてはいけない、と自分で感じていたんですね」
「ビジネスの世界で、もっと格好いいことやっている人たちがいるかもしれない、と探したところ、"やりたい"がまず始めにあり、それをやり続けている、ロックバンドのような考え方をしている会社を見つけたのです」
それが、アップル、パタゴニア、ヴァージン・グループの3社だったと寺尾さんは話します。
「ロックバンドを想像してください。彼らは、オーディエンスが何を聴きたいか、というマーケティングからは始めません。どういう曲が流行っているのかなって分析してやるバンドっていうのは、真のロックバンドではないでしょうね。4人が集まり、衝動的に出てきてしまった音楽、すなわち自分たちが本当に好きだと思う音楽を世に広めようぜ、と活動をするのが、ロックバンド。そんな衝動を彼らは会社として実現しているように見えたんです」
この3社はマーケティング調査から何かを始めるのではなく、「自分たちがほしい!」ものを作ることから始めているのではないか? つまり、クリエイティブから事業が始まっているのでは? という気配を感じた寺尾さんは、自らも、ものづくりへと邁進するのです。
【クリエイティブディレクションのルール#2】
ものづくりは必ずしもマーケティング調査から始まるものと考えない
ギターは弾けたものの、ものづくりについてはまったくの門外漢。当時、アルバイトを終えると秋葉原などの街へ通い、まずは「もの」について知るところから始めました。
ものづくりを学ぶためには、まず用語を知る重要性に気づき、ステンレスやアルミ、木材やゴムの問屋、またある日はベアリングメーカーへも自分の足で通い質問しながら学んだ寺尾さん。こうして知った用語をネット検索し、次はそれらを扱う工場へと出向き、部品作りに協力してくれる工場を探し回るようになりました。
「30〜40軒ほど門前払いを受け続けましたが、自分でCADを覚えて図面を描き、この部品を作っていただけますか? という聞き方に変えたところ、一軒の工場と出会うことができました。それが東小金井の駅近くの春日井製作所です。社長と弟さんともうひとり、たった3人の職人でやっているアルミ製作工場で『うちの機械使っていいから自分で作りなよ』と言ってもらえたんです」
まさに天使のような存在との出会いを果たした寺尾さんは、それからはアルバイトが終わると毎晩、加工技術を習いにその工場へ通いました。
「やすりのかけ方から旋盤、フライ盤など、簡単な工作機械のことを教えてもらい、だんだんと自分で部品を作るようになっていった......それが、バルミューダという会社の始まりです」
そして、最初の商品であるアルミ製の「X-Base」というノートブック用の冷却台が誕生し、寺尾さんは会社を設立しました。
「いまでも「X-Base」はバルミューダのラインナップから外していない製品です。これができたとき、売れるんじゃないかな、と率直に思えたんですよね。でも会社を始めるのは怖かったですよ。それこそ、清水の舞台から降りるような覚悟で。でも商品梱包のための緩衝材も自分で作り、家に持っていたデジカメで製品を撮影、初めてのフォトショップで仕上げ、自分でウェブサイトを立ち上げました」
35,000円ほどの決して安くない冷却台が初めて売れたときには、「あまりにも嬉しくて、お客さんのところに直接持って行こうかと思ったほど」。その後も次々と注文が入ってきて、気づいたらひと夏で100台も売っていたのだといいます。
2003年に会社を創業してから14年間、順風満帆にやってきたのかと思いきや、いまでも会社が続いてきていることが信じられないときすらある、と寺尾さんは語ります。
「特に、リーマンショックの煽りは大きく、私たちの会社は倒産寸前になりました。でもそんなもう寄る辺もない状況のときにも、近くのファミリーレストランを見れば人はごはんを食べているわけです。自分たちだけが取り残されたような気持ちになりながらも、一方では『好不況関係なく、どんな状況でも人は必要なものは消費するんだ。自分たちの商品は、人々に必要なかったから売れなかったんだ』と心の底からわかったんです」
真正面から煽りを受けて倒れるのではなく、会社があるうちに一番やりたかったことをやって前に倒れよう、と思った寺尾さんは、いつか作れたらとアイデアだけがあった扇風機の開発にすべてを注ぎ込むことにしました。当時はまだ家電を作ったこともなかったバルミューダにとって、いちかばちかの大勝負。
「扇風機から出る風の渦を消し、自然界で吹いているような気持ちのいい風を送れる扇風機『GreenFan』を作りました。周囲からは、まず元からあった事業の立て直しが先ではと言われたけれど、他をすべてやめて挑んだ勝負でした。でも、発売してみれば予想を上回る大ヒット商品になりました」
人生をかけた、会社が倒産するか、あるいは大きく飛躍し次のステージに行けるかの勝負どころ。寺尾さんは、一歩も引かずにとことん向き合ったことで次に進むことができました。
「会社を大きく変えてくれるのは、いつだって商品しかないんです。しかも、不可能を証明することはそれこそ不可能です。なぜならまだ不可能を打開する方法を思いついていないだけかもしれない。だからいつだって、まだ誰もが体験していないけれども確実にすばらしい商品を人に届けるガイドをする際、つまりクリエイティブディレクションをする時は、そこで考えうる限りの可能性を使いきらないといけないんです」
【クリエイティブディレクションのルール#3】
勝負では一歩も引かず可能性を使う