なぜKawaiiが日本のポップカルチャーとして世界に認知されたのか。それを紐解く展覧会をやってみたい。
原宿のカワイイは、世界のKawaiiへ。21世紀に入ってから世界でもっとも広まった日本語かもしれないKawaii。その言葉にパワーを持たせたのは、アートディレクター/アーティストとして国内外で活躍する増田セバスチャンさんです。アートとファッション、エンターテイメントなど、様々な領域を横断しながら、Kawaiiカルチャーを発信し続ける増田さんに、そのクリエイションの原点や活動を振り返っていただき、六本木とKawaiiの可能性についてうかがいました。
僕の表現の原点と言えば、大好きだったハードコアパンクやノイズなど、いわゆるインダストリアル・ミュージックと、20歳くらいの時にお手伝いさせていただいていた現代美術家の存在が大きいです。当時はとにかく過激な表現で知られる方で、時代に切り込むようなコンセプトでトンがった作品をつくられていました。
そもそもそれがアートなのか、演劇なのか。当時の僕は若かったから、それもよくわからずに、ただ純粋に、その世界に惹きこまれて手伝いをしていましたが、結果として自分の表現を突き詰めていく、良いきっかけを与えてもらいました。
自分にとっての過激なもの、狂気って何だろう? そう問い続けるうちに、あるとき子どもやキティちゃんの存在が浮かびました。どちらも無条件にカワイイじゃないですか。けれど例えば子どもは虫を残酷に扱ってしまう瞬間がある。砂場で遊んでいて蟻を見つけたら、つぶしてしまったり。キティちゃんはキティちゃんで、実は口がなかったりして、逆に過激にも感じられます。つまり、僕にとっての過激な存在、狂気とは"カワイイ"の、その先にあるものではないか。そう思ったんです。
それで僕は22歳頃に自分のパフォーマンス集団を結成して、カワイイと狂気が同居する舞台を公演しました。自分としては今と何も変わらない表現をしていたつもりですが、アートや演劇界隈の方から結構批判されたんです。
批判の背景には時代の空気もあったかもしれません。90年代初頭は、モード全盛期。そんななか、カラフルな色彩で子どもの狂気のようなものを表現した作品は、受け入れてもらえませんでした。
僕の中のカラフルな色彩の原風景は、生まれ育った街の商店街にあります。子どもの頃、学校が終わって家に帰ると、いつもお腹が空いていました。でもうちは呉服屋だったこともあって、夕食の時間が遅かったから、僕は親に100円だけ持たされて、商店街にある駄菓子屋やおもちゃ屋に立ち寄るのが日課でした。
時代は昭和。あの当時のお菓子やおもちゃのパッケージって、すごくカラフルですよね。その色彩が、今も脳裏に焼きついていて、ワクワクする。そしてあの頃抱いていた未来に対する大きな期待、キラキラしている風景が未だ忘れられないし、それを今また多くの人と共有したい。そういう気持ちから僕の作品の色彩は、生まれていると思います。
アートや演劇の世界で僕の表現が受け入れてもらえない。そのジレンマの解決策として、1995年に僕が原宿で始めたのが、「6%DOKIDOKI」という自己表現の場であり、ショップでした。なぜショップだったのか。それは開催期間がどうしても限られてしまうアートや演劇とは違って、たくさんの人に見てもらえて、わかりやすく評価してもらえる場所になると思ったから。また場所を原宿にしたのは、自分が10代の頃、毎週のように通っていた場所だったことと、何でも受け入れてくれる自由な空気が大好きだったからです。
やがてこの「6%DOKIDOKI」を含む90年代の原宿から発信されるモノやコトが後の"原宿kawaii文化"を生み、そしてそれが海外へも波及していくなかで、僕自身の表現がファッションやエンターテインメントの世界で受け入れてもらえるようになりました。ここに至るまでに約20年、かかっているんです。
「6%DOKIDOKI」
"原宿kawaii文化"が世界に認知され、僕自身の声もまた、社会に届きやすくなったことで、過去に認められなかった自分のアートに立ち帰れる環境が今やっと整いつつあります。そういったなかで六本木は、世界各国の大使館が集う場所ですし、東京で自分のアートをプレゼンする場としては、最適な街だと思っています。
実際、六本木には縁があって、2013年には六本木ヒルズの展望台に飾る大型のクリスマスツリーを製作しましたし、昨年は六本木ヒルズA/Dギャラリーで個展『YOUR COLORS』を開催し、六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで開催された『THE ドラえもん展 TOKYO 2017』に作品を出展しました。それぞれ求められるテーマは違いますが、その根底は一貫していてKawaiiをコンテクストに、僕は作品を制作しています。
『YOUR COLORS』
『THE ドラえもん展 TOKYO 2017』
そもそも僕にとってKawaiiとは、本質的には物質ではなく思想を指すものです。それはとてもエモーショナルなものであり、言語化するなら、自分の中に小宇宙をつくること。そして、現代のカワイイは、原宿から突然に現れたものでなく、歴史のある日本のオリジナルのものであると思っているんです。それを多くの人に実感してもらいたい。だから今、僕は歴史からカワイイを紐解くことに取り組み始めています。
例えば古くから受け継がれてきた日本の文化に「侘び・寂び」がありますが、僕自身はこの「侘び・寂び」よりも、今は「ハレ」を、改めて見つめるべきなんじゃないかと思っているんです。
ハレと言えば、昔の人々はお祭りや伝統行事を行う特別な日をハレと呼んで、豪華絢爛、縁起のよい動植物や文様などを衣装や飾り物として用いて、晴れ舞台を楽しみました。歌舞伎観劇もまたハレの行事。ハレは大正時代まで日本の文化として根づいていました。
ところがその後の第二次世界大戦によって、日本の多くの文化がリセットされてしまいました。リセットされてもう一度作り上げていく。そのなかでハレはどんどん置き去りにされ、侘び・寂びが日本の心、文化としてフィーチャーされて受け継がれてきたように思います。
ですが、この置き去りにされてしまった「ハレ」こそ、僕は人をポジティブな方向へ導く大切な何かがあると思っています。そしてカワイイは、まさに「ハレ」という文化と確実にコネクトしている。それをもっと歴史を紐解きながら、検証していきたいんです。震災や災害に多く見舞われ、困難の続く日本に、少しでもポジティブになれる力を、カワイイから発信していきたい。
なので、カワイイのルーツを知り、なぜ今このカワイイが日本の新しい概念として世界にもてはやされているのか。それをちゃんとプレゼンする展覧会を、やってみたいと思っています。それも六本木でできたらいいですね。なぜなら六本木は、大使館や外資系企業が多く、日本のアートに対する人々の感度も高い。よってより多くの外国人の方に、世界へ波及しているKawaiiを伝えることができるからです。