普段どおりのすばらしさを丁寧に伝えるだけでいい。
世界中を湧かせた、リオ2016大会閉会式「東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」や、歌姫ビョークとのコラボレーションなど、最先端のテクノロジーと斬新なアイデアで見たことのない世界を見せてくれる、Dentsu Lab Tokyoの菅野薫さん。広告業界をベースにしている菅野さんは、アイデアや魅力を発信することの重要性をどのように捉えているのでしょう。そして六本木が街としての発信力を高めるにはどうすればよいのか、貴重なアドバイスをいただきました。
六本木の印象って、世代と深く関わったタイミングによって、かなり違うんじゃないかなあ。僕らみたいな仕事をしている人は、デザインとかアートのつながりで訪れることが多いけど、美術館に行ったことないような人もいるだろうし。接待の場や、キャバクラの街だと思っているオジサンもたくさんいますよね。そういう意味では多様な側面があって、ギャップの多い街なのかもしれない。街としておもしろいことだと思うけど、ひとことで言い表せない感じはしますよね。たとえばニューヨークで「最近のアートのギャラリーはどこがいいの?」と聞かれたらきっとチェルシーだとかブッシュウィックだとか、地域の話題になると思うのですが、「六本木はどんなところ?」と聞かれたら、人によって全然違う答えが出てきそうな気がする。
僕は学生時代ジャズをやっていたんですけど、ジャズの街といえばやっぱりニューヨークですよね。もちろんジャズミュージシャンは世界中に住んでいるし、ニューヨークを離れるミュージシャンもたくさんいるのですが、メッカとしてキャリアの一時期に一度はニューヨークに出ていくじゃないですか。同じようにコンテンポラリーダンスをやるならどこへ行くとか、クラシック音楽なら......とか、それぞれにメッカといえるような場所があるわけで。若い人たちは、何らかの表現を勉強したいと思ってそれぞれの街を目指すけど、そのなかに今、東京が入っているかというと微妙ですよね。
2016年にビョークと仕事をしたのですが、彼女ってアイスランド人には一見見えないというか、ルーツがわからない感じがするじゃないですか。彼女が言うには、子どもの頃から「日本人みたいだね」とよく言われて、日本人にシンパシーを感じていていたみたいで、過去にもアラーキーさんや川久保玲さん、ジュンヤ・ワタナベさんなど日本人クリエイターとのコラボレーションを頻繁にやっているんです。「もし私がバンドを組んでいなかったら──おそらくザ・シュガーキューブスのことだと思うのですが──東京に来てアニメーションの勉強をしていたと思う」と言っていたんです。たしかに日本のアニメーションの文化はすごいけど、ニューヨークにおけるジャズみたいに、世界中からその文化の担い手になりたい人が集まって勉強をするルートが、つくられていないじゃないですか。それはすごく勿体ないことだなと思いました。
ビョーク
僕がお手伝いした、リオ2016大会閉会式「東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」でも、アニメーションやゲームなんかの世界的な人気キャラクターに出演してもらったのですが、海外の人にとっては「これも日本のものだったの?」と気づくようなキャラクターがいくつかあったと思います。日本人なら当然知っていることなんだけど、確かに、マリオなんかはどう見てもイタリア人だし(笑)。改めて、「そういわれると日本らしい文化なんだな」と多くの海外の人が再認識したような気がします。だからといって、それを東京に学びに来ようとか、日本のそういった会社で働きたいっていう流れには、なっていない気がして。日本のゲームとかアニメの会社で、日本語を話せなくても働けるかというと、ハードルが高そうですよね。ビョークと話をしたときも、そんなことをふと思ったりして、今振り返ってみても、2016年は東京についてこれ以上ないくらい考えた1年でした。
昨年、森ビルさんのお仕事で「GINZA SIX」のオープニングのCMを制作したのですが、GINZA SIXができたことをお知らせする広告なのに、建物はあんまり出てこないんです。GINZA SIXが生まれることによって、銀座がどういう新しい文化、ラグジュアリーを獲得するのか描くことを主題にしている。主役はあくまでも銀座の街。銀座博品館の日本で唯一の油圧式エレベーター、昔ながらの飲み屋街の路地、和光の屋上など、銀座のランドマーク、銀座らしい景色が華やいでいく。椎名林檎さんとトータス松本さんに出演していただき、音楽が全てのメッセージの中心を担って、銀座という街の役割の未来を語っているんです。
GINZA SIX
銀座博品館TOY PARK
商業施設全般にいえることかもしれませんが、「自分の建物はこうです」という主張だけでは意味がなくて、街というコミュニティの一員であるという前提のなかでしか語れない。その存在が、その街においてどんな役割を果たすのか、どう街自体が輝くことにつながるかだと思うんです。それ次第で人に受け入れられるが決まる。六本木から何かを発信する場合も同じことが言えるんじゃないでしょうか。
銀座も六本木と一緒で、世代によってコンテクストが全然違う。僕らより上の世代にとってはおめかししてお出かけする街だったのに対して、今の若い人にしてみればちょっと足を運びにくい感じもあったりして。だけど街っていうのは前の姿を無視することはできなくて、地層のように今ある土壌の上に積み重なっていくものですよね。
僕にとって六本木はやっぱり音楽の街なんだけど、都市と音楽の関係性っていうのが僕のなかでは結構大事で、まず聴こえてくる音楽っていうのがあるんです。たとえばリオデジャネイロといったら、サンバもあるけどやっぱりボサノヴァかな、とかね。『イパネマの娘』なんかは、実際に住んでいる人たちにとって演歌みたいに古い音楽だったりするんだけど、そういう根強い音楽のイメージこそ文化自体を定義している。地層みたいになっているのは音楽も一緒で、それぞれの時代にみんなが聴いていた音楽が脈々とつながっていて、断絶していない。もし僕が六本木の広告をつくるなら、これからの六本木にはどういう音楽が流れているんだろうなっていうふうに、きっと考えるんだろうなと思います。
東京2020に向けて、東京という街をどう発信していくか。リオ2016大会閉会式「東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」 の制作のときに、クリエーティブチームの佐々木宏さんと椎名林檎さんとMIKIKOさんと散々悩んで、何度も何時間も話し合ったのですが、あるとき椎名さんが我々に「どうか通常運転で」とおっしゃったんです。みなさんが普段やられていることは、もう十分にすばらしいので、普段通りにいきましょうって。たしかにいくら特別なタイミングだからといって、肩に力を入れすぎて、誰もやったことのない、観たことのないことをやらなきゃいけないって考え出すと、すごく不自然じゃないですか。
椎名さんのそのひと言で引き締まったというか、その日だけ無理してがんばって特別なことをするのではなく、普段の東京を丁寧に伝えることが大事だと思いました。等身大の姿を見た世界の人たちがすてきだと思ってくれたら、自分たちも誇らしい気持ちになれるじゃないですか。見たことのないような東京がいきなり出現して、褒められても「これ、ほんとに俺たちか!?」って思いますよね。リオ2016大会閉会式「東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」 でも、みんなの知っている東京を堂々と丁寧にわかりやすく提示することを心がけました。
だから2020年に向けてこんな街にしよう! と意気込むのではなく、どうかすばらしい通常運転を世界の方に向けて届けてほしい。だって何を食べてもおいしいし、ホスピタリティもすでにあるじゃないですか。時刻表通りに進む電車とかバスとか、そういったひとつひとつが日本人にとっては当たり前だけど、とても誇らしことなのだから、それを世界の人に体感してもらうことが大事なんじゃないでしょうか。日常の丁寧な仕事っぷりを褒められることが、やっぱり一番嬉しいですよ。
取材を終えて......
「発信力かあ、難しいなあ......」と言いながら、東京や六本木におけるさまざまな可能性、アイデアを出してくださった菅野さん。六本木未来会議が六本木の街の発信のために何ができるのか、改めて考えさせられるインタビューでした。学生時代はジャズミュージシャンを目指していたそうで、デジタルテクノロジーを扱う理系的頭脳と、ミュージシャンとしての芸術的感性のバランスがすばらしく、とても刺激的な時間でした。(text_ikuko hyodo)