六本木は、輝いているものの象徴のような街であり続けてほしい。
新海誠さんが監督を務めた長編アニメーション映画『君の名は。』は、2016年に公開され、社会現象になるほどの大ヒットを記録。六本木を含む東京の街が頻繁に登場する新海作品は、圧倒的な映像美が特徴といえますが、舞台になる街をどのようにして選び、アニメーションに落とし込んでいくのでしょう。物語と街の関わりについてお聞きしました。
今は新作のことで頭がいっぱいで、正直、ほかのことを気にしている余裕がないんです。半年くらいかけて脚本を完成させて、絵コンテを描いている最中で、制作の段階としてはまだまだ入り口なのですが。
どんな仕事もそうだと思うんですけど、今やっている仕事だけにいかに時間を使うかが大事なんです。アニメーションの絵は基本的に全部手で描くので、脚本があがっておおよその尺が出ると、全部で何枚描かなければいけないかが最初にわかるわけです。そうすると、絵コンテ制作の一日のノルマも計算できてしまう。一日一日とにかくやっていくことが大事で、今は起きたら寝る直前まで毎日絵コンテを描き続けています。
絵コンテはアニメの設計図みたいなもので、実写の絵コンテよりはかなり詳細なものを描きます。これでアニメの映像の形がほぼ決まるのですが、僕の場合、絵コンテを完成させるまで8か月から10か月くらいかかります。自分でも思うんですよ、時間がかかりすぎじゃないかって(笑)。だけど、たとえば一日12時間ひたすら描いたとするじゃないですか。今日はたくさん描いたから話が進んだかなと思って、描き上げたぶんの時間を測ると、40秒程度なんです。それくらいのペースだと、160日間続けてようやく映画1本分の尺になる。毎日40秒分を、とにかく必死に作ることの繰り返しです。
絵コンテ
とはいえ、インプットが完全になくなってしまうのもよくないので、マンガを読んだり、映画を見に行ったりはときどきします。この時期のインプットはネジを巻き直すような行為で、この辺でそろそろネジを巻かなきゃダメだっていう時期が、何日かに一回あるんです。
15年くらいアニメーションを作り続けてきて、『君の名は。』が一気にメジャーな作品になったのですが、そのことを目標にしてきたわけではないんです。とはいえ、僕のことや、僕の作品を知らない人にも見てほしいという気持ちは、シンプルにありました。アニメなんか別に好きでもないし、新海なんて知らないというような人が見ても、おもしろいと思ってもらえるような作品にしたくて、今ならそれができるのではないかという思いで作りました。
だから次の作品は、『君の名は。』で僕たちがもらえたことをベースにしたいと思っています。これまでは、どうすれば知ってもらえるんだろうっていうところから始めなければいけなかったわけですが、今回はより多くの人が、僕たちチームの存在を認知したうえで、見に来てくれると思うんです。だから、楽しんでもらえることはもちろん根底にありつつ、『君の名は。』よりもう少し難しいこととか、「これって本当にそうなの?」っていう議論になりそうな複雑なことも、映画に入れてみたい。『君の名は。』で玄関口を一気に広げてもらえたので、今度は広いところから入って、映画を見終わった頃には、いつの間にかずいぶん階段を登って、高いところから出ているような作品にできる気がします。
『君の名は。』が、ハリウッドで実写映画化されると聞いたときはびっくりしましたが、みんなも僕以上にびっくりしていたのがおもしろかったですね。才能と力のあるハリウッドの人たちに、自分の作ったものを自由に扱ってもらえるのはすごく楽しみだし、どうなるんだろうってわくわくするのと同時に、負けたくないという気持ちもあります。とはいえ、すでにできあがっている『君の名は。』で戦ってもしょうがないし、そもそも作品制作は競争ではないんですけど、僕たちの作ったもののほうがきっとおもしろいはずだという思いも常にありますね。
『君の名は。』は、ハリウッドで実写化しても簡単に勝算が思い浮かぶような作品ではないと思うんです。それなのになぜこの作品を選んだのか。選んだからにはそれなりの理由があるのだろうし、一体それは何なのかが、今は気になりますね。
『君の名は。』を作っているとき、六本木は自分にとってアウェイな場所でした。年に1、2回行く程度だし、さっき言ったように映画にまつわる思い出くらいしかない場所だったので。でも映画が公開されてから、東京シティビューで『星にタッチパネル劇場』とのコラボイベントをやっていただきましたし、国立新美術館でも『新海誠展』を開催していただけました。映画のなかに登場させて、土地に対する思い出ができたことで、六本木にほんの少し近づけて、優しく受け入れてもらえたような気がしています。
六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー
映画の一舞台になっている国立新美術館で展覧会を開催できることは、本当にありがたいですし、こんなこともあるんだなあと不思議な縁を感じています。作品そのものを楽しんでいただくだけで十分ではあるのですが、普段は目に触れないアニメーション制作の裏側みたいなところを知ると、映画の見方も変わってくるというか、違うメッセージもそこから受け取ることができると思うんです。自分の仕事と比べてみたり、映画とは関係ないけれども自分自身の人生の気づきみたいなものが、もしかしたらあったりするかもしれない。
新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで
そのきっかけになるかもしれない場所として、これ以上の環境はないので本当に光栄ですし、ひょっとしたら今が人生のピークなのかな、なんて考えたりもします(笑)。展覧会がきっかけではないのですが、作品そのもののクオリティとして、いつがピークなのかということは、つい考えてしまいます。人生も仕事も、必ずしも経験を重ねるほどいいわけではなく、どこかにピークがあるはずだから、自分にとってそれはいつなんだろうって。そんなことを想像してしまうくらい、大きな展覧会なのだと思います。
僕は東京に住み始めたときに本格的にアニメーション制作も始めたから、東京で作り続けているだけなんです。もちろん東京で制作するメリットは、現実的にはすごくたくさんあるんですけど、それが一番大事なわけではない、とはいつも思っています。
だけどまあ、たまたまの集積が人生だったりするんですよね。東京に住んでいるから、たぶん僕は東京を好きになって、物語の舞台にしているのだと思うし、その場所を好きになるのは、そこに住んでいるからこそ。ここが最高だからとか、理想的な場所だから暮らしているわけではない気がしますが、東京にはとらわれてしまっているような感覚もあります。好きでい続けても決して報われることのない、異性みたいな(笑)。客観的には、東京での暮らしは大変なことのほうが多いんじゃないかって思うんだけど、自分の気持ちをコントロールできなくなるくらいの魅力がある街だと思うし、東京を舞台にすればするほど、好きな気持ちは強くなっています。
六本木が少し遠い場所だと感じるように、東京そのものも住んでいながら、やっぱりどこか遠い場所なんですよね。RADWIMPSと一緒だなって思います。彼らと一緒に仕事もできたし、とても身近な存在だと感じるようにはなったんですけど、やっぱり今でも遠くの星であり、手の届かない人たちなんです。六本木もやっぱりそういう存在で、ほんの少し近づくことはできたけど、いつまでも遠い存在であり続けるような気はしています。
RADWIMPS
手が届かないと思っていた場所にときどき触れることができて、今日はいい日だったなと思えるようなことがたまにあるくらいが、ちょうどいい。六本木が輝いているものの象徴のような街であり続けてくれたら、僕にとっては嬉しいですね。
取材を終えて......
本人もおっしゃっていた通り、次回作のことで頭がいっぱいになっているなか、貴重な時間を割いていただき実現した、今回のインタビュー。にも関わらず、内面で起こっている格闘を感じさせないくらい、新海監督の口調や物腰はとても穏やかで、ひとつひとつ言葉を選びながら、丁寧に話してくださる姿が印象的でした。東京に愛着を抱きながらも、「地元の長野で暮らし続けているもうひとりの自分がいるような、不思議な感覚がずっとあるんです」と話す姿が、『君の名は。』の瀧くんと重なりました。(text_ikuko hyodo)