六本木は、輝いているものの象徴のような街であり続けてほしい。
新海誠さんが監督を務めた長編アニメーション映画『君の名は。』は、2016年に公開され、社会現象になるほどの大ヒットを記録。六本木を含む東京の街が頻繁に登場する新海作品は、圧倒的な映像美が特徴といえますが、舞台になる街をどのようにして選び、アニメーションに落とし込んでいくのでしょう。物語と街の関わりについてお聞きしました。
僕にとって六本木は、映画が完成すると最初の完成披露試写や舞台挨拶をやらせてもらえる、キラキラした場所というイメージです。東宝と一緒にやるようになってからは、TOHOシネマズ 六本木ヒルズで最初に挨拶をすることが多いのですが、映画館に辿り着くまでの空間もラグジュアリーな感じがしますよね。六本木に行けるようになるまでには、2年くらいかけて映画を完成させないといけないので、特別な場所というイメージが強いです。
TOHOシネマズ 六本木ヒルズ
『君の名は。』で、主人公の瀧くんがアルバイト先の奥寺先輩とデートをする場所として六本木が出てくるのですが、高校生の瀧くんにとってアウェイのような場所がいいと思ったんです。一生懸命背伸びをして、あたふたするような感じを出したかったし、見るものや触れるものに圧倒されて、彼のコンプレックスが刺激されてしまうような、キラキラした場所にしたいと思って六本木を選びました。
その一方で、奥寺先輩とデートの約束をするのは、瀧くんと入れ替わった三葉のときなので、東京観光的な意味合いもあるんです。田舎に住んでいる三葉としては、たぶん六本木に行ってみたかったんでしょうね。国立新美術館のカフェで奥寺先輩と瀧くんはお茶をするのですが、僕がもしプライベートで誰かとあのカフェに行ったとしても、やっぱりオタオタしてしまうと思います(笑)。どうやって注文するんだろうとか、お金は足りるかなとか、高校生だったらなおさらでしょうね。
現代の日本を舞台にした物語を作ることが多いのですが、そういうジャンルがもともと好きなのだと思います。その場合、登場する土地も必然的に実在する場所にしたくなるんです。理由はいくつかあるのですが、現実にある場所を舞台にすれば、それ自体が物語の世界観の設定代わりになるわけです。ファンタジーを描くとしたら、たとえばこの道路がいつぐらいにできて、交通量はどのくらいで、何軒くらいお店があって......みたいなことまできちんと考えていかないと、説得力のある絵になりません。登場人物に実在感を持たせようと思ったら、その風景にも歴史を積み重ねないといけない。その点、現実の風景っていうのは、当然ですけど歴史を積み重ねた結果としてあるので、そのまま描くだけで画面に宿る説得力がまったく違ってくるんです。
国立新美術館のカフェ「サロン・ド・テ ロンド」
『君の名は。』で改めて感じたのですが、映画のなかで実際の場所を登場させると、「ここ、行ったことがある!」「見たことがある!」と想像以上に多くの人が喜んでくれるんですよね。こちらとしても嬉しいし、そういった仕掛けをもっと入れてもいいのかなという気持ちもあります。
現代を舞台にした物語を作るのは、今生きている人間の話を作りたいからだと思うんです。そういう意味で、自分にとって一番距離が近いのが東京という街なので、東京を舞台にした物語を作り続けているんでしょうね。
だけど極端な話、舞台はどこであってもいい、というふうにも思っています。なぜなら物語は誰のなかにも、どんな場所にも発生しうるじゃないですか。映画のなかで何でもない東京の風景を出すことで、観てくださった方にとってそこが特別な場所になったりもしますが、それって僕たちの人生でも毎日起こっていることだと思うのです。たとえば好きな人と一緒に歩道橋を渡ったら、その歩道橋が特別な場所になりますよね。
特別な場所から物語が生まれるのではなく、特別な体験をしたことで、その場所が特別になっていくのだと僕は思っています。
物語の舞台を探すような目で東京の街を歩くことはあまりなく、どちらかというと生活の断片のようなディテールのほうが気になります。たとえば都バスに傘の忘れ物が意外に多くあったり、バス停そのものはきれいにデザインされたりしているんだけど、交通規制の看板が立てかけられていて、想定していたバス停の美しさとは少し違うものになってしまっている感じとか。人々の営みによって、風景がちょっとずつ変化しているのを見つけるのは楽しいし、アニメを作るときはそういう要素が大事になってくるんです。
人が生活している街であることを映像から感じ取ってもらうためには、モデルハウスみたいに整然としているよりも、傘の忘れ物もあったほうがいいし、ときには空き缶が捨てられていたほうがいい。だから普段街を歩いていても、そういうところに自然と目が向いてしまうんでしょうね。
僕の作品に新宿エリアが多く出てくるのは、新宿周辺に長いこと住んでいるという単純な理由が大きいです。上京した1992年は、東京都庁が今の場所に移転したばかりだったこともあり、新宿は今よりもう少し華やかな雰囲気でした。六本木は当時から夜の繁華街といったイメージで、大人が行く街でしたね。六本木ヒルズができてだいぶ変わった気はしますけど、六本木がどんどん盛り上がっていく時代は、僕がアニメーション制作を始め、『ほしのこえ』を作っていた時期とちょっと重なっているんです。それもあって当時の僕は、いろんな街に積極的に出かけるようなモードになかなかなれず、自分の中にあるものをなんとか出そうと必死になっていたので、あまり外に目が向いていなかったような気がします。
『ほしのこえ』
東京ミッドタウンも六本木ヒルズもそうですけど、六本木の街には建築物のおもしろさがありますよね。デザインとして優れているから、映像映えもする。画面に入ってくるだけで一段高級にしてもらえるというか、実在感を出しながら画面を引き締めてくれるのは、六本木の風景が持っている強さだと思います。しかも東京の風景として多くの人が思い浮かべるイメージと、かなり重なりそうですしね。六本木ヒルズと東京タワーがフレームの中に同時に入ることで、今の東京なのだと見る人もすぐにわかりますから。
ただ、東京を舞台に描くと、作る側としては何倍も大変になるんです。東京は街並みやビル群など情報量が多いから、どこを切り取っても複雑なものが絶対にフレームに入るじゃないですか。その点、海辺の町や山とかだったら、もう少しシンプルに絵作りができるんですけど、東京はまったく手が抜けない。
たとえばビルひとつ取っても、四角い箱を描けばいいわけではなくて、ひとつひとつ窓を描きますよね。子どもだったら、窓を空色に塗っておしまいだけど、実際そんなふうに見える窓はまずなくて、その奥にはオフィスの蛍光灯が見えるわけです。そういうところまできちんと描いていかないと実在感のある絵にならないので、作業的にとにかく手間がかかるんです。
だけど、実写や写真で見ると東京のなんてことのない風景なのに、絵にして初めてその良さに気づくこともあるんです。それこそ、人が描く絵の持つ根源的な力だと思うし、アニメーションの強さのひとつですよね。
風景を絵にするときは、写真をそのままトレスするのではなく、見る人が気づかない部分でいろんなことを省略もするし、逆にディテールを足したりもします。たとえば六本木の風景を見るとき、僕たちはすべてを忠実に見ているのではなく、存在感そのものを見て、一瞬にして六本木の街だと判別できるじゃないですか。アニメーションの1カットは、平均すると4秒しか映らないので、写真のようにすべて細かい絵だと目がディテールを追ってしまって、話が入りにくくなってしまう。だからかなり省略しているんだけど、そうは見えないようにもして、物語が同時に入ってくるようなすき間を絵に持たせるんです。
それはたぶん、現実の風景を見るときに誰もが頭のなかで自然とやっていることであって、僕たちは肉眼で見ている街の印象をアニメーションに再現しようとしているんです。