機能的で合理的ばかりがいいとは限らない。街も人生も、時には思い切ったことを。
日本を代表する建築家であり、世界のANDOとして、建築の可能性に挑戦し続けてきた安藤忠雄さん。六本木は自身が設計した『21_21 DESIGN SIGHT』もあり、縁の深い街でもあります。今秋、国立新美術館では、過去最大規模となる展覧会も開催。建築家としての原点から都市への眼差し、そして、これからの社会への提言まで。背中を押される言葉がつまったインタビューをお届けします。
私の建築家人生は「挑戦」の連続です。よく話すことですが、そもそも独学で建築をはじめたこと自体が挑戦です。大学や専門学校へ行かなかったのは、家庭の経済的な理由などがあってのことですが、それでも「やりたい」と思うことは勝手ですから。まわりが何と言おうが自分の道を進めばいいんです。
建築が教えてくれたことのひとつは、すべての人に可能性があるということ。可能性はみんなの中にある。それを自分の心の中に持ってさえいれば、暗闇でも走り続けることができます。暗闇は先が見えないからいやだと言う人もいますが、"先が見えない"のがいい。その"まだ見ぬ先"を自分のものにするためには、一心不乱に働く。これしかありません。
働くって、いいですよ。私が建築に興味をもったきっかけは、幼いころに実家が増築をしたとき、大工さんが一心不乱に働いている姿を見たことです。「大人がこんなにも夢中になって働いている建築というものは、さぞすばらしいものなのだろう」と思わせてくれました。
日本の未来を考えるとき、"働く"ということが、ますます重要なキーワードになっていくと思います。日本にはエネルギーも食糧もない。人が働くしか資源がない国で、希望と情熱をもち、自らの意志をもって働くということを、もう一度考え直さなければならない。
1970年代くらいまでは、偏差値が高くて一流大学に入れれば、大きな会社に入社できて、年功序列の終身雇用で過ごせたかもしれません。けれど、時代はもう変わっています。もちろん、年功序列や終身雇用が悪いわけではありません。でも、今やどんなに大きな会社だってつぶれる可能性があるわけです。だからこそ、「生きていくのは自分の力なんだ」ということを、常に心に留めておいたほうがいいのではないでしょうか。
道は自分で切り開くものです。何をするべきか、自分で考えなければならない。新しくリーダーとなる人は、特にそうでしょう。自分で物事を考えられる人は、自分のことだけではなく、他人のことも考えられる人だと思います。
建築を志しはじめたころ、20代のはじめに挑んだことのひとつに読書があります。四当五落ではないけれど、まさに寝る間も惜しんで1日6時間くらいは読んでいました。1960年代には大江健三郎が芥川賞をもらったり、安部公房の活躍が話題になったりして、手にとってみるのだけれど、正直、当時の私には、よく理解できませんでした。そうすると、最初の5ページくらいで挫折しそうになるわけです。それでも投げ出さず、最後まで読む。読んだらまた次の本を買う。その繰り返しでした。
吉川英治の『宮本武蔵』や和辻哲郎、西田幾多郎の哲学書なども読みました。和辻哲郎の『風土』や『古寺巡礼』などは建築にも関係がありますから、おもしろいなと思って読んでいましたが、西田幾多郎に関しては、まったくわかりませんでしたね。でも、いま思えば、わからないものに挑戦しておいてよかったと思います。のちに、私は西田幾多郎の記念館(石川県西田幾多郎記念哲学館)にも関わることになるのですから。不思議なものです。
『古寺巡礼』著・和辻哲郎
石川県西田幾多郎記念哲学館
70代になって大きな手術をしてから、昼食後に1時間ほど、本を読んで休む時間をもつようになりました。大江健三郎や安部公房など、若いころには理解しきれなかった作品をあらためて読むことも多いのですが、いまは少しわかるようになっているので、おもしろいですね。昔、わからないながらに読んだことも無駄ではなく、どこかで自分の血となり、肉となってきたことを感じます。
好きな街はどこかと聞かれたら、それはやっぱり大阪です。自分を育ててくれた街ですから。建築家として世界各地で仕事をしてきましたが、事務所(安藤忠雄建築研究所)は今でも大阪にしか拠点を設けていません。でも、残念ながら大阪は人気がない......。特に、この20年くらいの間で、東京と大阪の格差はより大きく開いたと感じています。
安藤忠雄建築研究所
事務所には、「入りたい」という電話が直接かかってくることもあります。最近は入りたいという人に女性が多いのも変化のひとつですが、「大阪にしか事務所はありません」となると難しい面もあります。東京の大学を出た人は、まず大阪へは勤めに来たがりませんから。大阪の経済規模は東京に比べると1/10くらいだと思いますが、それでもよくやっているほうだと思います。大阪、えらいですよ。残り者ばっかりで、よく戦っています(笑)。大阪で講演会するときは、いつもそう言うんです。
表面的な文化度では東京に負けますが、大阪はとにかくユニーク。ユニークさというのは、なかなかの強みです。大阪出身者にも、ユニークな人が多いですね。カルチュア・コンビニエンス・クラブの増田宗昭さん、H.I.S.の澤田秀雄さん......。大阪人は私も含め、自力で道を切り開いていかなければならないと思っている。そういうたくましさみたいなものが、人にも街にもあると思います。
今回、国立新美術館で開催する展覧会『安藤忠雄展-挑戦-』は、「開館10周年の記念にぜひ」と青木保館長からお声がけいただいてはじまったもの。せっかくの機会ですから、ここでも思い切ったことをしたいと、原寸大の『光の教会』の模型を展示することにしました。建築というのは「体験」です。来場者にその空間を、直接感じとってもらいたい。間口約6m、奥行き約18m、高さ約8mの礼拝堂が、そっくりそのまま屋外に展示されています。模型とはいえ、「これはもう建築だ」という意見と「展示物で通る」という意見と、さまざまありました。結局、"建築物"として「増築」の確認申請をとり、展示の実現に至りました。
『安藤忠雄展-挑戦-』
将来的には、パリのポンピドゥ・センターでも同様の展覧会を開けないかと考えています。そうすれば、この原寸大の『光の教会』も行き場があるのですが......。先日、知人を介して日本航空の社長の植木義晴さんと食事をしたのですが、彼はもともとパイロットだったそうで「何でも運びます」と言う。日本航空だったら、ポンピドゥに『光の教会』を運んでくれるかもしれないなと、いま私の中で勝手に思っているところです(笑)。
『光の教会』
やっぱり無謀だと思えることを実現するためには、チームを組んでくれる優秀な人物の存在が不可欠です。人との出会いには常にアンテナをはっていたほうがいい。それもまた、生き抜く術のひとつでしょう。若い人にメッセージがあるとしたら「うまく生きろ」ですよ。自分で考え、自分でその術を見つけ、これからの時代をうまく生き抜いていってほしいと思います。
取材を終えて......
取材場所の『21_21 DESIGN SIGHT』にひとりで颯爽と現れ、おおらかに笑い、勢いよくしゃべり続け、そしてまた颯爽と次の仕事先へと向かって行った安藤さん。六本木には新しいものはもう何もいらない。あとは使う側の大胆なアイデア、とおっしゃっていたのが印象的で、今回の展覧会で安藤さんが実現させた『光の教会』の原寸大模型は、まさに、大胆なアイデア。かの名作の空間を六本木で体感できるなんて! 楽しみでなりません。(edit_tami okano)